十四柱目 影遊び
魔力の用途は魔法に限らず、魔法の用途は魔術に限らない。
未だ成長途上の俺の肉体を補うのに、魔力による身体強化は必須科目である。
「ということで、いわゆる組み手をやることになりました」
魔法の講習を終えて、次は接近戦の講習ということでボーンが講師だ。
ボーンといってもくノ一、女忍の姿。
場所はブッキーが用意してくれた和室。ボーンの服装と良く似合っている。
というか、本当に艶かしいな。これも忍法か?
互いに正座して向かい合っていると、腕で寄せられる胸が余計に強調される。
「と、とりあえず、どうしましょうか……」
「最初の時みたいに、遠慮なく来てくれ」
俺は立ち上がり、数歩後ろに下がって両腕を構える。
「来い、ボーン」
「は、はい。それではこれより、講師を勤めます」
次の瞬間、ボーンはまっすぐにこちらに飛び出した。
「ぬおっ!?」
深く懐に踏み込んできたボーンを、俺は単純なジャブの連打で間合いを保持する。
だが、俺の拳はボーンの体をすり抜けた。
「はっ……?」
気付けばボーンの姿は二つ。既に二人目のボーンが俺の喉元に指を突き付け、一人目のボーンは影のように揺らめいて消えた。
「影……そうか影か」
「そうです、影です」
言い終えると同時に、仕切りなおしにボーンが後方に跳躍して間合いを取る。
「それがお前の新しい武器、忍法というわけだな」
「正確にはシェイドによる忍法の模倣ですけどね。影分身です」
影分身。なるほど、使われるとここまで厄介なものか。
いや、それよりもボーンの動きに遅れすぎている。
「くっ、あらゆる格闘技で最速の技なはずだぞ、ジャブは……」
「あのレクトさん、これは魔力を活用した戦い方を習得するためのものなので、ムキにならないでください」
それからというもの、俺はボーンに連戦連敗を喫することとなった。
まず打撃の打ち合い。
「シッ、シュッ! チシィッ!」
三連ジャブを掻い潜り、音もなく迫り、急所を的確に指で突かれる。
喉、心臓、額。
「隙あり、です」
「ぐぐぅ……」
続いて組み技、投げ技、寝技。
「うおおっ!」
「お、おお!」
襟を掴んで強引に持ち上げる。
肉が付いているはずなのに軽い。が、手首が捻じ曲げられる。
「あだぁっ!?」
「こうやって、投げられる前に反動をつけて捻れば、一瞬だけ手が緩むんですよ。ここから……こうして!」
「ちょ、反動をつけるのはやめ、っとぉ!?」
目まぐるしい視界の反転の末に、俺は畳の上で固められていた。
「これが腕ひしぎなんとかかんとかです」
「そこあやふやかよ。いや、だがこれは……」
細く柔らかな五指が腕を必死に俺の手首を握り、黒い服越しに豊満な胸の谷間に腕が埋められ、すらっとした腹のラインに沿って、押し付けられる股座。
フェチシアはガンガンに性を意識した攻め方をするが、ボーンはまったく無意識だ。
それが余計に情欲を駆り立てる。
「あの、組み技は加減が難しいんですけど、辛くないですか?」
「いや、もうちょいこのままで」
「は、はぁ……」
元がアンデッドだからか温もりはない。しかしこの感触を味わうこともそうはない。もう少し堪能しておくか。
「あの、もがかないと訓練にならないような」
「いや、あともうちょい」
しかし、考えてみると女性の体に触れる経験なんて生前はまったくなかった。
初めて触れたのはフェチシアの時か。あの時はほとんど何とかするのに必死で感触を味わう暇すらなかったが、なるほど魔性の体はこうも逃れがたいものか。
「何してんだお前ら」
「あっ、リムルさん」
おっと、邪魔が入ってしまったようだ。
「なんだリムル。出来ればもう少し放っておいてほしい」
「お前もなかなか悪魔らしくなってきたなぁ。気付かないのをいいことに、内気な少女の体を堪能するなんて」
「今回に限っては反論できねぇ」
ふとボーンを見るが、まだ気付いていないらしい。
「ボーン、こっち見ろこっち」
「こっちって……っ!?」
