五十四柱目 聖典の霹靂
静かな夜だった。
星は喧しいくらい瞬き、夜風は囁くように。
だからこそ、その音は殊更によく響いた。
「おっ……えっ!?」
リステアを起こさないように、咄嗟に自分の口を塞ぐ。
感触と音の在り処を確かめる。黒曜石の鏡を見ると、深い亀裂が走っている。
「レクトよ、聞こえるか」
「ダクネシア……? お前、今どこに居るんだ?」
「天上だ。今、ヤツと殺り合ってる」
「……それで?」
もう詳しく知ろうという気にもならない。
ダクネシアは俺を使えばいいし、俺はこいつの思惑に乗っかればいい。
「次の指示で最後だ。後はお前の好きに生きるが良い」
「分かった。内容は?」
「明日、青天より神を地に落す。お前は人間と悪魔を率いて、神を奈落へと叩き落せ」
「……俺が、神と戦うのか?」
ちょっと待ってくれ。
さすがにきついだろ。さすがに。
魔人間だから人間やそこらの魔物には負けないだろう。
悪魔の類を相手にしても対等以上には渡り合える。魔王を相手取ってもそこそこ、リステアやリムルと組めば必勝するだろう。
「神はダメだろ、神は。ハードル上がりすぎ」
「案ずるな。アレの神としての権能は全てこちらで食っておく」
「お前何者だよ、ほんとに」
「だが、アレの神としての資格をどれだけ喰らおうと、我は神にはなれぬ。我ではアレを完全に滅ぼすことが出来ない」
あんなチート顔負けのチート神でもできないことがあるのか。
妙な話だが、それを俺が考える必要は無い。こいつも俺に出来ると見込んでこうして指示してるんだろうからな。
「俺とリステア、リムルたちだけじゃダメなのか?」
「必ず人間を率いろ。これまでの敵も味方も全て巻き添えにし、神の堕ちた姿を晒せ。そして、トドメはお前が撃て」
「トドメって、最後に落す時か?」
「奈落への穴は我が機を見て穿つ。大いなる奈落の底へ、お前が突き落とすのだ」
なるほど、落せばいいのか。
さすがにダクネシアが倒しきれない相手を俺たちで倒しきれるとは思えない。
だが落すだけならまあ。
「オーライ、分かった。それでいいだろう」
「健闘を祈っている」
「魔神が祈ってどうするよ」
そして黒曜石の鏡は煙を吐き出さなくなった。
亀裂は深い。何が原因かは分からないが、あと少しで砕けてしまいそうなほどだ。
これを見ると、確かに最後っぽい気がしてくる。
「明日で終わりか。その後は……どうしたもんかな」
俺は鏡を闇にしまって、ゆっくりとベッドに横になる。
考えているうちに、うとうと睡魔がやってきて、とりあえず今日のところはそいつに任せることにした。
翌朝、俺は参加者を募った。
正教との決戦と称して触れ込むと、あっという間に多くの傭兵や異教が集った。
誰も彼もが、それぞれの生き方を選び、各々の信ずるもの、欲する物のために戦う意志ある徒にして同胞。
互いに違う物のために生きているからこそ、同じ排他される立場だからこそ。
共に戦わねばならない。そうしなければ、自分の大切なものさえ守れない。
妄想を信じ、幸福を守るために孤立を通した過去を思いながら、砦の上に立つ。
「さて、どうなるものか」
「私の準備は出来ています。いつでもどうぞ」
「私たちも問題ないぜ、相棒」
一人の嫁と六柱の魔が俺の元に集う。
対面にいるのは聖騎士の隊列。そして勇者組がチラホラと。
「喜べレクト。ヤツもいる」
「どっちだよ」
「アルス」
「今まで来なかったことのほうが不思議だ。剣仙がいるから大丈夫だろう」
さすが英雄願望が猛々しい玄人勇者。あいつはドゥルガにさえ押し勝ったことがある。
「アダマスはどうする?」
「一度やられた分をやりかえしたいのは山々だが……もう頼んである」
