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スカーレット・ホロウ  作者: 黒崎江治
ミッション2 バディ
11/27

十一話 フルベット

 店を出ていく柏木と入れ替わるようにして、男が入ってきた。こなれてはいるがくたびれたスーツ姿。皮脂が失われ、不健康に黒ずんだ顔面。遊びにきた客ではないな、と京子の直感が警告する。


 男は店内を見回してから、真っ直ぐブースに向かってきた。ウィスパーで柏木を呼ぶこともできるが、一旦様子を見ることにする。


「お一人ですか、お嬢さん」


 訛りの強い英語。中国人だ。それだけで京子には十分な自己紹介だった。


「見ての通り、連れが」


 柏木が残していったグラスを目で示す。しかし男は京子の拒絶するような態度を意に介することもなく、ビールを注文して席に座った。顎のところに、皮膚がひきつったような白っぽい傷跡がある。コーヒーとタバコの混じった酷い口臭が鼻先に届き、京子は思わず顔をしかめた。


「今やスカーレットも相棒を持つようになった、と」


 男はゆっくりと、含みを持たせるような口調で言った。


「…………」


 スカーレットという名前はもともと半ば都市伝説のようなもので、京子はその名前で仕事を請けたことはないし、依頼人とも常に月華を通して連絡し、直に接触を持ったこともない。


「認められ、恐れられてはるが、あなたがこれまでやってきたことは、無意味な破壊であり、妨害だ」


「なんのことだか。無意味な妨害っていうのは、この会話のこと? それとも広東流のジョーク?」


「まあ、そうつんけんせずに。怒らせようというつもりはない」


 どの口が言う、と京子は思う。男はそれを無視して続ける。


「我々は協力と連帯を望む。つまり、ネットワークだ。おおっぴらにはできなくても、ある面では……」


 この男は京子のやってきたことについて、どれほどの確信を持っているのだろう。今夜の目的についても把握しているようだが、それはどこからもたらされた情報だろう。そして男が言う協力とは、一体なにを指しているのだろう。


 なんにせよ、この場で交渉するつもりはない。しかしおおっぴらに敵対するというのもあまり上手くない。


「もしそれがビジネスの話なら、条件次第でなんとでも」


 あえて思わせぶりな態度を取る。


「条件とは、例えばどのような?」


「ここじゃちょっとね」


 京子はわざとらしくウェイターに目を遣ってからおもむろに立ち上がり、徒手であることを強調しながら店の出口へと向かった。


 会計を済ませ、男の気配を背後に確かめながら、人気のない方へと誘導する。いつでも腕が掴める距離を保っているのは、逃走への警戒か。


 トイレは遠くないが、柏木はまだ帰ってこない。近くに監視装置や人目がないことを確かめて、京子はポーチから少額のチップを一枚、指で弾き出した。それは柔らかい床に落ち、ほんの少し転がり、二人の足元で止まった。


 男はしゃがんで拾うことこそしなかったが、その注意が一瞬、落ちたチップに向いた。


 一秒に満たないその隙を見逃さず、京子は振り返りざま、男の喉に手刀を叩きこんだ。気道が潰れ、音にならない呻き声を上げた男の背後に回り、頸動脈を絞める。


 脳への血流を遮断された男はすぐに意識を失った。京子は泥酔した人間を介抱しているように装い、ぐったりした男の肩を担いでトイレに向かう。幸い、途中で誰かに見咎められることはなかった。


 トイレに入ると、下半身裸のまま気絶している男を抱え、個室に詰め込んでいる柏木がいた。


「なにしてんの……?」


 京子は強く眉をひそめる。しかし不審さについてはどっちもどっちだった。


「いやなんか、ムカつく絡まれ方したから……」


 聞くところによると、柏木もおおむね同じタイミング、同じやり方で声をかけられたらしい。向こうも機会を窺っていたのだろう。抹殺するつもりとまではいかないが、ピッタリとマークして、妙な行動をされないように。


「とりあえずもう片方も脱がしとくか」


 男同士の変態行為を装うのは柏木に任せ、京子は事前に知らされていた武器の隠し場所を探る。


 個室の便器の上に立って天井を調べると、パネルが一枚外れるようになっていた。奥の空間に手を突っ込み、重たいバッグを引きずり出す。ゴリゴリという金属音。


 埃を払いながら、便器から降りてバッグの中身を確認すると、そこには銃が四挺と、スプレー缶のようなものが一つ入っていた。京子のホーネット、柏木のマンティス二挺、それから緒方がバジリスクと呼ぶ、銀色の重厚なリボルバー。


