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短編(洋もの)

編む女と通う男

作者: 月鳴

書いていたら書き上がっていたので良かったらどうぞ。シリアスですが作者的にはハッピーエンドです。

 

 女は男の帰りを待っていた。


 見守る男は還らぬ女の元へと通う。





 数年前に国境線沿いで小さな諍いが起きた。その国境沿いを塒にしている賊がおりそいつらと国境を警備する辺境騎士団によるものだった。諍いは数の多い辺境騎士団によってすぐさま鎮圧されたが、どうやら背後には隣国の影があり、そこから領土を巡る争いへと変わっていった。


 近隣の領民は兵役を課され、戦える男は皆戦争に送られた。


 人が死に土地は荒れたが幸いにも相手が手を引く形で講和が取られまもなく戦争は終結する。生き残ったものも順次、己の故郷へと帰還の途についた。

 男もそうして帰ってきた復員の一人だった。左腕に深い傷を負ったが日常にはさほど影響しない程度のもので、元農民の男は鍬をあげるのが難しくなり変わって腕のあげる必要があまりない役所の事務方を務めることになっていた。

 初めての仕事にも次第に慣れ、男がようやく生活に戻ってきたと実感し始めた頃、ある一人の女と出会う。


 寂れた寒村の特産品であるそれを女は日がな一日編んでいた。複雑に編み込まれた糸は丈夫で暖かく長い冬が続くこの土地ではとても重宝する一品だった。

 女は定期的にやってくる行商に売ることで生活していた。時折書き付けとともに送られてくるものは一切使わずに。

 暖かい日が差すときは通りを伺える表に出て、寒い日や雨の日は男のいるカフェからもよく見える窓辺の近くの揺り椅子に座り、女は編んでいた。


 女は行商や時たま様子を見に来る近所の女性以外とは滅多に喋らず黙々と糸を編む。それは男には祈りの姿のように見えた。そしてそのたびに男は胸を裂く痛みに苛まれるのであった。




 サジェ・ベッケンドールは明日の見えぬ戦場で、一人の男と出会った。快活に笑う男は故郷に一人、女を待たせてると言った。女の話をするたびに幸せそうに笑う男を見てそれほど素晴らしい女なのだなと羨ましく思い、また彼は存分に幸せになるのだと疑いようもなく思っていた。

 サジェには記憶する限り家族というものはなく、孤児院で粗雑に育てられ、小作人とはいえ破落戸のような生活をしていたところ憲兵に捕まり、兵役へと送り出された。

 生きる目的もなく、死ぬこともできぬまま戦場をさまよっていた時に出会った男は、間違いなく善良で生きるに相応しい人間だとサジェは思った。そんな人間と出会ったのは初めてのことだった。


 きっと自分のような男は国のために戦い死んだほうがいい。


 それはサジェのこれまでの人生をすべて肯定しその死まで意味のあることに思わせた。

 そして男は故郷(くに)に帰り、女と暮らし子供を作りこの国の未来を残す。

 愚かな自分にしてはとても素晴らしい考えだと自画自賛したくなるくらいだった。



 ──しかし、戦争が終わった時、その場に立っていたのは幸せを約束されていた男ではなく、サジェのほうであった。




 神はなんて残酷なんだ。今まで信じたこともない神をサジェは口汚く呪った。あわよくば自分を殺し男を生き返らせて欲しいとまで思った。けれど、願いは叶わず、男は死亡宣告をされ、サジェは痛みに疼く左手を持ちながらも、息をしていた。


 何故ろくでもない自分が生きていて、あいつは死んだのか。事実を認められないままサジェの新しい生活は始まっていた。時は止まることなくサジェを否応なしに飲み込んでいく。


