七十一柱目 悪魔の名の下に、魔人間と聖女。
残り一話
久々に帰ってきた生誕の場所は、何一つ変わってはいなかった。
床も壁も天井も、どれもこれもが黒曜石で出来ている城。
赤い絨毯をまっすぐ辿れば、必ず玉座の間に辿り着く。
闇黒魔神の力は神すら慄く協力無比。故に玉座は一直線に最奥。
いかなる者を相手取ろうと、力示す者ならばそれを真っ向より受け止める。
それがダクネシア。かつて神の頂にあり、魔に落とされ、再び登り詰めた物。
「懐かしいな。ここでダクネシアと苛烈なバトルを繰り広げた……あれも大分手加減してたんだろうな」
「だよなぁ。まっ、今の私たちなら本気のダクネシアとも十分やりあえると思うぜ?」
「冗談じゃない。俺は狂戦士でも戦闘狂でもないんだぞ」
玉座の間を後にして、自室へと向かう。必要最低限の家具しかない簡素な部屋だ。
他の部屋となんら変わらない。まったく面白みも無い部屋のはずだが、胸の奥が懐かしさで満たされる。
リステアに生身の身体を与えるという条件で、人間と悪魔の友好を築くという謎の計画の片棒を担ぐことになった。
人間嫌いで労働嫌いの俺が、魔人間となって人間と友好を築くために働くなんてもう訳が分からん。
とはいえ、リステアのためなら仕方ない。
前世では夢も目標もなく、妄想嫁と共に朽ちるだけの生活をしていた俺にとって、これは初めてのやりがいを感じさせるものだった。
別に、ダクネシアに殺された時点で、面倒な仕事など断って、妄想嫁と一緒に心中することだってできた。
むしろ怠惰な俺にはそのほうが最適な選択肢だったはずだ。
それでもダクネシアの取引に応じたのは、俺にとって怠惰より愛欲のほうが重かったということだ。
何者にも愛する価値を見出せない前世と比べれば、この世界のなんとすばらしいことか。
そして、俺にそれを実感させたのは他でもないリムルだ。
「いやぁ、お前が小さい頃の世話もしたっけなぁ? へへっ、チンコだってこーんなにちっちゃかったのになぁ?」
「やめろやめろ」
リムルはイタズラっぽい笑みを見せながら、指でちんまりと表現してくれる。
さすがはリーリトの娘。そこはかとなく無邪気なエロスをかもし出す。
「まあ、今でもそんなに大きくは……」
「頼むよ相棒」
「冗談だって。十分立派なもんだぜ?」
「……どうも」
まったく俺の相棒は本当に困った奴だ。
人間好きの悪魔、リムル。俺と何もかもが正反対な奴。
人間嫌いの俺がどれだけ人間のくだらなさを説いても、リムルは頑なに人間と仲良くなりたがった。
そして俺のことを相棒と呼んだ。
俺なんかのことを相棒と呼び、俺なんかに期待し、俺なんかを称賛し、俺なんかに忠誠まで誓った大馬鹿野郎だ。
俺が他人と関わることに忌避感を覚えなくなったのは、主にこいつの影響だろう。
「まっ、これからもよろしく頼むぜ、人間?」
「ああ、悪魔(相棒)。せいぜいな」
「本当に仲がいいっすよね、お二人さん」
振り返ると、そこにはクロがいた。
特に小躍りするわけでもない冷めた様子を見るに、目当てのものは見つからなかったらしい。
「おおクロ。収穫はあったか?」
「だめっす。金銀財宝ざっくざく……とはいかないもんっすね」
クロは俺たちと一旦別れ、城内のお宝を探しまくっていた。
とはいえ、大分前にダクネシアとリムルだけになったこの城にそんなものが残っているとは思えなかったが。
「骨折り損ってわけだ」
「こういうラスボスの居城には財宝の一つや二つあってもいいじゃないっすか」
「どっちかっていうと裏ボスだな」
それもとびきりえげつない奴。
「地下室とかは?」
「もぬけの殻っすよ。塵一つ残ってないっす」
「隠された秘密の通路とかありそうなもんだが……まあ、ダクネシアはそういうの興味なさそうだ」
誰よりも強大な力を持ちながら、しかしそうそう誰も訪れない闇の底に城を構えるのだ。
魔界の支配者として君臨するでもなく、地上侵略や神の座奪還を企むでもなく。
いや、結局は神として返り咲いたけど。あいつは今頃なにをしているんだ?
