表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
スイリン少女  作者: 子無狐
ある絵師の届けもの
8/17

ある絵師の届けもの - 05(完)

 ……少しして。

 俺と少女を照らす空間には、鉛筆が紙を走る音だけが、静かに響いていた。

「不思議なもんだな」

 白い紙へと鉛筆を走らせていると、筆先に生気がこもっているのが感じられる。

 その黒鉛が描き出す絵は、まさしく生に迫るであろう、不思議な迫力に満ちている。

 俺は、確信していた。

 これほどまでに、自分の描きたいと想う線の運びと、描かれる絵のイメージが、一致したことは今までなかった。

 まさしく、絵と筆先と自分が、一体化している。

 ――そう、感じることができる。

 そして、さっきの少女の絵のように、光を放ってもいた。

 鉛筆で描くたび、その一線一線が、まるで意志を持つかのように光を帯び始める。といって、描きづらくなることもない。

 俺の描くイメージは、しっかりと定まっていた。


 ――アイツの顔は、あの日以来、一度も描いていなかった。

 そう想えば、この時のために、描き残したものだったのかもしれない。


「いいねぇ。こんなにもノっているのは、初めてだ」

 俺は笑いながら、自分の全てが絵に変わっていくような感触に、興奮していた。

「……はい。わたしも、嬉しいです」

 だが、言葉と違い、少女の表情はどこか晴れきらないものだった。

「大切な方がモデルだから、でしょうか」

 少女の様子に、少し俺は寂しくなる。

 わずかな間しか話していないが、わかったことがある。

 ――この少女に、悩む顔は、似合わないということだ。

「笑ってくれよ、お嬢ちゃん。でないと、このノリが墜ちちまうとも限らねぇからな」

「はわわ、すみません!」

 そう言って、少女は努めて冷静に、笑顔をふるまうようにしてくれた。

 感覚が、鋭敏になっている。

 だから、か。

「なぁ、お嬢ちゃん」

「はい、なんでしょうか」

「これからも、旅を続けるのかい」

「もちろんです! わたしとスーさんは、『永遠の光』を見つけるまで、一緒に旅をするって約束してるんです」

「なら一つ、頼みがあるんだ」

「はい、喜んで!」

 力いっぱい元気に微笑む少女へ、俺は言った。

「届けてほしいんだ、この絵を」

「この、絵を……」

「ああ。俺が描いた、最後の絵だって、な」

 俺の言葉に、少女はすぐ答えなかった。

 少し迷ったような時間の後、少女は改めて口を開いた。

「はい。お届けするのは、どんな方なのでしょうか」

 答えた声は、とてもしっかりしたものだった。

 そして少女は、二つの意味で、俺の言葉を否定しなかった。

 だから俺は、少女の問いに答えた。

「俺のもっとも大切な妻へ、お願いするよ」

「わかりました」

「だが、届けられなくても……気にするなよ」

 それは、なぜか言っておかなくてはいけない気がした。

「……!」

「これは、俺が自分のために、そしてアイツのために描いている絵だ。だから、お嬢ちゃんが気に病む必要はねぇ。もし、アイツに出会えたら、でいい」

 少し瞳をあげて、少女へウインクを送る。

 強ばっていた少女の顔が、少し柔らかくなるのがわかった。それでも、どこか申し訳なさそうな色は消えていなかったが。

 ――本当に、嘘をつくのが下手なお嬢ちゃんだ。

「だから、アイツのところへ連れて行ってほしいんだよ。俺が俺であった証明を、見届けてくれたお嬢ちゃんの手で、な」

「はい。必ず……ご一緒に」

 それが、俺の聞いた、最後の少女の言葉だった。


 ――俺が、次に自分の意識を取り戻したのは、筆を置いた時。

 ――けれど、そこにはもう、俺の姿はなかった。




 ***




 ばさり、こんこん……と、物の落ちる音が響く。

 闇の中で、地面があるのかも定かでない、この空間。

 男が持っていたスケッチブックと鉛筆は、彼の消滅とともに、地面へと身を横たえた。

「……イラスト、さん」

 呟きながら、リンは男のスケッチブックを、その手で取り上げる。

 見れば、そこには男が最後に描いていた絵が、しっかりと刻まれている。

 周囲の闇を払うような、美しい光とともに。

『美しい絵だな』

 スケッチブックに向かって照らしてくれているからなのか、私もその絵を見ることができた。