 そんなときだった。帰らぬ男を待つ女の話を聞いたのは。


 マリーというくすんだ金の髪と茶色の目を持つ女。男に聞いた色彩と同じ名を持ち、男に聞いた通りの美貌と編棒。痩せて影を落としても尚、女は美しかった。


 ああ、と思う。神は罰を下した。サジェが生き残ったのはこの罰のためなのだ。でなければ男が死ぬ理由がない。

 おかしな言い分ではあったがサジェにはそうとしか思えなかった。自分と出会ったがために男は死に、女は帰らぬ男を約束通り毛糸を編みながらただ静かに待っている。

 それを見続ける、己が生き残った罰を受け続けることが、神から課されたのだと、サジェには思えた。



 同じルーティーンを繰り返し、まるで死んだように瞳を濁らせマリーは編棒を動かす。短い春が来て、ささやかな夏が過ぎ、実りの秋を迎えても変わらず、一人編み続ける。その頃には近所の女性はあまり寄り付かなくなっていた。行商は夏の間は女の所には来ない。


 もうそろそろ冬がやってくる。




「……あんたは、いつまでそうしているつもりだ」


 なるべく慎重に、丁寧に、尋ねたつもりだった。眉間に消えない皺が寄り、命を減らして戦場から帰った荒んだサジェの精一杯の気遣いはあまり意味をなしてはいなかったが。

 しかしマリーは気にもとめず、突然話しかけてきた男に驚きもせず、手を止めることもしなかった。


「……まだ信じているのか」


 いや、まだ信じられないのか。どっちでも意味は変わらない。

 男は必ず帰ると言い残したと言っていた。そしてマリーには男の死亡証明書が送られているはずだ。毎月の書き付けは遺族への弔慰金(ちょういきん)である。


「それでいいのか」


 それは最早問い掛けではなかった。マリーの在り方を否定する気はない。ただ、確かめたかった。彼女がそう望むのであればサジェに否定などできるはずもないのだ。そしてサジェの罰は続くのだと彼は受け止めた。