「そろそろ帰ろうぜ。他も周るだろ?」
「そうだな。リステアを拾って帰ろう」
俺たちは城の地下へと向かう。
その一室は広く、中央に赤い色の魔法陣が敷かれている。
魔女の釜、三角フラスコ、ホムンクルスでもいそうなカプセルは既に空っぽ。
何せこの部屋もまた、当の昔に役目を終えているからだ。
ここは俺が生まれた場所。魔人間の肉体を得て、この世に魂を下ろし、命を宿した場所。
その部屋で佇んでいるのは、俺にとって最愛の人。
俺が魔人間として生まれることを選んだ理由、愛しい妄想嫁。
「リステア、そろそろ行こう」
「ええ、レクト。あなたの生まれた場所を見れて満足です」
「それは良かった」
本来なら、人間はこの魔界では生きていけない。
リステアがここに居れるのは彼女が聖女であるから。それに加えて、俺の魔力を込めた指輪をはめているからだ。
魔境で行った結婚式で贈ったエンゲージリング。
俺の魔力が続く限り、あらゆる危害から彼女を守る。
呪術も魔法も神秘も、死でさえも。彼女に降りかかる災厄の事象をそのままこちらに転移させる。
そして俺は死なない。老いもせず、死にもせず。そして俺たちは永遠だ。
「次はどこへ?」
「学園は……行ってもしょうがないか」
「図書館に行こうぜ。ブッキーがいるはずだ」
「お前は、もういいのか?」
この場所はリムルにとっても思い出深い場所のはずだ。
別に急ぎと言うわけでもない。ゆっくりしてもいいが。
「私は過去を振り返らない悪魔だからな。常に新しいことを求めて前に進むだけだ」
「そうだな。お前はそういう奴だった」
ぶっちゃけここでダクネシアと暮らすのも大分飽き飽きしてたんだろう。
俺という変化は退屈が嫌いなリムルにとってさぞ嬉しい事だったのだろう。
「じゃあ次は図書館だな」
「またクロに掴まらせてもらうか!」
「お前は自分で飛べ」
図書館……魔窟図書館。
魔本にして魔王である魔本王、ブッキング・ブッカーブックスが司書を務める。
宙に浮く島にそびえる図書館は、そう簡単に行き来できるものではない。
それは魔本が使い手を選ぶがゆえに。
本物の魔本は、相応しい者にしか力を貸し与えない。
「でも本を燃やすと慌てて出て来るんだよな」
「おいよせやめろバカ! テメェいい加減にしろよ!?」
「ならさっさと出て来いよ」
今回は燃やされる前に出てきた。
別に燃やしたところで魔力で勝手に復元されるのだが、ブッキーにとって魔本は家族のようなものだ。
燃やされていい気分にはならない。
無限に続く奥行き、永遠に続く吹き抜け。
魔窟図書館は相変わらず時空が滅茶苦茶らしい。
「なつかしいなぁ……大丈夫かクロ」
「はあぁ……ごほ、ごほ……」
かわいそうに。クロは再びリムルの運搬をさせられたのだ。
俺は自分の力で飛行したので前回よりは楽なはずだったのだが、リムルがやたら急かすので急いだ分、体力を消耗してしまったようだ。
ちなみに、リステアは俺が抱えて飛んだ。
「随分と……どころではないですね。広い」
「魔本を無限に、厳重に保管するためだそうだ。まあ妥当だな」
「魔本……ここにあるもの全てが魔本?」
「その通りだ聖女。レクト同様、悪魔は永遠の時を生きる。この魔界において、魔本作りはもはや暇つぶしとして成り立っている。お前もどうしようもなく暇を持て余したなら齧ってみるがいい」
「私が書いたら聖書か聖典にはなりませんか」
聖書、聖典……ここに保管できるのか?
