四十五柱目 純潔の誓い・淫蕩の誓い
夢の中で、俺は自分の意思とは関係なく、自分の妄想に囚われてしまった。
これが現実なのか、妄想なのか、もう区別は付かない。
このまま狂人と成り果てるなら、それもまあ幸福な末路なのだろうか……。
「勝手に連れこんでしまって申し訳ないが、その妙な語りをやめてくれ」
「で、何の用だよブッキー。この辺りの本屋さんに行きたいのか?」
ここは俺の夢の中、そして魔界で魔法の練習をしたブッキーの本の中にきわめて酷似している場所。
つまり、ブッキーの固有空間だ。
広く、天井は低めの空間には所狭しと本棚が置かれ、僅かに残ったスペースに読書用の机と椅子が存在する。
机の上で橙色の暖かな照明が仄かに闇を、そして向かいに座るブッキーを照らす。
「単刀直入に聞こう。お前、リムルとヤったな?」
「……いや」
人は嘘をつく時、目を逸らすという。どっちにだったか忘れたが、恐らく今俺が逸らした方向だろう。
「目が泳いでて向きを気にする必要も無いわ」
「なんだ。傲慢に押し切られた俺をなじりたいのかクソッタレ。そうだよ。妄想嫁一筋すら簡単に揺らぐ節操の無い男だよ俺は」
「まあ待て落ち着け。一旦私の話を聞け」
テーブルに置かれた紅茶を一気に飲み干し、それでも乾く口の中に苛立ちながらブッキーを見据える。
「確かにお前をなじるのも面白そうだが、今回は私にとって都合が良いのでそれは控えることにする」
「じゃあ何の用だ」
「……私ともしろ」
ふと、自分の思考が止まっていたことに気付いた。
ブッキーは珍しく本から目を離して俺の方を見ている。
「どういうつもりだ」
「難しく考えるな。私を性欲の処理に使ってよい。それだけの話だ」
「それだけではすまないだろう……」
「本妻に許可まで貰って、既に一人に手を出した。あと何人手にかけようが同じことだろう?」
「なんでお前が申し出る必要がある。俺がお前を日頃いやらしい目で見ていたとかなら分かるが」
今度はブッキーが沈黙した。
僅かな静寂が何時間にも感じられる。
ふと、ブッキーは口を開いた。
「リムルの夢を叶えてくれた、その礼をしたい」
それは全てリステアのためにやったことだ。
リステアと再会するために必要なことだったから、契約した。それだけのこと。
「それに、お前には魅力がある。私もお前を気に入っているということだ」
一気にストレートになったな、求愛が。
「あとリムルが最近こちらを優越感に浸った目で見てくるのがいい加減鬱陶しい」
「もしかしてそれが本音……」
「なに、私は本魔王ブッキング・ブッカーブックス。魔界四十八手の表裏くらい網羅している。任せろ」
ブッキーは立ち上がると、俺の方へと歩み寄り、あっという間に吐息のかかる距離まで迫る。
「それとも、私のような貧相な体では欲情できないか」
「いいや、俺はロリ体型も好みだ」
「それは良かった」
「ただ、リムルは自分の体を成長させられるから一粒で二度美味しかった」
「あの淫魔が……」
リムルは元々淫魔だ。だから体の成熟度はある程度、転換無しでも融通が利く。
小悪魔スマイルを浮かべる犯罪的ロリ体型から、妖艶な色香を漂わせる豊満に熟れた女体まで。
「さすがに淫魔相手では不利か」
「フェチシアが不憫になるくらいだった」
しかもリムルは割とSの気がある。フェチシアよりも攻めが上手いのだ。
フェチシアはどちらかというと誘い受けタイプだから。
俺は誘い受け系のお姉さんタイプ嫌いじゃないというかむしろ好みだが、さすがに慣れてしまった。
慣れてしまったからといって、油断は出来ないのだが。
「だが、私の技巧を味わえば認識も変わるだろう……」
随分と自信満々だが、そろそろ攻めてきてもおかしくないのに、なぜか一向にこない。
「どうしたブッキー」
「別にどうもしていない。行くぞ」
ブッキーはぎこちない動きで俺の膝の上に跨ってきた。
ブッキーの体温が伝わってくる。
小柄な身をこちらに預ける。薄紫の前髪の奥で切れ長の瞳が潤んでいる。
紅潮した顔、硬直した体。
まるで新しい環境に慣れず、警戒する猫のようにガチガチな様を見て、俺はふと思った。
「もしかしてブッキー、ちょっと動揺してるのか?」
