一柱目・裏 本日より聖女
裏はだいたい聖女視点。人間界サイド。
私が私であること、クリスティア・ミステアであることに気が付いたのは、この世界に生れ落ちてから三年が経った頃でした。
現在、私が居る場所はレクトと過ごした暗い部屋とは何もかもが異なり、赤い絨毯が敷かれ、クリーム色の壁に絵画がかけられ、黄金の装飾が天井に描かれ、大仰なシャンデリアが吊り下げられています。
覚えているのは、暗い部屋、最愛の主人であるレクトがもがき苦しむ様子を見せて……
レクトはどうなってしまったのでしょうか。私はこの幼い体で、ただ敬愛するご主人様の身を案じることしかできません。
「気分はいかが、リスティア?」
大きな鏡に映る自分の姿から目を離し、微細な動きにまで注意して、声のする左方を向きます
まずは一礼。純白と青のドレスの裾を僅かに両手でつまみ上げ、一切の粗雑さを排して。
「良好です、エリザベスさん。あの、リスティアと呼ぶのは控えていただけませんか」
目の前で気品の高い一礼を返す金髪の少女。
常に崩れぬ不敵な笑みは、
彼女は花王エリザベス。
私がこの世界で、五年の間に作れた数少ない友人の一人。
王族の娘であり、聖女として招かれた同い年の少女です。
基本的に上から目線ですが、自分より下の者全てに慈愛をもって接する優しい一面で、私も彼女に気を許してしまいました。
「気軽にリズと呼んでと言っているのに。地方人だからといって、私は他の者のように差別などしませんわ。どう、ここの生活にも慣れた?」
「はい、おかげさまで」
この五年間で自分が得た知識は、この世界は私とレクトが生きていた世界とは違うということと、自分が聖女であることくらいでしょう。
聖女は、この世界で神からのお告げを賜る者として各地から召集されます。
聖女の特徴は人によって異なり、左右の目の色が違っていたり、神の印が体のどこかに焼印のように刻まれていたりと様々な種類があり、ちなみにエリザベスは胸元に魔法陣の焼印のような跡があります。
私は銀髪です。この国では銀色が聖なる色であるとされているらしく、また銀色の髪はあまりにも珍しいため、神のお告げを賜る聖女であるとされています。
そして、私たち聖女は五歳になると、洗礼を受けることが義務付けられています。
神のお告げを耳にするために耳の中に聖水を垂らし、穢れぬよう目薬を、偽りを言わないために、聖杯に注がれた水を飲み干すというもの。
私たちは今、その洗礼の直前であり、正装に着替え終えたところです。
「花王家の人間として、聖女として恥じない働きをしてみせますわ。他の誰よりも、貴方よりもね」
「私ですか?」
と、エリザベスは理想が高く、なぜか私をライバル視しているようです。
「銀色の髪は聖女の中でも最も珍しく、そして美麗と神聖の象徴とされているもの。私は王族として、それを凌駕する働きをしなければ」
「なるほど……」
「さ、そろそろ時間よ。行きましょう」
エリザベスの後に続き、洗礼を受けるための大聖堂へと移動することになりました。
純白の廊下に真っ青な絨毯が伸び、大聖堂に近づくにつれて廊下は広さを増していきます。
やがて、荘厳な装飾が施された黄金の両開きの扉に辿り着きました。
重々しい扉が自ら開き、私とエリザベスを中へと誘います。そこには私たちと同じく洗礼を待つ聖女たちが、部屋の最奥に並んでいました。
「来られましたか。お二方で最後です。ささっ、こちらへ。早速洗礼を行いましょう」
私とエリザベスは他の聖女と同じように並び、順番を待ちます。
よほど銀髪が珍しいのか、ヒソヒソとこちらを見ては耳打ちする聖女たちが多いです。
「言ったでしょう、銀髪は美麗と神聖の象徴。嫉妬とはいえ、誰もがあなたを一目置いているのよ」
銀髪のおかげで私の聖女としての価値がうなぎのぼりのようです。
これは妄想して頂いたご主人様、レクトに感謝しなければ。
「偉大なる神よ、神に選ばれし穢れ無き神聖の少女らよ、遥か下位なる我らに慈悲と恩恵を下さるは感謝の極み。今こそこの世の穢れを聖水にて清め、神のお声を哀れなる我らに届けたまえ……」
それからも長い祝詞が続き、その後に耳の穴と口を清め、無事に洗礼を終えました。
「お疲れ様でした。これで洗礼は終わりです。聖女様、どうか来るべき時、神のお告げを聞き、悪しき魔の者たちを滅ぼすために我々を導いてください」
こうして洗礼は終わり、私たちはこの教会を後にし、大きな城に迎えられました。
そして私たちは今この城で、外出以外に何不自由ない生活を送っています。
「はぁ……」
それでも私の溜息が尽きないのは、彼女らとは別に、外出以外にもう一つの不自由が存在しているからです。
そう、レクトです。私が親愛する最愛のレクトが居ないのです。