 ……自分の眼がどこにあるのか、我がことながら、未だに私にもわからないのだが。

 その絵は私の視界に、しっかりと映し出されていた。

「はい。本当に……」

 リンはうなずきながら、器用にスケッチブックをめくる。

 今、リンの手には、二枚の絵がある。一枚は、我々が見たことのない、彼の妻の絵。もう一枚は、最初に描かれたリンの絵だった。

『リン、どうした?』

「な、なんでもないです……ちょっと眼が、変で……」

 リンは、自分の描かれた絵を見ながら、涙を流していた。

「わたし、こんな顔してたんですね。なんか、面白くて、変ですね」

 描かれた一枚のスケッチには、見る者を魅了する笑みを浮かべたリンが、幸せそうに描かれていた。

「こちらの絵も、ステキですね。……こめられた光が、とってもまぶしいです」

 リンが言うもう一枚の絵の光は、リンを描いたものよりも、強い光を発していた。

 その光は、しかし、当然とも言えた。

 男が最後の一欠片になるまで、筆先から光をそそぎ込み続けた、その結果なのだから。

 だからこそ――リンは、顔を曇らせて、言った。

「お届けできないのが、本当に残念で……申し訳ないです」

『……』

 私は、なにも言うことができなかった。

 絵の光は、自然と私の方へ、吸い寄せられるように集まっている。

 そして、その光が私へと同化する度に……絵の全体像は、次第に薄くなり、形を失っていくのが見てとれた。


 ――生み出された光の形が、残ることはない。

 いつも最後には、私とリンだけが、この闇に残されるのだ。


「……イラストさんの光が消えないうちに、見つけたいですね」

『そうだな。みなのためにも』

「うん。リン、忘れません。イラストさんを、アイツさんを。それに……この顔を」

 リンは、絵の中の自分を見つめながら、祈るように呟く。

「これが、リンなんだって……嬉しくなるの、教えてもらったから」

 次第に、二枚の絵の光が、さらに弱まっていく。

 私が、自分の光を維持するために、彼の光を吸っているからだ。

 絵に全てをこめて光となった、彼の意志を取り込むために。

「スーさん。リンは……嘘をついて、しまいました」

『……すまないな、リン』

「いえ、悪いのはリンなんです。でも……自分の顔を、見たかったのです。それに、イラストさんの描く、本当に大切な人の光を」

『リン……』

 もし、私の光が鏡のように、彼女の顔を映す力があれば――こんな顔にさせることも、なかったのだろうか。

 だが、それでも……とも考えてしまう。

 彼女は、彼のために、嘘をつくだろうと。

 簡単に見破られてしまうだろうが、そのぎこちなさで、彼女は彼の望みを叶えてあげようとするのだろうと。


 ――彼が望んだ生き方を、想い出させるような消え方をさせるのだろうと、私にはわかるのだ。


「だから、リン、忘れません。イラストさんのことも……イラストさんに、大切な人がいることも。もちろん、この絵のことも」

 ぎゅっと、リンはスケッチブックを抱きしめる。すると、私の光と絵の光が混じり、リンの周囲に蛍のような光が舞う。

 ――断片化していく絵の輝きが、私の中でゆっくりと、暖かい光になる。

 少しして、その場に残ったのは、私の光だけとなった。

 リンの手元には、彼の描いた絵も、そこから生まれていた光も、なにも残ってはいなかった。

 リンは、手元を寂しそうに見つめた後、ぎゅっと眼を閉じ――言った。

「みなさんに、笑ってほしいから。――スーさん。『永遠の光』を、見つけましょう」

 そう言って、眼を見開いたリンの顔には、いつもの笑顔が浮かんでいた。

『ああ。では、行こうか』

「はい!」

 私が光を揺らめかせるのを合図に、リンもまた、闇の世界へと足を踏み出した。


 ――あてのない旅路は、続く。

 この闇の道がどれだけ続いているのか、私にもリンにもわからない。

 知っている者に、出会ったことすらない。

 だが、彼の描いた笑顔は、私とリンの心にも光を灯してくれた。

「――自分の顔、いつでも見れるようになりたいですね」

『私もだ。私も、自分以外の光に照らされる日を、夢見るよ』

 彼のためにも、まだ、輝けるのならば。

 私達は、彼が描き続けた世界の形を探して、歩き続ける。


 ――彼が残してくれた想い出の光は、私達の胸にあるのだから。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