快晴の空を見上げる。
何か起きそうな気配は無い。
だが昨日のダクネシアの言葉を信じるなら、この青空から神が落ちて……
凄まじい轟音と共に、青空が白く瞬いた。
「うぐっ、耳が! 鼓膜がっ!?」
「ッ、レクト、来ます!」
青空の頂に黒点が現れる。
深い、洞穴の奥底に蠢く闇にも似た黒点は徐々に、その規模を広げて……
何かが流星の如く落ちて、大きな何かが地面へと突き刺さった。
「なんだ、あれ……」
それは大きな人型の何かだった。
とはいえ、純白の大翼は土煙に汚され、巨躯は黒い十字架のような剣で地面に縫い付けられている。
「オオッ、オオオオオオッッ!!」
「なんか叫んでるぞ」
「この私を、よくも下界などに落としてくれたァッ!」
僅かに身を起こし、黄金の髪は怒気のせいか浮かび上がる。
「クッハハハ! そう怒るなアレフ。これから更に零落れるのだ。今からそれでは憤死してしまうぞ?」
「貴様ァッ!」
すげぇ、ダクネシアの傲慢な声が世界に響いている。
そして、恐らく神であろうクソデカ天使は激憤している。
「なんかリムルとブッキーみたいだな」
「はっはっは! だよなぁ!」
「ふざけるな、なんで私があんなデカブツと似てなきゃならんのだ。縊るぞ」
「それはともかく、今回のターゲットはあの天使……というか神だ。あれを全員で袋叩きにするわけだが、とりあえずは正教の侵攻を遠距離支援で食い止めてもらう。その間は俺たち神の体力を削いでいく」
ダクネシアが追い詰めたとはいえ、相手は神だ。
いくらなんでも人間を突撃させたらひどいことになりそうだから、こっちで確認も兼ねて念入りに力を削ぐ。
「ゾルテオ、この内容で各部隊に伝達頼む。あとは各自の判断に任せる」
「統率とか、取らなくていいんですか?」
「はみ出し者を寄せ集めて統率が取れるわけがない。頼んだぞ」
ゾルテオとの通信を終えると、どうやら神が黒曜石の十字架を抜いたらしい。
さっさと行っとくか。
「なあレクト、なんか鼓舞してくれよ。演説みたいな」
「ええ、もう時間ないぞ」
「一応魔王なんだから、少しは仕事しろ」
怠惰な俺に仕事しろとは……まあいい。言葉のアヤなのはわかってる。
んー、それじゃあとりあえず……
「雌伏の時は終わりを告げた。あの黒曜石の十字架と黒の太陽こそが反撃の狼煙。今こそ降魔の雄叫びを上げろ。神の断末魔を響かせろ。天上にふんぞり返ってたあのクソッタレを、二度と光を目に出来ぬ奈落の底へと叩き落せッ!」
「お、おおっ、やれば出来るじゃん!」
「やりたくないから怠惰なんだろ……さて、じゃあ行くか。ゆるりとな」
そいつはまさにゆるりとゆるやかに、脚は軽々と地面を蹴っては大地を踏みしめる。
出勤なんてそうそう気の向くものじゃないはずだった。
それがまさか、こんなに心強く、むしろ浮き足立つような気分で仕事に向かえるなんて、思いもしなかった。
砲撃の轟音は激しく鳴り響く。
しかし俺の歩む先にはたったの一発も落ちたりはしない。
神への道を、ど真ん中突き抜けて通っていく。
中道の終に、それは待ち構えていた。
大きな翼を威嚇するように広げ、砲撃など怖れるに足らないというふうに。
仄かに光を纏い、神々しい姿を俺に見せてくれた。
しかしその表情は般若のものだった。
「神のくせになんて顔をしてるんだ。もっと慈悲深い笑みで信者を迎えてやるべきなんじゃないか?」
「汝が……汝は何者ぞ。なぜ黒の太陽に味方するッ! 再び世を混沌に陥れるつもりかァッ!」
「まあ、キレるか。無理も無い」
光り輝く翼が一枚ずつ、ゆっくりと開いていく。
「この世界の生き物ではないな。どうやって紛れ……」