「……あなたはそれで良いのですか」


 初めて聞いたマリーの声に、サジェは飛び跳ねて驚くような気持ちになった。実際は切り傷の入った眉がピクリと動いた程度ではあったが。


「俺が決めるものではない」

「では誰が決めるのですか?」

「神だ」

「あなたの神とは誰ですか?」

「あんただ」


 シスターへ懺悔している気分だとサジェは思った。懺悔など、信仰もろくにしたことがないのにそんなことを思った。あるいは、上官からの尋問か。


「では、私が死ねといえば、死ぬのですか?」


 その質問に、サジェは秒速で答えられただろう。そうだ、と。しかしサジェの口は開かなかった。まるで誰かに塞がれているように開かなかった。


「……いいえ、あなたに罪はない。生きて帰ってきたことこそ福音。めでたきことです」


 そのうちにマリーはふっと微笑んだ。


「私はあなたを恨んではいません。この世の理不尽に憤りはしてもあなたを恨むことなど意味なきこと」


 なんて。と一旦止めて彼女は表情を崩す。苦しさに身悶えたようにも、ただ苦笑いしたようにも、サジェには見えた。


「そんな当たり前のことに私もようやく気づきました」


 笑い顔は、戦場で見た男のものと瓜二つだった。幸せで無垢な許されし顔に。この女は確かにあの男の伴侶なのだと深く感じされられた。





 冬が来てもサジェの仕事は続く。農家はほとんど休息期に入り町の人影もまばらだ。冬の寒さは傷跡を軋ませる。それでもサジェは生きていることの意味を探していた。

 辛く苦しいことがこの世には多くある。戦争の残痕もまだあちこちに燻り、人々の間に暗い影を落としている。

 それでも残った人たちは懸命に明日を信じて生きている。残されたが故に、生きているからこそ。


「また来たのですか」


 マリーは少し鬱陶しそうに言う。編棒を持つ手は止まっている。


「入り用のものはないか」

「…………では、薪を少し割っていってもらえませんか」

「わかった」


 利き腕は使える。バランスを取るのに少しコツがいるが、今ではもう慣れたもの。カン、と小気味良い音を立てて薪が割れていく。しばらくその音が辺りに響いた。


「そのくらいで結構ですよ。お茶でもいかがですか」


 裏口からひょこと顔を出しマリーが告げた。愛想なく。


「いや、それには及ばん」

「なんですか、あなたは私にお客様にお茶も出さない無礼な女になれというのですか」


 サジェが遠慮していうとマリーは眉を寄せて不機嫌そうに答える。迷い、狼狽えたが、少し冷えた左腕が痛み、「……では少し暖まらせてもらおう」とその提案をありがたく受けた。


「もう毎度のことなのですから一度で頷きなさい」


 マリーは説教じみた言い方で吐き捨てると先に部屋へと入って行った。その後ろ姿を見て、サジェは白い息を吐いた。これは、この関係は、一体なんだろう。



 あれからサジェとマリーの関係は贖罪ばかりが目につくものとは少し変わってきていた。サジェに気持ちの変化はない。死んでしまった男の代わりにはなれないが、役に立つことがあればとマリーの元に訪れている。金でも、労力でもなんでもいい。償いになればと、ならなくてもマリーが生きるに困らぬようにと。それだけを思っていた。

 はじめは頑なだったマリーもだんだんとそんな男に心を開いてくれているようだった。少なくとも茶に誘うくらいには。


 サジェはわからなくなっていた。これが果たしてほんとうに贖罪になっているのかと。だって自分は。認めたくないが、いや認められるわけがないのに、自分は。


 マリーに惹かれ始めている。思い違いでなければ、おそらく、きっと、マリーも。


 恐ろしい思い上がりにサジェはその立派な体躯を震わせた。そんなことありえない。ありえるわけがない。ありえては、いけない。だからサジェはそのすべてのことに蓋をした。見えなければ、ないのと同じだと。



 長い冬。強い吹雪もそう珍しくはない。家が吹き飛ぶかのような強い風が打った時、不安に思った。──マリーは一人で平気だろうか。

 女一人、そう広くはない部屋でガタガタと鳴る家に恐ろしい思いをしているのではないか。


 思ったら、いてもたってもいられなかった。


 己の家にある一番厚手のコートを羽織りブーツと雪道を歩くための道具を用意してサジェは転がるように飛び出した。

 目をふさぐほどの風と雪がサジェの体に容赦なくぶつかっていく。煽られ前も見えなくなりそうな視界の中、荒い息を吐いてサジェは懸命に進む。マリーの恐怖を思いながら。


 ようやくわずかな明かりが目に入りサジェもわずかに安堵する。


「……大丈夫か」


 かじかんで力の加減ができず思い切り扉を叩いてしまう。そのおかげかマリーは瞬く間に戸を開ける。


「何をしているの!」


 いつもの慇懃な言葉遣いはどこへやら、瞠目したマリーは慌ててサジェを中に入れた。遠慮する間もなかった。


「今日は酷い吹雪だろう」


 玄関先で雪を叩きながら、あっちこっちと走り回るマリーに答える。


「だからなんです!」

「……平気かと、」

「私がですか!」

「……ああ」


 そういうとマリーは一旦足を止めてサジェを見た。まるで馬鹿にするような目つきで。


「馬鹿ですか!!」


 するようにではなく、馬鹿だと認定された。


「これでも戦争の間、一人で家を守っていたのですよ、私は!」


 言われてみればその通りだった。どうやらサジェの杞憂にすぎなかったらしい。けれどやっぱり無事な様を見てホッと息が漏れた。


 湯で温められたタオルで顔を拭う。暖炉の前に誘導され傍のテーブルには湯気の上がる紅茶と香る葡萄酒の匂い。どうやら温まるように紅茶にアルコールを入れてくれたらしい。

 それをありがたく頂戴しながら、むしろ迷惑をかけてしまったと肩を落とす。考えが足りなかった。

 落ち込んでいるサジェを見て、マリーはやれやれと溜息を吐く。


「……来てくれたのは、嬉しいと思ってますよ」

「…………え、だが、」

「っ、心配させられはしましたけどね!」

「……そうか、すまない」

「………………ぶっ」


 大の男が情けなく縮こまっているのを見て、マリーは吹き出すことを止められなかった。自分を心配してきてくれたのはわかったし、好意的に思うが、その情けない姿は申し訳ないけど滑稽で笑える。

