あるOLの淡い想い - 01
――光が見えた。
今にも消えそうなほどに淡く、けれど、とても優しい光。
白く広がる輝きに、わたしのなかのなにかが、揺れる。
忘れ、潰れ、消され、塗りこめられていた、内にあったはずのなにか。
わたし自身ですら、忘れかけていたものを想い出させる、そんな輝き。
「……?」
ゆっくりと、わたしは瞳を開く。
久しく忘れていた、眼をこじあけるという動作。
重いまぶたを上げて、闇の中から開けた視界には――。
「おはようございます!」
「……お、おはよう?」
――そこには、満面の笑みを浮かべる少女が立っていた。
ぼんやりと小さい、けれど確かに光る、白い明かり。
弱い光で照らしながら、少女はわたしを、しっかりと見つめている。
「光が……」
彼女の手元にある、小さな光。
それが、わたしと少女を照らしているようだ。
「はい、スーさんはいつも光ってます!」
少女はわたしの声に、元気すぎるくらいの明るい声で受け答えた。
周りが静かなせいなのか、とても澄んで通る声。
ただ、スーさんという言葉の意味が、ちょっと把握できないのだが……。
そこでわたしは、違和感に気づいた。
「……わたし、話せる?」
口元をおさえ、吐息を感じる。そして、舌の感触も。
……話せるのだ、言葉を。
(眼も、見えるようになっているわ)
口と同様、こちらも、黒く重いフタをされていたはずなのに。
「どうして、わたし……」
「スーさんが照らしているからですね~」
わたしの独り言へ答えるように、少女が話す。
「照らしているって……その、光のこと?」
言葉にして、彼女が呟く名前の意味に気づく。
スーさんとは、もしかして、彼女の手にある光のことなのだろうか。
「その光……マッチみたい、なものなの?」
「はい! スーさん、まだ形がある方は、元に戻せるんですよ~」
(形がある人は、元に戻せる?)
「なんでなのかはわからないんですけど」
疑問を浮かべるわたしに、少女は続けてそう言った。
……言われても、理解が追いつかない。
光で照らせば、形は見える。それは、そうなのかもしれない。
――でも、あの日あの時に、わたしを抑えつけたアレは……そんな、簡単なものだったのだろうか?
驚きながら、わたしは自分の身体に触れる。
あの日と同じ、スーツとブラウスを着た、ややぽっちゃりとした自分の身体が感じられる。
「わたし、あの闇から……出られたの?」
その事実に、わたしはどう対応すればいいのかわからなかった。
あの日――世界を覆った、あの存在。
ただ、空と海を覆い、街を包み込んでいった、ただ一つの――闇。闇の、塊。
押し寄せてくるそれに呑まれてしまい、光も影も全てが亡くなってしまった、わたしの住んでいた世界。
……想い出して、背中がふるえる。あの日から、わたしも、同じように闇の一部となってしまっていたはずだったからだ。
(蛍光灯や、ライトは、みんな、呑まれてしまったのに)
なのに、わたしの眼の前には、一つの光がある。どんな光をも取り込んでしまった闇を照らす、不思議な光が。
その光の、おかげなのか。少女は闇に取りこまれることなく、ほがらかに笑って立っている。
――わたしは今更ながら、彼女がなぜこの世界に光を持っているのか、疑問にとらわれた。
「あなたの手にある光は、ええと……」
「スーさんです、元気でかっこいいんですよー!」
「ああ、スーさんね……」
「はい、スーさんは落ち着きがあって、大人な光なんです!」
まるで、人を紹介するように、手元のマッチをほめる少女。
「……名前なんか、つけてるのね」
でもわたしは、少女の言っている意味が把握できず、そう答えるのが精一杯だった。
……だって、そうでしょう。
彼女の手にあるのは――木の棒の先が光っている、ただそれだけの、マッチにしか見えないのだから。
(こんな小さな子が、今、マッチなんて使うのかしら)
自分がマッチを使ったのは、いつのことだっただろう。小学校の理科の実験か、親の実家でお線香をあげたときか。少なくとも、わたしですら、ここ十数年は火をつけた記憶すらない。
小さな木の棒のさきっぽに、赤い球体をつけた、発火用の道具。闇の世界に呑まれる前、もはや日常的には使う頻度も減った、マッチの姿。
(でも、とてもよく、似合っている)
まるで、幼い頃に童話で読んだ……マッチ売りの少女のよう。
しかし、どうしてマッチなのだろう。懐中電灯や、LEDランタンなど、他にも照明器具はありそうなものだけれど。
「その、マッチ以外の……」
「スーさんですよ~」
ちょっと頬を膨らませて少女は言う。
細かい。明らかに、マッチの名前を呼ばれなかったことに対する不機嫌だ。
それだけ、彼女はこのマッチに愛着があるのだろうか。
「ああ、ごめんなさい。スーさん? 以外のなにか、照らすものとかないのかしら」
「う~ん、少なくともわたしは会ったことはありませんねぇ。であれば、スーさんも寂しくないのですが」
心底残念そうにつぶやく少女に、わたしは違和感を感じた。
出会う、と言ったのだ。マッチ以外の、照明器具に。
もしかすると、それを持ってこの闇をさまよっている、人のことを言ったのかもしれない。でも……どこか、それとは、違う気がした。
――やはりこの少女も、この闇の世界のなかで、おかしくなっているのかもしれない。
(こんな少しの光で、照らされているだけなら……闇に包まれているのと、どれほどの……)
心が、どこか暗くなるのを感じた。せっかくの光、出会えた人が、と、ネガティブに考えてしまったからかもしれない。
(いけない。せっかく、照らしてくれているのに)
吐息の熱を手のひらで感じながら、今の熱を、改めて感じとる。
……そう。わたしには、想い出さなければいけないことが、あったような気がするから。