「そうとも、俺はダクネシアに別の世界から連れてこられた」
「連れてこられた……あの禍神め。そんな力まであったのか」
「さてな。っと、時間がない。さっさとその力、削がせてもらう」
「待て人間、汝は騙されているッ!」
踏み出そうとした足を止めてくれるな。興が冷めてしまう。
せっかく怠惰な俺が珍しくもやる気を出しているというのに。
「黒の太陽は劣悪にして野蛮な悪魔ぞ。何の罪も無い人間を力と弱肉強食の名の下に犠牲にし、人身御供を強制する怖ろしい蛮神ぞ。より栄光を誇るお前こそ、絶好の供物にされるのだぞ」
「あー、そいつはもう無くなった」
「そう思わせて、汝も殺されるぞ。その隣に居る女も、誰も彼も……」
いや、まさか。
ヤツは俺に全てを任せた。人間と友好を築くためなら、人身御供すら要らないと。
だが、それが嘘で無いと証明することが出来ないのも、また事実だ。
可能性は拭えない。あの時はリステアと再会するために否が応もなかったが、今こうして言われてみるとそれもありえそうな話だ。
「気付いたか。あれは魔神の名に相応しい存在。それに比べ、私を見よ、この世を見よ。人身御供を廃止し、未だに他者を不幸にする邪教を排し、人を正しく導くために善悪を定め、道理を示した」
そういえば、正教にはそういう惨たらしい儀式はなかったな。
「この世界は正しく回る。誰も救いがたい悲劇に身を任せる必要は無いのだ」
「お、おいレクト! 今更あんな言葉に誑かされるなよ!」
「案ずることは無い人の子よ。お前は魔が混じっているようだが、その傍らに居るのは聖女だろう。その聖女の力があれば、汝の魔を払い清め、改宗も叶うだろう」
「改宗……?」
「レクト、私はそんなことを望んでいません」
もしダクネシアが最終的に俺たちを供物にするとすれば、それを回避する手段は一つしかない。
「さあ、迷える子羊よ。私の手を取れ。共に罪業の源を再び冥府へ封じ、英雄とならん」
そうだ。アイツとは契約を交わしていない。
ダクネシアは、俺とリステアの命を奪わないという約束はしていない。
人間と友好を築いても、俺たちが安全である保証は無い。
成り行きのまま、信頼しきっていた。油断しきっていた。
俺はリステアのために、ここで手を取るべきなのか。
あの慈悲深い笑みでこちらを見下ろす神の御手を。
……なんてことを考えると思ったか。
「悪いがその提案には乗れない」
「後悔するぞ。必ず後悔する。私ですらアレを落せるのは稀だ。抗うならここしかないぞ」
そう、なのかもしれない。
神々の常連トップ。偶然、この神が勝てたというだけのこと。いや、きっとすごい努力と計画の上に成し遂げたのかもしれないが。
「黒の太陽を信頼しているとでもいうのか?」
「なわけない。あんな胡散臭い魔神、信頼しろと言う方が無理だ。が、俺はもう信頼できる仲間を得た。それだけだ」
「そうか……しかしその行いは美しいが正しくない。混沌の闇をもたらし、秩序を乱し義に背く行為だ」
「んなもん、そっちが勝手に決めただけのルールだろ? 押し付けられるこっちの身にもなってほしいね」
「愚かなッ!」
慈悲の笑みは憤怒の形相に塗り変わる。
翼はとうとう六枚に達し、下段は無数の触手に、上段は悪魔の翼にも似た形状の手腕となる。
「散りたまえ、混沌をもたらす者よ。この美しい世界を穢す者よ」
「さっきから義だの秩序だの美しい世界だの……妄言もいい加減にしろよ」
「なに?」
「一応、この世界でそこそこ旅をしてきたが、お前が言うほど上等な世界じゃなかったぞ? お前は何を考えてこんなろくでもない世界を創ったんだ?」
そう問いを投げた瞬間、触手は音速を超えて迫り、悪魔のような腕が振り下ろされた。
