四十二柱目 魔人の神様と魔神の託宣
本当に、本当につまらない話だ。手短に済ませよう。
俺が生まれたとき、親はまだ若かった。
大した学歴もないくせに変に頭のいい親父は極めて自由人で、生涯定職についたことが無かった。
そんな男にホイホイ騙されて、結婚した愚かな母は正社員を辞めた。
それでも親父は所帯を持てるほどの稼ぎはあった。
だからこそ、要らない自信で我侭に、まさに傲慢に人生を謳歌したのだろう。
さて、男女が一組出来たなら、大抵はもう一人増える。
それがつまり俺なのだが、俺から見た親はまさにクソであった。
教育は日頃暴力的で、子供ながらに怯えて泣けば、男が泣くのは情け無いとまた殴られた。
男は酷く短気で、俺は常に機嫌と顔色を窺って過ごしていた。おかげで立派に社会不適合者だ。
自分を過信していた傲慢な男は、俺と言う存在に対して必要最低限の投資しかしなかった。
社会的なルールに反しないギリギリのところまで、俺への投資は削減されたのだ。
それだけでは飽き足らず、男は自立すべきという謎の主義を理由に追い出されかけたこともある。
本当に自分勝手で、至極面倒で、完全にエゴイストだった。
悪魔的に見ればお手本のようだろうが、子供からしてみればたまったものではない。
とはいえ恐るべき搾取から、逃れるための資金すらろくに貯められず、かといって親殺しなんて冗談ではない。
こんな奴らのために人生を棒に振るようなことはしたくない。
我ながらよく耐えたものだと、今でも自分を褒め称えてやりたい。
本来、親は自らの身を子に捧げるものだ。
生き物が子を生むならば、その人生は子を育み、次代へと命を繋げることが正しい在り方のはずだ。
というか、そうでなければ生む必要ないだろ子供なんて。
そこまで話して、俺はリステアから紅茶を受け取り、渇いた喉に水気を取り戻す。
「ふぅ……ほら、別に大したことのない話だ」
「……ママは?」
「あの愚母はひたすらに怠惰だったよ。あれはあれで馬鹿な男に引っかかった被害者だが、かといって俺を庇ったり、助けてくれたりとかはなかった。俺は我が子というより愛玩動物として可愛がられてたよ。ご機嫌窺いすることに変わりは無かった。人の金でする贅沢はさぞ美味かっただろうな」
実は隠された遺産があって、とかそういうロマンチックな話もない。
俺はなんとかあの二人から失踪気味に逃れた。あの後二人がどうなった課などは俺の知ったことではない。
「じゃあ……」
「俺はお前が羨ましい。俺も殺せるならすぐにでも殺したかった。親に幻想を抱かず、妄想で済ませられるようにな」
黒猫ジャックの表情は、悲しげだった。
哀れんでいるのかどうか知らないが、いらない気遣いだ。
「俺に本当の意味での親は居ない。でもまあ、支えてくれる人は居たよ」
「支えてくれる人?」
「最愛の嫁さ」
俺はリステアの方を見る。
彼女は照れることもなく、自然な笑みを返してくれた。
「まあ、俺の親なんて毒親としてもちっぽけなんだろう。それでも親なんてのはそう簡単に代替がきくものじゃない。とんだハズレクジを引いた……けどまあ、俺はリステアと出会えた。他の誰にも手に入れることの出来ない、俺だけの嫁だ」
「そっか、異端さんにとっての神様が、その聖女様なんだね」
「あー、まあ、そうなるな」
心の拠り所という意味では、確かにそうなのかもしれない。
「神様、か」
「私にとってはレクトが創造主で、ある意味神様なのですが」
親に飼い殺され、変わり果てる友人たちを見送りながらも、孤独でなかったのは彼女が居たからだ。
「ジャック、これで分かったでしょう? たとえ異端者でも、異教徒でも罪人ではない」
「んっ、なんとなく分かった気がする」
「そして同じように、たとえ罪人だったとしても悪人であるとは限らない」
「どうして?」
「罪とは誰かが作り、定めたもの。でもそれは、滅ぼすためではなく、許すためのものです。正しさと罰は懲らしめるために、過ちと罰は秩序のために。でも正しさも過ちも、また人によってそれぞれなのです」
それは身近で単純な話だ。
待ち合わせの時間にシビアな奴、ルーズな奴。から揚げにレモンをかける奴、取り分ける奴。
飲み会で無礼の講を許す奴、許さない奴。
儒教、道教。常識はあらゆる形を取る。人間はそれを纏め上げて、大まかに統一化を図ってそれを秩序とする。
とはいえ、そこまでしてもまだ、争いの火種は絶えない。それは個人レベルの話だからだ。
「正しさを押し付けてはいけませんわ。でも理解してもらう努力を怠ってもいけません。分かりますわね?」
「はい、傲慢と怠惰だよね」
リムルと俺だな。正しさとは強さで証明するものであり、他からの理解など得ようとも思わない。理解できないならとっとと消えろというのが魔界流だ。