ようやく気付いてパニックに陥ったボーンが容赦のない力加減で俺の腕を破壊しようとしている。
「リムル、身体強化の魔法を使っても相手に無効化の魔法を使われて無為に帰する。どうすればいい?」
「ゲーム脳だなぁ。もっとシンプルに考えるといいぞ」
「説明できないからってシンプルで纏めようとするのやめろ」
リムルは説明が下手だからか、あやふやな単語で誤魔化すところがある。
というか、使いこなしている本人がちゃんと理解してないのかもしれないな。
「うーん、つまりだな。魔法じゃなくて魔力って考えるんだよ。魔力はイメージで操作できて、イメージによって変質する。魔力を力に変換するイメージをすれば、それだって強引にはがせるはずだ」
「魔力を力に変換……こうか?」
「もっと腕に魔力を通せ」
練り上げた魔力を一気に腕に通す。続けてそれを膂力へと変換する。
「あっ」
すると、じわじわと腕が曲がり始め、ボーンの柔らかながらも強固な拘束を引き剥がしていく。
「魔力はその気になれば何でも出来るからな、思いついたことをなんでもやってみるのがいいぞ」
「なるほど」
振りほどいた腕を曲げ、鋭角の肘を振り下ろす。
畳に大きなクレーターが出来るものの、ボーンの姿は既に移動していた。
足を振り上げ腕で跳躍し、着地と同時に構え終える。
「さて、もう一度」
「あの、どうでしたか?」
「もう何度かやってみないと実感が湧かないな」
「そ、そうですか……それじゃあ続けますね」
前傾姿勢になるボーン。
さて、どうするか。
つまり、魔力を体に循環させた状態でイメージすれば、身体強化の魔法と同じ効果が得られるらしい。
身体強化の魔法とはつまり装備のようなものだ。
刃は魔に研ぎ澄まされ更なる切れ味を、鎧は魔に覆われ更なる肉厚さを、筋肉は魔を注がれ大木をも軽やかに操る身軽さを付与する。
だが、リムルの言っていた方法はそれとはまた違うものだ。
「魔力を通す、魔力を循環させるということは……」
魔力を操ることで魔法を成す。この時点で魔力を操作することは可能なはず。なら、その魔力を体に直接通すことも出来るようだ。
試しに右腕に通してみるか
「おお、これは」
分かる。今の俺の右腕には指先まで魔力が通っている。
なるほど、これならなんとかなりそうだ。
「いいぞボーン、来い」
「では」
先ほどと同じ動き。音も無く素早い動きでこちらに踏み込んでくる。
最高のタイミング、俺は腕にとあるイメージを流した。
「シッ!」
放ったジャブは、同じように影を囮に回避された。
いや、回避しきれて居ない。ボーンの頬には掠り傷が出来ていた。
思わずボーンは急所を打つことなく後退する。
「なるほど、こういうことか」
「人間の体に直接魔力を通わせたら色々すごいことになるけど、悪魔の体、ダクネシア様が造ったお前の体ならなんら問題ない。イメージによる変質と変容をいかに戦闘の中で活かすかが、悪魔の戦い方の要だぞ」
なるほど、ここまで自由度が拡がるのか。
悪魔や天使の姿が人外通り越してえげつないのもこういうことか。
「さて、じゃあどうするか」
「そろそろ良さそうですね」
するとボーンの手から影が伸びる。
影は一本の刃となる。あれは、クナイって奴だ。
「今からは寸止め無しでいきます。大丈夫です、その体ならそう簡単に駄目にはなりませんから」
「おー、ボーンはレクトに対しては本当に遠慮がなくなってきたな」
「もう少し遠慮してくれてもいいんだが……」
まあ仕方ない。下手に手を抜かれてもやりにくいからな。
とりあえず全身に魔力を循環させておくか。
軽やかに、速やかに、しかし強力に。
「行きま……」
「先手、必勝ッ!」
通常では成しえない加速力で、一瞬にしてボーンとの距離を詰めた。
そのまま拳を腹に打ち込む。
しかしまたもや影。本体は既に移動していた。
どこに居るのか左右を見て探すが、どこにもいない。
と思ったところに背後から何かが絡みつく。
「っ!?」
