三十四柱目 リルン
新しく迎えたリルンと共に、次は密教と名乗る者たちが生活する洋館の左翼へと向かう。
左翼の部屋もまた薄暗く、蝋燭が暗闇から肉を照らし出す。
ほとんど魔女の部屋と変わらないのだが、ここでは女同士ではなく男女で交わっている。
すると肉林の隙間をすり抜けるようにこちらに身を出し、畳の上で正座する一人の尼。
長い黒髪は灯火に照らされて漆のように照り光り、息を飲むほどに白い肌と恵体の象徴たる果実は僅かな所作で大いに揺れ、言葉を発するだけで僅かに震えているよう。
「お待ちしておりました。貴方がレクト様ですね。<黒き母>の者から聞いております」
「そんな名前だったのか」
レディファーストは目的が似ている集団の集まりだから、それぞれにはまた別称があるとは思っていたが、そういえば聞いてなかった。
「そういえば魔女の方はなんて言うんだ?」
「あちらは<ヴァルプルギスナハト>。そしてこちらは開祖の名を冠します<スタンドリバー・ミルキーウェイ>です」
「……略称とかないのか?」
もう面倒なので深くは考えない。さっさと終わらせてしまおう。ここの空気は魔女の方より悪い。
共に交わっている男は恐らく、ここの村民だった者たちだろう。
「さっさと取引内容を言え」
「あら、気がお早いですね。レズ専門の魔女はともかく、私たちは貴方を歓迎します。ごゆっくりなされては?」
「悪いがパートナーは決まっててな。不貞するわけにはいかない」
「まあ、貴方も肉欲を否定なさるのですか?」
妖艶な微笑を浮かべる尼。その視線は明らかにこちらの体を値踏みするように這い回っている。
白い頬をほんのりと赤く染めるほどに。
「まずはお互いによく知り合うこと。信頼関係というのはそういった小さなことを積み重ねることで築けるものではありませんか?」
なんで俺が一々挨拶回りしなければならないんだ。中央の広間に全員集まれよ。
「……俺はレクト。偉大なる闇黒魔王ダクネシアの使いだ」
少し急ぎすぎていたのかもしれない。
一先ず落ち着こう。俺は必ずリステアの元へと辿り着く。そのためにも、俺は決してしくじるわけにはいかない。
俺はもう一度自分達のことを説明し、誠意を示す。
「さぁ、そっちの話を聞かせろ」
「いいでしょう。私たちは性の交わりをもって悟りを開かんとするもの。野生に立ち戻り、快楽の果てに悟りを得んとする者」
「頭おかしいんじゃねえの」
あっ、やば、抑えようと思ったのに間に合わなかった。
「悪い、つい」
「……いえ、そういった反応は慣れております。どれほど言葉で飾り立てたところで、性欲のままに貪っていることに変わりはありません」
「いや、そういうことじゃなくて、なんでわざわざ悟りを目標にしてるのかって。普通に性欲に溺れたいじゃ駄目なの?」
「男と女の和合によって、自然の陰陽を擬似的に再現し、その狭間に出来る物を悟りとしています。それは深淵の如く篤い愛であり、神童であり、絶頂であり……人それぞれの悟りを得るための行いなのです」
要するに気持ち良いことキメて皆でハッピーになろうって話か。
ちょっと新興宗教臭いところがあるが、まあ趣旨は悪くない。
「今では彼らも子宝に恵まれ、殿方はよく働き、作物も豊富な村になりましたから、こうして異なる勢力が三つも集まっているにもかかわらず、餓死者の一人も出ていないのです」
きちんと成果を出しているという点で、魔女やアマゾネスより優れていると言わざるを得ない。
ただ、正教としては一番厄介だろう。言ってしまえば洗脳みたいなものだ。
「色欲の大罪はともかく、こっちを主として重んじちゃうとな」
人々の救いは神でなければならないのに、愛や肉欲によって救われようとしているのは正教としては困るのだろう。
個人の救いに神がいらなくなるなんて、それこそ神に対する冒涜だと。傲慢に通ずると。
「世間は生の交わりをあまり快く思っていません。しかし、私たちはこうして成果を出しました。どうにか認めてほしいのですが……」
