送別会
更新遅くなってしまい申し訳ございません。
視点が途中で変わります。
「涼さん、桃子さん、夏月ちゃん、お疲れ様でした。」
「これから皆さん、忙しくなりそうですね。」
「夏月ちゃんは明日が引っ越しだもんね。」
「蘇芳さん、いつ帰国されるんですか?」
「それが忙しいのか、まだ未定だって…。今朝は電話も繋がらなかったし…。ハルさんってご存知ですか?」
「俺も知らないんだよな…。全く…どうでもいい時には連絡よこすくせに、こっちが連絡取りたい時につかまらないんだよな…ヒデって。」
あっという間に私と桃子さんが退職する日がやってきた。
涼さんもやってきて、店の営業後、パトロンが私達3人の送別会を開いて下さった。
レストランだけではなく、パティスリーのスタッフも参加している。
桃子さんは去年の夏、ホールに戻る前まで、パティスリーの販売の責任者だったからだ。
「水縹さん、ご婚約おめでとうございます。」
「いつからお付き合いされていたんですか?」
「旦那様、すごく素敵な方ですね。」
3年前まで、私がパティスリーで一緒に働いていた子達にも声をかけられた。
そう言えば、1ヶ月前、私が出勤した後、英治さんはパティスリーの関さんへご挨拶に行くって佐伯さんと行ったんだっけ。
その時会ったのだろう。皆口々に英治さんをカッコいいだのステキだのやたらと褒める。
確かに恰好良いし、素敵だけど…皆に、そうも絶賛されると、今後が不安というか心配になってしまう私がいた。英治さんモテそうだし…。
例え本人にその気がなくても、言い寄ってくる女の人は多いよね…。
彼女たちは、パティスリーがオープンしてから採用された子達で、パティスリーのスタッフとして働いている。
つまり、レストランでは働いていないので、『ボヌールの常連の英治さん』とは面識がない。
それなのに、皆、『商談王子』という名は聞いたことがあるというのだから、この店で英治さんは相当の有名人だったらしいという事を改めて知らされた。
それにしても、いつから付き合ってたとかそんな質問にはどう答えたらいいものだろうか…プロポーズを受けてから、何度も聞かれているけれど、毎度困ってしまう。
「いつから…って言われると困るんですけど…。初恋の人というか…ボヌールに来る前好きだった人というか…そんな感じデス…。」
こんな調子で毎度適当にごまかしているのだが、それで納得してもらえないことも多い。
結局、5年以上前にすれ違ってしまった人とか、前の店で仲良くしてもらっていたお客さんとか、なんともあやふやにしか答えられていない。
今日も、まぁそんな感じで…なんて言ったら良いものかと困っていたところ、思わぬ助け船がやってきた。
「佐伯っちー!どこやぁー?」
篠山さんが佐伯さんを探していたのだ。
そういえば、佐伯さんの姿が先程から見えない。
「夏月ちゃん、佐伯っち知らん?さっきからずっとおらんねん。」
「そう言えば見かけませんね。」
「もうどこ行ったんやろ?明日の相談せなあかんのに…。そう言えば、関さんも…パトロンも居らんなぁ…それに佐藤も。まぁみんな一緒とは限らんけど…。」
そう言われると、先程まで涼さんに絡んでいた関さんとパトロンの姿も見えない。
みんなどこに行ったのだろうか。
その後も、私はいろいろな人に声をかけられ、加奈子さんに絡まれて、絡まれて、絡まれまくった。
合いの手を入れるのが、宇部ちゃんと、時々篠山さんだったものだから、どうしても内容がそちら方面の話に偏ってしまい、私は困り果てていた。
こういう時に助けてくれる佐伯さんはいないし、もちろん英治さんもいないし、どうしたものだろうか。
「夏月ちゃん、一晩でいいから旦那様貸して?」
