幸せなひととき
第1章 「偵察と打ち上げ」の、偵察部分の佐伯さん視点です。
「ちょっと恥ずかしいだけなんだよ、みんな自分の初恋のことも思い出しちゃってるんじゃない?
夏月ちゃん…少しでも吹っ切れて楽になれるといいね…。成仏ってそういうことでしょ?…何か手伝える事あったら言って。飲みたい時とかさ、付き合うから。」
北上がやらかした。
『Mon premier amour〜ショコラとフランボワーズのムースとマカロンにあの日の思い出を添えて〜』
夏月ちゃんが考案したバレンタイン限定コースのデセール。
酒の席で彼女が話していた初恋のマカロンの話だとか、5年前の彼女の苦い恋の話を皆にバラしてしまったらしい。
厨房の男性スタッフ受けの悪かった彼女が付けたネーミングよりも、『夏月の恋』というメニュー名の方が良いんじゃないかとまで言いだし、それが皆にウケてしまったため、彼女は落ち込んでいた。
サービスを5年やっていた俺には分かる。
お客様の目を引く、インパクトのあるメニュー名…彼女はお客様受けを狙ったのだと。
そんな彼女を少しでも慰めたくて声をかけた。
「ありがとう!佐伯さんの優しさが心に沁みる…。飲みたい時…あ、ハルさん辞める前に、また飲みに行かない?」
「そうだね…涼さん、あと2週間無いんだもんね…。」
望んでいた答えと少し方向性が違ったので軽く凹んでしまったが、涼さんともゆっくり話がしたかったのでかまわない。良い機会だ。
結局、涼さんの勤務最終日に3人で飲みに行くことになった。
場所は、クリスマスに行ったバール。
美味しいし、雰囲気も落ち着いてゆっくり出来るので割と好きな店だ。
座り心地が良いのもポイント高い。
ソファがあまり大きくないのも有難い。先日その恩恵を受けたばかりだ。
今までは狭くて誰かと一緒に座るのは嫌だと思っていたのに…。
そして迎えた当日。
勿論俺は夏月ちゃんの隣、一緒に2人掛けのソファに座る。
涼さんが俺たちと向かい合わせで座る。
ごく自然なフォーメーション。
涼さんの店がどんな雰囲気なのか、どんなメニューを出すのか、コンセプトなどについて、俺と夏月ちゃんが質問をして、涼さんが答えていた。
その中で、『マリアージュ』という言葉をきっかけに、涼さんと桃子さんの結婚式の話になり、3年後を目処に子どもが欲しいとかそんな話になった。
ふと隣を見ると夏月ちゃんが遠い目をしていた。
彼女は俺と同い年で31歳。今年32歳になる。
結婚・妊娠・出産について嫌でも考えてしまう歳なのだろう。
高校の時の友達は皆結婚したという。
結婚は諦めたとか言っていたけれど…諦め切れない複雑な気持ちなのだろう。
「おい、夏月どうした?」
「いや、今、自分自身もそういう難しい年頃だという事に気付いて…。」
「凹んでたの?」
「佐伯さん、凹んで無いから…。ちょっと考えてしまっただけ。」
明らかに動揺している。
そんな彼女に、俺はつい、冗談めかしてはいるものの、半分…いや、かなり本気で言ってしまった。
「…もし、アラフォー…いや、35過ぎても結婚したいのに相手がいなかったら声かけて。お互い相手がいなかったら余り物同士…それも有りじゃない?」
もういっそ、今すぐにでも構わない、それが本音。
でも彼女には俺のそんな気持ちには気付かない。想定内だ。
「流石にそれは申し訳ないって。無理そうなら潔く結婚はあきらめるよ。でもその前に佐伯さんに限って結婚してないとか有り得ないでしょ?優しいし、顔も良いし、佐伯さんなら引く手数多だって。」
例えお世辞だとしても、素直に嬉しいと思えるところもあるにはある。
しかし…想定内とはいえ、即断られると流石に凹む。
「ドンマイ…お前、もう少し周り見ろよ…はぁ…。」
涼さんが大きなため息をつく。
今のドンマイは明らかに俺に向けられたものだ。
涼さんの言う「周り」とは間違いなく俺の事だ。しかし彼女はそうはとらなかった。
「そうですね…祖母の事を考えると結婚するべきなんだろうなとは思います。お見合いの話もあったみたいですし…断りましたけど。私もハルさんところで落ち着いたら考えてみようかな…。婚活?した方が良いんですかね…。」
「ここまで鈍感だと逆に清々しいな…。」
そうなのだ。
夏月ちゃんは恋愛に関しては清々しい位に鈍感で、仕事以外の自己評価が低い。
特に、彼女がいかに魅力的なのかと言う点においての評価の低さはびっくりする。
もっと自分に自信を持てば良いのに…。何度そう思った事だろうか。
