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竜胆色の音符

作者: 鶫

「我、此の舞を祖先に捧ぐ」


 彼女の剣舞は、必ず宣誓から始まる。


「我、この唄を天空に捧ぐ」


 そして少年の返しが終わると同時、彼女は群青の空に、剣を奔らせる。

 どこか遠い何かに祈りを捧げるように。目を瞑り、一心に舞う彼女。

 空気を裂き、風を断ち切って。辺りを漂う音形おとがたを一つ一つ砕いていく。



 澄んだ音を響かせて宙に漂っていた音の塊は、白刃が僅かに触るや否や、氷でできた細工のように儚く砕け、澄んだ高い音を奏でる。

 聞く者の心を洗うような音色を立て、花びらが舞うように。幻想的なまでの美しさで、少女は剣と共に舞う。

 

 剣が砕くのは、少年の謳う声。蔦を描かれたスカートの奥、揺れる火の向かい側で少年が竪琴をかき鳴らす。

 淵の深い帽子を被り、目元を隠し、一心に少女に目を向けてせわしなく口元を動かし続ける。

 口より拳一つほどの離れた中空から絶え間なく生まれる音符が彼の唄だ。濃淡のついた青の音符が次々と生まれ、空を泳ぐ。


 それは一対の生き物のように。少年は歌い、少女は踊る。

 熱を孕み、音を奏でる。


 二人を囲む観客たちは固唾をのみ、息を詰めて彼らを見つめる。

 その瞳に映るのは色鮮やかに舞う少女。その耳が捉えるのは魅惑の少年。二つの感覚が、彼らを捉えて離さない。

 遠く、沈み始めた竜胆色の空の中、少女の火に照らされた顔が険しくなる。ここまでが前座。後半に行くにつれてテンポは増す。


 浮かぶ音の速度は上がり、一度に七つを超えるほど。

 しかし彼女は一切迷わず、瞬時に剣を二度振るう。軌跡の上には五つの音符。


 剣に当たった三つの音が瞬時に砕け、二つの音はぐにゃり・・・・と歪む。

 歪んだ音符は放たれた矢のように剣から弾かれ、それぞれ中空に浮かぶ音に衝突。澄んだ音色を立てて、共に空へと消えていく。


 音を弾き、音を斬る。それをただ一つの斬撃の中で行う絶技を二度。同時に響く七色の音に混じり、後ろからの歓声が届く。少年の口の端が少し、吊り上がる。


 当たり前だ。彼女がどれほどの時間を舞に費やしたと思ってる。

 弦よ切れろと言わんばかりに、音をかき鳴らす。


 やがて、クライマックスに剣舞は達し。

 最後に九つ、音色を散らして二人は静止した。



 ◇ ◇



「いつ見ても、見事な舞だよな」


 彼女の舞が終わった後、少年はポツリと呟いた。

 彼にとってそれは、自分の竪琴の調節中の独り言であったため、期待していなかった返事が後ろからかけられた時にはひどく驚いた。

 振り向く前に御礼と共に隣に座られ、声をかけてくる壮年の男。それが今回の演目を披露した観客だと気づいた瞬間、彼は警戒を解く。

 今回は、たまたま旅の途中でであった商団に、舞を見せることを条件に交渉を終えている。その時に交渉も行ったので、人物の見極めは既に終えていた。


 曰く、悪人ではない。分類は雑である。


「全く。お前らの年で大したもんだ」


 火に薪をくべながら、壮年の男――商団の団長はぼそりと呟く。


神音祈祷しんおんきとう。それも難曲と言われる『九連くれん行燈あんどん』だっけか? 以前はクドゥクの街の大祭で見た記憶がある。あの時聞いた時と比べても遜色ないいい出来だ」

「ありがとうございます。完全なオリジナルというわけではないですが」


 ぶっきらぼうな言い方は商人というには堅すぎる。とはいえ、生粋の商人というわけでもない。彼ら自身は職人で、今回は自分たちの作った作品を領主の下に納めにいく旅の途中だ。

 誰もかれもが言葉少なく、酒を愛していて、腕っぷしが立つ武骨者が多い。彼も例にもれずその一人だった。


「そっちじゃねえ」

「え?」

「おめえの体力だ」と壮年の男は言葉を続け、ついで「前に聞いた祭りの奏者はぶっ倒れてたからな」と付け足した。少年は「嗚呼」と納得の声を出す。


 かがり火に当てられ、汗の浮かぶ艶めかしい姿をさらす少女とは真逆。

 少年は歌の始まりから汗一つかかぬ一切変わらぬ姿である。

 

