ある絵師の届けもの - 04
――そんな時間が、ある程度たった頃。
「できたぞ」
手元のスケッチブックを彼女に差し出しながら、俺は、自分の満足感に驚いていた。それほどに、そこへ描かれた絵は……自分にとって、充実したものだったからだ。
「あの、見てもいいんですか……?」
「お嬢ちゃんに見せないで、誰に見せるんだ」
少女は恐る恐る、恥ずかしそうな顔で、俺の手からスケッチブックを受け取った。
手元のマッチをかざしながら、受け取った方の手で、自分が描かれた絵を見る少女。
「う、わぁ……」
「どう、だろう?」
不安になりながら、少女へ聞く。
正直、どんな相手に見せるときも、最初の感想が不安でないと言えば嘘になる。
自分の描いた絵に自信はあるが、周囲の評価が、俺と同じになるわけではない。実際、そんなことはたくさんありすぎて、覚えていられないくらいだ。
――だが、今回は心配しすぎのようだった。
むしろ……少女が浮かべた表情に、俺自身が驚かされた。
「……リン、こんな顔してるんですね。面白い」
「面白い、か?」
「はい、面白いです。こんなに幸せそうだなんて……イラストさん、すごいです。嬉しいです」
「そんなに、謙遜するなよ」
むしろ俺は、自分の腕に後悔していたところもあったくらいだ。
自信を持って描いたものであり、恥ずかしくはないが、少女の持つ雰囲気などを出し切れてはいない――そう、想っていたのに。
「ありがとうございます、大切に……覚えておきますね」
そんなことを、言われたら……こっちの胸が、詰まっちまうじゃないか。
「やるよ、その絵。こんな、鏡も落ちてないような世界だろうから」
そう言うと、少女はなにか言い足そうにして、でもなにも言わずに口を閉じた。
「どうした。なにか、気になることでもあるのか」
「え……っと、そうですね。もっと、イラストさんの絵が見たいなって、リンは想いまして!」
「絵を、か……」
呟いて考えていると、少女が俺にスケッチブックを戻してくる。
少女の絵は、スケッチブックから切り離されず、そのままの姿だった。
(後で、旅立つときに渡してやるか……)
そう想いながら、彼女の要望へ応えるために、絵のモチーフを考える。
――だが、なぜか、イメージがうまくつかめない。
「……なにを、描けばいい?」
「もちろん、イラストさんの描きたいものがいいと想います!」
少女の言葉に、俺もそうは想いながら、うなずけないでいた。
「困ったな」
「はえ?」
「なにも、想いつかない」
「えぇぇ!?」
俺の言葉に、本気で取り乱す少女。
――心配してくれているのに悪いが、なんか、面白いな。そう感じてしまう、大げささだった。
「もしかして、スーさんの光が足りないですか? もっと浴びせた方がいいですか?」
大げさすぎて、手元の光をぐっと俺に近づけてきた。
「うぉ、まぶし。……いや、想いついてはいるんだ。考えても、いる」
だが、構想が形となるかは、別の問題だ。
「はぅ……難しいものなのですねぇ」
「……そうだ」
ふっと、俺は少女を見ながら、あることに興味がわいた。
「お嬢ちゃんは、ずっと旅をしてきたんだろう?」
「はい。スーさんと一緒に起きてから、ずっと歩いてきました」
「さっきの話から、いろいろな人にも会ったんだろ」
「会いました!」
瞬間、少女の表情が花咲いたように笑顔になる。
――俺みたいに、面倒くさいやつもいただろうに。
(なのに、こんな笑顔を浮かべられるのか)
その笑顔の意味を知りたくて、俺は、興味を持って問いかけた。
「教えてくれないか。今まで、この真っ暗闇の世界で――どんな者と会ってきたのか」
「はい、喜んで! でも、絵のお話は……」
「いいんだ。絵のモチーフにも、関係するからな」
俺はそう言って、少女に出会いの話を促す。