「狂信者ジャック。もしあなたが本当に信仰者であるというなら、成すべきことは殺すことではありませんわ」
「そ、そんな……!」
「早合点しないでくださいな。言ったでしょう? 罪とは許すためだと。あなたが殺してきた中には、確かに罪人もいたでしょう。あなたが成すべき償いは、たった一つでいいのです」
「それは……」
「許す事です、ジャック。罪人の罪を、悪人の存在を認めてあげること」
エリザは本当に聡明だった。
柔軟で寛容な価値観。しかしブレない意思の強固さと輝き放つ溌剌さ溢れる心。
だが、エリザに感心するとともに、これくらいの人間じゃないと悪魔と交友できないのでは、とも思う。
「認める……でもそれじゃあ」
「もちろん。治安を乱すものを放置しておくことは出来ません。その時はあなたの力をお借りしますわ。私はそうならないための国を創る。そして彼はそのための世界を創る。そうでしょう、レクト?」
「まあ、だいたい合ってる」
ぶっちゃけ最終的にどういう形になるかなど分からないし、理想像も何もないのだが、とりあえず適当に話をあわせておく。
俺は前世が人間、魔界育ちの魔人間で、心はどっぷり社会不適合者だ。
「というわけで、ジャック。友人のよしみであなたを私の直属の勇者に任命します」
「えっ」
「はっ?」
さすがにこの展開は予想できなかった。
というか、それでいいのか。
「狂信者ジャック、もう狂う必要はありませんわ。聖女エリザは、あなたの罪を赦しましょう。その代わり、私の勇者となってくださいな」
「でも、そんな、私は……」
もうエリザは何も言わない。エリザはもう言葉を尽くした。後はジャックの選択だ。
神は聖女の使い。その聖女が許すというなら、それは神の赦しと同等だ。
過激派は言った、異端を殺せと。異なるものを尽く斬殺しろと。
神の教えに反する者を、神のために殺すべしと。
それは十戒に反することだ。汝、殺すこと泣かれ。
でもそれを自ら、神のために罪業を被ることで救われるのだと。
子供騙しだと不意に気付いたこともあった。でももう戻れない。
捨てられたとしても、父母を自分の手で殺してしまった。その事実は変えようが無い。
自分は罪人だという意識を、狂信の名の下に正当化していた。
それを、彼女は許すといってくれた。
よりにもよって聖女、しかも遠くない未来に国を治める者が、罪人な自分を許してくれると。
「何を難しく考えてるんだお前は」
思考の邪魔をされたジャックは、あからさまに不満そうな顔でこちらを見る。
「もうお前は許された。狂信者であり続ける理由は失われた。それとも、まだお前は狂信者に対して思うところがあるのか?」
「それは……」
「まあ、罪悪感というのは性分が絡む。許すといわれてすぐに解放というわけにはいかないか」
「うるさい」
小さな手がナイフを探し、全て失われていることを思い出して歯噛みしている。
「怠惰だな憤怒のジャック。赦し続けるというのはさぞ苦しいだろうが、それが唯一の償いだというのに」
「わ、私が怠惰……違う、違う! 私は怠惰なんかじゃ……」
「怠惰さ。せっかく償いの機会を与えてくれたのに、差し伸べられた手を取らないその怠惰。見事な」
「違うっ! 違うもんっ! 私は……」
狂信者には効くだろうな。怠惰だの憤怒だの。潔癖な狂信者にはよく効く。
「親に捨てられた恨みを異端への殺意に変えて、憤怒のままに殺しつくし、怠惰のままに償わない」
「償うもんっ!」
「じゃあ勇者になるのか? エリザの勇者になって、いずれ王となるエリザを守り、異端を許すと?」
「なるっ! 私は勇者になって、罪を償う! エリザを守って、異端を許すっ!」
意地になっているとはいえ、その言葉に偽りはない。
結局、ジャックの本性は憤怒だったというわけだ。
「というわけだ、エリザ」
「意地が悪いですけど、お見事ですわ!」
「っ!?」
唐突に抱きついてきたエリザに困惑するジャック。
しかしエリザは構わず頬を擦り付け、ふと離れる。
「これからはタダの友人ではなく、相棒ですからね! よろしくお願いしますわ!」
「よ、よろしく……っ!」
とはいえ不憫なことだ。
その憤怒がなければ、ジャックはきっと過激派の誘いを断っただろう。
献身的に信仰を捧げ、その才能が開花する前に何かしらされたはずだ。
手ひどい洗脳をされたかもしれないし、殺されたかもしれない。アルスを殺しに来る時点で、そういう奴等であることは想像がつく。
基本的に、自分の想い通りにならない存在は全員異端扱いするだろう。
不穏分子は根こそぎ排除し、自分達の勢力を確実なものにしていく集団。
それが正教過激派と呼ばれる、狂信者たちの正体、なのか?
