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着々と… (夏月視点)

更新が遅くなり申し訳ありません。

月が替わり、オープニングスタッフがほぼそろった。


フロアスタッフは支配人(ディレクトール)の小山田さん、給仕長(メートル)のジャンさん、給仕主任(シェフ・ド・ラン)の鈴木さん、ソムリエ兼経営者(パトロン)の英治さん。

ジャンさんと鈴木さんは英治さんのフランス修業時代の同僚でハルさんとも知り合いだった。

それと親会社のホテルからこちらへ出向という扱いになっている女性が2人、ベテランの寺木さんと新卒の新田さん。寺木さんはウェディングのご案内も担当する。

しばらくはこのメンバーだが、店の状況に応じて寺木さんと新田さんはホテルとこちらを行ったり来たりするらしい。


厨房のスタッフは料理長シェフ・ド・キュイジーヌの山田さんと田中さんがメインを担当。前菜担当は山内さんと岡崎さん。山田さんは英治さんがフランスへ発つ前に任されていた店の料理人で、田中さん、山内さん、岡崎さんは彼の後輩らしい。岡崎さんは同世代の女性で、あっという間に仲良くなった。

それからホテルからの出向という形で見習い料理人の江崎くん、そしてパティシエールの私。


バーカウンターを含めて最大120席ほどの店内。席数の割に店舗の面積はかなり広い。

結婚披露宴を行える前提で作られているため、柱もない半円状でガラス張りの店内はすごく明るくて解放感がある。ガラスの向こうにはブドウ畑と連なる山々、そして広い空が広がっている。


2週間後には親会社の関係者を招いてのお披露目が、その数日後にはボヌールのスタッフや英治さん・ハルさんがお世話になった方を招待してのお披露目が控えている。


開店の準備と並行して、それらの仕込みに入ったので以前に増して忙しい。


忙しくなったせいなのか、欲望を満たせているせいなのか、仕事中の英治さんと私の関係は完全にパトロンと一介のパティシエールとなり、仕事がとてもやりやすくなった。

私の名前も、厨房ではほぼ「蘇芳さん」で定着。実はまだ籍は入ってないけど…次のお休みに届けを出す予定。

岡崎さんだけが私を「夏月ちゃん」と呼んでいるが、女性のせいか英治さんは特に何も言わない。

残念ながらホールの方からは不本意な呼び方をされている。小山田さん、寺木さん、新田さんは何度嫌だと言っても「奥様」、鈴木さんは「夏月ちゃん」と呼ぼうと頑張っていたが英治さんが無駄に絡んで相当厄介だったらしく、そう呼ぶのを諦め、なぜかジャンさんと2人で私を「シンデレラ」と呼ぶ。

意味が分からないうえ、恥ずかしいのでやめてほしいとお願いしたがやめてもらえず、英治さんもなぜかそれなら許すとOKしたので2人の中でそれが定着した。





毎日、朝から晩まで開店やお披露目の準備をして、あっという間に10日ほどが経過した。

数日後には親会社の関係者を招いてのお披露目パーティが迫っている。これは立食形式で行われる予定。

ビュッフェスタイルでハルさんの店のケーキの全種類を小さめのポーションでお出しするほか、ウェディングケーキもお出しすることになっており、私がウェディングケーキを担当する。


英治さんとハルさんと相談して、オーソドックスにショートケーキ。地元のフルーツをふんだんに使ったものをハート形の2段で仕立て、店のロゴを入れたハート形のアイシングクッキーをトップに飾ることになった。飴細工は梅雨時期なので見送る。実は苦手だし…というのは内緒。


…正確にはウェディングケーキではないけれど…そこは突っ込まないでほしい。


というわけで、英治さんやハルさんと相談して決めた、バターが多めのジェノワーズを仕込む。

通常の物よりもきめが細かく、しっとりリッチなお味。しかしクリームは乳脂肪を少し控えめの42%の物を使うためくどくなり過ぎない。

ホテル関係者のお披露目の数日後に行われる身内のお披露目は着席形式だが、デザートだけはビュッフェ形式にするそうで、そこにも小さめのウェディングケーキを飾ろう…ということになり、その分の生地の仕込も一緒にしてしまう。


