四十七柱目 社畜とニート
館に戻ると、ちょうど昼食の準備が整ったところだった。
台所に立つシスターは、なんとも様になっている。
良いお嫁さんになるだろう。その横顔から新妻の色気が感じられる。
「あっ、レクト様。お帰りなさい。いま昼食の支度が出来たところです。いかがですか?」
「ただいま。ありがたく頂こう」
そして食堂で再びテーブルを囲うことになった。
が、昨夜より人が増えていた。
上座にドラグヌス、下座にシスターは変わらず。
館を出るときにすれ違った、死相が浮かんでる男が一人、俺の向かいに座っていた。
名前は山田太郎。とある企業の会社員だという。
本当になんか、あれだな。死にそうな顔をしてる。
俺も前世で短い期間だが、ブラック企業に勤めたことはある。あの頃の俺もあんな顔をしていたのだろうか。
あと俺の左側に座っているのは、やたらとイケメンな男だった。
名前はアラン。彼はいわゆる遊び人で、女性をヒモにして様々なものを買ってもらったり、飯を奢ってもらったり、肉欲を貪る関係を築いているらしい。
魔界側の住民からしてみれば、至極普通で、しかし模範的な生活といえよう。
逆に山田太郎の生活は悪魔的に見て全然ダメだ。リムルたちもそう言ってる。
「昨日まで三日間仕事場で泊り込みだったんですよ。それで今日は久々の休日で、明日からまた仕事です。まあ今月は100時間残業せずに済みそうで助かりますよ」
そして何より話題が鬱陶しい。
こういうことをやたら喜々として語る奴のことを、俺は社畜と呼んでいる。
詳しいことは忘れたが、奴隷は自分の鎖を自慢するらしい。これはつまりそれだ。
社畜自慢の話ほど、どうでもいいことはない。なにせ俺は社畜でもなければ労働礼賛者でもない。
だから俺が彼にかける言葉はこれくらいしかない。
「凄いな。それで、いつ退職するん?」
が、それでも太郎は快活に答えた。
「いやぁ、しばらくは無理ですねぇ。転職活動する時間もありませんから」
なるほどこいつは筋金入りの畜生ってわけだ。
見てるだけで不快だ。いっそ消し飛ばしてやりたい。そうすればこいつも辛い労働をしなくてよくなる。
「相変わらずだなぁおっさん。そんなに働いて、さぞ懐は暖かいんだろう?」
「はは、それがそうでもないんだ。ほとんどサービス残業みたいなもんだし。君みたいに女性に集って自分のものを買わせたりしないからね。君こそどうなんだい? そろそろ三股がバレた頃かな?」
「ハズレ。三股は六股になった。あともうワンセットで九人だから、九人目は傾国の美女がいいな」
おいおいおい、待て待て待てよ。なんだこのトークは、嫌味というか皮肉と言うか、とにかく穏やかに見えて全然そうじゃない会話だぞ。
これじゃ花園 凜が自室で飯を食いたがるのも分かる。
こんなぎすぎすした空間で食ったら味なんて分からないわ。
肝心のシスターも黙々と食ってるだけだ。この空間に、救いなんてものは無い。
「喧しい。黙って食え」
ドラグヌスの一声によって、会話という名の故意的死球合戦が唐突に幕を下ろす。
なるほど、これは酷い有様だ。
「そういえばシスター。これでもまだ人数が足りない」
「ああ、あと三人ですね。銭形さんと鬼怒川さんと七福さん」
資料によると、銭形はフリーター、鬼怒川は鬼人の用心棒。七福は破産した元経営者の無職らしい。
まあ見るからに悲惨だな。ここにいるのは比較的勝ち組と言える。
社畜は社畜とはいえ正社員だし、ヒモは非モテが羨むモテ男だ。
凜も親の遺産を相続して働く必要が無いようだし。
「にしてもまったく、あのニートはまだなにもしないのか」
「俺は別に働く必要が無いならそれで良いと想うけどなぁ?」
「まったく最近のやつらは……社会人ならきちんと働いて社会に奉仕するのが当然だろうに」
「俺は女性に奉仕してるからセーフ」
「……まあアイツよりはマシか。ずっと引き篭もってる真性の社会不適合者だからな」
これは、恐らく凜のことか。
凜の怠惰さを俺は高く評価している。まるで前世の頃の俺だ。
強いて言えばもっと堂々としていて良いと思っていたのだが、こいつらが居てはそれも難しかろう。
「勇者様からもビシッと言っていただけませんか。淫らな男に傲慢なデカブツ、すぐに暴力に訴える鬼に怠け者の子供、意識の低いフリーターと落ちぶれた元経営者にも」
「そうだな。じゃあ人を過酷な労働環境に引き込もうとする非道な社畜にも一言言わせて貰うかな」
太郎の顔が凍りつく。なんと滑稽で愉快なものか。
「お前がどれだけ社畜という立場に誇りを抱いているのか知らないが、人をこきおろすほど上等にゃ見えないな」