憤怒の素養がなければ、こうして改宗することは出来なかったかもしれない。ジャックは結果的に幸運だった。
エリザの勇者アダマスは、二つ返事でジャックが勇者となることを認めた。
ジャック自身も王族らしい権力の濫用のおかげで晴れて勇者となった。
加護付きのジャックの戦闘力は、対人特化だった戦闘スタイルをより凶悪にしたものだった。
降り注ぐ矢、弾丸をも、都会を歩きなれた社会人のごとくすり抜けていく。
その動きは獣どころではない神速の域に達し、瞬間移動でもしているのではと思うほどの速度で相手を翻弄し、確実にナイフで致命傷を負わせてくる。
魔界でも、さすがにここまで速度と殺傷に特化した奴は居ない。
というのも悪魔に死の概念は無いようなものなので、殺傷の一撃よりも消滅の爆撃で木っ端微塵に粉砕した方が早いのだが。
とはいえ魔物相手なら十分に戦果が期待できる。
アダマス、アルスが拮抗する力関係の中、俺に続いて二人目のダークホースとして迎え入れられた。
「あぁ! 早い!? 早すぎ!」
「……よく防ぐ」
そして模擬戦闘。
俺とリステアのペアと、ジャックとアダマスとエリザのチーム。
ついさっき知ったが、どうやら勧誘してチームを作ることで、模擬戦でも参加することができるらしい。
だから勇者にチームメイトとして選ばれたがる人間は多い。
戦士にしろ、魔術師にしろ、それは一般的な成功より別段なものになるからだ。エリートコースみたいなものだな?
しかしジャックの圧倒的速度とアダマスの剣術から魔術までの万能さが上手く噛み合って、俺は防戦一方を強いられている。
特にジャックなんて俺のことを目の敵にするほど容赦がない。相手が俺でなかったらもう何度死んでいることか、確実に急所狙ってる。
「ちょ、模擬戦なんだからもうちょっと気楽にやらないか? というかコイツ止めろ!」
「手を抜くのは良くないよ、レクト」
「この優等生が!!」
まずい。これはかなりまずい。
俺の速さは、一撃から次の一撃まで0.5秒。これが俺の手加減を間違えずに出来る最速だ。
対してジャックの一撃から次の一撃からは約0.42秒。
今でこそ拮抗しているが、この僅かな差はいずれ、確実に俺への一撃となって現れる。
「どうするか……どうする……」
「考え、なくて、良い」
重なり合うはずの刃が、俺の刃が虚空を裂く。
それをフェイントだと気付いた時には、ジャックは既に背後に回っていた。
「レクト」
「っ!?」
体が即座に反応した。
愛する声で鼓膜が震え、心に火が灯る。
冴えた意識、スローに動く景色、反射的に動く体はこれまでの速度を遥かに凌駕する。
「がっ!?」
ジャックの刃が眼前に迫るも、俺の刃が先に柔らかな脇腹を捉え、小さな体もろとも吹き飛ばした。
「吹き飛んだ?」
いや、それはおかしい。俺の剣はモリオン・オブジ・ソード。愛欲の闇黒水晶は凝縮された俺の魔力の塊だ。
抗生物質は純粋に俺の魔力。即ちそれは俺の意思の顕現であり、こと斬撃における切断は禁忌級の魔剣妖刀の類すら遥かに凌駕する。
まして少女の柔らかい骨肉など、聖女の加護があっても一刀両断が免れるかどうか。
「それが、吹っ飛んだ?」
手加減は……出来てなかったはずだ。
意識してはいないものの、咄嗟の動きから繰り出される一撃に、遠慮は一切ない。
「……とはいえ、なるほどこれが。アルス・ティラノレックスが勝てない理由か」
俺は静かに剣を手放し、両手を挙げて降参のポーズを取る。
首を回して背後を見れば、そこには一人の勇者の姿。
彼の手の剣は、俺の背を確実に切りつけられる寸前にあった。
「まあ、僕も完勝できたことはないんだけどね。仲間がやられているのに、勝利を手放しで喜べるほど野心家ではないんだ」
なるほど、仲間が一人でも欠けたら、アダマスにとっては敗北に等しいってわけか。
とはいえ、なぜかジャックはもぞもぞと動き出している。一体なにが起こった?
