夢のような…(夏月視点)
「あの、1度家に帰ってもいいですか?」
英治さんが宿泊するホテルへ一緒に行こうと言うのだが、私はいつも通り仕事をするつもりで朝家を出てきている。
荷物は…財布とスマホのみだ。
1日コックコートを来ていたので服はほとんど汚れていないにしても、仕事は重労働なので汗はかく。お風呂に入ったら下着くらい替えたいし、明日の過ごし方によってはメイク道具とか、服とか、色々必要だ。明後日直接出勤するならその様に支度をしなくちゃいけないし。
それにやはり…勝負下着とかいるよね?
あぁ、なに考えてるんだ、私。
「勿論だよ。夏月の住んでるところも見てみたいし。」
「狭いですよ?寝るだけの家ですから…。」
一応、セキュリティがそこそこのマンションでそれなりに綺麗ではあるが、以前1度訪れた英治さんの部屋に比べたら猫の額の広さだし、殺風景でとても誰かを招き入れる様な部屋では無い…って、大切な事を思い出した。
私が住んでいるのは女性専用の物件だ。
男性は家族以外侵入禁止というところに惹かれてここに決めたんだった…。
「あの、大変申し上げ難い事なんですが…うち、女性専用で男性の来客は家族以外ダメなんです…。エントランスで待っていて頂くことは可能でしょうか?」
英治さんは少し膨れた顔で言った。
「その話し方、よそよそしくない?」
少しホッとする。入れなくて怒ったわけじゃなさそうだ。
「ごめんなさい。」
「可愛いから許す。」
よくわからないけど許してもらえたらしい。
「良いよ、外で待っても良いし。でもなるべく早く来てくれる?」
「はい。ところで明日は何か予定あるんですか?」
「まだ固いんじゃない?えっと、佐伯君と話す時みたいに…って癪だけど、そんな感じで喋ってみて?」
「あ…はい。明日は何か予定あるの?こんな感じですか?」
「最後の『ですか』はいらないけど、そんな感じ。明日は兄と会って欲しいんだけど良いかな?何処かで食事をしながら…。」
食事か…ちゃんとした服も持っていこう。
英治さんにはロビーで待っていてもらう。
荷物をまとめ、着替えて軽く化粧をする。髪は仕方ないので、簡単に直す程度。
靴も履き替えて英治さんの待つロビーへ向かう。
英治さんは何処かへ電話をかけている様だった。
私の姿を見つけると、少し驚いて目を丸くしていたが、すぐに嬉しそうな表情へと変わる。
「夏月、よく似合うよ。素敵なドレスだね。」
「大好きな人に見立ててもらったドレスだもの。似合わないわけないでしょ?」
2人で顔を見合わせて笑う。
「でも、何か物足りない様な…そうだ。」
そして英治さんは鞄から何かを取り出し、私の首にかけた。
そして、左手の小指にもはめてくれた。
それは、あの日、私が着けていたネックレスとリングだった。
「うん、これで完璧。それじゃあ行こうか。」
「これって……何で今持っているの?」
「いつも持ち歩いてるから。」
「なぜ…?」
「いつ夏月に会っても良い様にね。それに、これ見て夏月の事考えてたから…。それだけ君を思っていたんだからね?明日朝起きていなくなってたら許さないよ?
