運命の日(佐伯視点)
「それでは、佐伯誠治の盛大な失恋を祝って…乾杯!!」
「かんぱーい!」
「佐伯、ドンマイ!」
「大丈夫、お前モテるだろ?女は夏月だけじゃないって。」
「いやぁ…でもさすがに目の前でプロポーズはキッツいよな…。」
「しかも相手が王子様じゃね…?」
「佐伯っちの片思い歴なんて到底足元にも及ばないとか…。」
「15年って…蘇芳様だから許されますけど、フツーの人だったらストーカー扱いされるレベルですよね。」
「但しイケメンに限るってヤツですね。」
「イケメンってずるいな…。」
「しかも初恋のマカロンの彼とか…。」
「あの皿丸ごと蘇芳様に捧げる皿やったもんなぁ…ムースの彼も蘇芳様やで?」
「何しろ夏月さんの初めての人ですもんねぇ…。」
「!??」
「マジか…?」
「私も王子に抱かれてみたいわぁ…羨ましすぎる…。」
「加奈子さん!?」
「いいなぁ…夏月さん、玉の輿…。」
「宇部ぇ、夏月は玉の輿じゃねぇぞ?」
「羽田さん、どういう意味ですか?」
「あいつ自身がもともとお嬢様なんだよ?」
「そういや、出身校があそこだったよな…小中高一貫の…」
「えぇぇぇぇぇぇぇぇ!?まじっすか!?関さん!?」
「だって、俺、夏月の面接してるし、履歴書見てるし。」
「まぁ…もともとお前とは釣り合う相手じゃなかったって事だな…佐伯、ドンマイ。」
「でも羽田さん、なんでそんなこと知ってるんすか?」
「俺の先輩っつうか恩人が今夏月の実家で板長してるんだよ。1年前、偶然知ったんだけどな。」
「実家って…?もしかして前羽田さんが泊まったって言ってたあそこっすか!?」
「そうそう、予約取れないとこな。しかも結構な資産家って話…おい、佐伯、さっきからなんで黙ってるんだよ?」
「………。」
「そりゃあ玉の輿でもなんでもないですね…。佐伯さんご存知でした?」
「おい、佐伯、お前今日の主役だろ?」
「………ほっといてくださいよ。」
「皆で慰めてやるからさ、元気出せって!」
「………大体、人の不幸を祝うってなんすか?」
「いや、別にお前だけを祝うつもりは無いけど?」
「ほら、お前が気付いてないだけで、お前がフラれると都合のいいやつがいるんだよな、篠山?」
「!?関さん、なんで私なん!?」
「ずっと片思いしてるのは佐伯だけじゃないからなぁ…。」
「そう言えば、佐伯さんと夏月さんが仲良くしてるのを切なそうな顔で見てる人がいましたよね?」
「え!?誰っすか!?教えてくださいよー!篠山さんなら誰か知ってますよね!?」
「北上、それは篠山に聞いちゃいけないと思うぞ?」
「何でっすか!?関さん?篠山さんってそう言うネタ詳しいじゃないですか?」
「もう誰でも良いやん!?」
「………どうでもいいんで、静かに飲ませてもらえませんか?」
「…佐伯っち…目が座ってるで…。」
俺は失恋した。
最も恐れていた事態が起こってしまったのだ。
夕方、急に入った予約。
ギャルソンの山田はお電話を頂いた際、ご予約のお名前を「スドウ様」と聞き間違え、その正体が蘇芳様だと判明したのはご本人が来店されてからだった。
彼が最後に来店されたのは5年以上前。サービスのスタッフは殆どメンバーが変わっているし、立花さんはあいにく他のお得意様の接客を担当しており、こちらまで蘇芳様がご来店されているという情報は回ってこなかった。
特別室1には開店以来贔屓にしてくださっている上得意様をご案内した、山田からの追加情報はそれだけだった。
そして、デセール担当者を呼んでほしいと言われ、呼んでいるのが蘇芳様だと微塵も思っていなかった俺は夏月ちゃんが挨拶するべきだと彼女にご挨拶に行くよう勧めてしまった。
もし、その部屋のお客様が蘇芳様だとわかっていたら、意地でも彼女を行かせはしなかっただろう。
結局、彼女の提案で、一緒にサーブすることになったのだが、特別室の手前、3メートルのところで、血相を変えた立花さんに呼び止められ、耳もとで言われた一言。
「佐伯、覚悟しろ…。」
初めは意味が分からなかったが、部屋に入った瞬間、俺の頭は真っ白になった。