その衝撃は凄まじかった。
思わず耳を塞いでしまうほどの轟音と、地に着いた足が浮かび上がるほどの衝撃。
だが、それをもってしても、本魔王の結界は破られない。
「流石だなブッキー、本魔王は顕在か」
「憤怒の罪業、ここに顕現した。我はブッキング・ブッカーブックス。魔本を統べる魔窟の司書、本主。契約に従い、お前に魔王の叡智を授けてやろう」
目に見えるほどの魔力が凝固した結界。
だが、流石に細かい傷が目に見える。
「小癪な……その程度の魔法で我が身を遮れると思うてか」
「ボーン、クロ。出番だ」
「薄葉陰弄。陰菌蛇虫。蠢く影に包まれて震えるは深淵のごとき夜闇……ダークネスシェイド」
それはあまりにくっきりとした濃すぎるほどの陰そのものだった。
濃密な黒が神の頭部を丸ごと包み、視界を封じる。
「グゥルゥアアアア!!」
「雄叫びが獣すぎる……クロ!」
「大丈夫っすよ番長」
高く飛翔したクロは二丁のボウガンを構える。
「強欲の羽毛をもって、強かなる羽ばたき、無限なる飛翔は、魔矢!」
力強い風切る音、二つの矢が隼のように急降下し、神の肉体をぶち抜く。
が、矢は地面に突き刺さる前にくるりと反転して再び肉体をぶち抜く。
「はぁ、なるほど魔矢か。これは俺も負けてられないな」
「相棒、魔力はこれでオッケェだぜ」
「レクト、こちらの神通力も込めました。どうぞ」
両手に持つ黒水晶の剣。
柄を握るこの手に、左右から手を重ねる相棒とリステア。
今このモリオンには、俺の魔力とよく馴染む聖女の力、そして馬鹿みたいな量のリムルの魔力が充填されている。
「神だろうがなんだろうが、俺の愛欲は止められない。神の慈愛で満たせるのなら、受け止めて見せろ!」
光は奪われる。
全てを照らす光とは逆に、あらゆるものを遮り、色彩も光彩も喰らいつくす。
周囲の景色すら飲み込む闇を纏う剣身、その切っ先を巨神に向ける。
「暴食の如く平らげな、喰らえファッキンゴッド」
「私の愛しの婿。底無しの愛欲を満たしましょう」
「我が心よ魔を湧かせ、我が力よ魔を掴め。最愛なる神気と親愛なる魔力を束ね、天壌無窮の闇黒をもたらす……其の名は、ダアルクスト」
剣から発せられるは極光ならぬ闇極。
その凄まじい威力はあっという間に神の胸のど真ん中に大きな風穴を開けた。
それはあまりの呆気なさに驚いてしまうくらいに。
「……ふぅ」
いやまさかこれで終わりのはずはない。
そう思って再び構えなおすが、神は苦しみの声を上げながら溶けていく。
「って、ちょっと待て。なんで溶ける」
「構うこたねーよ! このまま一気に攻め堕としちまおうぜ相棒!」
「待ってください。ここは慎重に動くべきかと。少し様子を見ましょうレクト」
真っ向から対立する意見に板ばさみになりながらも、俺は第三の選択肢を選ぶ。
「いや、一つ目の目標は達成した。ここは退く」
「えっ、嘘だろおい! ここが攻め時なんじゃないのか?」
「アイツの話どおりなら、俺たちだけではダメだ。もっと大勢を巻き込む必要がある。それに、そろそろ来客の時間だ」
ふと見ると、神の後方から何かが姿を現す。
白銀の剣身、黄金と青い宝玉の装飾。そして赤銅の鎧に青銅の盾で身を固めた勇者。
彼の名はアダマス・アレクサンド
「ようこそ、魔境へ。歓迎はしないがゆっくりしていくといい」
「レクト……君は悪魔に操られているのかい?」
問いかけるその目は、既に分かりきってるようだ。
既に俺を敵として見做している。さすが見る目は誰よりあると評判の勇者だ。
「だがまあ、操られているという言い方も間違いではないが。俺は取引に応じただけだ」
「取引……?」
「いやまあ、それはこっちの話だ」