「なっ、あっ……」
「耐えて、堪えて、我慢して。だから自分は偉い、他の愚か者とは違う。そう思うのは傲慢だが悪くはない。ただな、それを振りかざす以上は相応の覚悟をしてもらわないとな」
魔界において調子に乗って良いのは強い奴だけだ。
強いからこそ価値がある。強いからこそ権利がある。
どれほどの大欲も、力なくして大罪には至らない。力なき傲慢や嫉妬など許されない。
「ゆ、勇者までそんな弱者に対して惨いことを」
「何が弱者だ。虐げられているわけでもないだろう?」
「わ、私だって好きで働いているわけじゃない! あんなブラック企業に好き好んで入る奴なんているもんか。さっさと取り締まってくれれば、こんな苦しい生活をする必要はなかった!」
まあギリギリ赤点を免れるくらいかな。
だが、本番はここからだ。
「他者をアテにする他力本願は怠惰だが、それでもお前は抗うことなく甘んじているじゃないか。立派に飼い慣らされて」
「だってしょうがないじゃないか! そうしなければ生活できない! 老後への貯えだってしなきゃいけない。娯楽だって欲しい! 親が死んだだけで遺産が貰えるなら、俺だってそれがいい!」
「そらそうだろう。俺だってそれがいい」
「でもそうじゃない! 現実はそうじゃないから、働くしかないじゃないか!」
そうするしかない。それは別に怠惰ではなく、むしろ挫かれた強欲に近い。
それに言い訳を重ね続けて、諦観と妥協を通り越し、それが異常ではないとまで刷り込まれた、哀れな被害者。
人間が織り成す負の引力、拡がり続ける亡者の怨嗟。生きながらにして死する者たち。
「つまらない奴だな。譲れないもの一つないのか」
「大人はそうやって生きていくものでしょう!? あんた達みたいに力があるわけじゃないんだ!」
「そうかい。それなら好きにすれば良いさ、お前は自由だ。だが自由なのは俺も同じ、お前のような奴を助けてやろうとは思わん」
「あ、あんたは、本当に聖職者か……!?」
俺は太郎の問いに答える前に、皿に残ったピラフを食べ終え 手を合わせてから席を立つ。
「神様だってお前なんか救いやしないさ。畜生の神様でも探しておくんだな。邪教だろうけど」
リステアも席を立ったので、俺は自室へと向かう。
太郎の悲痛そうな唸りが聞こえたのは、俺が廊下の階段を昇り始める頃だった。
二階に上がりきったころ、リステアは静かに口を開いた。
「レクト、怒っていますか?」
「今更、人間に期待なんてしてないさ。俺が救えるのは意思ある者だけだ。堕ちた社畜を救うすべは無い。そも、奴に救いは必要ない」
現状、過酷な労働を強いられている彼は、他者を見下して優越感に浸ることで発散できている。
ならそれで十分だ。不満は絶える事が無いだろうが、太郎は充足している。
俺がやるべきは、未だに反抗の機会を窺っている者。そうあれかしと願望を抱き続け、大欲の理想を捨てていない野心と闘志に溢れる者だ。
俺が力を与えるのは、そういう奴だけだ。
「ではドラグヌス?」
「あれはもう十分力を持ってるし、更に力を与えたところでやることはたぶん変わらない。アレに用意するべきは機会かもな」
その機会が訪れる前に、こちら側に引き入れたいというのは確かだが。
まあ、あれは直接屈服させればすぐに加わってくれそうだ。
「そうだな、いま一番期待できそうなのは……」
ふと立ち止まって視線を左に向ける。
そこは花園凜の部屋。既に食事は終えたらしく、扉の前には米粒一つ無い皿が置かれている。
なかなか綺麗に食うもんだな。
「リステア、ちょっと待ってて」
「はい」
俺は凜の部屋の扉を軽くノックする。
「レクトだ。食後のティータイムと洒落込むんだが、一緒に飲まないか?」
「い、今ちょっと手が離せないので」
「そうか、ならまた今度誘うとしよう」
軽く声をかける程度にとどめて、俺は自室へと戻る。
「あっさり諦めましたね」
「しつこく誘っても怯えさせるだけだ。俺がそうだからな」
宗教の勧誘とか、田舎の自治会や消防団とか、しつこい存在は単純に恐怖でしかない。
ああいうのはもっと気楽に、気軽に声をかけ続けるほうがいい。そのうち一回くらいは、と気まぐれで参加することもある。
「まずは優雅に紅茶をたしなみながら、機を待つのさ」
「なるほど」
そして、俺は夕暮れまで室内にこもりきりになった。
窓の外から見える空はすっかり橙色に染まり、オーシャンブルーも火の海のように変貌している。
「綺麗な夕日だな。でもリステアのほうがもっと綺麗だ」
「根に持ってるんですね」
くっ、苦笑も可愛いなリステアめ……許せるッ!
