聖女は男に戻りたい
それは、誤解から始まった。
魔族と呼ばれる種族が居る。
彼等は魔法を得意とする頑健な種族であり、どういう理由でか他種族を憎んでいるらしい。
その為、彼の種族内で王と認められる程の力量の持ち主が現れる度、他種族の治める国への侵略を行う。そして、今回の魔族の王が最初に標的として定めたのはセラの暮らすルングーザ王国であった。
魔族の侵攻から国を守る為、国中の治癒魔法使いが集められる事になり、その中にセラが居たのはなんら不思議のない事だ。
治癒魔法使いの人数は、他の魔法使いと違い数が少ない。
たとえ、まだ声変わりもしていない上に経験の少ない少年であったとしても、今回の招集を断る事は出来なかった。
まぁ、そもそもセラに断ると言う選択肢は存在していなかったのだが。
緒戦から、ルングーザ王国軍は劣勢を強いられた。
そもそもが魔法を得意とする挙句に、頑健な種族である魔族が相手だ。
楽な戦いであるわけがない。
それでもなんとか近隣国の応援が駆けつけるまでの間、凌ぐ事が出来たのは、セラを中心とする治癒魔法使い達の活躍の賜物だった。
ただ、セラが中心になっていったのは、ただの偶然からだ。
彼は、他の治癒魔法使い達と同じ様に立ち働いていただけで、特に変わった事をしていた訳ではない。
ただし、その容姿が他と一線を画していただけである。
率直に言うのなら、彼の顔立ちは中性的で腰まである長い淡い金の髪のほっそりとした線の細い少年であり、性別を知らなければ『美少女』で通る見た目であった事だ。
彼が治療あたると、兵士たちの間から喜びの声が上がる。
優しくほっそりとした指が傷口に当てられ、その甘やかな声で呪文が紡がれるとそれまで感じていた痛みがあっという間に消え失せる……様な気分になった。
実際には、治癒魔法をかけたからと言っても、傷が消えた後にも鈍痛が残るのだが、『美少女』の手によって治療された兵士の気分の問題と言うヤツだ。
誰だって、じいさんやおっさんに治療されるよりも、綺麗で若い女の子に治療された方が気分が良い。
ソレだけの問題。
病は気からとはよく言った物だと、セラの周りの治癒魔法使い達からは笑い声が上がる。
ただ、本人としては笑い事ではない。
今はそれで士気が上がっている様に見えるからいいモノの、自分が男である事がばれたのならどうなる事やら……。
想像もしたくない事態に陥りそうだ。
「お師匠様……。」
困り果てて師に縋ると、師はこともなげにこう告げる。
「なぁに。バレなきゃ平気だ!」
「どこも平気じゃありませんってば!」
「問題なし。」
師匠は頼りにならないらしい。
セラは全身から力が抜けていくのを感じた。
――どうしよう……。
どうしたらいいのか。
その答えは誰も示してくれない。
セラはそれでも、機会がある度に自らが男である事を主張し続けていたが、その言葉が誰かの心に届く事はなかった。
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そうこうするうちに5年の年月が流れ、セラも齢18を数えるようになる。
声変わりをこの年齢になってもまだ迎えていないセラの声は、相変わらず女の様な澄んだ美声で、背はひょろりと伸びたものの手足はほっそりとしており、面立ちは中性的な美しさがあり、男女を問わずその美貌にため息を吐く有様だ。
この頃にはセラ自身も、もう男だと周りに認めて貰う事を半ば諦めていた。
未だ、魔族との争いは続いている。
緒戦で近隣諸国からの応援の手を借りてとはいえ、魔族軍を押し返せた事により矛先がルングーザ王国以外にも向いた事により、人族連合軍による魔族軍の弱体化を効率的に行う事が出来た。
しかし、既に5年もの年月の戦の日々に愛する者を失ったモノたちも多く、この戦の早期決着が望まれているのも事実。
魔族は、要となる王が居なくなれば即座に軍を解体するのはそれまでの歴史が証明してくれている。
ここまで魔族軍を弱体化させていれば、魔族の王を討つ事も可能なのではないかと考えた人族連合軍は魔族の領域に潜入し、彼等の王を討つ有志を秘かに集め始めた。
