五十七柱目 人間嫌いの魔王、永究の魔神を継がん
分からず屋の神様、人間というものに期待しすぎた不憫な神様。
もはや戦う理由すらあるまいに、何がお前をそうさせるのか。
満身創痍の神は、息も絶え絶えに立ち上がる。
「まだ……まだ終わらせるわけには……ッ!」
「いいや、もうお終い。グランドフィナーレだ」
アダマスは退いて、戦況も優勢。こいつの動きにももう慣れた。
もはや何かすることもない。幕を下ろす頃合だ。
「人間如きによくもすぎた期待をしてくれたものだな。お前は最初から見当違いをしていたわけだ。結局のところな」
「見当違いだと……この私が、全知全能の神が!」
「不憫なお前へのせめてもの慰めに、奈落の底から見ているといい。人間の醜さを、業と欲深き、夢とロマンに生きる者の活き方ってヤツをな」
見上げれば、空の黒点は再びその滾る姿を蘇らせる。
が、一向になにかが起こる気配はない。
「あっ、自分で開けってことか……」
両手を構え、イメージの中で魔力を掴む。
「我が心よ魔を湧かせ、我が力よ魔を掴め。空に浮かぶ黒点は、水面に映る満月」
狙うはヤツの足元。想像し、創造するのは洞穴にして万障引力の黒点。遥か下層引きずり込む。
「開け最下の門、最大なる顎。鍵は我が黒き火柱、いざッ!」
途端に、俺の両手の中で火花が走り、瞬く間に黒い炎が溢れ出る。
それを剣のように握れば、膨大な炎が間欠泉のように黒点へと向かう。
上昇、到達。
「瓦解する城塞、崩落する大山、龍を落とす大瀧、混沌は刹那、闇黒は無量……さあ、口を開け、ファラクホール」
黒炎の柱が全て吐き出された後、神の足元に黒い影が落ちる。
「ド派手な演出の割には地味だが、その分、よく落ちるぞ」
「ふざけるな……まだ終わらせるわけには……!」
神が腕を翼に変えた。ハーピィのように羽ばたいて見せるが、もうダメだ。
「オッ、オオオッ!?」
神の体は少し浮かび上がるが、すぐに腰まで沈む。
「ウグゥオオオ!! なんだ、なんだこれはぁああ!!」
「最下層、ファラクが今回飲み干すのは世界ではなく、創造主であるお前だけだ」
やった俺もゾッとするほど、その闇の沼は深く、底が見えない。
虚無が生易しいと思えるほどに重く、死のほうがまだ救いがあると断言できるほど光が通らない。
「神を落すなど、これはもう力ではない。権利の行使に近い……そうか、貴様か。貴様なのかッ!?」
「……何の話だ?」
神は胸のあたりまで浸かりながら、未だに堪えている。
だが堪えるだけで精一杯のようで、なんか見てるこっちが参ってくる。
「ダクネシアの言葉の意味がようやく分かった。まさか本当にお前が、二代目の魔神などと!」
「は……えっ? なんて?」
「魔神、魔人王レクトッ、そういうことか! この背徳者め! 堕落と淫蕩の権化めぇえええ!!」
な、なんだ、なにを言ってるんだこいつは。
というかなにしてんだマイゴッド。お前は俺に何をした。
「許されない。お前は絶対に許されない。せめてお前の罪に、相応の罰をくれて……」
ずるずると肩まで滑り落ちた神は、次の瞬間には声と共に、ぽちゃんと消えた。
余韻というかなんというか、さすがガチの闇黒は音の一片も残さない。
静かすぎて不気味に思えてくるほどだ。
「終わった……あー終わった! めでたしめでたし!」
「っしゃあ!」
「っす!」
後方のリムルと空飛ぶクロが勝ち鬨を上げる。
この静寂の中だと、さすがにやかましい二人の声で安心感すら覚えてしまう。
「れ、レクト」
「あっ、リステ……」
それは、妙な光景だった。
なんでパントマイムなんかしてるんだろう、と思った次の瞬間、リステアの体は俺の横を通り過ぎた。
もちろん、踏ん張った足がこれでもかと土埃を上げている。
「レク、ト!」
「リステア!?」
すぐさま駆け寄り、右脇に体を抱く。
リステアの左腕を俺の首に回させて、なんとか引き戻そうとする。
「何か、引っ張られて、紐が!」
「落ち着けリステア、どこが引っ張られてる?」
落ち着かないといけないのは俺だ。必死でリステアの体をくまなく見て、どこに異常があるのか探す。
だが、どこにもない。何があるわけでもない。リステアは、見えない何かによって、あの黒点へと引き寄せられている。
あの黒点は神を喰らうためだけに開いた穴だ。定員は1名限りで、誤爆を起こすようなことはないはずだ。
「レクト、そのままではお前まで闇に引きずり込まれる」
「んなの分かってる! なんとかしろ本魔王!」