 隠し持つ方の身にもなって欲しい。京子は心の中で毒づいた。


 スプレー缶はスモークグレネードだった。殺傷力がないため、余分な被害を考慮せずに使える。


 武器を取り出して個室を出ると、柏木が男たちのスラックスを小さくたたみ、ゴミ箱に入れているところだった。ベルトは拘束に使ったようだ。


「一階にいた方がよさそう」


 京子は提案した。衛兵力の仲間はほかにもいるはずで、その目をごまかすためには、人ごみに紛れる方がいい。


 二人は何食わぬ顔でトイレを出て階段を下り、一階の遊技場へ向かった。今のところ、黒服たちがこちらを怪しんでいる様子はない。開けた場所を避け、人と機器の多いスロットコーナーに移動する。


「月華、雑音キャンセル」


『はいはぁい』


 適当に選んだ安いレートのマシンにメダルを投入し、リールを回す。


「私たちの顔ってバレてんの?」


「ああ、なんかそんな感じだったね。どっかから漏れてんのかなァ」


 数度回すうちに絵柄が一部揃い、少額のクレジットが加算された。安いレートとはいえ、大当たりでもしなければ、三〇〇ドルで長く遊ぶことはできない。


「でも変に懐柔しようとする感じもあった。意図がバレてるわけじゃないのかも」


「あるいは俊豪御大とは別の思惑を持ったグループがいるとか」


「面倒臭い」


 クレジットが残り五〇ドルまで減ったとき、月華が盗聴器からの音声を拾った。


『時間を割いていただいて感謝しますよ。長官殿』


 緒方の声だ。さすがにいつもより態度が重々しい。


『なに、時間はお気になさらず。どうぞおかけください、ミスター緒方』


 密談がはじまったようだ。緒方も董鎮氷も流暢な英語を話し、通訳は交えていない。


 隣では柏木もまた通信に耳を澄ませていた。交渉の成り行きによって、このまま大人しく帰ることもあり得るし、ギャンブル以上の過激なイベントが生じることもあり得る。


 大物同士の常として、はじめは世間話で腹の探り合いだ。合間合間にカードが配られ、めくられる。ポーカーのルールにのっとった掛け声と役の名前。高性能な盗聴器が、テーブルを滑るチップの音さえ捉える。


一対一勝負(ヘッズアップ)か。鎮氷サンも伊達だなァ」


 一方で京子はスロット台を離れ、フロア中央の階段に目を光らせる。まだ大きな動きはない。


『ところで最近、柄の悪い連中をよく見ますね。私の知り合いも粗暴なフィリピン人に絡まれて迷惑していました。こちらの方で追っ払ってしまいました、なぜか長官のことを口に出していましたよ』


 緒方が本題に入り、部屋の空気がウィスパー越しでも分かるほどに張り詰めた。


『……その連中なんと?』


『どうだったかな。あんまり喚くんで、すぐに舌を抜いてしまいました』


 京子は緒方の表情を想像した。きっと嫌らしく笑っているのだろう。


『人の出入りがあるのは結構なことです。ただ、そういう環境下では検疫に気をつけないといけない。いつか追い出したはずの外来種をまた持ち込んで、甘い汁を吸おうなんてのは言語道断。例え衛兵力の長官という立場があったとしても、どんなお咎めがあるか』


 数秒の沈黙。


『それは脅しですか? 中々豪胆なことをしますね』


『在来の獣も中々強いもんでしょう。カードを配ってください……どうも』


『なにが望みですかな? ミスター緒方』


『カードですよ長官。私はこれから潘俊豪とポーカーをするつもりでいるんです。一対一ではないし、正々堂々やるつもりもない。そしてイカサマをやるなら、こちらにいいカードを配ってくれる人間が必要だ』


 京子は緒方の強気が手に取るように分かった。鎮氷が言う通り、これは交渉と呼べるようなものではない。それだけ、カルテルから得た情報は重大だったようだ。あるいはポーカー的なハッタリだろうか?


『それじゃあゲームにならない』


『もちろんゲームじゃない。ゲームならアンタは降りることもできる』


 そろそろだな、と京子は思った。フロアに佇んでいた二人の男が、ウィスパーからなにがしかの連絡を受け、階段を上がっていった。背後をちらりと見ると、柏木も小走りでこちらにやってくるところだった。


『ゲームじゃないと言うのなら、カジノ(ここ)でもてなす道理はない。支払いは高くつくぞ』


『そうかい。じゃあコイツはチップだ』


 拳が肉を打つ鈍い音が響いた。緒方が鎮氷を殴りつけたのだ。


「あーあー、せっかく途中までスマートな感じだったのに」


 ぼやく柏木から銃を受け取り、ドレスの裾を裂いてから二段飛ばしで階段を上がる。途中で一度、制止してこようとした黒服を突き飛ばした。

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