それから、厚めに焼いたハート形のパート・サブレに濃紺のアイシングをたっぷり塗って…あまりおいしそうに見えないのは色のせいだ…仕方ない。乾く前に、別で作っておいた文字をバランス良くのせ、ライトを当てて十分に乾かす。

La lune d'été――真白い文字が濃紺に映えて綺麗だけど、食べ物としては…やっぱり微妙だ。


完全に乾いてから、ごく細い線でレースのような繊細な模様のパイピングを施す。

同じものを2枚作ったら、シリカゲルを入れた密閉容器にしまって…。




「夏月ちゃん、パートの仕込みお願いしてもいい?」

「ブリゼなら出来てるよ?フィユタージュは計量済み。明日使うんだよね?今ちょうど手が空いたから…ブリゼのフォンサージュしておこうか?キッシュ用だよね?型は?」

「めっちゃ助かる!ありがとう!」


手がすいたので、ハルさんのところのお手伝いにでも行こうかなと思っていたら、岡崎さんに声をかけられたのでこちらのお手伝いする事にする。

お披露目パーティでのデザートは私の請け負う分が少ないため、ハルさんのお手伝いをすることが多い。とはいえ、あちらはあちらでスタッフが揃い私があまり手を出し過ぎるのもいかがなものかな?と思うし、実際ハルさんにも言われてしまった。


「手伝ってもらえるのは助かるし、お前だと仕事がやりやすいんだが…こいつらにお前をあてにされるようになっても困るんだよな…今はそれが出来てもオープンしてからはそう言うわけにいかないし…。」


ハルさんのところはハルさん、ハルさんの後輩で私の先輩にもあたる三田さん、それとハルさんのお父さんの知り合いの息子さんで春に専門学校を卒業した二十歳の川崎くん。

販売は桃子さんと、桃子さんの従妹のさくらちゃん。さくらちゃんも二十歳。それと、週末は大学生の子がアルバイトに来てくれることが決まっている。


ハルさんは仕事には厳しいし、三田さんはなかなかの強面。2人に話しかけにくいせいか、川崎くんにすっかり懐かれてしまった私。「君の上司は私じゃなくてハルさんだよ?」と言っても何かあれば私に質問してくるのでハルさんの手前ちょっと困っていた。

それにどうやら三田さんも私を当てにしている節があるらしい。「苦手なのでお願いします」と細かい作業をやたら私に回してきて…それをハルさんに怒られていた事なんて私は知らないって事にしておきます。


なので最近は手伝いに行っても厨房ではなく、なるべく桃子さんのお手伝いをするようにしている。焼き菓子の包装とか、包材の組み立てとか…。それも何気にさくらちゃんに甘えられてる感が否めないし…。

非常に微妙な立ち位置なので、こちらで手伝いがあるならこちらを手伝った方が気が楽。




というわけで、前菜のキッシュに使うパート・ブリゼをタルトレット型にフォンサージュしていく。

ポマード状のバターを刷毛で型に塗って、粉を振り、フリーザーに入れてしかっり冷やして…。

その間に、伸ばした生地をピケローラーで穴をあけ、型よりも一回り大きい菊型で抜いていく。

抜いたものから冷蔵庫で休ませて…。残った生地はまとめて冷蔵庫へ。これどうするのかな?使い道無いなら有効利用したいけど…とりあえず保留。

さて、準備が出来たところでいよいよ敷き込み作業。

冷やした型と抜いた生地を用意して…1つ1つ丁寧に型に生地を敷き込んでいく。角を丁寧に押さえて型と生地に隙間が出来ないようにして…。


用意した型すべてに生地を敷き込み片付けて、岡崎さんに2番生地はどうするか聞いたところ特に使い道がなく好きにして良いという返事を頂いたので、丁寧に重ねて伸ばし、ピケした後、自前の抜き型2種で抜いていく。