魔窟なる図書館の一部に聖書が連なるなんて、場違い感に溢れる。
「まあいい。こちらも用事は済んでいる。次はどこに向かうんだ?」
「決まってる。ガルゥとボーンのところさ」
そして、俺たちは飛行して骸と獣ののさばる廃墟へと向かう。
紫色の空、流れる景色は決して人界では見ることの出来ないものだ。
中空に浮く島々。大陸の外にあるのは血の海。その外側は滝のようになって、赤い水は更に深い奈落へと吸い込まれていく。
つまりこの大陸も浮島。地に足の着かない場所だ。
ぐるぐると旋回しながら高度を落とし、やがて廃墟の城の頂に辿り着く。
相変わらず獣臭い城だ。大きな狼、小さな狼、銀色、灰色、あと犬、犬、犬、稀に狐まで混じっている。
って種類増えてるな。
「大丈夫かリステア。気分が悪くなったらすぐに言ってくれ」
「大丈夫です」
ふと、差し込む日差しを浴びて呑気に昼寝をしているガルゥを見つけた。
こうして見ると怠惰のように見えるが、こいつは暴食の罪業の持ち主。腹が減れば外にたむろしているアンデッドを食って、復元するまでこうして寝て待つ。
「懐かしいな。俺も前世ではよく日向ぼっこして人間社会を忘れたものだった……」
「少し浴びていきますか?」
「そうだな、そうするか」
俺は適当に日に当たるところに座り、のほほんとたそがれる。
すると待ちくたびれたのか、外に居るはずのボーンがここまで来た。
「レクトさん、心配しましたよ……」
「あぁ、ボーン。お前も……いや、お前は無理か」
「無理ってほどではないですけど、良さはちょっと分からないです……私はやっぱりひんやりした日陰が一番だと思いますよ」
「だよな。俺もそう思う。前世ではパソコンのディスプレイだけが明かりの部屋に引きこもっていたものだ……」
前世、愛せるものは何一つ見つけられず、愛すべきものを何一つ見出せなかった過去の世界。
とはいえ、俺はあんな世界でなんだかんだなんとかしたのだと思うと、この世界で友好を築いたことよりも自分を褒めてやりたくなる。
「……ん、どうかしたか、ブッキー?」
「いや、別に。そろそろ行かないか? 匂いが移りそうで好かない」
「それもそうか。じゃあ次はビーチだな」
「ビーチですか?」
「ああ、あいつとはビーチで出会った」
もはや魔法陣すら必要なく、魔力は俺の意に沿って全てを成し遂げる。
瞬間移動もなんのその、この場所と遠き場所を容易く繋げる。
そして場所はいつぞやのビーチ。
青紫色の空、命色の血の海。
そして相応しい惨状が砂浜に広がっていた。
積み重なる死骸のように横たわる男の身体と女の肉体。
野外だというのになんて磯臭い。あっ、海だから当然か?
いや、それはともかくなんだこの光景は。
動いているのは波と、死体じみたやつらをくちばしで突く謎の野鳥共だけだ。
辺り一帯は死地のようだが……いや、屍の上に一人、まだ動いている者がいる。
「案の定というか……なにやってんの?」
「あまりにもあんたが釣れないから、私の魅力が衰えたんじゃないかって……まあ、杞憂だったけど」
「それでこの地獄絵図かぁ」
本場の悪魔らが幸福の絶頂で気絶している浜辺。これを地獄絵図でなくなんだというのか。
インプリアルサクブス、その自称に恥じないフェチシアの技巧……いやぁ、よく耐えたな俺。
「本当に、よく私の誘惑を撥ね退けたわね……あなたの愛欲が尋常じゃないってことがよく分かったわ。これに負けるなら悔いは無いとすら思いかけちゃったじゃない」
「インプリアルにそう言って貰えるなんて光栄だな」
「でも、やっぱり嘘はつけない。この嫉妬の炎で、色欲の香に惑わせてあげる」
濡れた身体が踊り、腕で持ち上げられた豊満な胸が震える。
淫靡なサキュバスは俺に手を差し出す。
「上等……いつでもかかってこい」
手を差し出すと、フェチシアは砂浜に降り立った。
そして俺はリステアに向き直って両手を広げる。隣に立つ仲間達を賛美するように。
「さて、これで仲間集めはここまでだ。楽しんでくれたか?」
「ええ、レクト。あなたがどういう道を辿ってきたのか、よく分かりました。前世では到底味わえない非日常が、あなたの日常を彩っていた」
俺たちが魔界に戻ったのは、リステアが俺の生まれた場所を見たがったから。
俺の新たな人生の始まり。そしてその過程で築いた仲間の絆、その出発点を見たがっていたから。
ここまでの歩みこそ、リステアと再会するための大切な道程であったことを、紹介したかったから。
傲慢そうな小悪魔と、強欲りな鳥人間に憤怒りっぽい本魔王。
嫉妬がり屋の不死者と暴食しん坊の狼人間。そして色欲い淫魔。
どいつもこいつも悪魔らしく面白おかしい、愉快で厄介な心許せる奴等だ。
