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指輪 (夏月視点)

昨日のお披露目会は本当に疲れた。

裏方として料理やケーキのの準備をしているときは良かった。いつも通り楽しく仕事が出来ていたんだから。

なんちゃってウェディングケーキの仕上がりは満足のいくものだったし、料理の方のお手伝いだってそれなりに役に立てたと思う。後からこっちにやってきたハルさんや三田さん、川崎くんにもちゃんと引継ぎできたはずだし。


ハルさん達にお願いした後、ヘアメイクや着付けが終わった頃が緊張のピーク。

こういう席は子どもの頃――特に小学校高学年から高校生くらいまで――の嫌なイメージがどうしても離れない。

人見知りだった私にとって知らない人だらけの席でご挨拶して回るのは苦痛以外の何物でもなかった。

同じ年頃の子どももいたけれど、もうすでにグループらしきものが出来上がっていることが多く、私はそこに入ることが出来なかった。

学校でも私は浮いていたし、知っている顔がそこにあってもお互い挨拶しておしまい。

時々声をかけられても親がいないことを馬鹿にされたり、面白半分でからかわれるだけ。

美味しそうなお菓子があってもお預けさせられた犬状態。次から次へと祖母のもとへやってくる大人たちに一緒にご挨拶するのに忙しくて食べる暇どころか眺める暇さえ無かった。

中にはあからさまに私を蔑んだ目で見てくる大人や、同情の視線を向ける大人だっていた。

「親に捨てられた可哀想な子」――そんなレッテルが貼られていることくらい知っている。


あの時、私をそんな目で見ていた人が今日もいたらどうしよう?

それが怖かった。吐き気がする。




「夏月ちゃん、別人だねー。びっくりしちゃった。そりゃ『奥様』って呼ばれるのも納得だわ。」

「ヒデも夏月も『ちゃんと』すりゃそれなりなんだよな…普段は変態と変わり者だけどな。」

「ちょっと、涼、それは失礼よ?夏月ちゃん…頑張ってね!どこからどう見ても完璧だから自信持って!」

「奥様、ヒデは変態ですけど…こういった席での振る舞いはバッチリですからご安心ください。」

「涼も靖も人を変態扱いして…。」

「6年前のプロポーズに失敗した後のフランスでのヒデの日課を聞いたら変態としか言いようがない。」

「靖さんに激しく同意。目の前であれをやられたら……ヒデは変態以外の何者でもない…。」

「それを受け入れちゃうあたり、奥様もなかなかの変わり者ですよね…。」

「そりゃ何とも思っていない人にされたら気持ち悪いですけど…英治さんだったから…嬉しかったデス…。桃子さんだって涼さんならOKですよね!?」

「え!?…まぁ…涼なら…ね?」

「要するに『ただしイケメンに限る』って奴ですね、ハイソウデスカー。惚気話は結構です…。」

「そういう三田さんも理想高そうですよね…。」


緊張で気持ち悪くなってしまった私に、みんなが声をかけてくれた。

私の緊張をほぐしてくれるために小山田さんが英治さんがいつものように英治さんを変態扱いして、それにハルさんが乗っかって、桃子さんを巻き込んで、三田さんに惚気るなと言われ、岡崎さんに突っこまれ…そんなたわいない会話のお蔭ですっかり緊張が解けて、その後料理長の山田さんが私に色々つまみ食いさせてくれて吐き気もすっかりおさまった。

ボヌールもそうだったけれど、ここもみんな良い人たちばかり。こんな恵まれた店を軌道に乗せるため、今日私に課せられた責任は重大だ。

関係者とは言え、初めてお客様をお迎えするんだから。


ここが私にとっても、英治さんにとっても、みんなにとっても、お客様にとっても、ずっと大切で特別な場所であり続けられるよう頑張ろう、そう思えた。


それにしても、この店でいつの間に英治さんの変態ネタが鉄板ネタとして定着したんだろう?

着替えた直後、ジャンさんも英治さんに向かって変態って言ってたし、鈴木さんもしょっちゅう変態呼ばわりしているから仕方ないと言えば仕方ないけど…英治さんはいつも不服そう。


「安心してくださいね、私は英治さんの事、変態だなんて思ってませんから。」

「緊張がほぐれたみたいで良かったよ。僕がついているから大丈夫。」





英治さんのご両親、特にお母様は英治さんに聞いていた通り、とても可愛らしい方だった。

『少女のような人』とはこういう人の事を言うんだろうな、それが第一印象。ニコニコして、無邪気で、可愛らしくて、将来私もこうなりたい、そんな素敵な人。


お父様は優しそうな美中年。年齢的には中年じゃないのかもしれないけれど…英治さんはお父様に似ていると思う。…正直、お母様の印象が強すぎて印象が薄い。


でも、30年後、40年後もこんな風に仲の良い夫婦でいられたら良いな…と思う。

よく、「理想の夫婦は自分の両親」という人がいるけれど、私は夫婦というものをよく知らない。


そんな私が初めて「理想の夫婦」だと思えたのが英治さんのご両親。

英治さんの祖父母、英臣さんと春乃さんも素敵なご夫婦だけど「理想」とはちょっと違う。年齢的なものもあるんだろうな、と思う。


残念ながらそんなお2人とお話しする時間はあっという間に過ぎ去ってしまい、お客様をお迎えする時間になってしまった。




不思議なことに、子どもの頃に叩き込まれたものは15年、20年経っていてもちゃんと覚えているもので、意外とどうにかなった。とはいえ、会話の内容はものすごく気を遣う。当たり障りのないように、出しゃばらないように、英治さんを立てて…その3点を守ることを意識しながら…英治さんにぴったりくっついて回って…本当にやってることは昔のままだ…なんてちょっと複雑な気持ちになりながら必死で自然な笑顔を作って過ごした。


