六十四柱目 其の号令は眩く黄金の如し
呆気に取られたのは、自分のあまりの間抜けさにだ。
こんなこと、いつ起きてもおかしくなかったというのに、なんて慢心、なんて油断。
「リステアッ……」
「今更迷うか、最後の勇者」
背後から聞こえる声に対して、俺はすぐに闇から剣を抜いて構える。
立て続けに火を噴く銃、連射された凶弾を尽く弾きながら、リステアを横目で見る。
出血は……ある。
「アダマス。あなたはもう知ったのでしょう。人間の愚かさを。故に正義は軽んじられ、信仰は裏切られる。ならばそれを誅し、形をあるべき型へと正し、正義と秩序を敷くが私たちの使命でしょう?」
「リステア! 返事をしろ!」
唐突に弾丸の雨が止む。
かと思えば今度は左手でもう一丁の銃を抜いて、牽制を続けられる。
「リステア!」
「……落ち着いてください、レクト」
すると、リステアは跳ね起き、鉄製の杖で弾丸を弾きながら、俺の前に立った。
「り、リステア、無事なのか?」
「はい、本魔王の魔法に助けられました」
「ブッキーが? まあ無事でよかった。でも血は……」
「だから落ち着いてください。絨毯が元々赤いだけです。血ではありません」
「あっ……あー、そっかそっか。絨毯が赤くて見間違えただけか」
良かった、というか油断しすぎだな俺は。
まあ背後から銃で不意打ちなんて防ぎようが無いというか、あいつ気配隠すのが上手い。
「で、誰だっけ」
「前に会ったじゃない! グィルシアよグィルシア! 狂信のG!」
「ああ、そんなのも居たな。なるほど」
とはいえ、面倒なことになった。
後ろは勇者、前は狂信者。完全に挟み撃ちだ。
やれないこともないが、とりあえずグィルシアから沈めるか。
「ハッハァ! ようやく見つけたぜクソヤロウ!」
大声と共に、教会の天井が崩れる。
それはまるで神様が落っこちてきたようだ。
暗い部屋の一部を照らす、穴から差し込む光を一身に浴びる男が一人。
舞い上がる埃を吹き飛ばし、そこに君臨する。
「ご機嫌如何だよ、アダマス・アレクサンドッ!」
「アルス……」
「違うぞ勇者。俺はレクスだ。魔境に君臨する、全てが意のままの最強存在、レクス様だ」
「何が最強だ戯け」
サクリ、と綺麗な音が響く。
見ればグィルシアの胸からは図太い刃が顔を出していた。
てらてらと赤い雫を滴らせ、かと思えば、一瞬の内に引っ込む。
入り口からの光が、新しい血塗れの洞窟を通して見える。
「ひ、ぎっ……!」
酷く歪んだ顔で、倒れこみながら身を翻して銃を構える。
自らを突き刺した何者かへと銃口を向けて……引き金は手首ごと落ちた。
跳ねる弾丸は持ち主の脳天を掻っ攫い、主は糸の切れた操り人形のように地面に身を落した。
しかし何の感慨もなく、凶刃の乙女はこちらを……その後方のレクスを見る。
「さっさと済ませろレクス」
「呆気ねぇな。もう終わったのかよ」
「当たり前だ。隙だらけで見るに耐えない。銃器を弾くしか能の無いごっこ遊びには付き合ってられん」
「ちげぇねぇ」
レクスは剣の切っ先を向けて、宿敵に狙いを定める。
「さて、因縁の決着をつけようぜ、アダマス」
「そうか、君も仲間を手に入れたんだね」
「はっ? 仲間じゃねえ。あいつはただのライバルだ。協力はしてもらってるけどな」
「協力はしてもらってるのに、仲間じゃないんだ」
レクスは準備万端、いつでも来いという意思を露にしているが、アダマスは構えを取るどころか、武器すら抜かない。
「んだよ、さっさと抜けよ」
「もう疲れた」
「は?」
「もういいだろう。僕はやれるだけのことをやった。もう出来ることはない。僕は君に負け、勇者はここに命を落とす。そういうことにして欲しい」
「……そうかい」
するとレクスは剣を鞘に収めて踵を返す。
「レクス?」
「くだらねえ。帰るぞドゥルガー」
「なんだ、仕留めないのか」
「もうそんな気も起きない。自分から負けたやつを殺してなんになるよ?」
「それもそうだな」
レクスとドゥルガーはさっさと立ち去ってしまった。
教会の中に残ったのは俺とリステア、アダマス。そしてグィルシアの死体。
呆気に取られていた俺も、ようやく自分を取り戻す。
「あー、っと?」