「っ!?」
体がビクッと硬直したのが分かる。
瞳は驚きで真ん丸に開かれ、口元はきゅっと閉じられている。
「そ、そんなわけないだろ」
「へぇ、あのブッキ^が初心だったとは、しかもかなりの重症ときた」
「違うと言って……ああそうだ。認めよう。正直ちょっとパニクってる」
「そうかぁ。へぇ……」
「ぐぬっ……だから、ちゃんとエスコートしろ。さもなくばここで焼き殺してやる」
元々ブッキーはインドア派だ。
知識だけは豊富にあるが、魔法関係ならばともかく、こんなことの実践経験を得られるような環境にはいなかった。
とはいえそれは、俺も同じことだ。
俺の場合はリステアが相手だったから変な緊張もせずに全力で、心からの愛想で愛撫したにすぎない。
「難儀だな」
「うるさい。さっさとしろ」
「はいはい」
俺はブッキーの身に手を回して優しく引き寄せる。
「リラックスリラックス、力を抜いて、こっちに身を預ける」
「う、む」
まだ少し緊張しているようだが。なに、すぐ蕩ける。
「……おい、これなんか違うだろ」
「まあまあ、焦らない焦らない」
右手でブッキーの頭をゆっくりと撫で、背中も上から下へと撫で下ろしてやる。
「全部こっちに任せてくれれば良い。お前は力を抜いて全部こっちに預けるだけでいい」
「……いや、やっぱりこれ」
「いいんだよ難しいことは考えないで。リムルにも同じようにやった」
「そうか……あったかいな」
「そうだな」
時計の音が淡々と響き、温かな照明の揺らめき。
静かで、温かな時間。ブッキーの体はだんだんとほぐれてきた。
「もっと甘えていい」
「甘えるって……」
「今だけは憤怒を忘れろ。安寧に身を委ねるところだ」
「う、うむ」
ここらへんでちょっと囁きを加えてみる。
愛の囁きを。
「な、み、耳元で囁くな……」
「いいからいいから、悪い感じはしないだろう?」
「っ……」
ありったけの愛情表現を静かに囁き続ける。
愛想を現し、好意をもって相手の全てを受け入れる。
体を、心を、疲れを、弱さを、全てを包み込み、抱き締める。
「ふ、ふわぁ……」
「うん、可愛いよ、すごく可愛いね」
「そうか? わたし、かわいいか?」
「んー、可愛いな。ブッキーはなにしても可愛いんだからなぁ」
「えへへー……」
これこそ愛欲の大罪が織り成す絶技。
愛染放蕩、これでリムルも落した。
誰が貞操なんぞくれてやるか、俺の体は彼女だけのものだ。
「れくと……」
蕩けるような時間を過ごすうちに、ブッキーは眠りに堕ちた。
緩みきった警戒心を突くのは、イチモツではなく愛想の毒牙だ。
「リムルのときよりは簡単だったな。初心で助かった」
仮にも淫魔だ、人肌に耐性があるのだろう。なんとか道具まで使って誤魔化したのだ。
まったく、俺のどこがそんなにいいのやら。
しかし、これも結局はその場凌ぎに過ぎない。いずれは暴かれてしまうだろう。
その頃にはリステアと愛の逃避行が出来るようになっているといいんだけどな。
「ブッキーが敗れたか……だが奴は我々七つの大罪でも初心。我々七つの大罪の面汚しよ」
「フェチシアさん、なにをしているんですか……?」
「見て分からないの? ボーン」
ボーンは困惑していた。
最近レクトに構ってもらえないチームに強制的に加入させられた彼女は、日頃からフェチシアのチャレンジと失敗の積み重ねを聞かされ続けてきた。
そしてついに、フェチシアはレクトに構ってもらえないあまりに壊れてしまったのかと。
「四天王ごっこよ」
「いや、だからなんでそれをやってるんですかって話ですよ」
クロは呆れたふうにボーンの質問に重ねて問う。
「私は常にレクトのことを監視しているわ。彼を必ず私の女体の虜にするためにね」
「無駄なことを……番長が愛欲を司る以上、別物の色欲やそのほかは絶対に二番手なんすよ。そして番長がリステア一筋である以上、私たちにチャンスなんてないっす」
「ったく最近の若いもんはハングリー精神っていうのがないのかしら」
「悪魔に年齢の話持ち出してどうすんすか……」
クロは構ってもらえないチームではないが、暇なので付き合っていた。
「そして、私はリムルとブッキーがレクトをプライベートスペースに引き入れるのを見たわ」
