四十柱目 悪魔の囁き<Greed>
奇跡と魔法、ミラクルとマジカル。
似て非なる対極の二つが重なったが故の超常現象とでもいうべきか……。
「つまり、俺は聖女の加護と魔力の循環によって強引に生命を維持できているんだな?」
「そゆこと。魔法で生命力を循環させて、奇跡で生命力が霧散しないよう固定させているってわけさ。ぶっちゃけ現代人には過ぎた技だがなぁ」
「かつて、まだ世が三つに分けられる前は、魔力か奇跡があればとりあえずそういうことが出来る英雄やら化物やらはわんさか居たがな」
まあ、リッチという存在が元魔法使いの死霊系アンデッドというところを考えれば、なるほどなんとなく察しがつく。
神、人、魔と別たれた身分だ。現代の人の身にこの芸当は余りあるのだろう。
それを偶然にも魔人間と聖女が偶然にも再現できてしまったのだ。我ながら豪運だ。
ちなみにここは夢、俺の心の中。
生命活動は維持できているものの、意識は未だに不明のまま。
体の方が死んだと勘違いしてしまって目を醒ましてくれないのだ。
今はリステアが治療してくれているようだが。さっさと復活したい。
「しかしまぁ、見事に不意打ち喰らったな。魔人間じゃなかったら死ねたぞ」
「死ねたぞ、じゃない。ガルゥさんしっかりしてくださいよー」
おちゃらけてガルゥを責め立てるが、しかし彼は首を傾げていた。
「だって匂いしなかったし」
「あ、そう……消臭剤でも使ってるのか」
「普通に考えて聖女の効果と見るべきだろう。気配の遮断、臭気の消失。そして魔人間に肉体に容易く致命傷を与えたのだから」
ブッキーはいつも冷静で助かる。
「でも変じゃないか? 聖女って勇者とペアなんじゃ」
「だから、狂信者も勇者なんだろう」
「えぇ……」
まあ、狂信者の情報が過激派のよく分からない奴等という理解しか出来てない。
そもそも聖女自体があやふやな存在としか思えない。
「魔人間も大概だろ……それで、これからどうするんだ? 狂信者はアルスに任せてとんずらするか?」
「いや、普通に見学に徹する。アルスの性格だと介入したらキレそうだし」
「ありうる。おっ、そろそろっぽいぞ」
ふと気付けば、俺の体は徐々に薄れていっている。
そろそろ目覚めの時か。
「あっ、おい待て! せっかく童貞卒業したんだから一発やらせろ!」
「そうよそうよ!」
いきなりフェチシアがリムルの背後から発生して顔を出してきた。
だが、どうやら彼らは勘違いしているようだ。
「別に童貞卒業してないぞ。妄想嫁なんだから」
「はっ?」
「妄想嫁とセックスしても童貞卒業したことにはならないだろう」
「もう実体あるじゃねえか!」
「そうよそうよ!」
フェチシアは当然ながら、リムルまで憤慨している。
「妄想嫁は俺の体の一部みたいなものだし、どっちかっていうと自慰なんだよなぁ。俺が妄想として生んだと見れば親子とも呼べるし」
「そんなのお前のさじ加減だろ!」
「あと親子なら近親相姦でしょ! 悪魔らしいし、童貞卒業と見てもいいはずよ!」
こいつらそこまで俺の体が欲しいのか……。
「か、勘違いしないでよね! 私はサキュバスとして貴方を魅了しないと沽券に関わるだけなんだから!」
「なんで今更ツンデレ要素足そうとしてるの?」
「ほら、やっぱり男女の相棒だったらあれこれ困難を一緒に乗り越えたらイチャラブするもんなんだろう? 私そういうのに憧れてんだよ。言ってなかったか?」
さて、どうだったか。聞いたような気がするし、そうでない気もする。
というか、別にハーレム要素とか頼んでないですし。俺にはリステアが居れば……
「んー……」
私のために、私以外のことを我慢しないで、か。
それは俺に肉欲に溺れろと言っているのだろうか。でもそれって浮気だろ?
