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スカーレット・ホロウ  作者: 黒崎江治
ミッション3 信じる者
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十八話 情報網

 少しあと、京子はシェリーの部屋にいた。店の大人っぽい雰囲気とはまた少し違う、芝生のような色のカーペットと、青空のような色のベッドが、どこか少女的な趣向を窺わせた。しかしそれも部屋の半分だけ。もう半分はステンレスとプラスチックがLEDの光に照らされる無機的な一角だ。


 今、シェリーは黙々とキーボードに向き合っている。京子は芝生の端に腰を下ろし、モニタを流れる文字列を目で追っていた。


「それ、チャット?」


「そう。友達と連絡取ってるの」


 表示される匿名の友人たちと、そのメッセージ。Wizard、Detective、Blacksmith、Housekeeper。ハンドルネームというよりは、コードネームのようだ。ちなみにシェリーにはGuardianの名前が割り当てられている。


 守護者、あるいは保護者。京子にとっては皮肉な気もするが、今の立場には似合いと言える。


「少し時間がかかるから、京子は休んでていいよ」


「ここにいる。邪魔じゃないなら」


 京子には夜食を作るぐらいがせいぜいで、やれることはほとんどない。それでもシェリーに全てを任せて、寝てしまう気にはなれなかった。シェリーも京子の存在で集中を乱すようなことはなく、メッセージやコードを高速でタイプしながら、軽い会話をする余裕さえあった。


 その様子を見ていると、これみよがしにモニタを並べ、不必要な処理を実行しているヤンの姿は、半端な技術を誇示しているだけの、不格好なもののように思えた。


「シャングリラって、サイバー攻撃に弱いのよね」


「そうなんだ?」


「根幹にあるのがカジノの運営企業だから。情報機関を持つ国家とか、セキュリティが命に関わる巨大金融機関(メガバンク)とは違う。組織の末端なんて酷いものだし、犯罪者グループに至っては、セキュリティの概念すらないかも」


「あー……」


 確かに、緒方がサイバー空間上でのセキュリティに言及しているのを聞いたことはない。


「セキュリティが厳重なところに攻撃するときは、海外のサーバーを経由したり、IPを偽装したり、何重にも何重にも細工を施して、足跡を残さないようにする。でもヤンの性格上、ハッキングが容易な場所に、いちいちそこまでの対策を施すか……」


 しばらくすると、Detectiveからなんらかのデータが送られてきたようだ。シェリーは京子にもモニタが見やすいよう、少し身体をずらす。


「これがおそらく、ヤンの書いたコード。このあたりに癖があるでしょ」


「いや……分からない」


 京子にとっては意味のない文字の羅列。理解できる単語すら見つけることができない。


「例えるなら、ネズミの糞ね。こういうのが所々に残ってるから、ソイツが普段どこで餌を食べてるか、どういうものに興味を持ってるか、大体把握することができる」


「じゃあ、そこを狙って殺す?」


処理を終わらせる( キ ル )することはできるけど、本体に辿り着くにはもう少し手間がかかる。偽装したデータにバックドア型のマルウェアを仕込んで、外部通信記録を……」


「ごめんシェリーさん。例え話で」


「……えーっと、ネズミにGPSつきの撒き餌を食べさせて、巣に持って帰らせる。仲間に餌を分ければ、その仲間の居場所も分かる。GPSには盗聴器もついてるから、話の内容も……みたいな感じかな?」


 それならば大体理解できる。


「間に合いそう? あんまり時間はないんだけど」


「ヤンが食いつくのを待ちましょう……。歌でも歌ってくれる?」


「……もしかして、聞こえてた?」


「ここ、案外壁が薄いから。大丈夫。私は好きよ」


 それから三十分後、シェリーは今できる作業を終えたらしく、なにかあったら呼ぶと言って、母親のように就寝を促した。 


        *


 自室のドアが叩かれる音。京子が時計を確認すると、針は午前六時を示していた。


 寝起きのぼんやりした頭で応答し、廊下に出る。


「ちょっと確認して」


 シェリーに促されて彼女の部屋に行く。先程淹れたばかりらしいコーヒーのマグカップを手渡され、モニタの前に座らされた。


 そこには薄暗い室内でこちらを覗き込む、ヤンではない中年男性の顔が映っている。通信かと思ったが、よく見れば静止画だ。


「これ、内蔵カメラで撮られたことも知らない間抜けの顔。で、うしろの壁のところなんだけど……」


 説明しようとするシェリーを制止し、京子は画像に目を凝らした。コーヒーの香りで刺激された脳が、そう遠くない記憶を呼び起こしていく。注目したのは壁ではなく顔そのものだ。顎にある白っぽい傷跡。ペンライ・カジノでこちらに絡んできた衛兵力の男。