何人か私の名前を聞いた途端驚いた顔をした方がいらっしゃったけれど、その度に不安になって…それでも笑顔だけは崩さないように頑張ったつもり。

その甲斐あって終わった後、英治さんと祖母にも褒めてもらうことが出来た。


英治さんのご家族にもお褒めいただけたみたいでそれを聞いたときはやっと肩の荷が下りた。


それから着替えて、厨房に戻って、片づけを手伝って…。

仕込んだはずのものが、やたらとたくさん無くなっていたのが不安だったので、少しだけのつもりで仕込みをしていたらけっこうのってきちゃって、厨房の皆さんには先に上がってもらって。

そしたら英治さんに見つかってしまい、「何をやっているんだ」と怒られて…帰宅して…入浴して…。


気付いたら朝で…寝坊していて…時間が無くて「誕生日に出そう」と約束していた婚姻届が今日出せそうになくて…こんなことなら書類をあらかじめ用意しておくんだったと後悔して…今日出すのは諦めて…急いで着替えて…支度して…。






そんな感じで、英治さんの運転する車の助手席に座って昨日から今日にかけてを振り返っていた私。

それにしても、お披露目会の記憶が…少なっ!というよりむしろ会話の内容なんてほぼ記憶にございません。


「夏月、さっきからどうしたの?何か悩み事?難しい顔しちゃってさ?」

「緊張しすぎて…昨日のお披露目会の記憶がほぼありません…。失礼がなければ良いんデスケド…。」

「それは心配に及ばないよ?両親も夏月がすっかり気に入ったようだし、祖父母も褒めていたからね。それよりも、明後日の事で話していない事があるんだ…。」


英治さんは明後日、ハルさんと桃子さんの結婚式と披露宴を桃子さんに内緒でするんだと言う。

そんな壮大な計画を内緒にされていたとは…ちょっとショック。


でも英治さんと涼さんと小山田さんしか知らないということと、なんで桃子さんに内緒にしたいのか?という理由を教えてもらった私は、それなら仕方ない、私が教えてもらえなかったのもしかたない、そう納得できた。


でも…人数が大幅に増えるとか教えてもらいたかった…私が思っていた人数の倍以上って…しかも、昨日はものすごく気前よく追加してくれちゃったみたいだし…明日は地獄だ…最悪今日も帰って徹夜かも…なんて真剣に悩んでいた。

優秀な助っ人を呼んでくれたみたいだけど、それっていったい誰だろう?

優秀な人だから仕事がスムーズにいくとは限らない。変に『自分の仕事』とか『自分のやり方』にこだわる人だとかえって厄介だったりする。

どの程度私の意図が伝わるか不明だし…でも徹夜するって言ったら英治さんまた怒るんだろうなぁ…。




「ウェディングケーキのサイズアップと数種類追加で仕込んで…あとはカットフルーツで見栄え良く誤魔化すくらいが限界ですけど、それでいいですか?」


というわけで出した妥協案。

種類は増やさない。ビュッフェにする予定の物は昨日よりも小さくカットして数を増やしてもらおう。小さめのポーションとは言え、コースの後ならより小さい方がいろんな種類食べられて女性は嬉しいよね?

それに、ウェディングケーキを昨日と同じサイズにして、ボリュームを出して…。

どうせジェノワーズを追加で仕込む必要があるなら、一度に仕込む量を多くして、残った同じ生地でシャンティショコラと適当なフルーツ挟んだら種類も増える。

余裕があったらゼリーでも仕込む?プリンも?助っ人次第では結構いけそうな気もしてきた。

佐伯さんとか一緒に仕事したことある人だとやりやすいんだけどな…さすがにそんなわけにはいかないよね。ボヌールだって営業してるし。

なんだかやる気でてきた。


「桃子さん喜んでくれるといいですね!私も明日は頑張らなくちゃ!」


今まで私はどれだけ桃子さんには甘えてきたかわからない。お世話になりっぱなしだった。だから、喜んでもらいたい。妥協するにしてもベストを尽くしたい。

1人気合を入れる私がおかしいのか、英治さんが隣で笑っていた。




「英治さん?どうしたんです?」

「あ、ごめん。何でもないよ…ほら、じゃあ受け取りに行こうか?」

「はい。楽しみですね!…でも手荒れが…もっとちゃんと手入れしてから寝るべきでした…。」


せめてお風呂上りにハンドクリームを塗って手袋をはめて寝るんだった…絶対暑くて目が覚めたらいつの間にか手袋とっちゃってました、っなってるだろうけど、それでもしないよりはマシなはず。