ただ、一つ一つのエピソードは長くなりそうだったので、ざっくりとした概要だけを述べてもらうようにした。
「まずは、スーさんと会いました!」
「マッチ、マッチか……」
さすがにモチーフとするには、淡泊すぎる。
むしろ、先ほど描き上げたばかりの少女の絵にも入っているし。
「そうですねぇ……お子さまを失ったお姉さんは、つらかったですね」
「それは……確かに、辛いな」
悲劇は、芸術の題材としては主流のものだ。
ただし、それはかつての世界の話。
ここで絵のモチーフにするとしたら、この世界に合いすぎて、逆に困る。
「あ、男の人を探してほしいという女の人もいました。今、一緒に探しています!」
「一緒に? え、っと……どこにいるんだ」
「今はスーさんのなかですけど、リン、あの人のためにきっと見つけます!」
――よくわからないが、つまりは結局、マッチになるのか。どんだけマッチ好きなんだよ! と内心でだけ突っ込んでおく。
「えっと、後は……お髭が生えたお爺さまとか」
「お髭?」
「はい。指導する人たちが消えてしまって、力を持て余していました」
どこかの、伝統工芸の技術者だろうか。後継者不足はどこも問題となっているから、そのことなのかもしれない。
「ん~、吐き出した毒リンゴを持って、復讐を企てている女の子もいましたね」
「そいつは、物騒だな」
シチュエーションが、まるで白雪姫の変則系みたいだなと感じる。劇団でもやっている子だったのだろうか。
しかし……少女の話を聞き続ける度に、俺は、ある疑問にとらわれていった。
「角がはえて、ちょっと牙がはえた、悪魔みたいな方とか」
「それは……悪魔か?」
返答していて、バカみたいな答えをしたのを恥じる。
だが、少女の語る話に、だんだんと俺は返答が難しくなっていった。
「毛がワサワサして、目つきが鋭くて、牙がはえてて、尻尾にも口がある方と会った時は、驚きました~。失礼だったけれど、声を上げて驚いてしまいましたね」
「よく、喰われなかったな……」
――語られた姿を想像すると、まるで、人間ではないものが含まれており。
「自分は決して錆びない鉄柱だ、なんていう方もおられました。でも、この暗がりだから、錆びているのかどうかよくわからなくて申し訳なかったです」
「……鉄柱が、しゃべる?」
「そういえば、『どうして私の眼を見てを見て石化しないんだ』、って言われた方もいましたねぇ。そう言われたので、固まったフリをしたら怒られてしまいました」
「……」
――果たして彼女は、この闇の中で、どんなモノ達と会ってきたのか。
正直、彼女の空想ではないかと想われるモノ達も、たくさん混じっていた。
俺がいた時代には、もういないはずの偉人達。
俺が住んでいた世界には存在しない、架空の生物達。
失われた過去に存在したと推測される、超文明の遺産達。
本や空想の世界には、そういった存在がいくらでもいることを知っている。俺自身がその担い手であった部分もあり、むしろ当事者ですらある。
だが、それはあくまで――今とつながる、けれど現実ではない、異世界とも呼べる観念のものだ。
だから、素直に信じるには、俺の価値観が邪魔をする。
もちろん……この闇の世界を歩く少女の価値観が、俺と一緒のはずがないとも理解はしている。
――そうは想っても、やはり、受け入れがたい感触は残ったままだった。
ただ、エピソードそのものは、とても興味深いものだった。
はたしてどこまで本当かはわからないが、聞いていてインスピレーションを刺激されたのは、確かだ。
「ふむ……」
確か、なのだが……あまりにも突飛すぎる話に、逆に描くことをためらう。
「筆がのるか、というのとは、違う問題なんだな」
「はわわ、ごめんなさい~」
謝る必要などないのに、彼女は必死に俺に謝ってくる。
うぅんうぅん……と悩みはじめた姿を見るに、また、俺の絵のモチーフを考えてくれているのだろうか。