「違うっすよ。それは強欲っす」
「クロ?」
背後から不意に声をかける、意地の悪い黒ハーピィ。
彼女は薄れる俺の体に背後から抱きつく。
「クリスティアさんでしたっけ? あの人かなり傲慢っす。貴方は絶対に自分を一番に愛してくれている、それが当然だと確信してるっすよ」
「当然というか、事実だぞ?」
「そっすね。それに強欲っす。他の女で遊んでも良いけど、その分比類なき愛を欲しているっす」
「ふむ……」
「そして暴食、貴方の愛なら無限に貪るでしょう。飽きることがあるかどうか」
飽きることは、ないと思う。
今でこそ妄想ではなく現実としてそこに居るわけだが、元は俺の嫁だ。時間と共に劣化したりとかは……ありえないと思いたい。
「だから番長、もっと楽しんでもいいと思うっすよ? 変に片意地張ってたら、そのうちプッツンしちゃうっす」
「プッツンって……まんま悪魔の囁きだな」
「そっすね。でも愉しんでいいと言ってくれたのは、他ならぬ聖女で、貴方の嫁さんじゃないっすか。ありがたく受け取っておくべきっす。そして、その愛を愛欲にして返してあげればいいんじゃないっすか?」
その言葉はまさに悪魔の囁きに相応しい。
体から余分な力を盗み、心の緊張を奪い去る。
警戒も疑念も無意味。それは確かに事実で、ほかでもないリステアの言葉通りなのだから。
「魔界での生活、どうだったっすか?」
「そりゃ、楽しかったさ」
「なら、これからはもっと楽しくなるっす。楽しく出来るっすよ。私たちで楽しくすればいいっす! もう怖れるものなんて何もないんすから」
そんなに綺麗に切り替えが出来る人間なら、もっと器用に生きてきたさ。
でも俺はせいぜい器用貧乏どまりで、そんな簡単に変われない。
「俺は、どうすればいい」
「したいようにすればいいんすよ。傲慢に、強欲に、暴食に、怠惰に色欲に、憤怒に嫉妬に……」
したようにすればいい。などと言われてもな。今まで欲望のほとんど捨ててしまった。
もう自分が何を欲していたかさえも覚えては居ない……そう思っていたのに。
「まったく、どれだけ俺が苦労したかも知らないで好き勝手言いやがって」
「フヘヘ、どれだけ無欲気取っても、憤怒ツクものは憤怒ツクもんなんっすね」
「るっさい」
体ももうかなり薄まっている。あとはこっちの意思次第で目覚めることが出来るだろう。
「私の、私のポジションが……」
「リムルのことは気にしないでいいっす」
「んじゃ、行ってくるかぁ」
「せいぜい愉しんでくるっす。そうすれば私たちも退屈しないんで」
「この欲張りめ」
当然か、なにせクロは強欲に属する悪魔。
光物、金目の物に目が無い強欲に類する大罪。
飽き性な俺に、飽くなき思いを導いてくれた……友人だ。
ふと目覚めれば、リステアが不安そうな顔でこちらを覗きこんでいた。
「レクト……良かった」
「悪い、心配をかけた。状況は?」
「狂信者、Jと名乗る者は、貴方を完全に殺したと思っているようです。今はアルスと交戦中です。戦況は……」
抱き起こされ、剣戟の音鳴り響く方を見る。
「はっ……?」
見れば、アルスの体は傷だらけだった。
そして狂信者Jの方は……なんか増えてる。
「二人……三人?」
「違いますレクト。あれは超高速で駆け回っている、いわば残像です」
「人間技じゃない……加護ってのはここまで出来るのか」
いや、人間技じゃなくても不思議じゃないのか。
聖女の加護さえあれば魔物も豆腐みたいに切り裂けるし、獣を凌駕する瞬発力を発揮できる。
あの高速移動が聖女の加護で、自身に付与しているというなら……それともあれが神通力?