そういう夏月だって、そのドレスと靴とバッグ、すごく綺麗に取っておいてくれたみたいだけど?」
せっかくメイクしたのに涙が溢れてきた。最近涙腺弱すぎる。
勿論、嬉し泣き。
「だって、もしまた会えたら、着ている姿を見せたかったから…大切にしまっていたの。」
「ここって…。」
「そう、あの時と同じ部屋。ここは兄のホテル。僕が泊まるのは大体この部屋。あの後、1人で泊まるのがものすごく辛かったんだから…危うく今日も泣きながら寝るところだったよ。」
私たちがチェックインして案内された部屋はあの日2人で泊まったのと同じ部屋だった。
ドアを開け部屋に入ると、大きな花束とロゼのシャンパーニュが用意されていた。
そして、英治さんのスマホが鳴った。
「ああ、兄さん?祖父から聞いたのか?ありがとう。明日の夜食事でも…あ、それも聞いてる?予約まで?ありがとう。
え?は!?兄さんも知っていたのか?何!?それは聞いていない!!ああ、明日またゆっくり…って、え?はぁ!?そこまでお気遣いありがとう。それじゃあまた明日。おやすみ。」
どうやらお兄さんからの電話だったらしい。
なぜかやたらとあたふたする姿が可愛らしくて思わず笑ってしまう。
「夏月、お風呂見て来てご覧?」
「お風呂…ですか?」
英治さんに言われて一緒にバスルームへ行くと、バスタブにはお湯が張られ、薔薇の花びらがたくさん浮かんでいた…。
英治さんは苦笑していた。
「せっかくだから冷めないうちに入っておいで。」
どうやらお兄さんが用意していてくれたらしい。
お兄さんも5年前の経緯をご存知だそうで、今日の事を英臣さんに伺い、喜んで下さっているそうだ。
初めて入る薔薇のお風呂は凄く良い香りで気持ち良かったけれど、掃除とか後始末がとても大変そうだなと思ってしまうロマンチックのかけらもない私。
お風呂から上がり、髪を乾かしている間に英治さんも入浴を済ませたらしい。
タオル1枚で出て来られると困る。腹筋が割れてる…。何か着て欲しい。恥ずかしい…ドキドキする…。
って私もバスローブだった。入浴前に「はい」って渡されて、何の疑問も持たずに着ちゃったけれど…よく考えると大胆すぎやしないか?
そんな事言ったら、あの時は…。
絶対顔が赤いわ、私。
そんな私を見て、英治さんがからかう。
「同じ部屋に泊まるって意味ちゃんとわかってる?」
そう言って笑っていた。
悔しくて思わず仏頂面になってしまった様だ。
「怒った顔も可愛いよ?」
それから、用意されていたシャンパーニュを飲みながら、英治さんが5年前の事を話してくれた。
英治さんのおじい様はラグジュアリーなホテルチェーンを経営されているらしい。
おばあ様、意外に大物とお知り合いだったのね。
「一応ね、僕は次男だけど身内がホテル経営してたりすると色々あるんだよ。
恋愛や結婚も、僕自身じゃなくて、僕の肩書きや家柄と付き合いたいとか結婚したいって女性も少なくなかったし。
兄がそういう面で、もの凄く苦労していてね。それを見ていたから、どうしても慎重になってしまって。
女性不信になった時期もあったよ…。
それに自分と相手の気持ちだけでは結婚が許されないしね…相手の家柄、とまではいわないけれど人柄は大事だから…。
あの時、僕は28になる歳で…恋愛=結婚だったから、どうしても付き合う前に家族の許可が必要だった。
付き合って、結婚したいですって紹介して、反対されたらお互い辛いから…。
スムーズに事を進めるために、先に許可を取っておいて、結婚を前提にしたお付き合いを夏月に申し込むつもりだった。
流石に、本当の事を言えなくて、あんな嘘をついてしまった訳だけれど…凄く後悔した。
あんなに夏月を傷付けてしまっていたなんて思わなかった。
僕は1人で舞い上がっていたんだ。
せめて、君を抱く前に本当の事を言っておくべきだったんだ。あの時、随分飲んでいたから、僕の言葉を信じてもらえるか自信が無かった。だから、翌朝、酔いが覚めてから、きちんと結婚を申し込むつもりだった。でも、朝起きたら君は…あの時の手紙もまだ取ってある。もし、君に会えたら、プロポーズするつもりでいたけれど、自信が無かった。もし、君が他の誰かと結婚していたら…そう思うと苦しかったし、現実的に考えたら、その可能性の方が高いだろう?僕は君に身代わりになれと言ったんだから…。
でも諦めきれなかった。帰国したら改めて捜すつもりだった。
そして今、こうして僕の目の前に夏月がいる。もう、嘘はつかない。
大切にする。一緒に幸せになろう。」
大好きな人と一緒にいられることがこんなに幸せなことだなんて私は今まで知らなかった。
以前は、幸せなだけじゃなくて辛いことでもあったのだから…。
2人でボトルを空けた頃、私は睡魔に襲われていた。
疲れのせいか、酔いが回るのが早い。
よく考えたら夕食を取っていなかった。