両足に纏わり付く黒い両足に、口と鼻を塞ぎつつ絡みつく腕に、クナイを喉元に突きつける右腕。
みっちりと体を密着させられ、身じろぎ一つ満足に出来ない。
これは、またなんとも。
「どう、ですか?」
「耳元で囁かれるとゾクゾクしちゃうな」
「私なら、もっとさせてあげられますよ?」
「いいや、それは遠慮しておく」
「そうですか。では続けます」
ボーンは遠慮なくクナイに力を込めた。
だが、刃は通らない。というか俺が通さない。
「高質化はこれで合格かな」
「……はい、十分です」
ガツガツとクナイを喉にぶつけられるが、喉には傷一つ付いていないだろう。
「それじゃあそろそろ離れてもらうか」
「ちょっと、名残惜しいです」
「悪いな」
拳で破砕するイメージを込めて、ボーンの両脇腹を狙うが、その体は黒い影となって消えた。
振り返ると、ボーンがちょうど着地したところだ。
「にしてもボーンは回避力がやばいな」
「忍者形態だからな、なにかと回避率が上がったんだろう。私が一番嫌いなタイプだ」
「リムルは殴り合いが得意そうだもんな」
「お前……試してみるか?」
おっと、さすがに二人同時に相手にすると精が尽きそう。
とはいえ未だにボーンと互角に戦うことすらままならないわけだが。
「どうするかなぁ」
しかしリムルが来てくれたからか、少しは頭が柔軟になった気がする。
では、攻略を始めよう。
ブラッデイボーン・シャドウハート。
元アンデッド、リッチー&シェイド。現在は魔忍者スタイルの悪魔。
元アンデッドゆえに体は頑丈。さらに忍者なのですばしっこく、回避率も高い。
そして何より、未だに魔法を使っていないため、今までの戦闘は完全に弄ばれていた事になる。
勝算は無い、ように見える。だがそれは現時点での話。俺の成長伸びしろはまだまだあるはず。
考えろ。少し頭を捻って想像力を働かせれば、俺の愛がこんなところで潰えるものか。
魔力、魔法、戦闘、応用、イメージ……違う。こうじゃない。
「ぐっ!?」
鳩尾に深く入るクナイは、なんとか魔力によってわずかな切り傷で済ませた。
「チッ!」
「思考に時間を割きすぎたな。ボーン相手に考えすぎはよくない」
「容赦ないな、まったく」
あれこれとごちゃごちゃに考えてたらジリ貧か。なら、もっとシンプルに。
ボーンはすばしっこい。まともな攻撃じゃかわされるだけだ。当たったとしてもアンデッド。戦闘不能にまで持っていくにはかなりの威力が必要……
「思いつくもんだな」
となれば、さっそく実戦あるのみ。確実に仕留める。
「これで決める。来いよボーン」
「遠慮なく」
もはや完全に無遠慮と化したボーンはさらに素早く接近する。
だが、もはやいくら速かろうと俺には無意味だ。
「シッ!」
何度も回避されたジャブを放ち、今度も同じように回避される。
懐に踏み込んだボーンが、再び俺の急所を狙う。
「ここだなッ」
あえて俺は前進する。ボーンの攻撃が余計に深く喉に突き刺さる。
その瞬間に、俺は喉部分に魔力を通して硬化させた。クナイが抜けなくなったことに驚いたボーンは、離して後退しようとする。
だが、俺の一歩はすでに地面を踏みしめ、魔力は行き届いていた。
「驚いたか?」
「か、体が……」
「影踏み。忍法でも似たようなのがあるよな」
踏んだ影を伝い、ボーンの体は一時的に身動きを封じられる。
「続けて凍結」
ボーンの影を伝って両足が凍りつく。
「いかに回避力が高かろうと、攻撃の差異には必ず接触する。なら簡単だ、その瞬間に捕まえればいい」
そのままボーンの脚に俺の脚を引っ掛け押し倒し、両足は砕けて地面に転がる。
すかさずマウントポジションで逃がさないように固定する。
すぅっ、と拳を引き、魔力を込める。
「そして、念には念を、入れるッ」
横隔膜を強打されたボーンの口から息が漏れる。
「これでディスペルはできまい」
魔力を直接打ち込めば、相手がアンデッドであろうがなんだろうがダメージを与えることが出来るらしい。アンデッドであるボーンが打撃で苦しんでいる。