「アダマス、他に正教の残党は居るのですか?」
「居ないよ。誰も彼も散り散りになった。もしかしたら魔境に流れた者もいるかもしれない。僕はグィルシアに拾われて、なんとかここまでやってきた。でも、彼女も死んだ」
アダマスは気の抜けた笑みで迫り、そして通り過ぎた。
血だまりのグィルシアの前で跪き、取れた手首から銃を取る。
「とりあえず、僕の夢も潰えたってことで、お暇するよ」
「戦わないのか。まだ生きてるのに」
「死んでるよ。グィルシアを殺されて、僕にはもう頼れる仲間も、頼ってくれる仲間も居ないんだ。正教という繋がりはもう無くて、レクスと対峙した時点で、僕は死んでいた。正義が勝つものだとしたら、敗北した僕は正義じゃなかった」
「勝敗は力依存だぞ。正しいかどうかなんて」
「それは君の理屈だろう? 僕の理屈は違う」
そう言われると、もう俺には何も言えない。
いや、言うべきではない。
彼の考えを尊重することが、唯一できる彼への救いだ。
「じゃあねレクト。世界がどうか、平和と幸福に満ち溢れますように」
自らの頭部に銃口を突きつけた。
見届けるべきか、目を背けるべきか……。
「勝手に死ぬ事など許しません」
凛とした、強かな声が響く。
簡単に落ちるはずの引き金は、いつまで経っても銃弾を撃ち出さない。
「この声は……」
「着たのか、わざわざこっちまで」
教会の入り口には、三人の影があった。
左に立つは黒き獣人。犬歯の如き短剣を携えて、猛獣らしい唸り声を上げる。
右に辰は黒騎士。一等の剣と盾を構えて、万事万端に備え女王を守る。
「ジャックと雅義、となればやはりか」
そして真打。中央に堂々と立つ女王の姿。
「女王エリザ、ここに参りましたわ!」
「エリザベス。ということは、これは聖女の奇跡、黄金号令だね」
「その通りです、勇者アダマス。私の大切な友達を、命を奪っておいて勝手に死ぬなんて許されません! 神や悪魔が許しても、私の許しは得られないと知りなさい!」
エリザは怒気を露に前へと進み、アダマスの前に立つ。
「なぜです? あなたの民を殺した僕は、貴方にとっては敵のはず。悪と呼んでもいい」
「そんなことは言われるまでもないです! でも、貴方が死んだって彼らは戻ってこない。もちろん、そこの彼女も……」
横目でグィルシアの亡骸を見る。
女王として、憎むべき敵、排他するべき害に向ける目ではない
「それでも、それでも貴方も、彼女も私の国民の一人。決して安易に死なせようなどとはしません。そもそもヤリ逃げなんてずるっこい! 男なら責任を取りなさいな!」
「なんか違う意味に聞こえてくるな」
ピンと指差し、アダマスに突きつける。
「いいですかアダマス! あなたの罪は憤怒の罪! 悪だからと言っていたずらにこれを殲滅しようという理不尽な暴力! 私はあなたを裁きます!」
「……確かに、僕は悪を滅しようとした。でも、悪を滅さずして、どうやって」
「悪を憎んで人を憎まず!」
「なっ……」
はて、誰の名言だったか。というか前の世界で聞いた言葉だが、この世界ではここが初か?
「あなたは悪人を滅してばかりで、悪そのものを滅する術を考えようとしなかった。あなた、その目は本当は節穴なのでは?」
「うぐっ」
「うわぁ、辛辣ぅ」
「……ですから、あなたは犯した罪と、死なせた民に償うため、今までより遥かに酷な苦を受けるのです」
エリザは跪き、アダマスと正面から向き合う。
「犯した罪を、民はずっと責め続けるでしょう。私も女王として、あなたを許すことは出来ないと断言します。だから生きなさい、より多くの悪を暴き、悪人が悪から救われる機会を与えるために。これは王命です」
「僕は、僕は仲間がいないと何も出来ない。こんな罪深い僕に、もう仲間なんて出来ない!」
なんという絶望、なんという悲観。無理もない。
ずっと仲間と共にやってきた男が、今では見る影も無く天涯孤独。
「仲間なら、ここにいるでしょう?」
そう言って、女王は自分の胸に手を当てる。
「なっ、そんな、戯れで言っているのなら……」
「ふふん! 言ったでしょ? あなたも私の民。王たるもの、万民の仲間でなくては、でしょう?」
でしょうって、そういうものなのか?