胸がいっぱいで空腹を感じていなかったらしい。
英治さんも酔っているのか随分可愛らしくなっている。
「夏月…。」
「なぁに?」
「呼んでみただけ。…ねぇ、夏月?」
「…また呼んでみただけですか?」
「うん。」
「夏月?」
「なぁに?また呼んでみただけ?」
英治さんが首を横に振る。
どうやら呼んでみただけではないらしい。
「ねぇ、夏月?同じ部屋に泊まるって意味わかってる?」
私は首を横に振る。
「わかりません…。」
ニヤリとなんだか悪そうな顔の英治さん。
「これでも?」
優しいキスだった。
それが段々激しくなり、舌が絡み合う。
気持ちが良くてとろけてしまいそう。
あまりの気持ち良さに、思わず声が漏れてしまう。
「まだわからない?」
意地悪だ。
再度首を横に振る。
「わかんない…。」
そういう私を抱きしめて、彼は耳元でこう囁いた。
「そんなに怖がらないで良いんだよ?もう初めてじゃないんだから…。」
耳まで真っ赤になる。
身体中が熱い。
「…気付いていたの?」
英治さんは、私の顔を見てにっこり笑うと頷いた。
恥ずかしい。恥ずかしすぎる。
「恥ずかしがる姿も可愛いすぎるから…。」
「だって…恥ずかしいんだもの…。」
「それに気付いたから、朝起きて余計後悔したんだよ…。ごめんね。あんな形で…。」
私は再び首を横に振った。
「あの時、大好きなあなたに抱いてもらえたから今日まで頑張ってこれたの…初めての人があなたで本当に良かった。幸せだったから。その思い出があったから、嫌なことされても、強い心でいられたから…落ち着いて対処することが出来たから…。」
言ってから後悔した。
「夏月?もしかして…。」
「ううん、なんでもない。もう上書き修正しなくても平気だから…。あの日の事、ちゃんと覚えているから…。」
誤魔化せただろうか。
前回、あんな姿を見られてしまっている。同じ様なことがあっただなんて知られたくない。
抱きしめられ、優しくキスされる。
「大好き…。」
「夏月、愛してるよ。」
肌が触れ合うってこんなに幸せなんだ。
大好きな人が近くにいる。
私は英治さんの腕の中にいる。
夢のようだった。
もし、これが夢だったとしても覚めないで欲しい。
朝、眩しくて目覚めると私の目の前には微笑む英治さんがいた。
「夏月、おはよう。」
優しいキス。
夢じゃ無かったらしい。
「おはよう。」
私もキスを返す。
誤算だった。
チュッとしておしまいにするつもりが、抱きしめられ、濃厚なキスになってゆく。
昨夜は、そのまま眠ってしまった様で、私も彼も何も着ていない。
寝起きでぼーっとしているせいか、昨日以上にとろけてしまいそうになる。
この人はなんてキスが上手いのだろう。
自然と私も彼に答えるかの様に…。
……案の定声が…漏れた。
それを待っていたかの様に、彼の唇は私の首筋へと移動して…。
あっという間にそういうことになっておりました。
気がつけばカーテンは開いていて、そういえば眩しくて目が覚めたんだった…なんて考えてるうちに恥ずかしくて身体が熱くなって…。
外から見えないから大丈夫だなんて笑われるし、そもそもお日様の光を浴びながらというのが、逆にいやらしいというか、はっきり表情を見られていると思うともう余計恥ずかしくて、目も合わせられなくて…。
そんな私の反応が彼の悪戯心に火をつけてしまったみたい…。
お陰でもうヘトヘトです。
起き上がれないのは気のせいでしょうか?
「夏月?起きないの?」
そのにやけ顏は分かってて言ってますね?英治さん。
「もう…意地悪…。」
「何?もう一回したいの?」
膨れっ面の私を見て、大爆笑し始めた。
「思う様に動けない…。」
「嬉しいこと言ってくれるね?最高に可愛いよ。」
何でそうなる?
「シャワー浴びたい…。」
フラフラしながらもなんとか歩いてバスルームへ連れて行ってもらい、シャワーを浴びて着替えて、部屋でルームサービスの朝食を取り、連れて行かれたのはホテルの中にあるエステだった。
「ちょっと用事があるから、マッサージでもしてもらって待っていて。仕事で疲れているでしょ?ちゃんと迎えに来るから。」
そう言って何処かへ出かけて行った英治さん。
好きなアロマオイルが選べるということで、グレープフルーツを選んでマッサージしてもらうと、あまりの気持ち良さについつい眠ってしまった私。
でも、昨日の夜とか今朝の方が気持ちよかっただなんて恥ずかし過ぎて口が裂けても言えない。
ボディとフェイシャルをフルコースでマッサージされ、さらに顔やデコルテをパックされて…。
一通り終わると自分の肌だとは思えないくらいつるつるになっていた。
なぜか下着の上からバスローブを着るように言われ、通されたのは大きな鏡の前。
そして、髪をカーラーで巻かれて…メイクも…?下地からすごく丁寧に…って、濃くないですか?