だがこれでは致命傷にはならない。
「おいレクト?」
「我が心よ魔を湧かせ、我が力よ魔を掴め。魔を持ちて為し、魔を費やして成れ。我が意志を持って、千変万化の業火となれ」
「レクトさーん?」
やはりアンデッド相手には火炎系に限る。
「灯れッ!」
膨大な光と暴力的な熱の奔流が手の平から溢れる。
ボーンの体は見る見るうちに焼かれ、服も肉も骨すらも灰と化す。影は溢れる光に掻き消され、不死の体も不滅とまではいかず、部屋一面を火の海にし尽くした。
「……やりすぎだろ」
「ちょっと気合入れすぎたな」
確実に仕留めようという意志が反映されたか、ボーンの姿は粉微塵にも残っていない。
「ボーン、これ大丈夫なのか?」
「あいつならもうそろそろドロップするはずだぞ。あっ、そこほら」
リムルが指差す方向には、髑髏が宙に浮いていた。
「悪魔は消滅すると一旦アイテムになる。完全消滅を防ぐために、自分で自分を封印するんだ」
「なるほど、これが」
「魂が結晶化したのと同義であるこういうアイテムは絶対に不滅らしい」
不滅のアイテムになって復活の時を待つのか。
見た感じ、縁のある物品に変化するのだろう。ボーンだから髑髏ってか。
「復活はどうする?」
「長い時間をかけて空気中にある微量の魔力を吸収する。あるいは儀式とかで一気に魔力を注入させると復活できるけど……まあ、これだけ密室で派手にぶっ放してりゃ、すぐに魔力も溜まるだろ」
リムルから解説を聞いていると、さっそく髑髏が紫色の光を放ち始めた。非常に禍々しい。
次の瞬間、やたら強い光を放ちながら、紫色の光は影に、影は人型を作り、やがていつものボーンの姿に変わる。
「……降参したのに」
ぼそりと、ボーンは拗ねた口調で愚痴を零した。
降参した……したかぁ?
「レクトは夢中で気が付かなかったみたいだが、ボーンはレクトが詠唱を始めたところから脚をタップしてたぞ。あー、麻痺状態だったから力入らなかったのもあるだろうな」
「えっ、マジで?」
「私も一応、ちゃんと止めようとしたしなー」
あの時か。またリムルが横から茶々入れて俺の邪魔をしようとしたのかと思った。とはいえこれはこれで美味しいと思っているのか、リムルはいつもの傲慢微笑を浮かべている
それは、なんか悪いことをしたな。いやでもしょうがない。ボーン強かったし。
「まあでも、ちゃんと元通りになるんだな」
「そりゃ永久不滅が悪魔の取り得だしな」
悪魔ならどんな雑魚でも死なない。それはそれで辛そうだが、悪魔ならやり方次第で強くもなれるし、弱くもなれる。あやふやで適当で呑気な性格の彼らには、永久不滅なんて悲劇でもなんでもない。
「実戦での応用も終わっちゃったし。もう本格的にやることなくなっちゃったな!」
「まだお前とは全力で戦ってないが」
リムルの全力。七つの大罪のうち1の階位、傲慢を司る小悪魔。
そして何より、ダクネシアの右腕だった存在。
「いやいや、相棒と戦うのはもっと期間を置いてからだろ」
「?」
「長い長い戦いの末、相棒は嫁と再会の喜びを分かち合う。しかし長い時間を私と共にした相棒は私に気を使う。しかし私も相棒との絆を手放したくない。そんなジレンマに苛まれ、私は傲慢さゆえに相棒を襲う。拒む相棒、迫る私。そしてついに私と相棒はこれまでの物語に決着をつける……」
リムルもなかなか逞しい妄想をするようになったな。
「とにかく、私と相棒がヤり合うにはまだちょっと早いってことさ」
「そうかい。そうなると、本当にやることないな」
「いいんじゃないか? お前らしく怠惰に過ごせば」
言われなくてもそうするつもりだ。やるべきことはやったしな。
いまさら先を憂うメンタルなんて少しもない。
「ということで、怠惰の象徴を用意したから早く帰って来い」
「怠惰の象徴?」
怠惰の象徴、俺はこの後、その凶悪な怠惰さに屈することになろうとは、思いもしなかった。