「この男がヤンと通信してた?」


 京子は確認した。


「知り合い?」


「衛兵力。ペンライ・カジノでパンツ脱がせてやった」


「ええ……?」


 語弊のある言い方をしてしまったが、この際どうでもいい。ヤンと衛兵力に繋がりがあった。特に、カジノの一件に絡んでいた男との関係は、黒豹への裏切りを強く示唆する。


「とにかく、ヤンとこの男はごく最近もやりとりをしてる。もう少し時間があれば個人情報も抜くけど」


 今の今まで起きていたらしいシェリーは、口に手を当てて大きくあくびをした。


「ありがとう。これで十分」


「あなたのお役に立てた?」


「もちろん」


 裏付けが取れた安心と同時に、京子は焦りを感じてもいた。別れてからの十数時間、なんの音沙汰もないことを、ヤンはどのように解釈するだろうか。動くならば早い方がいい。


「シェリーさん。私、やっぱりしばらくここを離れる。やむを得ず巻き込んじゃったけど、避けられる危険は、やっぱり避けた方がいいと思うから」


「でも、戻ってくるんでしょう?」


「落ち着いたら。今はいつになるかわからない」


 シェリーはその顔に笑みを湛え、腕を組んだ。


「じゃあ、バイトは雇わないでおく。困ったらいつでも連絡して」


「ありがとう」


「グッドラック」


 シェリーへの礼もそこそこにして、京子は顔を洗い、シャワーを浴び、外出の準備を整える。銃に弾を込めながら、柏木に通話要請。まだ寝ているだろうが、叩き起こすだけのメリットはある。


『なんですかぁ?』 


 案の定、寝ぼけたような声が返ってきた。


「おはよう。昨日のこと。楊博文とシェリー・メイ」


『ああー……はいはい。で、なんか進展あった?』


 ベッドから身を起こす気配。


「ヤンとシェリーの両方に探りを入れた。アウトだったのはヤンの方。カジノにいた衛兵力の男とコンタクトを取ってる」


『京子さん、ハッキングなんてできたんだ?』


「私じゃない。協力者」


 とはいえ、シェリーが京子を騙そうと思えば、いくらでもそうできる。疑いはじめればきりがない。結局のところ、これは客観的な情報をどれだけ集めるか、という問題ではない。


「それで、信じる? 信じない?」


『なに言ってんの京子さん。互いに背中預けた仲でしょうが』


 そんな出来事はあっただろうか。一緒に戦ったことがあるぐらいの意味かもしれない。


『ひとまずヤンさん()でいいのかな? いつ動く?』


「できれば今から。どこにいんの」


『事務所近くのマンション』


 聞けば、昨日京子が入居したのと同じ建物だった。


「十五分後に車回すから、マンションの前で。それでいい?」


『おっけい』


        *


 無風地帯でタクシーを捕まえ、マンションの前で待機する。柏木がやってきたのは、京子が到着してから五分後だった。


「遅い」


「俺、部屋では全裸でいる派だから、準備にちょっと時間が――」


「そういうの聞いてないから。ほら、行くよ」


 柏木を急かし、運転手にヤンの住所を告げる。再び走り始めた車は、広い道路を通ってシャングリラを北へ進んでいく。


「自分で誘っておいてなんだけど」


「ん?」


「あんたはヤンさんを疑うことについて思うところとかないの。付き合い長いんでしょ」


「あー、ちょっと微妙な質問だなァ。冷たいようだけど、正直なところあんまりないかな。ビジネスとプライベートで切り替えてるからかも。女性はあんまりそういうことしない?」


「知らない」


 京子の答えを軽く流して、柏木はなにか思いを巡らせてから、口を開いた。


董鎮氷(とうちんひょう)を衛兵力の長官から引きずり落として、嵐航の手駒に実権を握らせた。衛兵力の情報網があれば、情報屋なんていらなくなる。ヤンさんは自分がお払い箱にならないように、色々と工作してた……ってところかねぇ」


「それが正しいかどうかは、直接聞いてみて判断すればいい」


「抵抗されたら?」


「二度と羊羹を食えなくする」

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