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スイリン少女  作者: 子無狐
あるOLの淡い想い
3/17

あるOLの淡い想い - 03(完)

「会社の窓から見える、黒い雲がね……すごかった、のよ」

 周囲の皆は驚き、携帯で写真を撮り、次第にどうしようもないと知って絶叫し始めた。

 ――混乱が、世界を占めていた。わたしの周囲では、そうだった。

「……でも、ね。わたしは、それでもいいか、と考えていたの」

 ここで終わりか、と冷めた心で、遠い闇を見つめていた。


 先行きが見えない仕事。

 その仕事に身を費やした人生。

 適齢期を過ぎた身。

 周囲は円満の笑みで満ち。

 わたしは、独り、残されてしまった。


 ――あの日、世界は闇に包まれていった。

 だから、闇はわたしを誘いにきたのだろうかと、自虐的に受け止めていたことも想い出した。

 だから、近づいてくる闇を、受け入れようかと想っていた。

 ……その、はずだったのに。

「わたしは、けれど、逃げたの」

 闇に呑まれることが、死へとつながるのか。

 それは、誰にもわからなかった。それがなんなのか、知ることも研究することもできないままに、世界が呑まれていったからだ。

 ――けれど、死かもしれない、という感覚を受け入れるように、人はなかなか成れないと知った。それには、相応の強さが必要だと、今なら想える。

(……全然、わりきれて、いなかったのよね)

 自分を哀れむ程度のわたしには、闇から逃げる程度の強さしか、なかったのだ。

 そんなわたしは、もちろん、闇から逃げられるはずがなかった。


 なのに――手が、差し伸べられた。


「逃げる途中で、そう。……彼が、助けてくれたの」

 今でも、はっきりと想い出せる。


 しっかりと握りしめてくれた、彼の腕の温もり。

 力強い言葉に支えられ。

 抱き上げ、上階へと逃がしてくれた、たくましい身体と。


 ――するりと抜け落ちていった、彼の腕の温もりを。


 闇に包まれ、逃げ続けていた、わたしと彼。

 彼は、わたしと仕事をすることも多かった、よくできた後輩。

 失敗もしたけれど、わたしの言うことを良く聞いてくれて、しっかりと成長してくれた、大切な子だった。

「……彼、どうしてか逃げてる途中……こんなことを言ったのよ」


 ――先輩、今だからいいますけど……。

 ――笑った顔が、とても、好きなんです。


 その言葉の意味が、あの恐怖のなかで、まったくわからなかったけれど。

「想い出せば……彼は、そうだった。いつも、わたしの笑顔を、褒めてくれていたのよね」

 ほのかに灯る、淡い想い出。

 彼が、わたしをどう想っていたのか。

 もうわかることはないのだろうけれど。

 ――少なくともわたしの胸に灯るこの想いは、この闇の中で消えてほしくはないと、そう想えた。

「……想い出して、いただけたんですね」

 語り終えたわたしに、暖かい声を少女がかけてくれる。

 そして、今度はその言葉の意味が、なんとなくわたしにも察することができた。

「……わたし自身が、光っている?」

 周囲を満たす光が、さきほどより、とても強い。

 少女が持つマッチの光より、むしろ輝いているくらいに想えた。

 そしてその発生源は、他でもない――わたし自身、だった。わたしの内から、闇に負けないような光が、溢れ出ているのだ。

「わぁ、とてもきれいです! 純粋で、きれいな、光……」

 わたしを見つめる少女の姿が、さっきよりもはっきり見える。

 全身を時代がかった服装でまとめたその姿は、やっぱり、おとぎ話に出てくる外国の少女のようだった。

 そして、優しい瞳でわたしを見つめる彼女の姿は、さきほどよりもどこか落ち着いたものに感じられた。

 それは――今から口を開こうとする、大人びた表情のせいでも、あるのだろうか。

「……ごめんなさい、お話があるんです」

「お話?」

 さきほどまで明るい表情を浮かべていた少女に、影が差した。

 その落差に、わたしの胸が重くなる。


 ――そして語られた、彼女のお話。

 ――それは、わたしにとって、とても重い話だった。


「あなたの光は、このままだと、また闇に飲まれてしまうんです。ずっと、輝いていられるものじゃなくて」

「なん、ですって?」

 突然語られる言葉を、否定したくなったけれど。――彼女が嘘をつけない性格なんだと、わたしはもう、知ってしまっていた。

「でも、あのままだと、消えてしまいそうだったから……」

「消えそう……あぁ……」

 わたしには、彼女の言葉に想い当たることがあった。

 それは、彼がこの闇に沈んでしまったと考え、心が落ち込んだ時だった。あの時のわたしは、眼の前がかすれ、ひどく重い心地を感じていた。確かに、消えてしまいそうな、そんな気持ちだったのかもしれない。

 ……あの時、わたしという存在が弱くなっていたから、彼女は声を出したのだろうか。

 少女は言いにくそうに、言葉を続ける。

「それと……あなたを照らすスーさんの光も、いつか、消えちゃうものなんです」

「消えて、しまう? その、マッチの、光が……」

 むしろマッチだと考えれば、それが当たり前。

 今まで、ずっと輝き続けている方が、異常ではあるのだが……。

(……じゃあ、マッチでは、ないのね)