そう言えばさっきからまな板の上の鯉状態?
仕事の疲れをいやすためのマッサージじゃないよね?これ。そんなことを考えているうちにメイクもヘアもきれいに仕上がって…。
頭に花まで飾ってる?
立ち上がるよう言われたかと思うと、鏡張りの個室へ連れて行かれ…え?バスローブ脱ぐんですか?
採寸?なぜ?
下着を脱げと言われなかったのが幸いですが、一度退室して戻っていらした女性の手には下着が…え?これを着けるんですか?手伝うから脱げ?どういうことでしょう?
寝起きで頭が回りません。
もう開き直って脱ぎました。
あはは…もうどうにでもなれ…。
そういえばエステでは脱いでましたね…。タオルが有ると無いとじゃ大違いです。
すごい下着(コルセット付き)を着け、再びバスローブを着て待っていると、此処がなんなのかやっと分かった気がした。
偵察に行った結婚式場で…ドレスを試着した部屋と造りが似ている。
此処の方がずっと高級感がある、実際そうなんだろうけど…さすがラグジュアリーなシティホテル。
すぐに大きな布の塊を持った女性が部屋に入ってきた。
ウェディングドレスだった。
でもなぜ?何も聞いてない…。
真っ白というより、ほんのり色がついている。
シャンパンゴールドというのだろうか?
デコルテの大きく開いた…ビスチェタイプでビーズ刺繍やら、レースやらパールやらがやたらついていて、ものすごく派手だった。
トレーンもすごく長い。
この間試着したドレスに形が似ている。この前よりもずっとトレーンが長いし、装飾も多くてとても煌びやかだ。
着替えて部屋を出ると、タキシードを着た英治さんが待っていた。
いつもはきりりとした顔なのに、若干鼻の下が伸びているのは気のせいだろうか?
それにしても、英治さん…何を着ても素敵なんですね。
基本的にスーツ姿しか見たことないんですが、タキシードをこんなに着こなしている人初めて見ました。
ついつい見惚れてしまった私。
でもこの状況…どういうこと?
あ、英治さんの顔が通常営業に戻りました。
きりりとした美男子?美中年は失礼か?
ともかく、とても恰好良いのだ。
私のお世話をしてくださった女性は私たちを見てニコニコしていた。
「さぁ、行こうか。」
「あの、状況が飲み込めないんですけど…。」
「夏月のドレス姿を見てみたかっただけ。僕のわがまま。せっかくだから写真撮ろう?」
そして私は手を引かれて…ついたのはチャペル?って、前撮りですか!?
式の予定も無いのに!?
昨日プロポーズされたとはいえ、お付き合いを始めたのも昨日ですよ!?
やたらと機嫌の良い英治さん。
頭の中ぐちゃぐちゃの私。
深く考えるのをやめたらずいぶん落ち着きました。
緊張もほぐれてくると、すごく幸せな気分になった。
大好きな人の隣で笑っている自分。
少し前には考えられなかったこの状況がくすぐったくて、でも嬉しくて…一生独身を覚悟したあの日が嘘みたい…。
撮影が終わり、ドレスを脱ぐと、へアメイクを手直しされて、今度はなぜか着付けをしてもらっていた。
綺麗な青系の訪問着だった。
裾に向かうほどブルーが濃くなっていく。
「夏月、和装も良く似合うよ。」
朝別れた時と同じスーツに着替えた英治さんが待っていた。
「この色、何色か知ってる?」
肩のあたりを指さして英治さんが尋ねる。
淡い水色。とても綺麗な色。
「水色?」
「まぁ、そうとも言うけれど…水縹だよ。夏月の苗字と一緒。もうすぐ変わっちゃうけどね。」
そうだ。
幼いころ嫌いだった自分の苗字。
「なっちゃんの名前の色ってきれいな色なんだよ。ほら、あんな色。」
空を指さし、あのマカロンをくれた少年が教えてくれた。
彼が目の前にいる。
嫌いだった苗字を好きになれたきっかけがずっと思い出せなかった。
でも、今思い出したんだ。
「忘れていたの?って、僕もさっき思い出したんだけど。この着物見てさ。」
ハッとして英治さんを見つめていた私に彼は優しく教えてくれた。