 神音祈祷は歌い手の体力を奪う。それこそ、今回神秘的な踊りを披露した少女の三倍は体力を奪われる。これは広く浸透している知識で、故に神への祈りについては門外漢の男も少年の疲弊を予想したのだろう。

 しかし、話してみても意外と淡々とした様子を崩さない自分の姿に、そんな言葉が出たのだろう。恐らく彼の目には少年が体力お化けにでも見えているに違いない。

 

「祭りの奏者とは祈る時間も違いますし、比べるわけにはいかないかと」

「それでも、見た感じ疲れてる様子もねえし。返事もしっかりしてるからな」

「慣れてますから」


 訂正もそこそこに。先ほど使っていた琴の確認を再開する。それを横目で見ながら、男は口を開く。


「二人で旅か?」

「ええ。まあ」

「そりゃあまあ、大変だな」

「そちらも慣れましたよ」

「慣れないことだってあるだろ」

「まあ、沐浴とかは確かにそうですね……」


 ぽつりぽつり。お互い目を合わせずに言葉を漏らす。少年は琴を。男は火の様子を皆がらの会話は特に弾むこともないが、途切れることもない。

 少年としては少女の舞の余韻にしばらく浸っていたい気分でもあったが、話すのもそう悪い気分でもない。要はこの会話の苦手な壮年の男は、心配しているのだ。二人で旅をしている自分と相方のことを。

 口下手だが、中途半端に上辺の言葉が洗練されてはいない分、奥に潜む心はしっかりと伝わる。そんな人間の本心が分かっていて、嫌煙するほど少年も億劫ではない。


 随分とお人好しだとは思うが、彼ら自身、商人というよりは職人集団といった方がいい人々である。その頭ともなれば、こういう言われずとも手を差し伸べてしまう人柄の方が好まれるのかもしれない。


 とはいえ、竪琴も整備が終わり、次は剣という状況になってきた。流石にそちらの手入れは片手間というわけにもいくまい。


「すいません。ここらで」

「そうか。すまんな」


 壮年は、まだまだ話足りないといった風情だったが、剣の手入れを理由に話の切り上げと、人払いをお願いした。


 仏頂面で分かりづらかったが、特段いやな顔もせずに頼まれてくれた男の背を見ながら、少年は剣を包む衣の紐を解きはじめた。



 ◇ ◇



 湿気の籠った儀礼服を着換え、熱を冷ますために歩くついで、相棒の姿を見つけた時、素直に「珍しい」と思った。


 いつもなら歌に感銘を受けた子供や大人やらが一人やら二人いるというのに、今日は一人で作業している。

 近づきながらその疑問を口にすれば、相棒ともいえる少年ははにかみながら答えてくれた。


「流石にそこは職人だよ。話しかけてくる人が居ないのは本当に助かるね」

「そっか」


 ということは自分とも喋らない方がいいだろう。そう思って返事も短く、口を噤む。

 幸いというか、長い旅のお蔭でお互いのことはよくわかっている。彼は整備している時には静寂を好むが、隣に座っても少年の集中は乱れない。


 慣れた動作ですっと座る。場所は彼の隣、定位置だ。

 最初の頃は何度も二人の間で物議を醸したが、今では相手も何も言わない位には慣れてくれている。少女はそのことになんとも言えない喜びを感じつつ、空を見るふりしてこっそり少年の方を盗み見る。


 視線の先には、真剣な様子の少年が。少女には分からない順序に従って剣に紋様を描く様子は、手早くも丁寧だ。


 当たり前だが、剣は使うと摩耗する。

 少女が儀礼用に使う直剣も例外では無く、翠の特殊な塗料で描かれた紋様が、舞を踊るたびにところどころ薄れていたりする。

 具体的な理由などは知らないが、「音を斬る」ということはそういうことで、剣に掛けられた魔法が劣化していくらしい。もし、劣化した魔法で音を斬ろうとすれば、剣の使い手には酷い反動が来る。