悔やんでも悔やみきれなかった。しかし、数分後には、もし、特別室にいらっしゃるのが蘇芳様だとわかっていて、無理やり彼女を厨房に残して俺だけでサーブしていたとしても、俺に勝ち目はないのだという現実を知る事となる。
彼女がここを辞めて、新しく働く店のオーナーが蘇芳様だったのだ。そして、蘇芳様自身が夏月ちゃんを探していた…。
例え今日、2人を会わせる事なく済んでも、彼女がここを辞める1か月後には恐らく顔を合わせることになっていただろうし、今日、蘇芳様が会食をしている相手が彼女の祖母という時点で、遅かれ早かれ2人は顔を合わせ、蘇芳様が彼女にプロポーズするであろう未来は簡単に予測できる。
そう考えると、今日で良かったのかもしれない。
きっとそれで良かったんだ。
もし、彼女の気持ちが俺に傾いていたところで彼が現れたら、苦しむのは彼女だ。
彼女が苦しまずに済むのなら、これでいい。きっとこれで良かったんだ。
彼に抱きしめられた彼女はあんなに幸せそうだったじゃないか。
俺は自分に何度もそう言い聞かせた。
そう頭では分かっているものの、とめどなく流れる涙。
みっともなく泣いた。
こんなに泣くのは初めてかもしれない。
高校のサッカー部の引退試合で負けてしまった時でさえこんなに泣かなかった。
俺を可愛がってくれた祖母が亡くなったときだってこんなに泣かなかった。
とても2人と同じ空間にいることなど出来ず、俺は立花さんに連れられて、事務所で声をあげて泣いた。
立花さんは、ただ黙って側にいてくれた。
そして、俺が落ち着くと、やっと口を開いた。
「お前はどうしたい?」
初め、その意味が分からなかった。どうしたいも何も、どうにもならないじゃないか。
「サービスマンとして、どうしたいか聞いてるんだよ?」
蘇芳様は、客としてギャルソンの俺を毎回指名して可愛がってくださったじゃないか。そんなお客様のプロポーズが成功したのを目の当たりにして、お前は何も言わないままでいいのか?佐伯誠治という男としてではなく、ボヌールのスタッフとしての立場で考えろ、そう諭してくれた。
「自腹で、ボトルをプレゼントさせてください。」
俺は、ボヌールのスタッフとして、そして一人の男として2人をお祝いすることを決めた。
「ルイ・ロデレールならクリスタルとかビンテージじゃなくていいのか?」
「むしろ、ブリュット・プルミエじゃないとダメなんすよ。あの日2人が飲んでたのはこっちなんで。」
「流石だよな…佐伯、お前サービスに戻ってこいよ?」
「そんな…誰がデセール作るんですか?」
「え?関と山田?」
「嫌っすよ。せっかく夏月ちゃんにいろいろ教えてもらったんですから…。」
「悪りぃ、冗談だ。プレゼント代、半分持ってやるよ。それからこれも渡してやれよ?」
立花さんが手に持っていたのはあの日の2人の写真だった。
「…それは俺には無理っす…。」
「だよな…俺が渡すよ。」
そして、なぜか俺と立花さんまで一緒に2人の婚約を祝って乾杯する事となった。
厨房に戻ると皆が夏月ちゃんが蘇芳様にプロポーズされてOKしたことを知っていた。
俺の泣き腫らした顔を見て、一瞬場の空気が重くなってしまったが、まぁなんだかんだ空気の読めない北上の発言に爆笑が起こり救われた。
「佐伯さん、目の前で夏月さん持って行かれちゃったって本当っすか!?まじ残念っすね…。」
「北上のどアホ!!いくらなんでもストレートすぎるで!?」
メンバー次第ではさらに静まり返ってしまいそうな内容の発言だと言うのに、皆が笑ってくれて助かった。ここは本当にいい職場だと思う。
だからと言って、俺の失恋を祝って飲むとか如何なものかと思うが…。
「佐伯っち…目が座ってるで…。」
「目の前でずっと好きだった子がプロポーズされて即OKとか、仕方ないですよね?ニコニコ笑ってられるわけないでしょう?」
「篠山ぁ、今日くらい感傷に浸らせてやれよ。」
「……もう、飲まなきゃやってられないんすから…。」
「いくらなんでもペース早すぎやで?もうちょっとゆっくり飲まなあかんで?」
「ほっといてくださいよ…。」
篠山さんの御節介は毎度の事。初めは苛々していたそれも、慣れてくると意外に心地良かったりする。
憎まれ口叩きながらも、そうやって皆が構ってくれるのが嬉しかった。
