五十五柱目 天聖神御・万力疾駆
「迷える子羊よ、その責務に順ずる姿勢、まったくもって正しい」
声が響いた。
やけに落ち着いた。しかも上から傲慢な言葉。
瞬間、俺の目に映るのは勇者ではなかった。
さっきの巨人の時ほどではないものの、身の丈は2メートルはゆうに越える。
人間二人くらいなら簡単に握り潰せるような、やたら発達した右手の爪は一つ一つが血を啜る魔剣のよう。
美味そうに、俺の血肉を、貪ってやが……る。
「がっ、あぢ、あああっ!?」
「いつの間に……レクトッ!」
「相棒ッ!? クソ神がぁ!」
熱いッ、クソッ、熱すぎる!
まるでカンカンに熱した鉄杭をぶち込まれたみてぇだ。
こんなにヤバい激痛は、魔人間になってから知らない。
俺の胴体に図太いモノをブッ刺してるヤツは、薄気味の悪い笑みを浮かべてこっちを見上げてやがる。
「お前たち悪魔は不滅だが、故にこの痛みから逃れる術を持たない。痛覚に細工しようとも、魂に直接響くだろう」
コイツ本当に神様かよ。悪魔のほうがよっぽど似合ってるじゃねえか。やっぱこいつは叩き落す。
きちんと冥府へ送りつけてやるからなッ! クソ熱い!
「オラァ!!」
リムルの声がしたと思うと、視界に映る景色が目まぐるしく変わる。
気が付いたときには振り回されて、吹き飛ばされていた。
「……無事?」
「ああ、なんとか……って、フェチシア!?」
身を起こすと、下敷きになっていたのはフェチシアだった。
サキュバスの肉体は色香で惑わすためだけのものだ。戦闘にも、クッション剤にも適さない。
「おま、これ……結構ガッツリいっちゃってるぞ」
「ごほっ……皇位サキュバスをクッションに出来て、贅沢ね」
この戦争、サキュバスの出番は無いに等しい。
そもそもサキュバスは戦場向きではないし、誰がクッションになってくれと頼んだ。
「心配ないわよ、悪魔なんだから。それより、ほら、さっさとアレなんとかしないと」
「当たり前だ」
と、起き上がってアレを見る。
クロが霍乱してリムルが隙を打つ戦法で時間を稼いでいた。
「レクト、大丈夫ですか」
「あぁ、贅沢なクッションのおかげで軽傷だ。しかし……やってくれたな」
2メートル越えの白色の巨漢、鋼鉄じみた肉体、白い巨腕、えぐすぎる爪。
見た目が凶悪すぎる上に、俺の目ですら追いきれない俊敏さと機動力。さっき溶けてた巨神の塊は繭のような形状になっていて、それを無理矢理ぶち破ったような穴が開いている。
小柄になったのは再生によるデメリットだったらしい。
いや、デメリットらしいデメリットが見られない。やたら素早いし、そのうえ攻撃力もある。
ダクネシアと戦ってまだこれほどの力を残しているとは。
「リステア、加護はまだ期待していいか?」
「あなたが望むなら、いくらでも」
「悪いが頼む。アレはとりあえず一度甚振っておかないと気がすまない」
あの傲慢な笑みにはさすがに憤怒た。
「下がれリムルッ、クロォ!」
「お、おう!」
「あっ、うっす!」
二人が左右に分かれるように避けるのを見計らって、一気に飛び込む。
「クァッ!」
「ッ!?」
ぶち抜こうと思って顔面に向けて繰り出したとび蹴りは爪に防がれた。
だが仰け反らせることは出来た。がら空きになった鳩尾に拳をぶち込む。
「ウッグ……」
「ッんぬ、りゃあ!」
めり込んだ拳を更に押し込む。
奥の奥、向こうの向こう、果ての果てへ届かせる勢いで、撃ち抜く拳は穴を穿つ。
「ゴァ、ハァ……」
「いい声で鳴くじゃねえか」
神がよろめいているのを見ると、なるほど神にも親近感が湧く。
昔は割と身近だったというのも嘘じゃないらしい。
「さて、少しスッキリしたところで聞いておきたいことがある。なんで神々を悪魔にした?」