「あれは加護ではないと思います」
「でも、そうでなきゃ他にどんな方法であんな。魔法……いや、魔力も感じ取れないし」
「分かりません。ですが、妙に取ってつけたような印象を受けるのです」
取ってつけたような……魔法でも、奇跡の類でもない。しかし彼女には何かしらの付与がされている。
訳が分からん。
「とりあえず、様子を見よう」
Jは低姿勢のままに駆け回り、四方八方からアルスを襲っている。
しかしアルスも瞬発力を活かした戦い方が特異な分、なんとか攻撃を剣で受け止めて凌いでいる。
「ちょこまかと鬱陶しいガキだなッ!」
聖女の加護も半端なまま、しかし見事な一閃がJを直撃する。
「ッ!?」
切り裂かれたように見えたJの姿が、次の瞬間には消失していた。
代わりにその姿はアルスの背面に、刃は既に迫っている。
「ガアァッ!」
吼えるアルスは、なんと後ろに跳んだ。
Jの刃は確かにアルスの心臓を貫く位置にある。絶体絶命とはこのことか。
だが、Jは一回り以上大きいアルスの勢いを受け止められず、押し倒される。
「うぐっ……」
「このガキが、調子に乗りやがってッ!」
なぜかアルスは一切硬直することもないままに動き、左手で潰されているJの外套を掴む。
なんであいつピンピンしてるんだ? 確かにナイフは刺さったはず……。
考えているうちに、アルスは強引に外套を巻き取り、喉元で締め上げて地面に抑え付ける。
「がっ、ごっ……」
「加護が無いとはいえ、この俺様によくぞここまで迫ったな。褒めてやるぞガキ」
あれ完全にキマってる。締まってるよ。返事できないって。
「んで、テメェはどっからの回し者だ? ああ、狂信者って言ってたな。おおかた俺様を飼い慣らせ無さそうだから消そうと思ったんだろうが……なんでレクトを先に狙った。ナメてんのか?」
「ぐぅ、うぐっ……」
さすがにまずいか。あのままじゃ壊しかねない。情報も得たいし、そろそろ止めるか。
「アルス、ちょっと」
立ち上がり、アルスに近づこうとした瞬間、とてつもない殺気が俺の背を這うのを感じた。
「なぁっ!?」
即座に発現させたのは擬態も何もされていない黒水晶の剣。
直感のようなものが俺の体を突き動かし、腕は剣を振るう。
そして響く金属が弾かれる音。
間を置かず、連続して飛来する何かをわけも分からないまま弾き、横に跳んで射程から逃れる。
それが遠方からの狙撃であることを、そこで初めて理解した。
「狙撃ってお前、しかも銃弾っぽかったぞ!?」
間違いない。
俺の目には、連続して飛来する小さな豆は金属か何かで出来ていた。
そして、校舎の屋上から何かがこちらを狙っているのが見えた。
「弾切れか……?」
しかし、なぜか殺気が途絶えた。射撃も止んだまま。
ふと銃が僅かに別の方向を向いたよう見えた。それはアルスのほうを向いているようにも。
火を噴くのと同時、俺はアルスのほうへと飛び込んだ。
剣を持つ右手を遠くへと伸ばし、弾丸が別方向に反射するように角度を調整する。
銃弾の勢いは重いが、なんとか凌ぐ。
「今の、アルスを狙った球じゃないのか?」
「レクト!」
追ってきたリステアが横に着く。
「えっ、大丈夫か?」
「はい、あの程度なら。見切れます」
「マジか……俺の嫁どんだけ高性能なんだよ」
「当然です。貴方の嫁ですから」
まったく頼もしい。せいぜい依存しすぎないように身を引き締めなければ。
「来ますよレクト、油断なされぬように」
「ん!」
何かが射出される音が連続して響く。
だがそれは弾丸のような速さではなく、また軌道も人に当たるものではない。
一体何を? そう思った瞬間、四つの筒が空中で爆ぜた。
「び、ビックリ箱かよ!?」
それは煙。
入道雲のような煙が滝のように空を覆い、俺たちに降りかかる。
「これは……アルス!」
振り返った次の瞬間には、もはや視界は真白に閉ざされた。
「レクト! 背中をこちらにあわせてください!」
「間に合わないかッ……!」
一歩下がると、背中には暖かな感触。
静かな呼吸とともに脈動の音さえも伝わってくるゼロ距離。
「レクト、これは……」
「やばいな。向こうには煙のなかでもこっちに狙いを付けられる。そういう風に捉えてもいいよな」
「はい。それに、狂信者のほうも気になります。なぜこのタイミングで?」
何はともあれ、完全に向こうのペースだということだ。
何か打開策を考えないと……。
「アルス! そっちはどうだ!」
返事は、ない。
「おいアルス!」
「そっち行ったぞ!」
なんでこっち来るんだよ。
というか、なんでそこまで俺を狙うんだ。本当に筒抜けなほど情報漏れてんのか?