不可思議な出来事に頭を巡らしながら食堂でカレーっぽいものを食っていると、唐突にリステアが謝ってきた。
俺の違和感の正体は、どうやらリステアらしかった。
「俺の力を調節したっていうのか?」
「はい。どうにもやり辛そうだったので……やはりご迷惑でしたか」
「いやいや! そんなことはない。むしろ助かった。あそこで事故とはいえ貴重な人材を失うわけにはいかないからな」
「本当ですか?」
罪悪感で沈鬱としていたリステアの表情が、見る見るうちに明るさを取り戻す。
俺の嫁にかかれば、安堵の笑みすら女神越えしてみせる。なんて愛くるしい。
ジャックのダメージも軽い打撲程度だったし、お手柄だ。まさに女神。
「しかし、そうか。聖女は加護を付与する相手の力をコントロールできるのか」
「全員がそうとは限りません。私とレクトだから出来たという可能性も」
「あー、確かにありそう」
なにせ魔人間と聖女など、本来は反発しあう関係で、相性は悪いはずだ。
リステアが俺の妄想を源として創られた存在だから加護の恩恵を受けれただけで、本来ならば弱体化するものなのかもしれない。
とはいえ、これで力加減を誤って相手を死なせずに済む。
さて……これからどうする。
深まる闇、月は赤く、黒曜石の鏡は……曇り一つなかった。
リステアもいない夜闇で、鏡から声が響く。
「届いていますか、レクト。私のレクト……」
「お前のものになった覚えは無い。トラソルの魔巫女」
「失礼を致しました、我らが主。私たちが貴方のものでした」
「そういうことでもねぇよ……それで、用件は?」
<黒の太陽>における、ダクネシアとの仲介役を担う、トラソルの魔巫女。
彼女からの報せは、大概ダクネシアからの定期、あるいは緊急の連絡だ。
大概、一方的な指令だが。
「では、新たなご神託を授けます」
「はいはい、次は何をしろって?」
「どうやら、レクト様の繰り出した黒い火柱によって、各邪教徒の動きが活発化しているようで、その影響が魔界にも現れ始めていると」
「なんでだよ。ちょっと火柱立てただけで……」
黒い火柱だけで感化されすぎじゃないのか。
でもまあ世の中には異国の船を神話の住民が帰還したと勘違いして、挙句滅ぼされた文化もあるらしいし。
「アマゾネスの、ドゥルガーの件もあります。恐らく、魔人間に匹敵する存在を筆頭に仕掛けてくるでしょう」
ドゥルガー。レディファーストの一派、<黒き母>の魔神カーリーが造った、ある意味では俺と同じの現人神。
全力で戦ったことは無いが、聖女でも勇者でもない存在が魔人間の体に傷を付けるのならば……
「そういう存在がわらわらと這い出すわけか」
「はい、わらわらと這い出すわけです。そのため、私たちの戦力強化をしたほうがよいだろうとダクネシア様は仰られまして……」
「ほう」
「大罪を胸に秘めし、業と闇深き者共を束ねよ、と」
業と闇深き者ってなんだよ。中二病か。
「人の身にて深淵にあり、光と救い届かぬ者を掬い上げよ。人の世にて、人と手を取り合う術を知らぬ者を拾い上げよ」
人の世にて、人と手を取り合う術を知らぬ者……それって、あれか。
「私にはこれが何のことだか分かりませんが」
「大体察した」
これはつまり、そのままの意味だ。
人として生まれたのに、人々に背を向けた者。人々が営む社会に生まれて、その一員になれなかった人間。
社会不適合者。反社会的ではなく、落伍者。
決して救われることの無い、無能と無気力の最下層民。
なんとはなしに、親近感が湧いてくる。
俺も早期隠居キメ込んだ男だ。同類相憐れむことはあっても、同族嫌悪などするはずもない。
「じゃあ、とりあえずこれからは落伍者として呼称するが……どうやって見つけたらいいものか」