「ダクネシアの眷属めが……貴様如きに私の崇高な理念が分かるものか」
「そうだなぁ。大の神様がわざわざ他の神々を悪魔にして、魔界に封じ込めるなんて姑息な真似をするなんて、信奉者だって理解できるかどうか……なあ、アダマス」
とりあえずアダマスを巻き込んでおく。
もはや展開についていけず困惑するしかないようだが、利用できないこともない。
「なにがどうなってるんだか、僕にはまったく……」
「神と人間は適当に適当して適当よろしくやってたところを、こいつが厳格な規格を定めてクソ詰まらない規制だらけにした結果この救いようの無いザマだ」
「邪悪な囁きに耳を貸してはならない」
冷静な声に反して一気に距離を詰める神。モリオンの剣で爪を防ぐ。
今度は警戒していたから対応が間に合った。もう突かれる不意はない。
が、さすがに俺のような究極美形筋肉型人体では、こいつの重量過多化物型人体では体重さで若干押され気味だ。
「なんだそのルビは! 貴様等混沌の者共は常にそうだ。あるべき秩序を無視し、罪の無い人間を不当に苦しめることすら厭わない」
「ハッ、罪の無い人間なんてこの世にいるもんかよ。人間を過大評価しすぎだぜ自称神様よッ!」
力を緩めて背後に跳び退る。次々と繰り出される爪の連撃を凌ぎながら、爪の間合いから遠ざかる。
「なるほど、お前の考えてることがようやく見えてきた……親近感が湧くレベルだ」
「知った風な口を……」
「お前が定めたルール、そして秩序を尊ぶその理念。悪魔を過剰に排斥し、混沌を忌み嫌う性格……否が応でも察しがつくというものだ。お前も所詮、人間に期待しすぎた哀れな者にすぎないってわけだ」
反論の代わりに大振りの左腕を叩きつけられるが、ならば俺は真っ向から受け止める。
「ダクネシアもお前も哀れなもんだ。人間賛歌を真に受けたのか知らないが、こんな救いようの無い奴らを護ってなんになる?」
「貴様はどうしてそこまで見損なえる? 貴様には美しいものを美しいと感じる心は無いのか」
「美しいだけじゃ人間は満足できないのさ。醜くも欲し、浅ましくも求め、業を深めていく人間の悪徳……それを根絶やしにしたところで、人間の在り方は変えようが無い」
「なぜ抗わぬ……なぜ目指さぬ!? 分かるぞ。貴様にもかつて誇り高い心があったはずだ。慈悲と、自制と、自負の心があったはずだ。悪性を赦さない心があったはずだ」
悪性を赦さない心が合ったかどうかは知らない。
健全なる心、正義の行いに憧れたことがあったかも分からない。
「善なる者が報われ、弱者が虐げられぬ、命が平等に尊ばれる世界を望んだはずだ!」
「それだけじゃ、満足できない……そういう人間もいる」
「それを律してこそ人間であろうが!」
なら、悪性が宿る人間は人間としての価値が無いとでも言うつもりか。
「そいつは、狭量で傲慢じゃねえか?」
「何を……、これは平和と秩序のためだぞ」
「なら勝手に排他すればいい。こっちはこっちで好きにやるさ。それすら赦せないか? 存在することすら赦されないのか?」
「そうだ。お前たちの存在は、人間を誑かす。そして、それを対等に扱うなど私が赦しても彼らは納得すまい」
「ならその役目から解放してやる。大人しく堕ちとけ!」
リステアの加護を目一杯活用し、モリオンの剣の切れ味は増す。
神というにはあまりに不相応な巨腕の爪が迫る。
半歩踏み込み、半身を逸らし、剣を躍らせる。
空振りした爪をもう一度振り上げた瞬間、爪は地面に落ちる。
「別に理解してもらおうだなんて期待は端からしてない。俺は俺たちの意思を示した上で、あらゆる障害を排撃し、撃滅する」