……心頼れる友人だ。
「あともう少しで満足できそうです」
「まだ満足してもらえないのか。中々愛欲が深いな」
「ふふっ」
しかしこれ以上、俺に見せられるものはない。
しいて言えばリムルと言った。灼熱地獄みたいなところだが、あれをみてスッキリするのは人間嫌いな俺くらいのものだろう。
「そうですね。あと一つ我侭を聞いて欲しいのです。構いませんか、レクト?」
「もちろん、望むままに満たす。なんなりと」
「では……」
リステアは少し間を置いた後、凛とした声で言った。
「もう一度、結婚式を挙げたいのです。この魔界の地で」
「な、なんですと?」
結婚式なら最近やった。
魔境で、盛大に、古い友人たちに囲まれて、それこそ魔境が出来て間もない頃を思い出す、懐かしい顔ぶれが揃った素敵な式になった。
「この魔界で、悪魔の名の下に愛欲の契約を成したいのです。悪魔を立会人にした、私とあなたの密やかな結婚を」
「……なるほど、そうだな。それはいい提案だ。場所に希望は?」
「最初の、あの城がいいです。どこよりも深いところにあるあの城で、私たちの愛が無間の常闇よりも深いものでありますようにと。ちょうど誰も居ませんし」
「なるほど、密やかな式には絶好な場所だな……ということで相棒、よろしく頼む」
「任されたぜ!」
そして俺たちは再び黒曜石の城へと舞い戻る。魔界の最も深い場所へ。
簡素な玉座の間を教会に見立て、玉座の上に神父役のリムルが立つ。
小悪魔シスターの前に俺とリステアは新郎新婦として並び、三人を囲う形でブッキー、クロ、フェチシア、ボーン、ガルゥが立つ。
リムルは高い声を無理矢理低く響かせてセリフを吐き出す。
「我はリムル。偉大なる小悪魔にして、契約を見届け、その証人となる者……」
「っ……」
ちょっと笑いそうになったが、大丈夫。セーフだ。
リステアも僅かに……いや、ブッキーたちも若干震えている。
「アウトだよ! 人がせっかく雰囲気かもし出してやろうと思ったのに!」
「ああ、ごめんごめん! 悪かった! もう大丈夫だから、頼むよ」
「ったく……汝ら二人。リリルカ・リリコル・リクル・リムルの名において、永久久遠の契約を交わさんと欲するならば、一歩前へ」
「ああ」
「はい」
俺とリステアは同時に一歩前へ出た。
それに気を良くしたか、リムルは演技の色を濃くして続ける。
「我が相棒なる魔人間レクトよ。汝は彼の妄想嫁、聖女となったクリスティア・ミステアに無間無限の愛欲を誓うか」
「誓う」
「ハレムの女主人にして悪魔の友人たる聖女クリスティア・ミステア。汝は彼の魔人間、罪人となったレクトに永劫不変の愛欲を誓うか」
「誓います」
「ならば……汝ら二人、大いなる契約に依りて、その愛欲が真実であるというならば、ここに契りの口付けを交わせ。我らは、悪魔ならざる者の契約をここに見届けよう」
俺とリステアは向かい合う。
彼女はいつ見ても変わらない。最上の美しさと最大の優しさは、最愛の深さを思わせる。
さすがに今回は先を譲るわけには行かないな。
「リステア、愛している」
「はい、レクト。私もあなたを愛しています」
「まあ、せいぜい愛が歪みすぎないように気をつけるんだな」
リムルがここに来て茶々を入れ始めたが、構わない。
そっと互いに歩み寄り、優しく互いの身体を受け入れ、そして唇を重ねて瞳を閉じる。
それはただの契りの口付け。
魔境でも一度やったはずの、情事の際には飽きるほどやったはずの。
それでもこうも心穏やかに、互いの柔らかさを実感しあうことは稀で新鮮だった。
過ぎた愛欲は肉欲の存在すら忘れさせるほどに夢見心地で、心に湧くのは幸福の実感。
決して手放すまいとしてきた妄想が、今此処で成就したことの体感。
それは妄想だけではついぞ満たせず、現実では決して辿り着けなかったであろう充実感だ。
ああ、もうしゃらくさい。
リステアが何よりも愛しい。それだけで十分すぎる、十二分だ。
「ここに我らは見届けた。悪魔ならざる者の、大いなる愛欲の契約を目の当たりにした。祝福するぜ二人とも!」
ああ、俺とリステアの物語はこれから文字通り永遠に続いていくのだ。
この愛欲が朽ちないよう、精一杯守っていかねばならない。
一人ならば無理だっただろう。
俺一人の力では死をもって終わってしまっただろう。
だが、俺は悪魔との契約によって流転の先に辿り着いた。
今となっては二人。それに一応は信頼できる仲間も居る。
とはいえ、その中に人間はリステアだけ。俺が人間嫌いをやめる瞬間はそれこそ永遠に来ないだろう……。
まだまだ物足りないと長引かせる口付けの中で、俺はこれからの歩みを楽しみにしながらそんなことを思っていた。