「兄との約束は7時半からだよ。和食だし、せっかくだから和服をね。それに、夏月の事見せびらかす為に写真撮っておこうと思って。フランス人には和服の方がウケそうだろう?」
そう言って、タブレットを取り出して私を撮ってくれた。
見せびらかすって…。
それから着付けをしてくれた女性にお願いして、2人でも一緒に撮ってもらった後、移動する。
お兄さんとの約束の前にも人に会う約束があると言う。
半年ぶりの帰国だと言ってたもんな。
忙しいのに私の相手をしてもらって申し訳ないと思う。
高層階にあるラウンジへ行くと、もう会う予定の人はお待ちだそうだ。
半個室になった席へ案内される。
顔を合わせた途端、私も相手もお互い驚いてしまった。
「桃子さん…と…ハルさん…?」
「夏月…ちゃん?」
「な…夏月?…その恰好…なんでヒデが連れてきた!?」
突然の出来事に、桃子さんもハルさんも驚きを隠せないようだ。
そうだ、昨日桃子さんは有給取って休みだったんだ。
「2人にも紹介するよ。僕の妻の夏月です。」
「あの、まだ妻になったわけでは…。」
一応突っ込む。
「良いの、僕がそう紹介したいんだから。」
上機嫌な英治さんの紹介で余計混乱してしまったらしい。
2人が固まっている。
少しの間の後、状況を整理した桃子さんが口を開く。
「もしかして、夏月ちゃんの忘れられない彼が、蘇芳さんだったって事?」
コクコク頷く。
桃子さんの目が潤み、私はハグされた。
「夏月ちゃん、おめでとう~!良かったね。着物似合うわ…とっても綺麗よ。」
桃子さん、泣いてる?
「涼君?なんで君が連れてくるのが夏月だって教えてくれなかったんだい?僕と夏月が一緒に写った写真だって何度も見せたはずだろう?」
「いや…ヒデのその話、嫌というほど聞いていたから…自然と…記憶から…消し去っていて…。」
「しかも、いろいろ余計な事してくれたらしいじゃないか?彼、随分その気になっちゃって…。」
ハルさんの顔が青ざめている。
英治さんはすごく悪そうな顔をしている。背後に何か黒いものが見えるよ…。
桃子さんまで苦笑い。
そんな様子を見た私は可笑しくて笑ってしまった。
それから、昨日の出来事をざっくりと説明して、少しだけ飲んでお兄様との約束の時間が近くなったので2人と別れてラウンジを出た。
ハルさんが英治さんに絡まれて終始困っている姿が笑えた。
2人、親友だって言ってたけど、本当に仲が良さそうだ。
約束の時間に館内の高級料亭へ行くと、もうお兄様がお待ちだった。
初めましてのご挨拶をして、自己紹介と昨日のお礼を伝える。
「初めまして、じゃ無いんだけど覚えていないかな?」
お兄様の挨拶に私も英治さんも唖然としてしまう。
記憶力は特別良い訳では無いけれど、人の顔を覚えるのは割と得意だ。思い出すまでに少し時間かかってしまう事もあるんだけど…。
でも、どう思い出そうと頑張っても思い出せないと言うか寧ろ覚えていなかった。
「そうだよね。10年以上前の話だし。何度か、旅館でお会いして話しているんだよ。」
10年以上前、旅館がオープンした年、私は祖母を手伝っていた。
その時、接客したのだろうか?
「申し訳ありません…。」
「いやぁ、覚えているいられても困る様な話の内容だし、気にしないで。実はね、夏月ちゃんのことナンパしたんだよね。少なくとも2〜3回は声かけてると思うよ。全然相手にしてもらえなかったんけど…祖父母にバレてもの凄く怒られたし、あの頃から可愛いかったから印象深くて私は覚えているけれど。」
お兄様、英一さんは声をあげて笑っていたが、英治さんは不機嫌さを少しも隠そうとせず、英一さんを睨んでいた。
「英治、そんなに怒るなよ。もう時効だろう?」
私も全く覚えていなかったことを伝えて宥めると、英治さんはやっと機嫌を治してくれた。うん、結構面倒臭い。この人、独占欲強いのかしら?それはそれで嬉しい私もいるんだけど。
英治さんがとても可愛く見えた。
英一さんと英治さん、顔は結構似ていると思う。目元が少し違うかな?