「そういえば、その頃からリムル様かなり優越感に浸った目をしてたっすね」
「ええ、きっとレクトと<ナニ>かをしたんでしょう。でも私のサキュバスセンスはレクトからまだ童貞の反応を感じ取っているわ」
「便利なもんすねー」
ブッキーは気の無い返事で流しているが、フェチシアはそれすらどうでもいいらしかった。
「つまり、私たちがあの子の純潔を奪うチャンスがまだあるってことよ!」
「いや、興味ないんで……」
「なんでよっ1?」
フェチシアの反応に、ブッキーは心底嫌そうな顔をして答える。
「ていうかそもそも純潔はリステアに頂かれちゃってるじゃないすか」
「……め、妾としてのトップが決まる重要なことじゃない」
「そんな拘りないっすよ。少なくとも私には」
「だって貴方はレクトに救われて、好きになったんでしょう? 抱かれたいとか、抱きたいとか思わないわけ?」
「いやそりゃ思いますけど、純潔うんぬんは別にどうでもいいっす」
クロの言葉に対し、信じられないという表情を浮かべるフェチシア。
「そういえばサキュバスにとって初物は絶品の味らしいっすね。私たちには関係のないことっす」
「そんな……全員レクト大好きで、弄びたいと心の中で嗜虐心を持て余していると思っていたのに……」
「んなこたないっす。私にとっては恩返しの延長戦でしかないっすし。金銭面で役に立つのも、性的な意味で役に立つのも、私にとってはどっちでもいいことっす」
クロの場合は完全に貸しと借りで考えていた。
レクトが自分を助けてくれたのは、契約だからではない。完全に偶然の出来事だ。
こういう縁や偶然は、どれだけ欲をかいてもめぐり合えるものではない。
強欲勢だからこそ、その貴重さがよく理解できるのだ。
だからこそ、純粋にレクトは自分にとって恩人で、自分の強欲を満たす道具で、自分は彼の強欲を満たす道具なのだ。
「私はレクトが強欲仲間になって一緒に楽しめるならそれでいいっす。サキュバスみたいに色情狂じゃないんで」
「色情狂……いや間違ってはいないけど。まあいいわ。あなたはどうなのよボーン」
「えっ」
「嫉妬の大罪勢としては、レクトをリステアだけのものにしておくのは惜しいのではなくて?」
問われ、ボーンは恥らいのあまり俯く。
「嫉妬は……これは病です。恋、とはまた違うと思います」
嫉妬は基本的に無差別だ。
富める者、費やす者、施す者、施される者。力ある者、力の恩恵に賜る者。愛せる者。愛される者……。
持つ者、与えられる者全てが嫉妬の対象となりうる。
だから別にレクトに限ったことではないし、別にレクトに執着する理由もない。
そもそもボーンとガルゥはダクネシアの命令に従っているだけに過ぎないのだ。
「確かに興味はありますけど……」
「ボーンはようやく肉を手に入れたんだから、私と一緒に肉の快楽を味わったら良いと思うのだけど」
「……でも、私が嫉妬したらレクトさんかリステアさん、どちらかを殺してしまいます」
「……あー」
嫉妬する女は面倒くさい。フェチシアはそう思った。
「まったく……じゃあガルゥは」
「おなかすいた」
「いや、だから」
「おなかすいた!」
フェチシアは考えることをやめた。
そもそも悪魔というのは基本的に群れるものではない。エキスパート・サクブスの誇りを持って、必ずやレクトを魅了してみせる、と。
スペシャリスト・サクブス・フェチシア
種族:後天的性質の一つ。他に基礎的な技量が高い専門家、更に上級の熟練者、特定分野に長けた特殊性癖、広い分野に対応できる総合性癖がある。
外見:極端に言えば外見が醜悪でも技量によって生気を吸い上げられるのがプロやエキスパートの強み。フェチシアの場合は外見も技量の内ということで極上の女体の形をとっている。
詳細:本来魔族による品種は下位、中位、上位などによって分けられるが、スペシャリストというのは魔族ではなく得意分野、いわゆる特技持ちのような意味を持つ。エキスパートともなれば、一瞥で相手を絶頂、昏倒させることができる強力なもの。レクトがただの人間ならば、あっという間にコレクションの一つにでもされているはずだが、魔人間の愛欲の前には今一歩及んでいない。