ハイペースでガンガン飲んでいたので、途中からの記憶がない。
そして、どうやって帰ったのかわからないが、翌朝、ケータイの着信音で俺は目を覚ましたのだった。
『おはよう、佐伯君。もしかして寝てるところ起こしちゃったかな?今から君の家に向かうから…近くなったらまた連絡する。じゃあ、よろしく。』
一方的に用件だけ告げると切れてしまった。
こちらが断る隙すら与えないとか、蘇芳様はなんて自由な人なんだろう。彼女の心の中に、5年以上居座って苦しめた挙句、ある日突然フラリと現れ、俺の前であっさり奪っていく。
かと思えば、俺と個人的に仲良くしたいとか言い出して翌日訪ねて来る始末。
明らかに俺が彼女に思いを寄せていたのに気付いているはずなのに…自由すぎる。
酷い二日酔いで頭は痛いし、自分でもびっくりする位酒臭い。
とりあえずシャワーを浴びて、何気なく開いたPC。
恐らく帰って来て、俺はこれを見ていたのだろう。
そこにはウェディングドレスを着て困った顔をした彼女と、満面の笑みを浮かべる俺。
昨日の出来事と、酔いが半分以上冷めてしまった今の状況ではとても直視など出来ない写真。すぐに画面を彼女が1人で写っている写真に切り替える。しばらく、美しい彼女の写真をただぼーっと眺めていた。
ピンポーン。
インターホンが鳴る。
慌ててノートPCを閉じて応対する。蘇芳様だ。近くなったら連絡くれるはずじゃなかったのだろうか?
心の準備が出来ているはずもなく、超動揺する俺。いつまでも待たせる訳にもいかず、ドアを開く。
スーツで髪もキッチリセットされた彼に対して、シャワー浴びてそのまま濡れた髪、思いっきり部屋着で酒臭い俺。顔も浮腫んで目も腫れたまま。
立ち話というわけにもいかないので、招き入れ、冷蔵庫から冷えたビールを2缶取り出し、彼の前に1缶、自分の前に1缶置く。
「よかったらどうぞ。」
「いや、流石に昼前から飲むわけには…。」
「…とても飲まなけりゃ、あなたと話なんて出来そうにありません…。」
俺は一気に飲み干す。そして、彼の前に置いたビールも開けて飲む。今の俺には酒の力が必要。本音を言えば、ビール2本ではとても足りない。
「佐伯君てさ、いつから夏月の事好きだったんだい?」
全く遠慮がない。他に前置きをするでもなく、いきなり直球ストレートな質問。思いっきりむせてしまった。
「いきなりそれ聞きます?」
「1番気になってたからね。」
「5年以上前ですよ。あなたが彼女とボヌールにやってきた半年後くらい。パティスリーで働く彼女を見て…あの日あなたがお連れした女性だって気づきました。特別な日だって予約されたのに、訳ありっぽかったんで、ずっと気になってたんですよ…。」
「それで?3年位前に夏月が異動して、涼の下で働くようになって本格的に好きになっちゃった訳?」
「そういう事にしときます。」
何が悲しくてこんな話をこの人相手にしなくてはいけないのだろうか…。
「まぁ、前置きはこの位にしておいて…ここからが本題。ところで、夏月が酷い事されたり酷い目に遭ってるとか知らない?君は夏月に随分信用されているみたいだから何か聞いてないか?」
彼の表情が急に変わった。今までは、穏やかで、少し戯けたような明るい表情だったのが一変、冷たく、恐ろしさまで感じるような顔。
「知ってますよ。俺も去年の夏に知ったんですけど。腹立たしいったらありゃしないっつうか。妻子&愛人持ちの俺の同期で…詳しくは涼さんに聞いてください。1度助けに行ってる筈なんで。」
たったこれだけの情報でどんな事をされたのか理解してしまったらしい。
彼につられて、俺の表情も冷ややかなはずだ。佐藤のしてきた事は思い出すだけで腹が立つ。恐らく、俺が知らない事もたくさんあるのだろう。
「明日会いたいんだけど協力してくれないかな?」
冷たく、鋭い視線。口元だけが笑っている。
「そう言うことなら喜んで。」
3本目のビールを冷蔵庫から取り出し、一気に煽る。
「今まで、夏月ちゃんがどんなに苦しんでたかわかってるんですか?」
酒の力を借りて、言いたいことをこちらも言ってやらねば気が済まない。
「何度蘇芳様の事を考えて泣いていたと思ってるんです?