案の定英治さんはモテそうだ。これが加奈子さんだから、私にハッキリ言うのだろうけれど、普通は本人を直接誘惑するんだろうな…なんて思ったらすごく気が重くなった。
「それは…流石に無理です…。」
「じゃあ、どんな感じか抱かれた感想教えて?」
「そう言われましても…。」
「質問変えよっか?今までした中で何番?」
「加奈子、それ聞いても意味ないで?比較対象が他におらんもん。なぁ?宇部ちゃん?」
「そうですよね。その前にお付き合いされてた方とはそういった事なかったって仰ってましたもんね。」
「そう言えばそんな話も…って、26歳の時の初めての相手も王子なの?」
加奈子さんの声が大きいので、おそらく周りにも丸聞こえ。
穴があったら入りたい…。
生温かい視線、ものすごく居心地悪いです。
「篠山さん…宇部ちゃんまで…もうこの話は勘弁して下さい。加奈子さん、お終いにしましょうよ?お願いします。」
「加奈ちゃん、夏月ちゃんが困ってるからやめてあげてよ。」
笑いながらやってきたのは桃子さんだった。
桃子さんが女神様に見える!有難や…。
しかし、加奈子さんにかかると女神様でさえ獲物らしい。
「桃ちゃん、じゃあ代わりに桃ちゃんの話を聞かせてよ?」
「………。」
「加奈子さん…相変わらずですね?桃子いじめるのやめて下さいよ。」
桃子さんに照準を定めた加奈子さんだったが、明らかに彼女を威嚇しているハルさんの迫力満点の笑顔に諦めたらしい。
私もそれに便乗させてもらい、無事加奈子さんから解放された。
気づくと、関さんやパトロンはホールに戻っていたようだった。
それから、知らない男性も一緒だった。関さんと同じか少し年下くらい。
腕まくりをした腕に、火傷の跡が幾つもある様子を見ると、彼もパティシエもしくはブーランジェ…しかもオーブンの焼成を担当したことのある人なのではないかという気がした。
スーシェフ佐藤と、佐伯さんはまだいなかった。
***
『だからさ、僕は君がどうしても欲しいんだ…。僕には君が必要なんだ…。今すぐに、とは言わない。1年後…いや、2年後でも構わない。だから、前向きに考えてくれないか?君しかいないんだ…。』
この口説き文句を何度聞いたことだろう。
毎日、寝る前にかかってくる電話。
初めは冗談だと思っていたそれが、本気だと分かるのに時間はかからなかった。
そして、今日はそれがかかって来る時間がいつもよりも早い。
「お気持ちは嬉しいです。でも、それにはお応え出来かねます。」
『なんでだい?理由を聞かせてくれないか?』
「だから毎日同じ事言わせないで下さいよ。英さん、しつこいですよ?すでに涼さんと夏月ちゃん連れて行って更に俺までって…俺がいなくなったらボヌールのデセール誰が作るんですか?」
俺を口説いているのは英さん。
今すぐではないが彼の店に来て欲しいのだという。
『え?関さんだけど?それに山田君?』
「でも関さんは期間限定なんですって。佐藤が辞めたらまたパティスリーに戻るんですから…。」
『あれ?聞いてないの?関さん、戻らないよ?セクハラの彼なら辞めても平気だし。』
「自分の店じゃないからって適当な事を言わないで下さいよ…。」
『いやいや、関さんはパティスリーに戻る気は無いらしいよ。それに、セクハラの彼の昇格はなくなったんだって。むしろ降格だよ?セクハラしたペナルティ。涼の前にデセール担当してた田中君だっけ?彼がスーシェフ昇格で、パティスリーのシェフは関さんの後輩を呼ぶらしいよ?4月は間に合わないけど、5月までには来るって。だから関さん、しばらく昼間はパティスリーで、夜はレストラン掛け持ちするらしいけど。誠治君、現場の人間なのに随分と情弱だね?』