まあ向こうからしたら俺がなんと言おうと、俺は悪魔に魂を売った堕落の権化にしか見えないだろう。
そういう意味では、俺が無罪を主張するのは無意味だ。
だが、やるべきことは他にある。
「アダマス、お前は何のために戦うんだ?」
「……人類の敵、人間の害悪、人を誑かし、惑わせ、道を外させる悪魔を滅ぼすためだよ」
予想通りの答えだ。なんの捻りも無いな。
「酷い印象操作だ! 私たちはそんなことしねーよ!」
「そっちの子は……」
「これがお前たちの言う悪魔ってやつだ。本物だぞ」
「おっす。私が悪魔、小悪魔のリムルだ。よろしくなー」
気さくな挨拶でリムルは健全アピールをかましていく。
「本物の悪魔……じゃあ、君は本当に悪魔と……一体なにが目的なんだ!?」
「俺の目的はもう終わった。あとは悪魔の要求どおり、人間と悪魔の友好を築いておしまいだ」
「な、なんだって?」
人間と悪魔の友好を悪魔が望んでいる。
俺だって最初は耳を疑った。
ましてや正教側の勇者がそんな話を聞かされて驚かないわけがない。
ちなみに神は溶けすぎてそろそろスライム状になり始めてる。
「そんなことをしたら、多くの人間が悪魔に誑かされてしまう!」
「だから誤解だっての! お前たち人間が知ってる悪魔の知識は全部……コイツの捏造だ!」
リムルはホワイトスライム一歩手前の神に指を指して怒鳴る。
「嘘だ。悪魔の言葉になんか騙されないよ」
「嘘じゃない! 私たちは元々悪魔じゃなかった! コイツがダクネシアを神の座から引き摺り下ろして神になって、自分以外の神や妖精たちを、悪魔や魔物として貶めたんだぞ!」
「じゃあ、リムル。君達悪魔は、本当に人間と友好を築こうと……でも、何のために? 君たちはかつて人間に敵対したじゃないか」
「そ、それは……説明すると長くなるんだよ。とにかく今はコイツを神の座からおろさないといけねぇ。アダマス? も手伝ってくれよ!」
リムルは必死に説得を試みるが、アダマスは頷かずに剣をこちらに向ける。
「君が嘘を言っているようには見えない。もしかしたら僕達の知らない真相があるのかもしれない。でも僕は勇者だ。僕は正教の人々と、神の尊厳を守るために戦う。君たちは敵だけど、大人しく投降するというなら危害は加えない。レクト」
「まあ、こうなるだろうな。人間は話を聞かないからな」
「レクト!」
俺は剣を闇へとしまい、リムルの手を引く。
「お、おいレクト!」
「ひとまず退け。お前だってあの剣がヤバそうなことくらいとっくに分かってるだろ?」
「ぐぬぬぅ…」
「残念だけどレクト、もう逃げ場は無いよ」
次の瞬間、周囲に青銅色の結界が張り巡らされた。
ドーム状の結界は、どうやらアダマスの盾の効果によるものらしく、神聖な力が肌にピリピリと伝わってくる。
恐らく、ちょっとやそっとじゃ破れないだろう。
「……なあアダマス。ぶっちゃけた話だけどな、俺たちは悪魔だの人間だのなんてどうでもいいんだよ」
怪訝な表情だが、まだ俺の話を聞こうとはしてくれるらしい。優しいやつだな。
「俺はこの世界に来て、最愛の嫁と親愛に足る仲間を得ることが出来た。俺としてはもう十分だ。これ以上に俺が何かする必要なんて、本当は無いからさっさとお暇して田舎でひっそり静かに暮らしたい。出来れば俺たちだけでも見逃してくれないか?」
「ダメだ。君達には拘束されてもらう。今ここで逃げても、きっと過激派の刺客が君達を襲うだろう。なら今ここで僕と一緒に来て、エリザベスの元へと行こう。その悪魔達をここに置いて、リステアと一緒に来ればいい」
アダマスの提案は、向こうの立場からして限り無く慈悲があって、優しい提案だ。