 ここまできたら、わたしは認めざるを得なかった。

 ――でも、疑問はある。

 それでは少女は、この闇の中をどうやって歩いてきたというのだろうか。

 いつ消えてもおかしくない、か細い光に寄り添いながら、彼女はこの闇しかない世界をただ歩いてきたというのだろうか。

 マッチのような存在である光と、心中する気なのか。

 そう考えていると、彼女はその答えを話してくれるために、口を開いた。

「だから……お話です」

 少女は、一瞬口を閉じてから、再び言葉をつむいだ。

 迷いのない瞳を、わたしの視線に合わせて。


「あなたの光を、スーさんにください」


「……え?」

 少女の言葉の意味が、わたしには把握できない。

 慣れているのか、少女はスーさんと呼ばれる光をわたしに向けながら、説明を始めた。

「スーさんは、あなたの光と同じなんです。だから、スーさんも、いつか消えてしまう」

「闇に呑まれて、しまう?」

「はい」

「……それで、どうしてわたしの光が?」

 すっと、少女はわたしへと光を近づける。

 すると――わたしの光が、スーさんと呼ばれる光に惹かれるように道を造り、流れていくのが見えた。

「……なるほど、ね」

「はい。スーさんには……みなさんの光を、取りこむことができるんです」

 マッチの光へ、吸われるように移動する、わたしの光。

 煙のように流れるそれを確認しながら、わたしの心は、なぜか落ち着いていた。

「こうして、旅を続けているの?」

「はい」

「わたし達の、残り香を灯しながら?」

「……はい」

 神妙な少女の表情は、さっきまでの明るさと比べるには、とても大人びていて。


 ――あぁ。この子は何度もこんなことを繰り返して。

 ――それでもああして、笑っていようとしているのだと気づいて。


(……そんなに、誰かに対して優しく、したことがあっただろうか)

 わたしは、過去の自虐的な自分を想い返しながら、そんなことを考える。

 そして、眼の前の少女へ語る言葉もまた、心の中で考えて。

 ゆっくり、そんな少女のように微笑むために、優しく口を開いた。

「あなたとともに、旅へ出れば……彼にもう一度、会えるのかしらね」

 わたしの想いつきに、彼女は首を左右にふった。

「ごめんなさい。お約束は、できないです」

「いいのよ。そう、願いたいだけなの」

 どちらにしろ、この闇に飲まれて、ただ消えるだけならば。

 ――少女を照らす光になるのも、悪くない終わりなのかもしれない。

(闇に潰されてしまった想いを、照らしてくれたから……ね)

 わたしは微笑んで、少女に言った。

「大切に使ってね。わたしの、光を」

「……!」

 少女の表情に、輝きが戻った。

 最初に見たときと同じ、満面の微笑みだ。

 ――やっぱり、彼女には笑顔が似合う。

「もちろんです! あなたの光で、あなたの彼を探します! それに……わたしもスーさんも、旅を続けます。みなさんの、ために……!」

「そう。よかったわ」

「ありがとうございます!」

 お礼を述べると少女は、手元の光をわたしへと近づける。

「よろしくね、ええと……スーさん」

「ありがとうって、スーさんも言ってます」

 少女は、わたしからの光を受け取りながら、わたしへと話しかけるのを続けてくれた。

 けれど、わたしの意識は――光とともに、少しずつ曖昧になっていった。

「同じ言葉ばかりで、ごめんなさい……。でも、本当に、ありがとうございます」

 少女の言葉が、遠くになっていく。

 ……まるで、壁や距離があるかのような、薄い声に。

「だから、祈っていてほしいんです。リンとスーさんは、きっと、見つけますから」

 なにを?