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「貴女が聖女か?」
そう声を掛けられ、セラが振り向くとそこには男性の様に短く髪を切り揃えた凛々しい女性の姿。
女性にしては背の高い彼女は、セラより少し背が低いものの均整のとれた体つきをしている。
彼女の立ち居ふるまいから、しっかりとした筋肉がついている事を見てとり、セラは心の中で思わず愚痴をこぼす。
――どんなに頑張っても、私には筋肉は付かないのに。
神様って不公平ですよね……。
この辺はもう、体質でしかないので愚痴っても仕方ないと言う事は分かっているのだが、やはり一応はセラだって男だ。
見るからに日常的に剣を握っているらしい女性であっても、自分の方が明らかに筋力で劣っていると言うのはどうしても情けない気持ちが先に立つ。
「そう名乗った事はありませんが、そう呼ばれてしまってはいますね。」
苦笑交じりに応えながらも彼は、この女性が自分を訊ねてきた理由を測りかねていた。
だから、彼女が自らの目の前に片膝をついて見上げてきた時には大いに動転してしまう。
そんな事をされる覚えが全くなかったからだ。
「前線を支える治療部隊から、貴女を引き抜くのは心苦しいが……」
女性はそう切り出しながら、ヒタと彼の瞳を見据える。
真っ直ぐなそのまなざしに、セラは思わず息をつめて唾を飲み込む。
「魔王を倒す為の旅に、同行して欲しい。」
魔王討伐の話は、大分ぼやけた形ではあったがセラの耳にも入っていた。
曰く、各国から選りすぐられた者が向かったらしいだの、いや、各国がそれぞれ討伐隊を派遣したらしいとかの不確定情報としてだが。
その話が現実に実行に移されようとしているとは、その話をしてくれた者ですら思っても居なかったに違いない。
ましてや、目の前に居る女性はセラと大して年もかわらない――つい先日まで『少女』に分類されていた様な女性だ。
返事は翌日聞きに来ると言い残し、セラを置いて帰っていく彼女を見送る彼の心には様々な葛藤が渦巻いていた。
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ソレから半年。
各国から送りこまれた『魔王討伐隊』は、その大命を果たす事が出来たものの、生還できたのはたったの一組。
赤毛の娘が率いたものだけだった。
討伐を成功させる事が出来たのは、単に他の討伐隊や連合軍が奮闘してくれたお陰であり、彼女らだけの功績ではない。
それでも、長く続いた戦乱を見事治めたのが麗しい女性ばかりのチームだった事に世界中は熱狂した。
「……女性だけじゃないんですけどね。」
「いーじゃん、そんなの。」
「セラが男かどうかなんて大した問題じゃないですものね。」
紫髪の斥候と青髪の魔法使いの娘達が、セラのぼやきを笑い飛ばす。
「確かにそうですね。」
行動を共にし始めたセラの性別が女性でない事はあっという間に彼女等に、バレていた。
セラは自らが男である事がバレたあの時の居たたまれなさを思いだすと、今でも穴を掘って埋まってしまいたい程恥ずかしくて堪らないが、あの事件があったからこそ、今の信頼関係があるのだとそう思う。
「お前ら、そんなところでいつまでもくっちゃべってないで、さっさと来い!」
先を歩いていた赤毛の戦士が、謁見室の扉の前で三人を振り返り大声を上げる。
それに返事を返しながら、セラは思う。
――私は、貴女から見て立派な男になれたでしょうか?
視線があった途端、視線を逸らしてしまう赤毛の娘の頬がほんのり赤く染まるのに目ざとく気付いた紫髪の娘が含み笑いを漏らすのを見て、青髪の娘がセラにこっそりと問いかける。
「プロポーズ、したの?」
「お返事は、いただけませんでした。」
「素直になっちゃえばいーのにねー。」
「ね。」
二人が囁き交わす声を聞きながら、セラは彼女の元へと足を速める。
なにはともあれ、これで『聖女』はただの治癒魔法使いの『男』に戻る事が出来るのだ。
全ては、そこから。
そして、魔族との戦争が終わった後に聖女は男に戻り、世界に平和が戻った為その姿を消した彼女の存在は、天からの使いだったのだと後の世に伝わった。
出来心です。