「それ…初耳です…。なんで英さんが俺より早く知ってるんですか!?」
『だって僕、関さんと仲良しだもん。多分今日あたり顔出してるんじゃない?』
「そろそろ送別会戻りたいんですけど…電話切っても良いですか?」
『ダメだよ。夏月を驚かせたいのに、君が喋ってしまったら台無しだからね…。誠治君は顔に出やすいし。……それより、例の件、真面目に考えて欲しいんだよ。』
「俺じゃなくても良いじゃないですか?すぐじゃなくて良いならそちらで雇って育てて下さいよ…。」
俺を熱心に誘ってくれる理由が彼らしいというか、気持ちは分からなくもない。でも俺である必要はないのでは?と思う。しかし彼は決して譲らない。
『いやいや、君じゃなくてはダメなんだよ。悔しいが、夏月は君に対して絶大な信頼を寄せているからね。夏月に僕の子を産んでもらうために、安心して妊娠出産してもらうために、夏月の産休中には君に僕の店のデセールを担当してもらいたいんだ…。君が担当するって言えばきっと夏月は大人しく休んでくれるよ。夏月が納得して休んでくれるのは君くらいなんだよ?だから本当にお願いだ…僕と夏月と産まれてくる子どものために、君の力を貸して欲しい…。』
「はぁ…。ところで今どこですか?時間的にそろそろなんじゃないですか?」
『ああ、今着いた。この話はまだ僕と君の秘密にしておいてくれ。夏月にはいずれ僕から話すから…。』
相変わらず英さんは自由だ…。
従業員用の出入り口から外へ出ると、やたらと機嫌の良さそうな英さんが立っていた。
「久しぶり。夏月は元気?」
「今までずっと話してたじゃないですか?全然久しぶりな気がしませんよ。夏月ちゃんは元気だってさっきも言ったでしょう?そんなに気になるなら直接本人に会えば良いんじゃないですか?」
そして、俺は英さんを店へと案内した。
***
誠治君から、夏月の送別会の日時を聞いていた僕は、寝る間を惜しんで帰国の準備を進めた。
夏月には、まだ知らせていない。
そして、ここ数日、あえて連絡を取っていない。
ついうっかり喋ってしまっては、サプライズもサプライズでなくなってしまうからだ。
夏月には4月になったら帰るとしか伝えていないので、まさか今日、僕が送別会に行くだなど思ってもいないだろう。
それを知っているのは、パトロンと関さん、誠治君だけ。
夏月に会いたくて仕方ない僕は、空港からのボヌールへ向かうタクシーの車中、気を紛らわすためにずっと誠治君に電話をかけて話していた。
僕が彼に話すべきことはただひとつ。
彼を、僕の店へ誘うこと。
しばらくは夏月にデセールを任せるのだが、ずっと任せたままというわけにはいかない。
僕は夏月との子どもが欲しい。
きっと真面目な夏月の事だ。
デセールを任せられる人がいなければ、子どもは作れないと言いかねない。
しばらくは、夫婦の時間を楽しみたいとは思っているが、早く子どもが欲しいのも事実。
そして、夏月と僕が安心してデセールを任せられるのは、誠治君しかいない。
当初は、冗談だと思ったのか、相手にされていなかったが、僕の本気が伝わったようで、最近は少しずつだが耳を傾けてくれている。
そして、風向きが僕の見方をしてくれてきている今が勝負。
2年後を目処に僕の店に来てもらえるよう、誠治君の下で働く山田くんを育てる必要がある。
彼に関さんのアシスタントを任せられるようになってもらわなければ、プロ意識の高い誠治君はボヌールを辞められないだろう。2年後の為に今から準備をしてもらわなくては。
そうこうしているうちに、タクシーはボヌールの裏口へ着いた。
僕がタクシーを降りると、誠治君は絶妙なタイミングで僕を迎えに出てきてくれた。
うん、やはり彼じゃないとダメだ。
僕は、更に彼が欲しくなってしまった。