少し前までの俺なら、それも悪くないかと揺らいでいただろう。
だが、もうそんなことで迷いはしない。
「残念だアダマス。なら、お前は惨酷なこの世の真実を見てもらう」
「何を言って……!?」
即座にアダマスは背後の気配に気付いて、前転して距離を取った。
土煙を上げながら振り返ると、そこにいるのは一人の少年。
黒衣に身を包み、漆黒の刀を携え、闇黒の鎧に身を包む。
「そいつ、何者だと思う? 元勇者志願者で誰よりも努力してたのに結果を出せず、誰にも理解されず人生を棒に振りかけてた子供だ」
「勇者志願者……? それが、どうしてそっちの味方を?」
「アダマスさんですよね。僕、あなたに憧れてて、勇者になりたくて頑張ってたんです。でも僕は体が弱くて……」
闇黒騎士は刀を構えて、大上段。
気付いた時には振りぬかれ、風圧が周囲に広がる。
「いじめも酷くて、もうダメって時に死傷に、レクトさんに出会ったんです。あの人から貰ったのは、どれだけ努力してもへこたれない頑丈な体。代償は、闇黒騎士として働くこと」
「君は、勇者になりたかったんじゃなかったのかい?」
アダマスの問いを闇黒騎士は鼻で笑う。
「僕の戦う理由は、この体をくれたレクトへの恩返し。そして闇の勇者として、務めを果たすため!」
鎧を身につけて尚、力強く軽々と動く小柄な体が飛び出す。
その勢い乗った横薙ぎ払いが繰り出され、アダマスの首を確実に捉える。
が、アダマスの首は落ちることなく、代わりに体が後ろに吹っ飛び転がる。
「おお、ギリギリで防いだか。だが現役の勇者に土をつけるとは、さすがだな」
「は、はい! これもレクトさんのおかげです!」
「くぅ、なんて力……」
聖女無しとはいえ、素の力で勇者を圧倒できるなら戦力としては申しぶんない。
「って、お前エリザどこやったんだよ」
「エリザは、女王として軍の指揮を取っている。僕は君を追いかけて一人出来たんだ」
「なんでわざわざそんなことを……」
「そんなの決まってる。僕たちは友達だろう?」
友達? ああ、そういえばそんなことも言ってたな。
だが、もはや敵となってしまった。それはもうどうにもならない。
「友達というなら矛を収めてくれないか。勇者様」
「それは……」
「分かっているはずだ。単身乗り込んだお前に勝ち目がないことくらい」
いかに大仰な装備で身を固めても、限度と言うものはある。
「それでもなお戦おうとするのは、誰の意思だ? お前か、それともお前に対する人々の意思か?」
「何度でも言う、僕は勇者だ。勇者としてやるべきことをやるまでだ」
「そのためなら何の罪も無い弱者に苦を強いると? 悪魔に着せられた濡れ衣を見て見ぬ振りをすると? そいつは勇者らしくない外道の所業だな?」
「……君は、僕に何を望んでいるんだ?」
エリザとアダマス。人々の信頼を一身に受けるこいつらが悪魔側に付けば、愚衆も流されることだろう。
「人間として悪魔の手を取れ、アダマス。そうすれば人と悪魔はお前たちにとって悪魔ではなくなる」
「僕に、勇者を辞めろと?」
「闇黒騎士は……雅義は悪魔との取引で幸福を得た。悪魔は神が与えない不平の埋め合わせをするだけだ。それを許さないということは、正義のために弱者を犠牲にするということ。それを良しとするなら背を向けて立ち去るがいい」
別にアダマスがどっちを選ぼうと問題は無いが、さてどうなるか。
悪魔の取引によって、無力な者が幸福を得られるという事実。
それを摘まねばならない勇者としての役割。
「どっちがいい?」
面白みも無い人間ならば、悪魔とて微笑まない。
人間の勇者に友好を築く価値があるかどうか、見定めるとしよう。