 ……その言葉を生む力も、もう、口元には残っていなくて。

 だから、彼女の想いを聞くために、最後の力をふりしぼる。

「――見つけます。『永遠の光』、きっと、絶対です!」

 彼女の言葉がなにを指しているのか、わたしにはさっぱりわからなかったけれど。


 ――この胸に暖かさを灯してくれた彼女には、それを見つけてほしいと願った。


『――ありがとう』


 ……最後に聞こえた声は、彼女のものか、それとも……。




 ***




『……ふむ』

 かすかに意識を灯していた部分を含め、闇に眠らされていた彼女の光は、私のなかへと移り住んだ。

 ここまで素直に同意してもらい、しかも希望も持っている。

 私は、自身のなかの光が、暖かく灯るのを感じていた。

 彼女の光は、とても強い。

 長い時間を、ともに歩むことができるだろう。

「……あの方の光、とても、きれいでしたね」

 かすかな笑みを浮かべながら、少女――リンは、私へ問いかける。

 彼女の言うとおり、受け入れた光は、とても上品で美しいものだった。

 リンの言葉を受け、私は内心へと想いを馳せる。

 ゆっくり、優しく、穏やかに、さきほど吸ったばかりの彼女の光を、味わい巡る。

『とても新鮮で、輝いている。しばらくはこの光で、旅を続けられそうだ』

「それは、よかったです」

 リンの安心する表情を見て、私の心と光も、一安心する。

 ――私は、スーと呼ばれている。

 この闇の世界で、リンの姿を彼女として照らすことができる、唯一の存在だ。

 リンの手にある、マッチ棒。

 その先端から光を放っているのが、私という、意識をもつ光なのだ。

「さあ、スーさん。旅を続けましょう」

 ゆっくりと手元へ私を持っていきながら、リンはそう語りかけてくる。

「スーさんのためにも、みんなのためにも、『永遠の光』を見つけないと!」

『ああ。……そうだな』

 ちなみに、私の声は闇の世界に響くことはない。

 私が鳴らす声は、私の支え棒を持っている、リンにのみ聞こえるだけだ。

『……『永遠の光』、か』

「そうです! どんな場所、なんでしょうね」

 想像しているのか、どこか想いふけるような様子のリンを見ながら、私は言葉の意味を考える。

 ――『永遠の光』。

 それが、私とリンが目指している、あるかもわからない理想の場所。

「この暗闇を全部払ってくれるのは、間違いないですよね。あ、もしかすると、スーさんみたいな光がいっぱいいてくれるのかも。そうすれば、スーさんもお話相手に、困りませんよね」

 リンの無邪気な笑顔は、その理想を信じて疑っていない。

 私も、心のなかで彼女にうなずきながら、しかし怪訝な気持ちで考えてもしまう。


 ――単語以上のことを、リンも私も、まったく知らない。

 ――むしろ、その場所が本当にあるのかさえ、わからない。


 私とリンがはじめて出会った時から、それは変わらない。

 どこにあるのか、今もあるのか、そもそもそれがなんなのか。

 私達は言葉を知りつつも、それがなにを指すのかを、まったく知ってはいなかった。

「元気出していきましょう、スーさん!」

 リンの元気な声が、私にかけられる。

 長い付き合いとなってきた彼女には、私が無口になる理由を悟られてきているらしい。

 ……注意しなければならないな。

『ああ、すまない。確かに、早く見つけなければな』

「はい! 『永遠の光』があれば、みんないっぱいになって、光でいっぱいになります。スーさんも、もう消えそうにならなくてすみますし……みなさんも、闇に怯えなくて、よくなるんですから」

 リンの言葉に、私はその身を輝かせながら言う。

 内にとりこんだ彼女の光は、しっかりと根付いて、安定してくれたようだった。

『準備はいいか、リン?』

「はい! あぁ、早く見つからないかなぁ、『永遠の光』……」

 ――スーと呼ばれる私は、気づいている。

 謎の暗闇によって閉ざされてしまった、この世界。

 ここは、人間や様々な生命が住んでいた、色鮮やかな世界だった。


 ――かつての世界の残り香を探し、吸収し、燃やしながら旅を続ける。

 ――私達は、かつての世界とも、今の世界とも相容れない、狭間の存在だ。


 私は、ふと、この身の灯火に考えをはせる。

 リンと自分の存在こそが、本当はイレギュラーなのではないか。

 わずかに残った光を食い尽くしていく自分たちこそが、本当の暗闇なのではないかと。

 ……そう、自問してしまう時がある。

『――リンは、本当に『永遠の光』を見つけたいのだな』

「もちろんです! スーさんだって、そうですよね?」

『そう、そうだな……』

 私は、リンの言葉にうなずきながら、今も光を絶やさない理由を想い出す。


 ――世界が闇に喰われ、光が射さないと知った時、私の心は闇に包まれそうになった。

 ふみとどまり、旅を続けても、私の光は有限であることを知り、消えそうになったこともある。

 その途中で、リンが見つけた同胞の光を奪い、苦悩することもあった。

 そんな私が、今でも彼女と旅を続けるのは、なぜなのか。


「世界が照らされれば……ずっと、みなさんとお話できます。わたしは、そんな光のある場所に、行ってみたいです」

 彼女は、本当は、出会った全てを照らしたいのだろう。

 しかしそれは、自分にも私にもできないのだと知って、この闇を歩くことを決めている。

 動けない私のために、リンは微笑みながら、前を歩き続けるのだ。


 ――全てを照らせる光の存在が、どこかにあると信じて。


『では、行こう。我々だけではない、みなを照らす存在を求めて』

 そんなリンのために、わたしは、その身を輝かせる。

 熱くもなく、冷たくもなく、燃えることもない。

 ただ、闇を払うだけの光として――私は、今日も魂を灯らせる。

「はい、行きましょうスーさん!」

 そして、私の輝きで――彼女の笑顔も、また灯るのだ。


 ――暗闇が満ちる世界のなか、わずかな目覚めを消灯へと導く、かすかな光。

 ――狭間をさまよう存在を知るのは、その光を持つ少女と、光を喰らうその光自身の意志。


 我々は、今を歩く。

 かすかな光がつなぐと信じる、果てのない闇の道を。

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