どうする、どうする。本当にどうするんだ。
あーもう頭が働かない。というかそんな上等な頭してなかったな。
「忘れたかレクトよ。魔の法はあらゆる条理を覆す」
響く魔窟の主。図書館の司書。魔本の魔物。
「さらば求めよ。然らば魔は応えるだろう」
「……魔眼、<万理虹彩>」
真白なはずの視界に、あらゆる色が奔る。
地に土の色、人に肉の色、刃に鉄の色。
煙が色を遮ろうと、魔力はそれを通す。
魔力の感知、魔力の通う物に対する感知。魔力と異なり、魔力と干渉しあう者の感知。
人の身にも魔力は宿り、聖女には純白の神気が彩られ、それは狂信者も同じだった。
やはりその身には神気が通っている。が、確かに聖女のそれとは違う。
あっ、やばいこっち来てる。
地面を這うような動きから、突如跳躍し飛び掛ってくる。
確かに速い。人間離れ速度、常識外れの動き。
「だが、もう慣れた」
振るった一閃は、容易くナイフに皹を入れた。
たった一合で自分の得物に皹を入れる。向こうからすれば恐るべき一撃といったところだろう。
これでどうにか引いてくれないか。
そう願っていたが、Jはナイフをこちらに投げた。それを弾いていると、懐から新たなナイフを手に再び向かってくる。
「代えはたくさんあるってことか」
常人ならばともかく、魔人間の動体視力ならばこの程度の動きは見切れる。
極端な話、俺の体は魔物や魔獣のようなものだ。
恐るべき反射神経と動体視力。化物クラスの持久力、怪物レベルの膂力、そして悪魔じみた魔力。
加減さえ適正にあわせれば、軽くあしらうのに苦労はしない。
「なら何本でもへし折ってやるさ」
首元を狙うナイフを後ずさって回避し、返すナイフに大振りの剣をジャストミート。
見事にナイフは中腹から千切れた。
「ッ……!」
幼い声が漏れたのは、困惑か恐怖か。
僅かに苦い表情が見えた気がした。
「アルスは分かる。だが俺を狙う理由はなんだ」
「……異教の人と口を聞いちゃいけないって」
「同じ正教の人間だ。仲間だよ仲間」
打ち合う度に色とりどりのナイフを無尽蔵に出すJ。
本来なら恐怖だが、一合打ち合う度に一本駄目にされている様はちょっと不憫に思えてくる。
「こ、これなら!」
特に大きい、ゴツゴツと尖ったナイフが出てきた。
口調から見るに、結構な逸品なのだろう。
ならばと俺はあえて前に踏み込む。
反射的に防御姿勢を取りながら下がろうとするJに一閃。
「あっ!」
それはお気に入りの玩具を壊された子供が上げるような声だった。
というかさっきから声が出ているので、煙で目隠しをしている意味がなくなっている。
それにしても、なぜアルスの時のように背後に回り込もうとしないのだろう。リステアが居るからか?
そういえばアルスと戦う時も聖女を完全に無力化するようなことはしなかった。
聖女を攻撃できない理由があるのかもしれない。
……考察も飽きたな。
「そろそろ締めにするか」
「このっ!」
両手のナイフで違う方向から突き出す。それは自己を省みない必殺必中の一手なのだろう。
お気に入りのナイフを壊されて頭に血が上ったと見える。
ならその熱がこもった頭を冷まさせるしかない。
黒水晶の剣を両手で握り、大きく振り上げる。
「魔技……」
「てぇあああっ!」
俺の喉に刃が届く寸前、俺の脇から稲妻のような鋭さで棒が突き出され、Jの額を打ち抜いた。
少女の軽い体はふわりと浮き、衝撃に思考も止まり、視界も焦点も定まるまい。
完全に間合いから外れた瞬間、渾身の力で剣を振り下ろし、同時に魔力を放出した。
「嵐暴の神風<エアリエル・テンペスト>」
膨大な魔力は更に膨大な暴風へと姿を変貌させ、稲妻を走らせ、飛沫が駆け回る。
停滞していた濃霧のような煙は、散り散りに引き裂かれる。
目の前には外套さえも嵐によって千切られた、あられもない黒髪の少女が後頭部から地面に落ちるところだった。
「うぐ、あっ……」
「……そういうことか。まんまと騙された」
「これは……獣人ですか」
逃がさずにここで無力化できてよかった。
ここで逃がしてしまったら、しばらくは敵戦力に対して大きな勘違いをしたままになるところだった。
リステアの言葉通り、Jは獣人だった。
黒髪に覆われた頭部からひょっこりと飛び出る三角のでっぱり、股から伸びる黒い尾。四肢を覆う黒く豊富な毛並み。
そして未だ未成熟ながら成長が窺える胸の膨らみ。
間違いない。狂信者Jの力は聖女のものではなく、獣人のものだった。