だが、そんな穏やかなやり取りを邪魔する存在がようやく現れた。
廊下のほうから聞こえるけたたましい怒鳴り声。
お昼頃に聞いた死相の出た男の声だ。
「やっとか。じゃあ……」
まずは耳を済ませる。
いきなり現場に飛び込むのでは、状況をややこしくするだけだ。
まずは耳を澄まして内容を把握する。
「まだ働く年齢ではないにしろ、学校にも行かないとはどういうことだ! せめてシスターの手伝いをするべきだろう!」
やたら聞こえる太郎の怒声。
だがそれに対して反論するような声は聞こえない。
間違いない、凜だ。
凜の性格上、言い返したり憤怒を露にしたりはできないだろう。
だがまあ、内容は大体分かった。
俺は扉を開けて自室を出る。
凜の部屋の前で二つの人影が立っている。
「確かに両親を事故で失って……でもあれから結構経つだろう。そろそろ自分で立ち直る努力をするべきなんじゃないか!?」
「あ、あの、分かりました。その、私いま急いでて……」
「ニートの分際で急ぐだぁっ!?」
「ひっ……」
なんてこった、ニート狩りだ。
現代社会でストレスを溜めまくった社畜が、憤怒の感情赴くままに怒鳴り散らすことで鬱憤を解消しようというえげつない所業だ。
「ニートに嫉妬でもしてるのか。社畜太郎」
「誰が社畜太郎……って、貴方はっ!?」
「人の怠惰を正す暇があったら、自分の勤め先の労働環境に抗議した方がいいと思うぞ」
「だ、ぐっ……」
それが出来ればとっくにしている、と言いたいところだろうが、そんなのは負け犬の遠吠えにしかならないのを理解しているのだろう。
顔を真っ赤にしながら、何も言えないようだ。
「くすっ」
「ッ!?」
ぐうの音も出ない太郎を見て気分がよくなったのか、少女の口から微かな笑いが漏れる。
「なぁ太郎。俺はどうやらアスペらしい。昼食の時にお前に伝えたかったことが伝わってないみたいだから、もう一度言う。今度はストレートにだ」
「わ、私はちゃんと働いている。私が責められるいわれは……」
「働いてないからって責められる理由はねえよ。どんだけ傲慢なんだよ」
「くっ……」
目を据えて、太郎の眼を直視する。
そこに微かな殺意を込めて。
「いいか畜生、よく聞けよ? お前がどんな主義をもって生きようが構いやしない。だが次に俺の前でその見苦しい傲慢や憤怒、嫉妬その他諸々を振りかざしたなら……」
「すっ、すみませんでしたァ!」
蹴り飛ばされた犬のように去っていく太郎を見送る。
いかんいかん、つい熱くなってしまった。
まあでも構わないよな。あの言動は俺にも刺さることだ。
ふと見ると、顔を真っ赤にした凜がこちらに頭を下げていた。
「あ、あの、ありがとうございました」
「ああ、俺が好きでやったことだから別に……」
「すいません、急いでるんでお、お礼は後で!」
どうやら本当に急いでいたらしく、凜は内股気味の妙な歩き方で廊下の角に消えた。
あの様子だとまあ、恐らくトイレだろう。
さて、その効果がいかほどかと言うと、凜は俺に出くわすと会釈をするくらいにはなった。
最初はすれ違っても目を合わせず、足早に去っていってしまうほどだったのに。
そしてふと彼女の部屋の扉が開閉する時に、ちらりと見えたものがある。
ぶっちゃけて言えばアニメのポスターだ。マジカライザー・神無月。どうやらネットで流行っているアニメらしいので、ネカフェに行って全話視聴した。
割と面白かったのでこれで攻めていくことにした。
とりあえずにわかなので軽くキーホルダーをさりげなく廊下に落しておく。
するとそれを見つけた凜はすぐさま気付き拾い上げる。
部屋にポスター飾るくらい好きなアニメのキーホルダーだ。気にならないわけが無い。
そこで俺が彼女に声をかける。
「あっ、凜。このあたりでキーホルダーを見なかったか? アニメキャラの」
「えっ、それってもしかして……」
「んっ? ああ、それそれ! 拾ってくれたのか。助かった」
「こ、ここっ、これ、レクトさんの、なんですか?」
おお、いい食いつきっぷりだ。
さて、どうする。引くか、押すか、巻くか揺さぶるか。
「ああ、最近知ってな。面白かったもんだから。何か礼をしないといけないな」
「あ、いや、お礼なんて……」
