前戯 タルパの使い手と脳内嫁
連載二作目。
登場人物視点で頑張る。
突然だが、諸君らはタルパをご存知だろうか?
俺もそこまで詳しくは無い。ネットで見かけた程度の知識しかないし、なにやらややこしいので小難しい説明もしない。
俺がここで言うタルパとは妄想によって創り出された、自分だけが接触できる脳内嫁のことである。
脳内嫁とは呼んで字のごとく、脳内で創り出された嫁のことだ。
イマジナリーフレンドとも言うらしい。いや、友人じゃなくて嫁だからイマジナリーブライド?
妄想で創り出された脳内嫁を、さも自分の傍に居るように想像し、創造し、自分にだけ知覚できる存在。
もちろん脳内で自分の好みにあわせて作った嫁なので、自分にとって最高の嫁を持つことが出来る。
それは想像力豊かな人間の特権であり、三次元はおろか、並の二次元でも比較にならない。
髪型、目鼻立ちから瞳、容姿、性格、仕草、服装、自分への感情、その他カラーリングから異種族まで、好み次第で無限に極めることが出来る。
もちろん欲張りな人間は複数の脳内嫁を使ってハーレムを築くことだってできる。
そして何より、自分がイケメンでなくてもなんら問題が無い。
自分のファッションや髪型、体型、なにから何までする必要が無いのだ。つまり金を使わない、コスパがいい。
これぞ三次元では到底及びも付かぬ極地。生涯独身という方には是非オススメ。
数年前まではフリーターとしてプラマイ0の生活を送っていたが、今はパソコンに噛り付く毎日。人は俺のような者をニートと呼ぶ。
別に望んでニートになったわけではない。
世の中には劣悪過ぎるブラック企業が多く蔓延り、労働環境は尽く苛酷の一途を辿り、またそれを社会が黙認し、社畜らは反抗もせず声も上げず、ひたすらに隷属している。
そんな社会の肥やしになるのは真っ平ご免なので、ニートにならざるを得なかったのだ。仕方ない。
「レクト」
俺以外に誰もいない部屋で、隣から美しい声で俺の名を呼ぶ存在が、確かにそこにあった。
隣には、恋しく愛しい脳内嫁が座っていた。
「そろそろアニメが配信される時間です」
おっと、そうだった。
俺はパソコンのマウスを操作して、最近流行のSNSでの呟きを中断し、最近流行のブラウザゲーからウィンドウを切り替える。
脳内嫁だから俺がどれだけ二次元を愛好していようと引かれることはない。三次元だとこうはいかないだろう。
「ありがとう、リステア」
「アタリが見つかると良いですね」
彼女が俺の脳内嫁、クリスティア・ミステア。愛称はリステア。
美麗な長い銀髪と、綺麗な瑠璃色の瞳、起伏に富んだ端麗な姿態を青のドレスで着飾る乙女。
乱れ一つ無い姿は、目にするだけで俺の心を癒してくれる。
決して俺を害さず、いつでも俺の味方をしてくれる。
まさに理想の嫁。それが彼女である。
「クリスティア、愛しているよ」
「はい、私も愛しています。レクト」
俺は彼女と添い遂げるだろう。
このクソッタレで忌々しい現実を置き去りに、彼女と共に妄想で活きるだろう。
死が二人を別つまで……いや、死が自分たちを永遠にしてくれる。
現実では孤独死扱いだろうが、そんなことはどうでもいい。
それまでは決して誰にも邪魔されてはならない。この忌々しい現実に存在する、汚らわしい人間に邪魔されてはならない。
「素晴らしい」
妙な声が聞こえた。
「レクト?」
「いや、俺じゃ……」
「見つけた。お前だ、お前が良い。お前こそ相応しい……」
突如、心臓に鋭利な痛みが走った。
「がっ、あ……」
苛烈なほどの痛みが心臓を襲い、身動きできないままに倒れる。全身から冷や汗が吹き出るも、痛みのあまり呼吸すらままならず、声も出せない。
「レクト!大丈夫ですか!? レクト! レク……」
激痛が妄想を乱し、脳内嫁をイメージすることすら出来なくなった。
やがて痛みさえ感じなくなるような朦朧とした意識の中で、せめて幸せな妄想を、と思った。