「……ダメだ。神の権能を相手に、私たちは無力だ」
「いいから何が起こってるのか説明し……ぬおっ!」
俺の体でもこらえ切れない。
あの神が何か細工をしたのは分かっている。それがなんなのか分からないのでは、対処のしようがない。
「腸だ。神は己の腸を伸ばし、リステアの体に巻きつかせた。
「なっ……」
腸を巻き付かせるって、スプラッタホラーにもほどがあるでしょ。
いや、そんなことはどうでもいい。なんで目に見えない。なんで触れられない。
「レクト、離して下さい」
「今考え事してる。お前も考えてくれ」
「このままではあなたまで引きずり込まれてしまう。私はもう十分幸せでした」
「やめろ」
「ただの妄想が、あなたに触れ合えたこと自体が奇跡のようなものなのですから……どうか、ご英断を」
「考え事の邪魔をするなら黙っててくれないか!」
焦りが声を荒げさせる。リステアにこんなことしたくないのに。
やめろ。頼む、誰でもいい、なんとかしてくれ。
もう支えるだけで精一杯だ。少しでも力を緩めたら、一瞬で引きずり込まれてしまう。
「ぐっ……レクト、あなたに手を汚させるわけにはいかないのです」
「リステア……」
リステアも限界だ。
引っ張る力が強すぎて、リステアの体はこのままだと耐えられない。
胴から千切れて、無惨な死体しか残らない。
こいつは、こんな時にまで俺の心配をするのか。
俺の手が最愛の人を引き裂かないように、最愛の人の血にまみれないように気遣うのか。
「レクト……許してください」
リステアが右手に持つ棒が、鋭く俺の鳩尾にめり込んだ。
抉る痛みに体が緩む。
ああ、やめろ。頼むからやめてくれ。
「リス、テ……」
「さようなら、また妄想でお会いしましょう」
「がっ……」
喉に打ち込まれ、呼吸まで出来なくなる。
動脈の辺りを強く抑えて、俺の意識を奪おうとする。
それでもなんとか、なんとか堪えて、か細い声でも訴える。
「せめ、て、いっしょ、に……」
「何を言っているんですか。私たちはずっと一緒ですよ。だって私は……あなたの妄想なんですから」
力が緩むのをとめられない。
リステアの体が俺の腕からするりと抜けて、青いドレスと銀色の髪が遠ざかる。
「っ……!」
そして彼女は呆気なく、湖に投げ込まれた石みたいな音と共に、闇の底へと消えてしまった。
次に目覚めた時、そこにリステアはいなかった。
ふと目覚め、飛び跳ねるように起きて彼女の姿を探すが、どこにもありはしなかった。
「起きたか相棒、まだ間に合うぜ」
「リムル……」
見ると、リムルが黒点の淵に両手をかけていた。
黒点に魔力を注いで、穴が塞がらないようにしているのか。
「さっさと行って来いよ。帰ってきたら悪魔の祝福の元で挙式を上げさせてやる」
「……リムル、もう十分だ。穴を閉じさせてくれ」
「お前、冗談言ってる場合かよ! さっさと助けに行かないとマジでヤバいだろ!」
俺の中にあるものは、空虚な諦観だった。
もしくは、最愛の人の喪失をひたすらに悼むことしかできない無力感かもしれない。
「その中に入ったら、もうダメだ。諦めるしかない」
「……本気で言ってるのか?」
「その魔法は俺が創ったものだ。俺が一番よく分かってる」
その闇に飲まれれば、二度と這い上がってはこれない。そういうものとして創られたのだから。
「おい冗談だろ。お前らしくもない。いつものお前なら憤怒のあまりに飛び込んで、嫁を回収するついでに神だろうがなんだろうがタコ殴りにして帰ってくるところだろ」
「あいつは俺に生きろと言った。俺と一緒に居ることよりも、俺の生存を願った。その愛に応えなければならない」
だから、俺はこの闇には飛び込めない。
それは彼女の愛を穢すことに他ならない。
「レクト、お前……」
「ふざけてるのか貴様は」
何か言いたそうに立ち上がろうとしたリムルより先に、俺の胸ぐらを掴んだのはブッキーだった。
「ならお前は何のためにここまでやってきた。何のためにこの世界に生まれ、何のために私のところまで契約を持ちかけに来た」
「あいつはもう十分だって言ってた。まったくのムダじゃない」
「そんなわけないだろ。人の欲は底知れない。十分だなんてありえない。そう言っていたのはお前だろうレクト。これ以上つまらないことをするなら、私の手でお前をそこの穴に放り込んで心中させてやろう」
そうできるならそうしたい。
「そうできるならそうしたい……そう思ってるっす」