「そうだ。リステアがいい茶葉を買って来たらしい。どうだこの後、凜がよければ」
と、そんな流れでお茶会に誘うことに成功した。
アニメという共通の話題、無口で臆病だった少女の口は軽やかさを通り越して機関銃のよう。
それはもう、あっという間に距離感を縮め、部屋にも入れてもらえるようになった。
「すごいな、これは」
「お金にはよゆうがありますから、たぶんこの国でネット環境が整ってるのはここくらいですよ」
「なるほど。にしてもフィギュアが多いな。これ埃とか積もらないの?」
「好きなもののためならなんだって出来るんで!」
やっぱりそういうタイプか。
凜はいい子だったのだ。それは資料に載っていた。
そもそも引き篭もりを始めたのは両親を失ってからだ。
金ならあるから働く必要もなく、ただ好きなことのためだけに頑張る人生。
うわ、羨ましい。社畜が嫉妬するのも仕方ない。
「ネットにはもっと面白いものがたくさんあるんですよ。例えば……」
凜は点けっぱなしのパソコンの前の椅子に飛び込む。
ああ、初めて友人を連れ込んで、色々と共有したいのだろう。
楽しい時間を共有できればこそ、それは友と呼ぶに相応しく。
楽しい時間だった。
見覚えのある絵、まったく新しい動画。似たり、寄らなんだり。
だが、そんな時間は唐突に断ち切られた。
「あっ、私ですね、実はネットで創作活動を……」
プツン、と画面が暗くなり、うんともすんとも言わなくなった。
「あ、れ?」
「あぁ……」
そりゃそうだ。俺だってそうなる。
今の凜は、全身から汗が噴きだして、心臓の体の中に響いていることだろう。
「まあ落ち着け、慌てたって心労が溜まるだけだ。こういう時は現状の確認……」
天井の照明も一緒に消えている。停電? まあ、ここにも一応は電気が通ってるらしい。
まあ、想像は付く。地味だがえぐい嫌がらせだな。
いや、だがこれはこれで。
「そういえば、お前はあの社畜と不仲だったな」
「私と仲良く出来る人なんていませんよ。あっ、すいません。レクトさんは別で」
「こんなときに話すことでもないと思うんだが、社畜の話も一理ある。一生遊んで暮らせる金があろうと、何かしらの理由で労働を続けようとする人間はいるらしい」
「えっ……」
「ちょっと回りくどいか。俺が聞きたいのは、どうしてお前が今のお前になったか。お前が何を望んだのかだ」
せっかくの楽しい時間だったが、この際だ。今聞いてしまっていいだろう。
「どうか教えて欲しい、いい子だった凜が悪い子になった訳を」
「わ、私は……そ、そんなの、しょうがないじゃないですか!」
張り詰めていたものが弾け、凜は絶叫する。
「ち、父も母も死んで、私一人ぼっちなんですよ!? それなのに、なんでこれ以上辛い思いしないといけないんですか!? なんですか社会復帰って、あんな奴隷みたいに働くのがそんなに大事なんですか!?」
発狂にも近い勢いだ。
だがまあ仕方ない。溜め込んでいたものが吐き出されれば、大欲が見えてくる。
「お、お金だっていっぱいあるんです! 贅沢だってそんなにしてないし……でもみんな私のことを怠け者っていじめるんです、怠惰だって。友達だと思ってた子たちは私にお金を使わせようとするし、もう何も信じられないんですよ!」
「金?」
「お、親の遺産を相続したって噂が広まって、私に色々奢らせようとするんです。でも、あれは……あれは私のです! 私が、親を失った代わりに貰ったものです! そしたらみんな……」
「災難だな」
親が死んで遺産が転がり込んだら、勝手に周りが醜悪さを露呈し始めた。
そりゃ人間不信の一歩手前にもなる。
その上、保護された施設で社畜に罵られるなんてあまりに救われない。
「もしお前が本当に不労とささやかな幸せを送る生活を平穏に送りたいというなら、俺のところに来るか?」
「えっ……?」
さっきまでの勢いが嘘のように、凜はきょとんとする。
「それってどういう……」
「お前がのびのびと生活できる場所だ。怠惰に文句をつけられることもなく、いきなり電気を断ち切られる心配の無い場所を作る予定だ。そんな楽園に行けるチケットを配っている。その代わり……」
怠惰で通じる仲間。
俺は今日、無力な一人の少女を仲間に加えることが出来た。