***
「夏月、ただいま…元気だったかい?会いたかったよ…。」
「…英治さん!?」
私の目の前には大好きな人が立っていた。まさか今日会えるだなんて思ってもいなかった。4月になったら帰るとしか聞いていなかったのだから。
驚きと、喜びで、私はただ英治さんを見つめて固まってしまった。
そんな私を見て、英治さんは満足そうな表情を浮かべる。
目尻が下がって、とても優しい顔。
私はこの顔が大好きだ。
「佐伯っちー!探したでぇ?全くどこにおったんや!」
「ちょっと…感動の再会を邪魔しないでくれないか?」
よく見ると、英治さんの隣には、佐伯さんがいた。どうやら、先程まで佐伯さんの姿が見えなかったのは、英治さんのせいらしい。
佐伯さんを見つけた途端、すごい形相で詰め寄る篠山さんと、先程の穏やかな笑顔から一変、不機嫌そうに篠山さんを見る英治さん。
そんな2人を困った顔で見ている佐伯さん。
おかしくてつい笑ってしまった私。
「英治さん、おかえりなさい。」
嬉しくて、顔がほころんでしまう。
そんな私の顔を見て、再び満足そうな優しい表情を見せる英治さん。
目の前に大好きな人がいる、それだけで幸せ。
なのに、一緒に暮らすことが出来、一緒に仕事まで出来る…なんて贅沢なのだろう。
幸せ過ぎて、私はどうにかなってしまうのではないだろうか?
「夏月、皆さんに渡したいものがあるんだ。夏月も手伝ってくれるかい?」
英治さんは、鞄から封筒を取り出した。
白い洋封筒。裏返すと紺色のベロ。そこに、店の名前らしきシルバーの箔押しの文字が輝く。
文字は読み取れない。
表面にはスタッフ一人一人、宛名が書かれている。
「僕の店の案内と、内覧会の招待状だよ。正式なオープンの前に、同業者の意見を聞いておきたいだろう?」
封筒を見ていた私に気付いて、英治さんは教えてくれた。
「そういえば、お店の名前…なんて言うの?そろそろ教えてくれても良いんじゃない?」
何度聞いても、教えてもらえない店の名前。封筒に書いてある文字もよく見えない。
私が尋ねると、失敗した…というような苦い表情の英治さん。
「夏月にはまだ内緒にしておきたかったんだけど…仕方ない。」
そして、束の中から、佐伯さんと篠山さんの名前の書いてあるものを取り出し、明日の相談をしている2人に渡した。
「誠治君、悪いけど、君の封を開けて、中の案内を夏月に見せてもらえないか?」
佐伯さんは1枚の紙を取り出し、私に渡してくれた。
『〜Quatre saisons〜
春に咲く美しい桃の花。
夏の夜空に輝く白い月。
秋の夕焼けの茜空。
冬に山々を染める純白の雪。
移りゆく四季の中で、特別な時間をお過ごし頂けたら、そんな願いを込めて…。
様々なMariage をお楽しみ下さいませ。
"La rune d'été 〜ラ・リュンヌ・デテ〜"』
「"La rune d'été "それが僕の店の名前。」
「…相変わらずすごいですね。」
「ホンマやな…奥さんの名前店に付けるとか…夏月ちゃん、めっちゃ愛されてるで?」
「因みに、涼の店は"Le pêcher"、つまり桃の木。それにチャペルの名前が"Neige blanche"。いずれは、秋モチーフのカフェでも出せたらと思っているんだけどね。」
「涼さんもかいな…。」
自分の名前がモチーフになっているなんて恥ずかしかった。
"La rune d'été "
つまり、夏の月。
招待状を皆に配る度、冷やかされ、もう顔が熱くて仕方がなかった。
それは、私だけではなく、桃子さんとハルさんも同じだったようで、英治さんだけが余裕の笑顔で涼しい顔をしていた。
皆に冷やかされ、祝福され、嬉し恥ずかし、そんな送別会となった。