婚活もお見合いもする必要なんてない。そんなのする位なら、俺と結婚してくれ、心の底からそう思った。
話は再び仕事や、涼さんの店の話となる。話し込んでいるうちに閉店時間になってしまい店を出る。
追い出される様に、というわけではないが、寒い季節はどうしてもそう感じてしまう。
真冬の午前5時。
あと数日経つと暦の上では春になるが実際は春なんてまだ遠い。
そんな時なのに、浮かれずにはいられないような提案が涼さんからされた。
「試食会、ですか?」
「そうだ。土日休めない人向けに、平日の夕方からやってるのがあるんだよ。結婚式場の試食・説明会。模擬挙式と、料理の試食、引き出物の展示とかもあるらしい。俺らも行ってはいるんだけど、全てはまわりきれなくて。料理と引き菓子とケーキの写真撮ってきて欲しいんだよ。2人で式場探してるふりして。出来たら感想とか情報も欲しい。頼めるか?」
結婚式場の説明会に、俺と夏月ちゃんで行けというのだ。
そんなの願ったり叶ったりだ。勿論二つ返事OKする。
「そういう勉強の仕方もあるんですね!是非やらせて下さい!!この仕事してると、土日休みにくくて、結婚式もあまり出たこと無いんで他所がどんな感じか気になってたんですよね。」
自分でも引いてしまう位食いついてしまった。彼女がもしNOだと言ったらどうしようか…。
しかしそれは杞憂であった。
「面白そうなんで私も行きたいです。報告書頑張って作りますね。」
そうなれば俄然テンションも上がる。
しかも涼さんが、今すぐ申込みしろと、URLを送ってくれたので、そのままメールを開封して申し込みをした。
そんなこんなで、バレンタイン明けの定休日に行くことがあっさり決まった。
夏月ちゃんをタクシーに乗せ、彼女と別れた後、涼さんが話があると言うので、とりあえず24時間営業のファストフード店に入る。
「これは、俺と桃子からの頼みなんだが…。」
そう涼さんが切り出した。
「あいつをどうにかしてやってくれ。」
「どうにかって、どういう事なんですか?」
「お前も聞いているんだろう?5年前の失恋の話。忘れる忘れるって言ってるがどう見ても未練タラタラだろう?このまま俺の店に連れて行ったら夏月のことだから仕事しかしないだろうな…。俺も桃子もなんだか責任感じてしまって…。俺たちに子どもが産まれたら、その子どもの世話で満足して出産どころか結婚までが更に遠のきそうで怖い…。
佐伯、お前が頑張れ。幸い、夏月はお前の事信頼してるし、恋愛感情ではなくともお前に好意も持っている…はずだ。
前に飲んだ時、結婚はしなくても良いがウェディングドレスは着たいってもらしてた事があるんだよ。
前以て予約をすれば説明会前に試着も出来る。させてやってくれ。それで、夏月がその気になれば…良いんだけどな。あの調子じゃそう簡単にはいかないだろうが…。
桃子が言うには、あいつ、愛されることに慣れてないんじゃないかって。家庭環境が複雑だって…。
両親とはずっと会っていなくて…会うことを拒否して…親とすら思ってないらしい。お祖母さんに育てられたそうだし、もし結婚することになったらバージンロードはお祖母さんと歩きたいって言う位だ。
だから…お節介だとは思うが、よろしく頼む。」
涼さんと別れて帰るとき、色々考えてしまった。
周りへの気遣いは出来るのに…決して空気が読めないとかそういうタイプではない。
なのになぜか彼女自身に向けられる愛情…とりわけ恋愛感情には異様に鈍い。
自分に自信が無いせいかもしれないが自己評価が低い、低すぎる。
もしかしたら、5年前もそれが原因で2人の想いが通じず、彼女は今も泣いているのかもしれない。
きっとそんな彼女に、自分の思いをストレートにぶつけても戸惑ってしまうだけだろう。しかし、彼女の場合ストレートに言わなければわかる筈がない。それでも本気と取ってもらえるかすら怪しいのに…。
やはり、時間をかける必要があるのだと思った。
彼女を笑顔にしたい。癒したい。幸せにしたい。
昼間、予約した式場にドレスの試着の件で問い合わせ、予約をする。
「あの、既に水縹様のお名前で3:30よりご予約いただいておりますが?」
電話越しに返ってきた答えは…本当に彼女は結婚する気がないのかもしれない、そう思わざるを得ないものだった。
きっとそのうち俺に声をかけてくれるはず…。
そんな淡い期待も彼女には届くはずもなく、何日経っても彼女はドレスの試着の話を俺にしなかった。
もしかしたら、1人で試着してそれでお終いにするつもりなのだろうか?