フォークの型とスプーンの型。ちょっとつまむのにいいサイズ。

フォークの形の物にはパルメザンチーズをまぶしブラックペッパーをふってオーブンへ、スプーンの形の物はそのままオーブンにいれ、途中で取り出してバジルソースを塗る。

あっという間にワインにもよく合うおつまみの出来上がり。

たまたまこちらに顔を出した英治さんと厨房スタッフに試食してもらい見た目も味も好評だったので、立食のオードブルの添え物として採用してもらえることになった。

余った2番生地で作れるだけ作って、これもシリカゲルを入れた密閉容器で保存。


手が空いたので、岡崎さんに声をかけたところ、私が請け負える仕事がまだありそうなので振ってもらう。

グジェール用のシュー生地を仕込み、一口サイズに絞り出して急速冷凍する。当日、オーブンで焼いて、詰め物すれば…詰め物をしなくてもチーズ味のシューは立派なワインの友になる。


それから計量しておいたフィユタージュ用のデドランプを仕込んで休ませ、その間に織り込み用のバターを叩いて成形。冷蔵庫で少し冷やしておく。この時期は冷房をきかせているとは言え、パイの折り込み作業は難しい。すぐにバターが溶けてしまうのだ。そうならないように、冷蔵庫で休ませる時間を冬場よりもしっかり取る必要がある。

その合間に私にも邪魔にならないお手伝いをして、フィユタージュは3つ折り2回を3セット。今日できる私の作業はここまで。


厨房の仕込みは未だ続いているものの、一部の人はそろそろ片付けに入り始めているので、夜の賄の用意を始める事にした。




厨房で一番料理の下手な私が料理人に食事を出すとかはっきり言って恥ずかしい。

それが毎日とかどんな罰ゲームだ?とさえ思う。でも、現状では私が一番流動的に作業が出来るうえ、英治さんのご指名なので、昼も夜も請け負わざるを得なかった。

下手に手の込んだものは作らない。さっと作ってさっと食べられるワンプレートや丼もの、サンドイッチがほとんど。

聞こえよく言えば「カフェごはん」ってやつです。時々明らかに「カフェごはん」というよりも「ワイルドな男の料理」的な仕上がりなのは許してください。


結局、オープンまでは店で昼夜賄を出すことになった。独身が多いのと、既婚者でも今は単身でこっちに来てます、もう少ししたら家族を呼びます、って人ばかりなので、それまでは出すべきだろう、という結論に達したのだ。