「レクトだって、魔境に集った者は全員仲間でしょう? 決して無下にはしない。わよね?」
「……まあ、仲間はずれってことにはならない。弱肉強食ではあるが」
まあ、無法地帯という言い方も出来るのだが。とりあえずここでは細かいことは抜きにして話をあわせておく。
エリザは俺の返答に笑みを更に輝かす。
「だから、せいぜい努め、励むことです。己の悪性を見直し、人の悪性を取り除く。どうしてもダメなら魔境の方に引き取っていただく。私たちとは違う生き物だと認め、各々の最適な環境で過ごす。よろしくて?」
「……また裏切るかもしれませんよ。民は僕を処刑しないあなたすら恨むかもしれない」
「当たり前ですわ。人間ですもの、それぞれ不満はあるでしょう。だから私たちは頑張るのです。より良くしようと飽くなき想いで。描いた空想を現実にするためにね?」
その言葉はアダマスより俺の方に響いた。
眩しい、この王様は眩しい。
あまりに優しくて、夢は眩くて、なるほどこんな人の力になら、なりたいと思う。
冷めた心に煌々とした熱を取り戻す、それが彼女の力、眩い黄金号令。
「レクト、この御恩は後日、改めてお返ししますわ。よろしくて?」
「かまわない。こっちもいい物を見せてもらった。報酬だけきっちりもらえればそれでいいさ」
グィルシアは死んだが、今回こいつは指名手配されていない。
指名手配された本人は生きたままホーリーリードが確保。報酬はご破算……となると納得いかないだろう。せめて山分けはしてやらないと意欲に関わる。
「あれ? そういえばリムルは?」
「確か、私に報告を終えた後、仕事の報酬を貰うと」
「……やられた」
今頃あいつは王都で豪遊しているだろう。まったく金が無限に飛んでいくな。
正教は滅びた。
最後に残ったアダマスは、広場で晒し者にされていた。
魔女が焼き殺される一歩手前のような、木製の十字架に縛り付けられた状態で民衆の前にさらされている。
だが石を投げようとする者は居ない。なにせ側に女王様がいるのだから。
そして俺は広場に集まっている烏合の衆の一部として見物させてもらっている。
「さて、クソッタレな人間共をどう治める、女王様」
「さて皆さん、これにて正教の脅威は去りました。魔境の協力もあって、私たちはもうテロに怯える必要はなくなったのです。首謀者たる過激派も壊滅し、叛逆の勇者アダマスも自らの過ちを認め、今こうして下される罰を待つのみです」
民衆は歓喜の声を上げている。
中には泣いている奴も居る。
「人間こわっ。相棒、人間怖いぞ」
「だから言ったろ。人間は怖いぞ」
俺が女王だったらアダマスは死んだことにして第二の人生としてこれからを歩ませるが、さて。
「では、これより罰を言い渡します。アダマス、心して聞きなさい」
「な、なんなりと……」
「私の手足となり、馬車馬の如く働きなさい。生きている限り、あなたはここに居る私の民から責められ、苛まれる日々を送り、犠牲者に許しを請い続けなさい。いいですわね?」
「は、はい。誠心誠意尽くさせていただきます。僕は行き続ける限り責め苦を受け続け、しかしこの国に奉仕し続けます」
「よろしい! 以上!」
やたらさっぱりとした審判だった。
ノリと勢いで終始乗り切った感が非常に強く、民衆も呆気にとられていた。
「皆も異論、ありませんわね? では解散! 本日はありがとうございましたわ!」
「いや待てよ! さすがのエリザちゃんでもそりゃないだろ!」
良かった、ちゃんとストップがかかった。
一瞬で不敬罪になりそうだが、そうはしないのがエリザの王として異質なところだな。
「俺は娘をあの列車のテロで殺されたんだぞ!? 娘は死んで、そいつはのうのうと生きていくなんて許せねえよ! 殺せ! そいつを殺せ!」
「そうよ! 死ねばいいのよそんな奴!」
「殺せ! アダマスを殺せぇ!」
会場がだんだん暖まってきた。
俺だったらとりあえずアダマスを放り出して民衆に直接殺させる。まあアダマスは愚衆に殺されるほどヤワではないだろうが。
「……仕方ありませんわね。民がそれを望むなら、私もそれを無碍にする気はありません」
パチンと指を鳴らすと、どこからともなく兵士がぞろぞろと並び、剣を会場に突き刺して、退場した。
「アダマスを殺したいと思う者は、その剣を抜きなさい。そして望みどおり殺すといいでしょう」
「なっ……しょ、処刑じゃないのかよ!」
「処刑です。最も恨む者が、最も恨むべき者を殺す。その殺意に満ちた望みを叶えてあげるが王の務め!」
「じょ、上等だァ!」
一人の男が足早に、剣を抜いて構える。
「ただし、アダマスを殺した者は、アダマスの代わりに私の手足となって働いてもらいます」
「は、はぁ!? 意味がわからねえ! エリザベスはどっちの味方なんだよ!?」
「私は、私の国の民の味方です。今剣を握るあなたの味方であり、アダマスの味方でもある。私は女王、国を背負い、国民の生きる舞台を整える者。その上で起きた物語もちゃんと背負います!」
「えっ、えっ? えぇ!?」
「というか、むしろ民の犯した罪は私の罪でもあります! 殺すなら私も殺しなさい! ほら、ほらぁ!」
なんだ、何が起こっているんだ。
俺の目の前で繰り広げられているのは、一体何だ?