それは困る。
俺は見たい。ドレスを着る彼女を。
出来ればその姿を写真におさめ…あわよくば隣に立ち、2人で写真を撮りたい。
絶対一緒に行ってやる。
楽しみだった。
楽しみがあると思うと、仕事が捗った。集中できた。楽しかった。
少し前はレシピを見る度に切なくなっていた皿盛りデザートでさえ、作るのが楽しくなる程に。
『夏恋』だなんて聞いても何とも思わなかった。それはあくまで過去の話。
前日、待ち合わせ場所と時間の相談を持ちかける。
「明日、どうする?一緒に行かない?」
「えっと、受付始まる5分前に現地集合じゃダメかな?」
「せっかくだから、どっかでお茶してから行こうよ?」
「あのね…その前に用事があるから…。」
「よかったら付き合うよ?」
彼女はずいぶん渋ったが、どうにか俺も食いつく。
「じゃあ…3時に、式場の最寄り駅でどうかな?」
式場の最寄り駅でというのが残念だったが、時間的に試着には一緒に行けそうだ。それで良しとしよう。
結局、この日は試着の「し」の字も出てこなかったが…。
実は、彼女が予約をした日から、彼女にどんなドレスが似合うか色々考えていた。
ネットのカタログだったり、チャートだったり、色々なサイトを見て調べた。
俺の好みとか希望もだいぶ絞れた。
自分はどんな服をきて行こうかとか考えて楽しくなるのは何年ぶりだろうか?
当日、約束の時間よりも随分早く着いてしまった。近くのコンビニへ行ったり、適当に時間を潰して待ち合わせ場所へ戻ると彼女がいた。
「ごめんね、待った?」
「ううん、私も今来たところ。無理言って時間早めてもらってごめんね。」
「暇だったから気にしなくていいよ。時間までどうする?」
どうするって、もうどうするかは決まっているけどね。
そう言いたいのをぐっと堪え、何も知らないふりをする。
「あの、お願いがあるんだけど…。今から会場に行ってドレスの試着をしたいんだけどいいかな?実は電話で試着の予約もしちゃいました。事後報告でごめん。」
その言葉、待ってました。
実は説明会行くのが決まった日に予約していたことを知っていただなど言えるはずも無く、
「もちろんいいよ。じゃあ行こうか。」
そう言ってにっこり笑って手をさし出す。
「え?あの…。」
戸惑った姿も可愛いと思う。
「俺たち結婚式場探してるんだよ?こっちの方が自然じゃない?」
そう、今日は俺と夏月ちゃんは結婚を約束している恋人なのだ。
手を繋ぐのはより『リアル』に見せる演出だ。決して俺が手を繋ぎたいという願望ではない。
彼女は、それを聞くとすんなり応じてくれた。
少し頬を赤らめて…。
「いつもとずいぶん雰囲気が違うから一瞬わからなかったよ。」
式場へ向かう途中の会話。
普段も美しい彼女だが、今日は一段と綺麗だ。
長い髪は緩くカールして、服装もずいぶん女性らしい。
「いつもの恰好じゃカジュアルすぎるでしょ?年齢的にもそれなりにしておかないと…ね?ただの常識のない人になっちゃうし。そういう佐伯さんだって雰囲気違うよ?」
「そりゃあさ、俺だって常識のない人にはなりたくないし。一応夜はそこそこの値段取ってるとこだからこの位はしとかないとでしょう?