 腹を抱えて今にも転がりそうなくらいに体をよじらせて笑うマリーの様子にサジェは困惑しながらも、肩の力が抜けていくのがわかった。


「今日はここに泊まって行ってください」

「は!? 何を言って、る」

「あなたこそ何を言うんですか。まさかこの吹雪のなか帰るなんて言いませんよね? 私をひとでなしにする気ですか」

「……あ、いや、そういうわけではないが……ほら、いろいろとまずいだろう?」

「寝床なら主人のものがあります。外聞を気になさるのなら今更では?」


 サジェはうっと喉を詰まらせる。もともと外聞は良い方ではない。顔面の怖さもあってあることないこと言われているのは知っている。今流れているのは「未亡人の遺産を狙っている間男」だろうか。

 しかしこれでは彼女の外聞も悪くなる。そう口を開けば、「死なれるよりはマシです」とにべもなく言われてしまった。そうなればサジェに反論の余地もなく。ただ、寝床だけはソファーか床で良いと決して譲らなかった。

 寝室といえば夫婦同じ、男のベットを使うということはマリーと同じところで眠るということ。それは許容できないし、サジェは男の遺物を使うなどとんでもないことだと思っていた。

 頑ななサジェにマリーは仕方がないと自分の掛布を渡し、マリーは夫のものを使うことにした。

 複雑そうな顔でこちらを見る男は無視した。きっと夫だって許すはずだ。あの人はそんなに裁量の狭い人ではなかった。


 そしてもうおぼろげにしかその顔を思い出せなくなっていることにマリーは気づいていた。






 ──やがて春が来る。短いけれど確かにやってくるのだ。誰のためにも。







「ねえ」

「なんだ」

「私たち、一緒に暮らしましょうか」

「は……?」

「もう良いと思ったの」

「何がだ。まだ」

「贖罪は終わらない? いいえ、もう終わったわ。あなたに罪はない。ほんとうは最初から罪なんてなかったのに、あなたがあんまり必死だから私も受け入れてしまった」

「そうだとしてもだ」

「いいわ、愛だの恋だのなんて私たちにはいらない。そうね……同志とかいいんじゃないかしら」

「……同志」

「そう。私たち今日から同志。あの人を想う、同志。あの人に置いて行かれた、同志」

「…………許されるのだろうか」

「あら、誰に?」

「神に……あの人に」

「あなたの神は私よ。あの人の女房も私。その私が良いと言ってるのよ。他に問題は?」

「………………」

「ないなら決まりよ。……それとも嫌? 嫌なら、」

「嫌ではない。嫌では、ないんだ」

「あらあら。何、泣いてるの? あなたってほんと馬鹿ね」

「……そういうあんただって」

「そうね、私たち二人揃って大馬鹿ね。お似合いだわ」

「…………そうかも、しれないな」




 泣き笑う二人を見守るように一輪の花が揺れた。










お読みくださりありがとうございました。

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[良い点] 洋画のような安心して読める内容 暗い雰囲気を漂わせる町ながら生きる人の明るさも併せ持っていた [気になる点] 男主人公が自罰的すぎるかな?と感じました 男の現在の仕事や生活観を昔のごろつき…
[良い点] 大の男であるサジェが、思い、惑っている姿にリアリティを感じました。芯の強く、心優しいマリーも好きです。 [一言] 本当であれば、人生で交わうことがなかった二人。贖罪の名を得て、徐々に距離を…
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