「なぜ、なぜそこまで……あの世界は、どんなに尊い命でも軽々と散らされる残酷な世界だというのに」
「世の中にはしたいことのために命すら賭けたがるヤツも居るってことだ。救いようのない奴らが」
確かにこの世界、誰かに虐げられることは無いし、そうポンポン死ぬことも無い。
だがそれだけじゃつまらない。刺激もなくて退屈な人生など数年と待たず満足できなくなる。
「俺たちの国をゴミ箱に使ったらいい。他者を食い物にするクズや、他の生き方が出来ず馴染めない奴を投げ捨てれば良い。その代わり、こちらから去るものを追うことも無い」
神から目を逸らさずに、アダマスに問う。
「お前はどうだアダマス。俺たちは攻め込まれさえしなければ何もしない。その上そっちの邪魔者はこっちに棄てられる。俺たちは俺たち、お前たちはお前たちで、理想的な環境で過ごせば良い。どうだ? 誰も不幸にならない素晴らしいシステムになる」
「でも……それは、悪を見過ごすことになる」
「正義感か。まあそれもいいだろう、武力をもって治めるなら歓迎してくれるだろう。こっちの奴等はそういうの好きそうだからな」
「俺は乗ったぜ、親玉さんよぉ!」
よく通る声だった。
未だ幼さは抜けきらないが、なるほど古強者の勇者と渡り合う資質ある若人。
「遅かったなレクス」
悠々と俺の背後から歩き、横を通り過ぎる勇者レクス。
そして、もう一人。
「誰を倒せば良い。私は早くレクスとの戦いを再開したい」
「慌てるなってんだよ。疼くのは分かるが、こいつらが好き勝手してたら俺たちが好き勝手出来なくなるってんだから」
「仕方ない……では、誰から始める?」
「アルス! どうして君がそっちに!?」
驚きを隠せないアダマスを見て、レクスは愉快そうに笑う。
「勇者アルスは死んだぜ? 俺はレクス。超級武錬の覇王レクス・タイラントだ」
「レクス……レクト、これは一体どういうことだ!?」
「どうって、言ったろ。来る者は拒まないって。つまりこういうことさ」
勇者アルスにとって、あの国はとても窮屈だった。
さすがに聖女や他の仲間は誰も付いてこなかったみたいだが。それでもレクスはこっち側に来た。
「アマゾネスとよろしくやってるって話は聞いてたけど、なるほどドゥルガーと組んだのか」
「組んだんじゃねえ。ただの獲物だ」
「そう、狩人と野獣。私が狩り、この生意気な男が狩られる側だ」
「言ってろクソ女。女性主義社会だか男性嫌悪だか知らねぇが、全員まとめて俺の女にしてやる」
「精々猿みたいに鳴いていろ。達磨にした後に家畜の餌として処理しよう」
仲がいいんだか悪いんだか分からないが、まあ上手くやるだろう。こいつらなら。
上手くいかなかったとしても、やりたいようにやった末のことなら本望だろう。
「じゃあレクス、アダマスの相手は頼む」
「頼まれねえよ。俺は勝手にやるだけだ。こいつをやったら次はそっちの白いのを片付けて、次はお前だ」
「物騒だなぁ。まあつまらないよりかマシか」
「……お前、本当にイメージと違うことを言う奴だな。どうでもいいけど」
さて、残念ながらこれでアダマスは切り目だ。
結局、理解や協力を求めたところで、相容れ無い者はとことん相容れないってわけだ。
「いやはや、業が深いことだ。人間って奴は。さて、そろそろ終いの時間だ神様よ」
「……そうか、そこまで死にたがるのか。確かに救いようが無い」
「だろう? だから安心して魔界に引き篭もっててくれ。悪魔達もそう望んでる」
「ダクネシアめ、必ずこの借りは変えさせてもらう。必ず」
「そいつは素敵だ。俺も楽しみにしている」
終局はすぐそこまで近づいている。
俺はそう確信しながら、もう一度、真黒なる水晶の剣を握りなおした。