女の子はさ、化粧一つで変わるよね。ほんと化粧の力ってすごいよ…『化ける』って字使うのには意味があるんだね。」
夏月ちゃんは化粧しなくても可愛いけど…。しているのにはしている良さがある。
「だよね。自分でも違和感あるもん。普段しないからさぁ、なんかしっかりメイクすると自分の顔が気持ち悪い…。」
何言ってるんだ…夏月ちゃんは夏月ちゃんが思っているよりもずっとずっと美しいのに…。
彼女と手を繋いだことは以前にもあったが、今日のは格別だった。
彼女も俺の手を握り返してくれたのだから…。
佐藤から逃げたあの日は、俺が一方的に握っていただけだった。
「あの、3時半に予約をしている水縹と申します。」
式場に着き、予約した試着の受付をする。
奥へ通されソファに座る。
担当の女性にはベテランの風格が漂っていた。
「どういったドレスがよろしいでしょうか?ご希望ございますか?」
夏月ちゃんは困っていた。
特に考えていなかったのだろうか?
「いろいろ見てたらかえってわからなくなっちゃったんだよね?カタログのようなものから選ぶことは可能ですか?」
すかさずフォローする。
あわよくば俺も選びたい。そんな思惑もあった。
「ありがとう。助かった…。」
ほっとした表情で見つめられる。自然な笑顔だ。
この笑顔は俺だけに向けられていると思うと、それだけで幸せだった。
担当者は席を立ち、何冊かカタログを持ってきた。
その中から、彼女は1冊を選び、ページをめくり始めた。
「俺にも見せて。」
そう俺が言うと、少し近づいて見せてくれた。
1冊のカタログを2人で眺める。
「今日は、お時間の関係で3着ですがお選びいただいてお試しいただけます。せっかくですから、そのうち1着を佐伯様にお選びいただいてはいかがでしょうか?意外と、ご本人で選ぶよりもお似合いのドレスが見つかるんですよ?」
ベテランの風格を漂わせているだけある。ただ者じゃない。俺にとっては素晴らしいアシストだ。
彼女も、にっこり笑って同意する。
彼女が選んだドレスは、彼女らしいと言えば彼女らしかった。
飾り気のない、シンプルなドレス。
でも、あえて俺はその逆を行くドレスを選ぶ。
シンプルなドレスもきっと似合うだろう。でも、華やかなものだって必ず似合うはず。彼女の美しさをより引き立ててくれるはずだ。
「私には似合わないよ、こういうのはもっと綺麗な人が着なくちゃ。私じゃドレスに負けちゃうよ…。」
予想通りの反応。
「まぁ良いじゃん。試着なんだし。」
着てみたらきっとわかるはず。その綺麗な人が自分なのだと。
彼女は渋々だったが、試着してくれるそうだ。
試着室に案内される。
試着室と言っても、洋服屋にあるようなものとは全く別物だ。
1つの試着室が独立した部屋になっており、カーテンで仕切られた奥で彼女が着替え、俺は部屋の入口側のソファに座って待つ。
着替え終わると、カーテンが開く。
驚いた。驚きのあまり、しばらく何も言えなかった。
「変かな?」
恥ずかしそうに聞く彼女の言葉でやっと我に返る。
「とってもお綺麗ですけど、少しドレスが寂しいかもしれませんね。佐伯様、いかがですか?」
担当者にそう言われ、俺が何をすべきか思い出した。
「うん、すごく綺麗だよ。…写真撮ってもいい?」
「もちろん、お願いします。」
ここへ来る前、このためだけに一眼を買ってしまった。
そのカメラで彼女を撮らなくては、カメラを買った意味もここにいる意味もなくなってしまう。
シンプルなAラインのドレス。
とてもきれいだが、担当者の言うように、シンプルすぎると思う。
でも、良く似合っている。
ひたすら写真を撮る。様々な…いや、すべての角度から…。
「よろしければお撮りしますよ。是非お2人ご一緒に。腕をこう、そうです、もう少し寄っていただけますか?」
まさかこうもあっさり一緒に写真が撮れるとは思わなかった。
しかも腕を組んで…近い…近すぎる。
「恥ずかしいね…。」
目を少し伏せて、彼女が言った。
「では、次のドレスにお着替えしてまいりますので、座ってお待ちください。」
2着目も彼女の選んだドレスだ。
マーメイドラインのシンプルな飾り気のないドレス。
事前に調べているせいでずいぶんドレスについて詳しくなってしまった。