真剣なその様子を見て、俺は想わず苦笑してしまう。
「お嬢ちゃん、面白いなぁ」
「ほえ? リン、なにも面白いことやってませんよ?」
そうした様子が、俺の頬をゆるませる。
……ただ一心に、俺の話を聞き、答え、考えてくれる。
――なのに、俺は。
「ありがとうな。どんな状況でも描きたいものがある、っていうのが、本当の本物ってやつなんだろうがね」
少女の頑張りに答えようと指先を走らせてはみるが、先ほどのような高揚感はやってこない。
――創作は、どうしても止まってしまうことがある。本人の望む望まないに、関わらずだ。
残念ながらこればかりは、かつての世界と一緒のようだった。
(……いや。それだけじゃ、ないのかもな)
この闇の前に、俺はなにかを表現する気力を、塗りつぶされてしまっているのかもしれない。
――情けない、と、アイツなら言うのだろうか。
「えと、えと……ごめんなさい!」
「おいおい、だから……」
「諦めないで、えいえいおーですよ!」
「……え?」
「白い紙と鉛筆があるのは、あなたが望んだから。だから、スーさんがそれを形にできているんです」
「いや、これは偶然だろう」
「でも、スーさん、言ってますよ。その白い紙と、描かれた絵の光が、とっても強いんだって」
「光が、強い?」
言われて、白い紙を見る。そうして、意識していると――俺のスケッチブックが、微かに光っているように見えてきた。
(錯覚、か?)
そう想おうとしたが、改めてみた少女の絵は、わずかばかり光っているように見える。
(俺の気持ちがこもったものほど……光って、いるのか)
確かに、少女を描いている時の高揚感は、俺の中の何かが輝いているようにも感じられた。
「絵を描いてるときのイラストさん、とっても、輝いてましたから」
「……言ってくれるね」
少女の無邪気な笑顔に、俺もつられて笑顔を返してしまう。
ただ俺の笑顔は、ちょっと不適な、皮肉めいたものだったと想うが。
「ありがとうな」
「ほえ? リン、なにもしてないですよ?」
「いいんだ、そう想っておいてくれ」
少女の言葉は、亡くしてはいけない俺の最後の想いに、火をつけてくれたようだった。
――なら、描き上げようじゃないか。
俺にとっての……最後の、輝きを。
「……それと、すまなかったな」
「え? え? え? どうして、謝られるんですか」
不思議そうな表情で、少女は俺を見る。
当然だろう、とは想う。その理由を、俺はきちんと言っていないから。
……俺が謝ったのは、さきほど彼女に対して考えてしまった、自分の行動に関してだ。
――いくら焦っていたとはいえ、彼女の命綱を奪おうだなんて、あまりにも勝手すぎる。
自分の心の問題とはいえ、謝らずにはいられなかった。
(俺が、スケッチブックを見つけられて、ほっとしたのと同じだよな)
彼女にとって、スーさんと呼ぶあの光が、大切なものであるように。
「……それに、な」
そして、もう一つ理由があった。俺が焦った、最大の理由。
「アイツにも、見捨てられちまう気がするしな」
俺が想い浮かべたその相手は、俺が考えたようなことを、一番嫌いなやつだった。
違反や不正が大嫌いで、そういった輩には自分から突っ込んでいったアイツの姿を想い出しながら、一人で呟く。
「だから、お嬢ちゃんにも、アイツにも、恥ずかしくない気持ちで――絵を、描きたいんだ」
そんな俺を、少女はまだ不思議な顔で見つめていたが、突然はっと気づいたように眼を見開いた。
「そうですよ! 描きたいもの、あるじゃないですか!」
「え……?」
驚く俺に、少女は、とびっきりの笑顔で言ってくれた。
「その、アイツ、さんですよ!」
――その言葉は俺の脳を、ガツンと殴るように揺らし。
――止まっていた指先が、まるで命を吹き込まれたかのように、走り出した。