「実績の一つや二つで、世間様が意見を変えると思ってるのか?」
「……それしかないのです。私たちに出来ることなどこの程度です。しかし諦めるわけにもいきませんから」
諦めるわけにはいかない、か。
ああ、素敵だな。諦めが悪いってのは、見苦しいくせに綺麗に輝く。
「私たちは信じています。私たちの道が必ず、人々の救いに繋がると」
見れば全裸の痴態女子だが、その瞳には確かな意思が見える。
そこまで言うなら
「いいだろう。その理想のお膳立ては俺がしてやろう」
「っ! 本当ですか?」
「ああ、その代わり、こちらにも協力してもらうぞ」
「ええ、勿論ですとも。ではお近づきの印に一服なされますか?」
こちらに両手を差し出す様は、まるで慈愛の母のよう。
ふとした瞬間飛び込んで、その柔らかな胸に顔を埋めて甘えたくなる魔性の肉体と、その微笑。
「だから間に合ってる」
「あら……残念ですけど、素敵ですね。その愛がきっと報われることを願っております」
「どうも」
その後はこちらの要求を提示し、同意を貰ったので退室した。
レズの園と化した魔女の教団<ヴァルプルギスナハト>、悟りと救済のために性交を推奨するドエロ密教<スタンドリバー・ミルキーウェイ>。
細かい主義主張は違えども、大まかな方向性は同じで共通の敵も居るという状況。
誰が最初に手を組もうなどと思ったのか、しかし結果的に上手いこと成り立っているのが面白い。
割と芯はしっかりしているし、この分なら最後の団体もそこまで失望せずに済むかもしれない。
残るは館の右翼スペース。
期待はせずに、しかし希望を失わないように。
俺は自分の目を疑った。
いや、疑うべき光景はさっきまで見ていたはずだったから、尚更混乱が強くなるばかりだった。
その部屋はごく普通の居間だった。
否、広さと人口は大豪邸のスケールなのだが、誰も全裸になってないし、肉を重ねあうようなことはしていない。
むしろ普通、というか一般庶民的というか。
とにかく、誰もが平凡なのだ。いや、美貌は確かなのだが。
「来たか」
シャンデリアで照らされた明るい室内。深い最奥のソファに座る女性が立ち上がる。
黒髪を揺らし、こっちにツカツカと音を立てながら近づいてくる。
「あー、俺は」
「最初に言っておきます。私たちは正教の人間です。貴方がたの味方になるつもりは……」
「どうせ娼婦の地位を向上させたいとか、そういうのだろ」
「なっ……」
「えぇ……」
まさか本当にそうなのか? まあ何を理想とするかは人それぞれだから文句をつける気もない。
「い、いえ、それだけじゃないわ。私たちは女性という存在の価値を見直したいの」
「ほう」
「とりあえず、立ち話もなんだから……どうぞ」
俺は誘われるままに彼女が座っていたソファの対面に座る。
硝子の机の向こうに彼女が座ると、周囲の視線がこちらに刺さるのを感じる。
魔女のときは全員肉欲に夢中だったし、密教の時もそうだった。
だがここは違う。ここに居るのは娼婦と言う職業を経た結果、社会と男に募らせた不満を持った普通の女性だ。
これは女性がどうのというよりは、女性労働者の立ち居地で戦おうとしている。
ひとまずは俺から大まかなこちらの事情を説明する。
宗教関連じゃないなら、神だの魔王だのといった話をしても向こうは混乱するだけだろう。
あくまでこちらが女性に敵意が無いことを伝える。
「俺たちの目的は悪魔と人間の間に友好関係を築くことだが、これはつまり女性優位の社会を成立させることも十分可能だということでもある。神や悪魔の世界では、女性は男性に引けを取らないからな」
「貴方が女性の敵ではない、と主張したいのは分かりました。そのためにこうしてはぐれ者の住処まで足を運んできたのでしょう」
「まあな。それで、あんたらはどうしてわざわざこんなところに?」
女性は真剣な表情のまま、静かに語りだした。