しかし叶わず、そのまま視界は闇に閉ざされた。
暗い部屋、パソコンのディスプレイだけが照らす室内では、一人の男が倒れているだけだった。
俺が覚えているのはそこまでだった。
現在、俺は妙な部屋にいる。
一言で表現するなら、玉座の間。
見回せば、黒曜石の石畳、壁、天井。
鮮血のような赤い絨毯が延び、その先には数段上がったところに玉座が、そして何者かが座っていて、こちらを見下ろしている。
あまりに突然な光景に、俺はただただ驚き、眺めることしか出来なかった。
「初めまして、客人よ。まずは乱暴な招き方をしてしまって許して欲しい」
記憶に触れる、深い声。
あの苦痛の直前に聞いた声そのものであった。
「我は魔王ダクネシア。お前のこの世界に招いた」
「は、はい」
我ながら情け無いと思いながらも、間違った反応では無いと信じていた。
王の黒衣を身に纏った魔王ダクネシアを見るだけで、力の差が明確にイメージさせられた。
外観、体格は普通ながらも、纏うオーラは只者ではない。
「下手に騒がないでもらえて助かる。さて、我は故あってお前を殺した」
「ころ……ということは、俺はもう死んでるんですか?」
「その通りだ」
では、なぜ俺はこうして、魔王とやらと話しているのか。
「疑問はあるだろうが、一先ずそれは置いておけ。我はお前に頼みたいことがあるのだ」
下手なことをすれば簡単に殺されそうな気がする。ダクネシアの言われたとおりに黙って聞くことにするか。
「お前には我の部下となり、我が野望の希望となってほしい」
「や、野望ってなんですか。世界制服とかですか? ちょっと俺には荷が重すぎ……」
「そうさな、簡単に言えば、我ら魔族と人族の友好関係を築く手伝いをして欲しい」
無理だとすぐに思った。
いや、それは無理だ。できっこない。まだ世界制服のほうが良かった。
なにせ俺は生粋の人間嫌いだ。人間嫌いの俺に、人と友好関係を築く術など持ち得ない。
この魔王、どうやら人を見る目が無いらしい。
「もちろん報酬はお前の望むものを用意する」
「い、いえ、俺は……」
「お前の持つ脳内嫁とやら。それを実体化させてやろう」
断ろうと言葉を発する口が、寸でのところで止まる。
俺の脳内嫁を実体化させる?
つまり、俺の可愛いリステアを、絶世の美乙女、クリスティア・ミステアを現実に顕現させる?
「お前の魂は、殺した我の手中にある。我が力ならば、お前の抱く妄想を一つだけ実体化させることが出来る」
「そ、それは……」
イヤ待て。それはあまりにもサービスしすぎている。
人族と友好関係を築くことにどれだけの価値があるのかは分からないが、裏があるような気がしてならない。
だが、内容があまりにも魅力的過ぎた。検討の余地がある。
「お前は前世を捨て、新たな世界に生まれ変わり、我の野望に協力するのだ。そうすれば、クリスティア・ミステアと永遠の愛を堪能できるぞ」
「で、ですけど、労働はちょっと……」
「必ず週に二日間は休暇を取らせよう。有給もあるぞ。残業代もきちんとでる。成果に応じて昇給もあるし賞与も出そう。いずれ我が王位を継承する権利もやろう」
「喜んでやらせていただきます」
なんだこのホワイト企業は。
人間なんぞよりよっぽど良心的だぞ。服装や部屋の内装はこれでもかと黒いくせして環境は真っ白だ。
そこまで好条件を提示されたら、このまま死ぬよりは第二の生を受け入れたほうが絶対に良い。
それが悪魔の嘘だとしても。
「悪魔は契約に関して絶対に偽りを言わない」
「よろしくお願いします」
「うむ。それでは生まれ変わってもらうとしよう」
魔王の言葉と共に、俺の全身から力が抜け、体は冷たい床に投げ出される。
「そうそう。一応は人間を辞めてもらうぞ。純粋な人間では魔界の環境には耐えられないだろうからな」
その言葉の意味も分からないまま、再び俺はまどろみの深淵へと引きずり込まれた。