カーテンが再び開く。
「こちらの形よりも先ほどの方がお似合いですね。」
担当者が言うとおり、先ほどのドレスの方が似合っていた。
このドレスもそれなりに似合ってはいるのだが、オフショルダーであるため、彼女のなで肩が強調されてしまう。しかも、シンプルゆえ、体のラインをバッチリひろってしまう。
スタイルのいい彼女だが、逆にそれが裏目に出て、セクシーすぎると言うかちょっとエロく見えてしまう。
俺的には嬉しいが、とてもほかの男には見せたくない。
「似合わないから写真はいいや。っていうか撮らないでもらってもいいかな?」
「あ、うん…。」
残念だが仕方がない。
撮りたいのを必死で我慢してカメラから手を放す。
まぁいい、次は俺が選んだドレスだ。
試着スペースに戻る彼女に期待が高まる。
想像以上だった。
俺の選んだドレスは本当に彼女に似合っていた。
まるで、夏月ちゃんのために仕立てられたようにサイズもぴったりで、上半身の露出は先ほどのドレスよりも大きいのに全くいやらしくなかった。
ところどころ飾られたパールやラインストーン、スカートにあしらわれたレースやフリルがゴージャスで、長いトレーンも全てが彼女の美しさを引き立てるためのものだった。
「本当にお綺麗ですよ。大変よくお似合いです。裾の長いドレスはチャペルにとても映えますし、おすすめです!佐伯様が1番夏月さんの似合うものをご存知なんですね!とても愛されている証拠ですわ。」
担当者も大絶賛。
カメラを構える腕にも力が入る。
余程美しいのだろう。
担当者も、アクセサリーや髪飾りを次から次へと取りかえている。
その度、俺は写真を撮りまくった。
予備のメモリも買ってきてよかった。心置きなく写真が撮れる。
「是非お2人で!」
そう言って、担当者にカメラを奪われ、夏月ちゃんの隣に立つ。
「腕を組んで!」
「見つめ合って!」
「寄り添って!」
いやいや、俺は思いっきり…多少は気を使っているとは言え普段着なんですが…そんなツッコミを入れる隙を与えないほどの注文に戸惑いつつも、それに応える。担当者のテンションの高さに、ちゃんと写真が撮れているのか心配だったが、完全に彼女のペースにのまれていた。
「お姫様抱っこ…なんていかがでしょう?」
ついにはそんなポーズ指定まで…。
俺はするつもりだったが、夏月ちゃんが頑なに拒むので、流石に辞めることにする。
正直残念だったが仕方あるまい。
「本当に美男美女で素敵なお2人ですね。お写真の撮り甲斐がありますわ。」
恥ずかしかった。
偽ってここに来ているのに、そう思われているのが嬉しくもあった。
隣を見ると、彼女の顔も真っ赤だった。
今日着てきた上品なネイビーのワンピースに着替え、本来の目的である説明会の受付に向かう。
「SDカード余分に持ってきてよかった…こんなに撮るとは思わなかったよ。」
「メモリ無駄にさせちゃって申し訳ない…。予備持ってきてもらって助かったよ。私、スマホで撮るつもりだったからカメラ持ってきてなかったし。それにしても途中から担当の方のテンションすごく高かったよね…。ごめんね、私の我が儘で嫌な思いさせちゃったんじゃないかな…。写真のデータUSBメモリに移してもらったら全然消去してもらって構わないから…。」
まったく嫌な思いなんてしていない。楽しくて仕方がなかった。
消せと言われても消すものか。万が一に備えて保存も数か所にしよう。
「すごく面白かったし、新鮮で楽しかったよ。それに夏月ちゃんすごく可愛かったし。さすがにお姫様抱っことか言われた時はどうしようかと思ったけどね。担当さんも夏月ちゃんがあんまり綺麗だからテンションん上がりすぎたんじゃない?」
ほんとはお姫様抱っこする気満々だったけどね、と心の中で言っておく。
本当に可愛かった。綺麗だった。お世辞でもなんでもない。
「可愛いとか綺麗とか、そんな煽てないでよ?馬子にも衣装なだけだから…。」
照れ隠しなのか少し膨れた顔も可愛かった。
受付を済ませ、チャペルで簡単に今日の流れが説明されると模擬挙式が始まった。
花嫁役の女性よりもずっと、先ほどの彼女の方が美しかった。
「あのモデルさんよりさっきの夏月ちゃんの方がずっと可愛いよ?」
照れ隠しのため笑いながら言ったせいだろうか?