この世界にレクトは存在しているのか。それさえも分からず、何のために生きているのか、こうして無意味に時間を浪費しています。
「ああ、せめて貴方がおられるならば……」
聖女にはかなりの権力が与えられており、親衛隊が与えられています。
せめてレクトがどこかに居ることさえ分かれば、全力で捜索させているのですが……。
しかしなんの根拠もなく、あやふやな理由で動かせるほど軽々しく扱えるものではありません。
だから私はこの世界のことを知ることにしました。
そうすることで、自分がこの世界で肉体を得た理由が、少しでも分かれば……
そして、知識を得る機会はすぐに訪れました。
聖女といえど5歳の娘。この国の中で、一流の学校に通わされることになっています。
聖エルペリア学園。この国にある唯一の教育施設。そこには膨大な情報があるはずです。
私は少しでも知識を得、やがてこの現象の原因を突き止め、きっといずれ出会えるレクトのために、多くの情報を集め、記しておこうと決意したのです。
聖女になって一ヶ月、よく城内を歩き回り、どこかに図書室があるということが分かりました。
今、私はその図書室を探しているのですが、城があまりにも広すぎて辿り着きません。
せめて見取り図くらいあればよいのですが
「クリスティア様、あまり勝手に出歩かれては」
廊下を歩いていると、若い男性が駆け寄ってきました。
聖女にはそれぞれ、親衛隊と側近が与えられます。彼は私にとってのそれです。
私に与えられた親衛隊の隊長にして、側近である人は、よく私の行動を軽率であると注意してきます。
「クリスティア様は聖女であらせられるのですから、せめて私を同伴させていただきたいのです」
「いえ、私は一人でも問題ありませんよ」
実際レクトが居ないのは非常に問題ですが、仕方ありません。
私は是が非でもレクトを探し出し、彼の元へと舞い戻らねばなりませんから。
「あります。クリスティア様は今回の聖女様の中でも特に強い才をお持ちです。万が一、敵国の暗殺者や、クリスティア様を良く思わない聖女の使いに襲われるということも」
「……分かりました。では貴方だけ同伴を許可します。……あなたは?」
渋々承諾したは良いものの、この人の名前を知りませんでした。彼が暗殺者や他の聖女の使いでないという保証もありませんでしたね。
私の問いに、彼は片膝を着いて頭を垂れて応えました。
「私の名はサフーバ・ハムズ。ハムズとお呼びいただければ」
「ハムズさん。同伴を許可しますが、その代わりに私の力になってください」
ハムズは快く笑み、辞儀をする。
「それはもちろんで御座います。なんなりとお申し付けください」
「道に迷ってしまいました。まず図書館へ連れて行ってください」
以後、私が出歩く時は必ずハムズが同伴することになりました。
一週間、ずっと図書館に通いつめましたが、レクトに関する情報はなにもありませんでしたが、この世界がどういうものかはなんとなく理解できました。
ここはグランディアと呼ばれる大陸。
天上の唯一神を信仰し、宿敵である悪魔と長い間戦い続けてきた民の地。
広大な大地には神聖皇国エルドランド……つまり此処と、その周囲にある小国が魔物や悪魔を根絶するために日夜活動している、妄信の国。
「神、ですか」
「天上の主に、何かご不満が?」
「いいえ」
やはり隣にハムズがいると面倒です。一人ならまだ気楽なのですが。
「私たち人間は、神と魔の闘争の果てに生まれました。生じてしまった我々を、神は慈しみ、魔に囚われることなく導いてくださろうとしているのです」
「そのために我々は魔を絶滅せんと、この命を捧げる……ということになっています」
「ということになっている?」
まるでハムズは異なる考えを抱いているような物言い。
「私にはそういう小難しいことは分からない物で。兵士としての役目、武人としての務め、騎士としての誉れ……私にとっての価値は、それくらいのことしかありませんので」
「なるほど」
そのシンプルな考えに、私は少し安心しました。とはいえ、いまだ信頼するには値しませんが。
とはいえ、必要以上に警戒する必要もないと、肩の力は抜けそうです。
「申し訳ありません。聖女の衛兵にあるまじき発言でした」
「いえ、主は寛大であらせられます。きっとお許しくださるでしょう。それよりも」
神への不敬を見過ごし、尚且つそれよりもと軽々しく扱う聖女。
きっと今の私は、聖女として最低の部類でしょう。
「ハムズ、教えてくださいますか」
「なんなりと」
「私が最もクリスティアの名を広められる方法を教えてください。そして、私が世界を旅する手段も」
クリスティア・ミステアとしての人生を、レクトの嫁として彼を探し続けるためだけの生を。
今此処から始めるのです。