「そりゃな。リステアがそれを望んでくれるなら、良かったのに」
「じゃあ、きっと望んでるはずです」
基本的に傍観者に徹するボーンまでが、俺の背を押そうとする。
「レクトは私に教えてくれたじゃないですか。イマジナリーフレンド。心を理解ち合い、互いに愛し合う存在。愛しの妄想。愛し、愛されるための……なら、あの人はきっと貴方の愛を求めてる」
「……はっ、ははっ、なるほど」
愛は互いの恋を満たすためのもの。
だが、愛は時にそれを隠す。
相手の恋を埋めるため、自分の恋を控え、愛とのバランスを欠く。
その遠慮が、躊躇が恋と愛のあり方を曇らせる。だが……。
「愛が侭に、我が侭に、贅を沢し、信を托し、真に尽くす。遠慮されたからといって、愛することを遠慮する必要はなかった。愛欲だって所詮は自己満足だ」
恋が欲することで、愛が与えることならば、愛欲なんて二文字で矛盾を起こしているように見える。
だが、その実もっとも根深く、色濃く、力強く美しいものだ。
「さて、もたもたしてられないな。偉そうな啖呵切ったんだから、付き合ってくれるんだろうな悪魔共」
「愚問だぜ相棒。引きずってでも付き合わせてもらわないと、従う甲斐がねぇ!」
「言ったな? ボーン! 黒点を維持しろ。シェイドの影なら相性はいい。ブッキーは糸を紡げ。決して切れない、闇にも染まらぬ糸を編め。出来るか?」
「意図は分かった。この本魔王に任せよ」
さて、あとはガルゥとフェチシアだな。
「ガルゥ、フェチシアを起こせ。そいつのフェロモンとお前の獣臭が必要になる」
「け、獣臭……わ、わかった」
「あとは……クロ、リムル。お前らには一番ヤバイ役割を頼む」
「上等だぜ。なぁクロ?」
「う、うっす! 番長のためならなんでもやるっすよ!」
そうか、なんでもか……いや、遊んでる場合じゃない。
兎に角、俺はこの黒点に飛び込む必要がある。それもすぐに、出来る限りの準備を済ませてだ。
そして五分くらいで準備は終えた。
「黒点……ファラクの穴はダクネシアというクソヤバ魔神の力の上に築いた俺の魔力の総量分の力がある。この中で活動するには、本魔王の魔力供給とリムルの魔力強度、俺の魔力総量が最低限必要だ」
「私の魔鎖は魔力供給と、引き上げるための手段か」
「俺たちは落ちていくリステアに追いつく必要がある。そこはクロに頑張って急降下してもらう」
「ま、任せてくださいっす……」
自信なさげなのはしょうがない。俺だってリステアを助けるでもなければ、絶対に入りたくない。
「安心しろ、俺の魔力を纏えば自由に羽ばたけるし、リムルの魔力があれば枯渇する心配もない」
「私は燃料タンクってわけだ」
「ダクネシアを土台にした闇は重い。俺の魔力だけじゃ出力不足だ」
「なら、フェチシアとガルゥの意味は?」
「万が一、鎖が切れた時の保険だ……遺憾だけどな。フェチシア、頼む」
フェチシアの方を見ると、中々不満そうな顔をしていた。
別の女を助けるために、皇位のサキュバスが使われるなんて、と。
「くれぐれも謝らないことね。この借りは必ず返してもらうわ。貴方のお嫁さんにね……」
「酷い話だ……」
フェチシアの柔らかな唇が重なり、にゅるりと舌が滑り込む。
「んっ、ぷは……これでパスはオッケーよ。無意識のうちに私の色香に誘われてしまうわ。蜜を求める蝶のようにね」
「助かる。ガルゥはボーンの補助を。大体でいい、距離をブッキーとボーンに。報告してくれ」
「わかった!」
「さて……じゃあよろしく頼む」
クロの両足を俺が掴み、リムルが俺に抱きつく。
「いっ、行くっすよ? 本当に行っちゃうっすよ!?」
「行けっ!」
クロは大きく羽ばたき、空高く飛び上がる。
一際強く羽ばたいた後、落ちるよりも速い急降下で黒点へと飛び込む。
何も見えない。何も聞こえない。
何も感じない。何も匂わない。
感じられるのは、心の中、通わせる魔力だけが、接している互いを知覚する。
「クロ、調子はどうだ?」
「こ、怖い! 暗すぎて怖い! 鳥系にはきつい!」
「大丈夫だ。そのまま進んでいけ」
「番長、ちゃんと居るんっすか? ちゃんと足掴んでるんすよね!?」
「悪魔が怯えるな。大丈夫だって、ちゃんと側に居るから」
「相棒、ソイツお前に言わせたいだけだから黙っててもいいぞ」
どこまで沈めばいいのかも分からない。辿り着く場所さえ見えてこない闇の中を、俺たち三人は潜っていく。
しばらくして、変化は微かに訪れた。