「それ言い過ぎ。からかわないでよ?」
やっぱり少し膨れていた。
模擬挙式が終わると、披露宴会場等の見学をして、ケーキや引菓子について真面目に調べた。
元々はこの為にここへきているのだ。
さっきまで、危うく忘れてしまっていたが…なんてこと、とても言えなかった。
夏月ちゃんは真面目に質問したり、メモを取っていたりしているのに、何考えてるんだ俺。
そしてプランナーとの個別相談。
主に料理のことを質問していたが、あっという間に質問のネタもなくなる。
あまり突っ込んだことを聞きすぎるのは良くないし、もうすでに大分情報が集まっている以上聞くこともなかった。
すると話は2人の馴れ初めだとか、先程のドレスの試着の話になっていく。
面倒だったので、カメラを渡して見てもらうことにする。
「佐伯様は本当に夏月さんのことが大好きでいらっしゃるんですね。」
「本当に美男美女でお似合いのカップルです。」
「ドレス姿もとっても素敵ですね。」
ええ、大好きですよ。
でも、彼女は他の男のことを忘れられないんですよ。
しかも、相手は俺なんかよりもずっといい男なんですよ。
彼が現れたらとても勝てる気がしません。
プランナーに美辞麗句を並べられるたび、卑屈になってしまう俺がいた。
居心地が悪かった。
時間が来て解放される頃にはすっかり疲れていた。
「はぁ…疲れたね。」
彼女も居心地が悪かったらしい。
「でもよかったね。全然怪しまれてなくって。」
「そりゃそうだろ?年齢的にもリアルだし、普段一緒にいるからさ、よそよそしさだって皆無でしょ?」
「リアルな年齢か…。」
「おい、戻ってこい…」
彼女は遠い目をしている。
結婚を諦めると言っていたし、実際諦めようとしているのだろうが、あの人のことを諦めきれていないのは明らかだ。
今だけでも、俺に気付いてくれ。
そんな思いで手を握る。
「これからまだメインイベントが残ってるんだよ?仲良くしとかなきゃ。」
笑顔で誤魔化した。
本日のメインイベント。
料理の試食会。
フレンチのコースということだったが、その内容は少し残念だった。
普段、フレンチレストランで働いているせいだろう。
フレンチというには少し違和感があった。
創作フレンチ?というのも少し違う。
(フレンチ+イタリアン+和食)÷3 そう言ったところだろうか?
味はそれなりに美味しい。
しかし、フレンチと言われて食べると残念なものだった。
そして、それ以上に残念だった物。
「うーん、残念。クリームはコンパウンドだね…。」
「扱いが面倒なのはわかるけど、乳脂100%の方が断然美味しいもんね。」
「う…スポンジジェノワーズ乾いてる…。」
「やっぱりさぁ…」
完全に意見が一致した。
俺と夏月ちゃんの作るデセールの方が絶対美味しいと。
そんな会話をとても周りに気付かれてはいけない。
すると、会話は自然と耳元で囁き合うように交わされる。
時々、顔を見合わせて笑いあったりする姿は、傍から見たらイチャついているようにしか見えないのだろう。
サービスからの生温かい視線を感じながらの食事だったのにも関わらず、不思議と嫌な気はしなかった。
寧ろ幸せなひとときだった。
こちらをじっと見ている参加者の中に、見覚えのある顔があった気がしないでもないが…。
帰り道。
「家に帰るまでが偵察です。」
手をつないで帰りたい俺は、そんなふざけたことを言って彼女に手をつなぐことを強要してみたりする。
「流石に知り合いに見られたらまずいでしょ?」
そう夏月ちゃんに笑いながらたしなめられてしまう。
まぁ、面倒は面倒だけど、見られたい願望もあった。
試食会で少しアルコールが入っているせいだろうか?
気が大きくなってしまっている。
「特にさ、北上くんに見つかったら即拡散だよ?それでもいいならいいけど。」
夏月ちゃん、俺がいいならいいのか?
思わず浮かれてしまう。
が、冷静に考えるとそれはまずい。
万が一、佐藤の耳に入ったら、嫌がらせをされるのは俺じゃない。
夏月ちゃんだ。
「ごめん、やっぱここまでにしよっか。」
「でしょ?またいろいろ言われるの嫌だもん。」
やはり、バレンタインのデセールの件、気にしているんだ。
それから、職場の最寄駅で別れた。
お互いの自宅からも最寄なのだ。
家まで送ろうか?と言ったが、いつもより早いから平気だと断られた。
彼女に断わられるのはいつものことだ。
別に構わない。
それに今日は家に帰ってからの楽しみもある。
夏月ちゃんのドレス姿を大きな画面で見るという楽しみが。
顔がつい緩んでしまう。
手には結婚式場の紙袋を持っている事をすっかり忘れていた。
たいしたものも入っていないのだから、鞄に入れておけばよかった。
翌日そう後悔することになるとは微塵も思わず、俺は浮かれた足取りで歩いていた。