「私たちは一応娼婦ということになっていますが、私たちの出自は各々違います。私は娼婦ですけど、売春や援助交際で稼いでいた子もいます。ですが、それは……」
「金は稼げるが、世間的にはあまりにやりにくい」
「そうなのよ。どうして私たちは見下されるのかしら……いえ、それはいいの。とにかく私たちは、誰から文句を言われることなく、そして安全に男から金を稼ぎたいの」
欲張りなことだ。だがアマゾネスに見せたアレに比べればいくらか謙虚だろう。
「それがそっちの目的というわけか」
確かに、ここに居る女性は全てが普通の人間なのだろう。
アマゾネスのような屈強な女狩人というわけではないし、魔女のように魔法が使えたり薬品の知識があるわけでもない。密教は相手を選ぶし金目当てでの性交とは違う。
自分より力の強い相手に体をレンタルするのだから、まったく怖ろしい。俺が絶世の美女だとしたらまず真似は出来ないな。そもそも労働が俺には無理だが。
「了解だ。その他に何か細かい頼みごとがあったら連絡するといい」
「こちらこそ、体なら何時でも貸してあげるわ、格安でね。でも出来れば病気の無い人だけにしてほしいわ」
なんとかこの洋館の勢力と同盟関係を築くことが出来た。
いやぁ、レディファーストは厄介な相手というか、めんどくさかったな。
「1つだけ頼みたいことがあるの」
っと、まだめんどくさいことが終わっていないようだ。
「頼みごと?」
「報酬を払えば依頼を引き受けてくれるのよね?」
「内容と条件によるとしか言えないが、金はあるのか?」
「お金ならあるわ。ここに来る前にたんまり男から稼いだもの」
随分と臭そうな金だが、まあ金には違いない。
聞くだけ聞いてみようか。でもなんか嫌な予感するし。
「いや……話くらいは聞いてもいいか」
「ここから北にあるエルフの森、そいつらが最近水商売を始めたらしいんだけど、それを辞めさせたいの」
「俺は勢力争いには関わらないぞ。正教からの迫害を受けたり、物資が足りないといったことなら金で何とかできるが、無用な戦いは出来ない」
魔物退治とかならまだこちらで出来るが、一つの勢力を敵に回すような真似は出来ない。目立つし。
「ちょ、ちょっと待って! 待ってってば!」
「え、そんな食い下がるほどなの?」
踵を返そうとしたところ、彼女は腰を浮かせてまで引きとめようとする。
「なんでエルフが水商売しただけで潰さなきゃいけないんだよ」
「え、エルフは長命なのよ。それに人間より体が頑丈で、確かにプライドは高いから極端に下の扱いを受けるプレイは出来ないかもしれないけど、それでもエルフはあらゆるニーズに対応できるポテンシャルを持ってるの! ロリで釣るかもしれないし……」
長命にして美人のエルフ。娼婦としてのポテンシャルは高く、魔法という男性に抗う術もある。アマゾネスに引けを取らないであろうプライドの高さと魔法の優位性から、男から主導権を奪いやすい。
また、長命と熟達した魔法により、ロリババアやロリ巨乳といったちょっと社会的にアウトで非現実的な需要にも応えられる。
エルフ、よくよく考えればサキュバスに次いで淫魔らしい種族だ。
「じゃあ、この依頼を受けてくれたら私たちは貴方だけはずっと無料で奉仕してあげる。どう?」
「悪いが嫁が居るんで遠慮させてもらう。あ、そうそう、リステアという聖女の話を聞いたらこっちに連絡をくれ」
「い、一途な男ね……」
娼婦である彼女達に俺が期待できるようなことはないだろう。
リルンから詳細を聞いた感じだと、密教に誘われてここまでついてきたということらしい。
もとから金魚の糞のような、自主性のない人間たちだったのだ。それを避難する気はないが、だからこそ期待できることは何もないという事実が残る。
「ま、待ってください! 私たちは……」
「俺たちが出来るの手伝いだけだ。それに仮にお前の言うとおりにエルフの水商売をやめさせたとしても、奴らはお前たちを皆殺しにするよう依頼してくるかもしれないぞ?」