 だから状態を確認するときは毎回気が抜けない。とそんな風にいつも嘯いている少年である。その眼に遊びは一切ないし、熱心に紋様を描く手に淀みはない。


 嬉しいような、少し寂しいような気持ちになりながらそれを眺めるのは、舞が終わった後の彼女の楽しみだった。


 時が経つことしばし。

 紋様の工程が終わり、後は実際の剣として、握りなどの手入れを残すばかりとなったため、これ幸いと話しかける。

 紋様の描き入れが終わった後の手入れなんて適当だ。もっぱら「今回の舞もよかった」だとか「裾のところがほつれていた」とかとりとめもつかない会話をしながら進む。


「こういう手入れを見るたびに思うけど、相も変わらず魔法みたいな手際だよね」

「いつも見てるだろ? それに魔法みたいって言えば、いつも魔法みたいなものを斬ってる君の方こそ魔法みたいなことばっかりしてるじゃないか」

「私のは技だよ。”業”じゃない分、魔法とは程遠いの」

「僕から見たら違いなんて分からないんだけど。見た目一緒だよね?」

「積み上げてきた歴史が違うの」


 ふーん、と彼は納得しないように声を漏らす。まあ、彼は剣士じゃない。禰宜ねぎであり、守り人だ。話題になれば、違いなど分かってもらわなくても構わないのだ。


「それこそ魔法なんて、どこから生まれたかわからない不安定な存在の癖にね」

「どこから生まれたか、なんてはっきりしてるでしょう?」


それでも納得しないでこだわる彼に、「ここだ」と、呟いて人差し指を口に当てる―――ふりをして、喉を指さした。

 直前でへたれた。私の馬鹿。

 それが分かっているのかいないのか。視線を向ける先の彼は平然とした顔で握りの革を締め直している――――


「紋様描いたなら、そこまではしなくてもいいのに」


 装飾部分だけでなく、握りまで調節していく彼の様子が目について。つい言葉が漏れる。

 剣を修める時に一通り自分でも調節できるようになったし、それ以前にそこまでしてもらうのも申し訳ない。


 というか、私の握りに合わせるのだから私がやったほうが早いのである。どうせ今回も疲労を隠しながらやっているに違いないので、いいからこちらに渡して早く休んで欲しい。


 渾身の勇気も躱された今、ふてくされて一つ二つ文句を言いながら取り上げようとしたのだが


「僕が謳って、君が響かせる。ずっと前から、そういう約束だろ?」


 喉まで出かかった文句は、何気ない一言に、あっけなく撃沈する。

 一瞬で撃沈した私に、「あれ? これじゃなかった?」なんて首をかしげてこちらを見てくるが、目なんて合わせられるわけがない。


 これは、あれか。お得意の言葉足らず攻撃か。なんだ。サポートは全部自分の役割とでも言いたいのか。そういえば、なんでもかんでも自分にやれることならやろうとする節はある。だが、これは酷い。


 ああずるいなあ。こちらだけ、振り回されてる。いつもは散々「自分は振り回されてます」なんてふてくされた顔をしてる癖に、こういう大事な時はいつもこうだ。


 なんていうか、こうなのだ。


 そして相手は、分かったような分かってないような顔で首を傾げ、うつむく私をたいして気にもせず剣の手入れに戻るのだ。なんというか、やってられない。


「さーて。私も御機嫌伺いにいってきますか」

「ああ。そういえば僕も行ってなかった。一緒に行くよ」

「くんな」

「あ痛?!」


 必死で平静を装った声にデリカシーのない言葉が続き、流石にもう許せない私は立ち上がったところに軽く蹴りを入れた。


 とりあえずばれてない。うん。そういうことにしよう。とはいえこれ以上近くにいられたらばれそうな気がするから、少し手荒いけど彼にはここで待っていてもらおう。


 脛を抑えて蹲る彼を背に、私は弾むように一歩踏み出した。



 ◇ ◇



 音人族おとびとぞく。歌うことで音を形として発現し、それを砕いて世界へと響かせる宿命を持った一族。


 魔王が音を奪った世界で、音色を守り続ける守り人。


 世界へ音を運ぶとも、世界へ風を運ぶとも言われている。険しい山岳地帯に住んでいた山人たちの末裔。


 本来なら、交わることのない救世主の末裔と平民上がりの神官。


 でも今だけは、旅するただの二人の物語。


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