今から塗ったってもう遅いとは分かっているけれど、慌ててクリームを塗る。


うーん、やっぱり荒れてるなぁ…。


「大丈夫、働く手には独特の美しさがあるんだから…。」

「…じゃあそう言うことにしておきます。」


やっぱり荒れてるって事なんだよね…。職業柄仕方ないとはいえ、こういうときくらい綺麗な手でいたかった乙女心。でも手を抜いたのは私。自業自得だ。


車はいつの間にか駐車場に停まっていて、英治さんはしょんぼりする私の手を取って車から降ろしてくれた。先に降りて助手席のドアを開けてお迎えに来てくれるとかマジで紳士です。

こんな紳士が変態なわけないのに…。ネタだってわかってるけど…。


それだけ小山田さんも、ジャンさんも、鈴木さんも、ハルさんも…英治さんの事が好きって事だよね。

と、無理やり自分を納得させてみる。





気を取り直し、英治さんと手を繋ぎジュエリーショップへ向かう。普段あまり手を繋がないのでとても新鮮。

先月もここを一度訪れたけど、こういうお店は今まで無縁だったのですごく緊張する。手持ちのアクセサリーは全て祖母のお下がりかプレゼントだし、自分で買うのはおもちゃみたいなものばかりだったし。


店に入ると奥の個室に案内され、ソファに座って出されたコーヒーを飲みながら待っていると、数分後、「綺麗なお姉サマ」な店員さんが、箱を2つ持って部屋へやってきた。

なぜか英治さんが首を傾げている。


「大変お待たせいたしました。こちらがご注文頂いておりましたマリッジリングでございます。」


そう言いながら白い手袋をはめて箱を開ける。そこには先月お願いした指輪が2つ。私の方にだけ控えめなダイヤが付いているけれど同じデザインの指輪。

それを見た英治さんがなぜか更に首を傾げる。


「それからこちらは…蘇芳 春乃様よりお預かりしております。以前、私どもの所でお求め頂いた春乃様の指輪を夏月様に合わせてデザインとサイズをリメイクいたしました。是非、夏月様にお使い頂きたいとの事です。」


不可解な顔をした英治さんを察してか、お姉サマはにこやかにそれがどういう指輪でどの様な経緯でここにあるのかを説明して下さった。

それを聞いた英治さんは一瞬驚いた様な顔をしていたけれど、すぐに嬉しそうににっこり笑った。私も、そんな英治さんを見て嬉しくなって、微笑み返す。


「受け取ってあげて。きっとお祖母様も喜ぶから…食事を終えたらお礼に行こうか?」

「ありがとうございます。すごく嬉しいですけど…本当に良いんでしょうか?」

「それだけ祖母が夏月を気に入っているって事だよ?」


しかしその直後、私は固まってしまった。

お姉サマが開いた箱の中には神々しく光り輝くダイヤモンド。


…サイズが半端ないんですが?!

で…か…い…。

こんなサイズの石が付いた指輪、どこにしていけば良いんでしょうか?家に置いておくのすら不安…。


「こちらは鑑定書です。古い物ということで、この度再度鑑定させていただきました。石のサイズは3.65カラット、カットはexcellent、クラリティーはVVS1、カラーはDと大変上質な物でございます。」


なんかサラリと受け取るハードルをあげて下さったんですが…。ダイヤモンドに関して詳しくはわかりませんが、4Cくらい知ってますよ…?

固まり続ける私を見かねて英治さんが声をかけてくれた。


「夏月…気持ちはわかるけど、これは祖父母の婚約指輪とかじゃないし、元は祖母が昔衝動買いした指輪だと思うから気にせず受け取って良いと思うよ?」

「それでも戸惑ってしまうんですが…祖母に電話で相談しても良いですか?」


英治さんに許可を取り、電話をかけさせてもらう。こちらがびっくりするくらいあっさり受け取りなさいとの返事が返って来た。どうやら祖母は春乃さんに聞いて知っていたようで、受け取らないと失礼に当たるからと言う。

そもそも、数十年前、その指輪を買うときにも祖母は同席していたらしく、孫が嫁を連れて来たらプレゼントするという建前で買ったものだったらしい。


『まさかそれが夏月になるとはあの時思ってもみなかったわ』

そう笑いながら話してくれた。


「アヤメさん、何だって?」

「元々こうするつもりで買われたものだそうで、受け取るように言われました。」


私がそう答えると、嬉しそうに微笑んで私の左手を取り、指輪を2つつけてくれた。嬉いけれど、ダイヤモンドが重い…重すぎる。そして眩しい。

英治さんも笑顔で左手を差し出すので、私もお姉サマから指輪を受け取り、彼の薬指にそっとつける。満足そうな笑みを浮かべ私を見つめる英治さん。

それから、普段首から下げておくためのチェーンも受け取り、予約の時間も迫ったのでボヌールに向かった。

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