「は、はぁ!? エルフはレディファーストじゃないのよ? それって裏切りじゃない!?」
「俺たちは正教という共通の敵を持つだけの同輩に過ぎない。別に仲間というわけではない。俺はお前たちの味方ではない」
俺は誰の味方でもない。少なくとも無闇に人間の味方になるようなお人好しは、とっくに卒業した。
「理解したなら、自分達が本当にしたいことをよく考えることだな」
「うるさいっ!! 偉そうに、役に立たない男め。さっさと出て行け!」
「では失礼」
俺は娼婦の部屋を後にした。
女性の発狂を生で見たのは初めてだが、ちょっと怖かった。
「まったく、人間というのはくだらないですね」
ふと傍らのリルンがそんなことを言う。
「どうしてリムルがこんなのに興味を持ったのか、理解に苦しみますよ」
「俺も前はそうだったけどな」
リムルは傲慢な奴だ。自分が認めない人間はクソザコと称して非人間みたいな扱いを容赦なくする。
その辺り、確かに悪魔なのだと感心してしまう。
「人間嫌いの魔人間。貴方のことはそう伺ってますが」
「ああ、まあ」
「じゃあ好きな物はなんですか?」
「リステア」
我ながら良い即答だと思った。
リルンはくすりと笑う。
「本当に聞いたとおりの方ですね。愛に生きているというか」
「俺にはそれしかないからな」
「良いと思いますよ。愛欲でしたっけ。欲望に忠実なのは、実に良いと思います。だから……」
すぅっ、と伸びた手が不意に俺の胸ぐらを掴み、強引に引き寄せられる。
気付けば、目の前にはリルンの顔があった。
鼻先がぶつかりそうな距離、桃色の前髪の隙間から、宝玉のように鮮やかな瞳が見える。
「だからこそ、略奪いたくなってしかたありません。その妄想嫁から、裏切り者の小悪魔から根こそぎ掻っ攫ってしまいたくなる。その愛を汚してしまいたくなるんですよ」
「そいつは悪魔らしい思考だが、相手が悪すぎたな」
「……魅了の眼が効かない。これも情報どおり」
リーリトはサキュバスとして超有名。その娘であるリルンもまたサキュバスであることは必然。
しかし日々フェチシアの誘惑を退けてきた俺にとってはもはやどこ吹く風。
この程度の魔眼に乗っ取られるほど柔ではない。
「なら……これはどうです」
リルンは俺の胸ぐらから手を離し、次は何をするのかと思えばその身をこちらに預けてきた。
寄りかかられ、顔を胸の辺りに埋めてくるが、柔らかく、そして軽い。
「貴方の噂、ずっと気になっていたんですよ。そして、今確信しました。あなたは面白い人でなしだ」
「えぇ……」
「私が探し求めた、私が愛する価値のある唯一の人間だ。きっとこの世の人間は、レクトという人でなしの玩具になるためにある」
「……そうかい」
僅かに体を押し返し、その体を離す。
「ヘタクソ。もうちょっと頑張れ」
「ありゃ、駄目ですか。歪ながら良い感じの愛を演じられたと思ったんですが」
「愛は行動で示すものなんだよ。俺が今こうしてせっせとやってるようにな。愛欲を嘗めるな」
「それは失礼。でも嘘はついてないですよ。人間に興味はありませんが、貴方には興味があります。人間嫌いが求めた妄想嫁が、一体どんな人間なのだろうってね」
小悪魔リルン。俺はその名を心の中に刻み付けることにした。
どうして俺の妄想嫁を<人間>と呼んだのか。こいつは、もしかして気付いているのか?
「貴方に1つだけアドバイスをしましょう」
窓から差し込む陽光に照らされ、可愛く微笑むリルン。白桃色の頭髪がさらりと流れる。
こちらへの微笑は、魅了の魔眼よりも目を奪う。
「余計な執着は捨てることです。貴方の愛が本物であるならば、貴方の執着すら些事でしょう」
「……やっぱり悪魔は性格がよろしいな」
やるべきことはやった。もうここでやるべきことは何もない。
先を急がなければならない。どうでもいい勢力争いに巻き込まれる前に、こちらの準備を整えなくてはいけない。