「素質がある者はそこから西方に位置する場所にいるようだとも仰っていました。あと黒曜石の鏡に新たなる権能を付与しました」
「いつの間に」
「吐かれる煙は心に混沌と暗闇を抱えた者の足元に這い寄ると」
まったく便利なものだなダクネシア。
とはいえ、かつての神の頂きにあり、魔界にてさえより深い闇の最果てに玉座を置く者。
それくらい出来ても不思議ではないな。
「移動用の馬車と雑用係は明日の昼頃には到着する予定です」
「なんて用意の良い……ありがとうトラソル」
「黒の太陽に輝きがあらんことを」
鏡越しに微笑むトラソル。
鏡は曇り、何も見えなくなった。
「落伍者……社会不適合者」
その言葉に懐かしささえ感じる。
人間が社会を築く中で、必ずそういう存在は現れる。
正確に言うなら、どこの誰とも知らない人間が勝手に定めた規範から漏れてしまった者たち。
この世界で言うなら、異教でも邪教でもないが、正教に対して信心深いわけでもない人間。
人間と言う多様な生き物の中で、他者ではなく自分の幸福のみを追求した個人共。
それはあまりに自分に正直で、ある意味では邪教や異教などよりもよほど悪魔に近い存在。
「レクト」
ふと背後から呼ぶ声に、俺は少々の罪悪感を味わいながら振り返る。
「ごめん、起こしたか」
「西方といえば、有名な教会があります。様々な理由で心に傷を負ったり、魔物の群れに村を追い出された人々が暮らしている、いわば難民が住む場所です」
「難民……」
「レクト、私はもう貴方の妄想ではありませんが、貴方の妄想嫁で、貴方の味方です。協力させてください」
俺がどうしてリステアに相談しなかったのか、自分で意味が分からなかった。
やっと再会したのだ。共に並び、歩き出すことが出来たのだ。
それなのに、どうしてリステアを避けたんだろう。
「ごめん……なんか、たぶん慣れてないから」
上手く言葉にできないが、どうやらリステアは理解したらしい。
俺より俺のことを理解してそうだ。
「そうでしたね。私が妄想だった時は、寄り添う必要もなく貴方の傍に居ましたから。私の不足でした」
「あっ、いや、そういう意味じゃ……」
「レクト、私は……私は他人ではありませんよ?」
見抜かれている。見透かされている。
そうだ。彼女は俺の全てを知っている。俺じゃないからこそ、俺より俺を知っている。
彼女は一歩ずつ歩み寄りながら、俺に意思を示してくる。
「私は貴方を置き去りにしたりしませんし、裏切ったりもしません。見くびらないでください」
「うっ……」
それは懇願するようでいて、静かな怒気も込められていて、まるで子供に言い聞かせるようでもあった。
そして、俺はその言葉を受ける度に悦んでいた。
「私は貴方の知っている人間とは違います。だから……」
リステアは俺の目の前で止まり、鏡を握る手に触れた。
柔らかで、暖かで、確かに生きている人間の手。
「もっと頼ってください。頼ることに臆病にならないでください。貴方の信頼に、全力で応えて御覧にいれます」
なんだこの完璧聖女は、良妻賢母なんてレベルじゃねえぞ……涙出てきた。
「ありがとう……」
気が付いたら、俺はリステアを抱き締めていた。
それは彼女の意思に感激したからなのか、それとも本当に俺が人に頼ることを怖れていて、震える身体を止めようとしているのか。あるいは両方なのか。
それでもリステアは応えて、俺を抱き締め返してくれた。
俺は心の弱い人間だ。だから妄想嫁としてリステアを創った。
そんな俺が、魔人間としての身体を手に入れ、仲間を得たとはいえ、ずっと誰にも甘えまいとしていた人間が、最愛の人と一度肌を重ねたくらいで埋められるわけがない。
クロの言うとおり、もっと強欲になろう。
きっとリステアなら、応えてくれるだろう。