俺、彼女にそういう話何度も聞いてきたんで。色々悩んでましたよ。いつ現れるのか分からないあなたを思って。自分はあなたの好きな人の身代わりだったんだから、あなたは他の誰かと結婚しているはずだってわかっているのに忘れられないって。それでも忘れようと努力して、忘れられなくて泣いて、カラオケに行けば失恋の歌なんか歌っちゃって。あの日、蘇芳様と来たのは夏月ちゃんじゃないかって聞いたら動揺しまくるし、あの日飲んでたシャンパーニュ見て落ち込んで、俺が代わりに幸せにするって言ったら、俺にはもっといい人がいるからって笑顔で断られるし…。そんな彼女の姿を見ていた俺の気持ち分かります?
いや、俺の気持ちなんてどうでも良いんです。彼女の事、もうこれ以上傷つけたり泣かせたりしたら許しませんよ?絶対幸せにしてください。じゃなきゃ俺、奪いに行きますんで。」
自分でも何を言っているのか分からない。口から突いて出る言葉をただひたすら勢いに任せて並べただけではあるが、俺は真剣だった。
「絶対ですよ?もう泣かせるような事はしないで下さいよ?蘇芳様、ちゃんとここで誓って下さい。」
自分でもしつこいのはわかっている。わかっているが、何度言っても言い足りない。そんな俺を微笑ましいものを見るような目で眺める。そんな目で見られては非常に居心地が悪い。
「僕は、やっぱり君の事が大好きみたいだ。これからは友人として付き合っていきたいんだが…いつもの呼び方そろそろやめてくれないか?英治でもヒデでも好きなように呼んでくれ、誠治君。」
「英さん、なかなか酷い事言いますね。昨日俺の目の前であんなことしたくせに…。」
「それはいい返事だと解釈していいのか?」
「ご自由にどうぞ。俺もあなたの事嫌いにはなれないみたいですから。」
俺の本音。この人だからこそ彼女を任せられる。心からそう思えた。
「えっと、これは一体どういうことかな?詳しく説明してもらおうか?」
俺が先程から気になってチラチラ見ていた視線に気付いて、ノートPCを開いた英さん。
「夏月がなんでドレス姿?しかもなんでその隣に誠治くんが素敵な笑顔で立っているのかな?」
迫力満点の笑顔。もちろん目は笑ってなどいない。
彼女の名誉の為に事実を告げる。本当ならば、結婚の約束をしていたのは俺だから彼女を返せと言いたいところをぐっと我慢して、経緯を詳しく話した。
これも、彼女の幸せの為。その為に俺が嘘をついて拗らせる訳にはいかない。
「ありがとう。本当の事を話してくれて。本当に僕は君を尊敬するよ。僕も男らしく君の気持ちに応えるよ。」
そう言って彼はおもむろにPCを操作する。
「ええーーーーーーー!!なんてことしてくれるんですか!?」
PCに保存してあった画像はもちろん、カメラの中のSDカードのデータまで容赦なく消去されてしまう。
マジであり得ない。しばらく、写真を眺めて感傷に浸って失恋の傷を癒していくつもりが…。
「大丈夫、後で代わりの写真送ってあげるよ。じゃあ、明日よろしく。少し早めに夏月を送っていくから。」
ショックのあまり、立ち上がれない俺を再び穏やかな笑顔で眺めて英さんは帰って行った。
「マジで立ち直れない…。」
彼女に渡すつもりのデータも、酔った俺は昨日の夜のうちにUSBメモリから消去していたらしい。あんなもの、もう彼女に渡す必要は無いのだから…。
恐らく、もっと豪華で美しいドレスを身に纏い、本物のバージンロードを彼女の祖母と歩くであろう日もそう遠くない…。そして、その先で待っているのは俺ではなく英さんだ。
「こんな事ならバックアップ取って置くべきだった…!?…バックアップ!?…俺、ナイス!確か外付けハードに…。」
データは無事に残っていた。しばらく、この写真を見て、思い出に浸ろう。そして、完全に失恋の傷が癒え、平気になった日には消去しよう。
その日の夜、俺のスマホに送られてきたのは、俺と一緒に試着したドレスによく似た、しかしもっと豪華で美しいドレスを身に纏い、心底幸せそうな表情で微笑む夏月ちゃんと、彼女にぴったり寄り添う英さんの写真だった。
そして、以前登録して放置していたSNSに彼から申請があり、彼のページにはもっと様々なポージングを披露する2人の写真が載っていたのだった。
『やっと見つけた、僕のシンデレラ!』
そんなフランス語のコメントと共に…。