私のテリトリーではない、しかも未だ作業中の厨房で作っては邪魔になるので、賄は自宅で作っている。

幸い荷物用のエレベーターがなぜか自宅のあるフロアにまで設置されているので、盛り付けまで済ませても楽に運ぶことが出来る。

どうやら自分用のワインの運搬目的で倉庫のある2階までではなく3階までエレベーターを設置したらしい。

初めて見たときは「経費でこんなことしていいのか?」とか「おいおい」と思ったが、意外にも役立っている。グッジョブ、英治さん。


今日の昼はミネストローネと蒸し鶏のバケットサンド。

夜はマグロとアボカドの丼と野菜たっぷりのお味噌汁。


バランスは考えているつもり。

16人前の食事はなかなか大変。ようやく慣れてきて、手を抜く方法を覚えて随分楽になったものの、賄係からは早く解放されたいデス。

お披露目が終わったらハルさんとこはハルさんとこで用意してもらうことになっているし、こちらだってゆくゆくは見習いの江崎くん中心にローテーションで回す予定。


用意した賄を英治さんに手伝ってもらって運んで、お味噌汁をよそって、ハルさんや桃子さん達にも声をかけて。

その頃には大方厨房の掃除も終わっており、全員が揃って賄を食べる。

食事が終われば、食器の片付けをして帰宅となるので、みんなの表情も明るい。

1日中働いてヘトヘトな上、空腹は最高のスパイスというように、今のところ賄がまずいというクレームは出ていない。気を遣われているだけかもしれないけど…。


明日の予定、数日後に迫った1回目のお披露目、作業の進行状況の確認など交わされる会話は仕事の話。みんな楽しそう。


1回目も2回目も、お披露目の日は朝からカメラマンが入って店内の写真やら料理やらを撮影してHPやパンフレットなどに使うそうだ。

店内だけでも通常のレイアウト、立食用のレイアウト、披露宴用のレイアウトなど装花を施した状態で数パターン用意するらしい。その他にも、新郎や新婦の控室の写真だとか、諸々撮るらしい。


現時点での進行状況はおおむね順調。

1回目のお披露目の準備を進めつつ2回目のお披露目の準備も順調にいけば、1回目のお披露目翌日はお休みになる予定。このままなら大丈夫そうだ。






「夏月、今日は涼のとこの手伝いに行かなかったのかい?」

「ええ、最近ちょっと私の立ち位置が微妙なので…。」

「らしいね。涼もぼやいてた。明日からも無理に来なくていいってさ。あの2人に夏月はうちのスタッフだと自覚させたいからって。…無理そうだったら声かけるからその時は頼むって。」

「じゃあそうします。その方がお互いの店の為っぽいので…。」

「そうして。僕も近くにいたいし…。大体、川崎君馴れ馴れしくないか?」

「英治さん、妬いてます?」


賄を食べた後、皆には先にあがってもらい、英治さんと一緒に洗い物をしているときのそんな会話。口をとがらせる英治さんがとても可愛らしい。

最近、出勤と帰宅が楽になったせいか気持ちに余裕ができ、仕事の後に一緒に過ごす時間の会話が増えた気がする。間借りしているのと、自分たちの家では全然違う。夜中だから…とか、お客様がいるから…って気を遣わなくていいのが凄く楽。思い切り甘えられるしね?


「1回目のお披露目の翌日、休みにする予定だって言っただろう?」

「ええ、準備が順調にいけば…ですよね?」

「指輪…取りに行こうか。」

「出来たんですか?」

「うん。ついでにさ、ボヌールで食事しようか?翌日があるから昼間(ランチ)だけど。」

「本当にいいんですか!?みんな元気かなぁ…。」


「籍を入れるんだからマリッジリングだけでも作ろうか?」英治さんのそんな一言で引っ越しの翌日、急遽都心まで出かけてリングをオーダーしてきた私たち。

エンゲージリングは追い追いということになっている。…というかつける機会もないので…実はマリッジリングも含めいらないと思ってそうお伝えしていたんですが、英治さんからのブーイングにより作ることになり、「仕事中はつけられない」と言ったら「チェーンに通して首から下げとけ」…というわけでプラチナのチェーンもっしょにオーダー済み。いらないと思いつつもやっぱりあるのは嬉しいです。いらないとか言って本当にすみませんでした…。


実は次のお休みが私の誕生日。


婚姻届を出して、指輪を取りに行って、ランチをして…って、楽しいこと盛りだくさんじゃないですか!?

良いんですか英治さん!?なんて思わずテンションが上がる私。

誰もいないのをいいことに、嬉しくて英治さんに抱きついてしまいました。



「相変わらず仲が良ろしいようで…奥様も意外と積極的なんですね?」

「靖…いつも絶妙なタイミングで現れるよね?」


生温かい視線を私に向ける小山田さん。この人、なんでいつも私がハイになってる時に現れるんでしょう?そして必要以上にそんな視線を注ぐのはやめて下さい。


「お披露目の時、奥様はどうされるのかと…会長からご連絡があったもので…。」

「え?どういうことですか?」

「婚約者として出席するのか、それともスタッフとして出席するのか…と。」


「それは勿論婚約者として!」「それは勿論スタッフとして!」


私と英治さんの声が被りました。

でも、今英治さん「婚約者」って言いました?

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