「え、じょ、女王様を殺すなんて……でも、このままじゃ殺されたやつらが浮かばれない……こんなのひどすぎる!」
「私だって悲しいッ!!」
「うっ!?」
叫んで、エリザは跪く。
迫真の演技、なのか? それは完璧に慟哭だった。
「助けたかった、救いたかった! 彼らだって私の民で、私の友達だった。助けた後に、一緒にお茶したり、お喋りしたりしたかった! でも、それが出来なかったからって憤怒を押し付けたら、また友達を失くしてしまう……」
「じょ、女王……」
「失われた命は戻らない。でも、それは彼の命も同じでしょうは? 今ここで彼の命を失えば、私たちは彼が守れたかもしれない命も失うことになるのよ!?」
「で、でも、またこいつがテロを起こすかも」
「そんなことが起こらないように、私の元で働かせるんですっ!」
ほー、そういう訴え方で行くのか。
王様としてではなく、一人の愛すべき隣人として、すべての民草を見ている。
「もしそのとき、私が簡単に殺されたなら、暗君と罵っても構いません。アダマスも惨たらしく殺すことが出来るでしょう。でも今は、彼の更正の意志を信じて未来に続くあらゆる命を……素晴らしい可能性を残すことこそが、今を生きる私たちの使命! 誇り高き生者としての足掻きと私は思います!」
性善説……というわけではない。
だが素晴らしい可能性というロマンを持って、人々に語りかけるのは凄まじい効果を発揮していることだろう。
なにせ、奇跡のようなお人好しの女王様が目の前にいるのだから。
それは、日頃からエリザと接してきた民衆達が実感しているはずだ。
あんな聖女がもしこれからも生まれるならば、生まれた後の窮地を救えるかもしれないなら。
どれだけ低い確率だとしても、彼女のような人間のためなら賭けられる。それほどの価値が、彼女と彼女の言葉には宿っている。
「私の言葉を無価値と断じるならば剣を振るいなさい。それも尊重されるべきあなたの欲です。でももし、私と共に可能性を守りたいと思うなら、私は親愛を持ってあなたを祝福しましょう」
「……でも、でも俺は」
ダメかやっぱり。人間の善性などその程度、憤怒の炎は愛の裏返し。
愛しい娘、妻に夫、親兄弟。失った無念さを晴らすには復讐しかない。
「俺は……俺はお前を絶対に許さないからなッ! お前なんて、死ぬまでずっと苦しみ続けろ! 死にたいと思っても、絶対に簡単には死なせてやらんからなぁッ!?」
「くぅ~っ! 私の国民、最高すぎますことよ! これにて裁判を終了! そして宣言しますわ!」
おい、今、えっ、マジで?
なに今の、絶対殺すだろうという流れだったはずなのに、許さない宣言だった。
しかもエリザはまだ続きを残しているらしい。
「本日を聖戦に続く祝日、容赦の日と制定します! なので盛大に宴をしますわよ、国中総出で準備なさい! もちろん、私も手伝いますわ!」
国民は腕を上げて咆哮したかと思うと、一斉に散り散りになった。
展開が怒涛すぎる。というか人間、まさかエリザの言葉に説得されたというのか。
「相棒、人間やべぇな。サイコーかもしんない」
「一人のカリスマでごり押すのも一つの形ってことか、よくやるな。怠惰にはとても真似できないが」
憤怒を忘れさせる程のヨイショ。怨恨を吹っ切れさせるほどの綺麗事。
怖ろしいほどに聖人君子、女王エリザベスは今日も民と共に助け合い、民と共に生きていく。
「じゃあ私たちもついでに祭を堪能するか、相棒!」
「お前はもう色々と堪能しただろう……リステア、お前はどうする?」
「どうもしません。私はレクトと一緒に居ます」
「そっか」
容赦の祭は夜明けまで続いた。