目尻が少しだけ下がっている英一さんと、きりりとした英治さん。
雰囲気は全然違う。
上手く言い表せないけれど…英一さんは一見和やかな雰囲気なのに隙が無い感じ。
英治さんは、凄くクールで冷たい印象を受けがちだけれど、笑った顔とか、ふとした時に見せる表情がとても可愛いらしい。
俗に言う『ギャップ萌え』ってやつでしょうか?
食事は高級料亭なだけあって上品でとても美味しかった。
「お口に合うと良いんだけどどうかな?夏月ちゃんのお祖母様のところの料理と比べたらどうしても劣ってしまうんだよね。」
確かに、祖母のとこの食事の方が美味しいが、微妙にジャンルが違うし、好みの問題だと思う。
英一さんは、私さえ知らない私の事や祖父母の事をたくさん知っていた。
「お祖母様は勿論、夏月ちゃん自身もうちの大口株主なんだけど?知らなかったの?だってもともと、ここもそうだし、うちの所有するホテルのほとんどは夏月ちゃんのお祖父様が経営されていたんだよ?…聞いてない?」
祖父が生きていた頃はホテルを幾つか経営していた話は聞いていたけれど、祖母の旅館程度の規模だと思っていたし、信用できる人に譲った様なことを聞いていた気もしないが、まさかそれが英臣さんで、ホテルの規模も数も想像の斜め上過ぎて…確かに小中高一貫のお嬢様女子校行かせてもらっていたけれど、それはきっと父と母からの養育費で賄っていて…普段は慎ましやかな暮らしだったし、てっきり祖母がお茶やお華を教えている収入で暮らしていると思っていた。
実際そうだったのかもしれないけれど、英一さんの話はとても信じられる様な内容じゃ無くて混乱してしまう。
昨日から混乱する事が多くて思考回路がキャパオーバーでどうにかなっちゃいそうなんですが…。
「ごめんね。混乱させちゃって。てっきり知っているものだとばかり…。あれ?英治も聞いていなかったのか?自分の親会社の話なんだからきちんと勉強しておけよ。」
もう、お料理の味なんて良く分からなかった。
お兄様、ちょっと苦手かもしれない。
悪い人では無いんだけど…彼のペースには慣れるまで時間がかかりそうだ。
着物を返して、部屋へ戻る。
「疲れた〜。全く…。」
英治さんは何かブツブツ文句らしきことを口にしている。
お兄様との会食中、時々不機嫌そうな顔をしていたので、その時の事だろう。
お兄様が私を『夏月ちゃん』と呼んでいたのもどうやら不満だったらしい。
「夏月、ごめんね。混乱させてしまって。
僕にとって、夏月は夏月だからね?今まで通りで良いんだよ。
大好きな事とか理由に変わりは無いからね。
さっきの話を知っている第三者から見たら、政略結婚みたいだけど…はぁ…。僕としては純愛なんだけどなぁ…。」
この人、純愛だなんてそんな恥ずかしい事を普通に言っちゃってる!聞いてる私の方が恥ずかしくなる。
顔、きっと真っ赤だと思う。
言っている本人は顔色ひとつ変わっていないというのに…。
「あれ?これ何かしら?」
テーブルの上に封筒が置いてあるのに気付き、英治さんに渡した。
どうやら、昼間撮影してもらった写真のデータらしい。
彼が荷物からノートPCを出して見せてくれた。
念入りにエステ&メイクされたせいか私の筈なのに、私じゃ無いみたい。
凄く綺麗に撮ってもらっている。
さすがプロは違うよな…と思った時、何か忘れていることを思い出した…。
ウェディングドレスの写真!
偵察した時の…佐伯さんと写っている写真。
あの写真撮ってもらった時…私は結婚しない人生を送るつもりだったのに…わずか2週間で覆るなんて人生何が起こるか分からないものだ。
いいや、今考えるのはそうじゃ無い。
あの写真、英治さんに見られたく無い…。佐伯さんと何かあったとか誤解されるのも嫌だし…きっと佐伯さんにも迷惑をかけてしまうだろう。
佐伯さんだって好きな人がいるみたいだし…。
あの写真は、消去してもらうよう明日お願いしよう。
私にはもう必要ないということも。
英治さんには…心苦しいけれど…無かったことにして言わなくても良いよね?
私がそんな思考を巡らせている間にも、英治さんは上機嫌で写真を眺めていた。
SNSにUPしていた気がしないでもないが、良く分からないしまぁいいか。
そもそもSNSが面倒でやっていない私には関係無い話だ。
英治さんは写真を見ながらうっとりして、私に対して可愛いとか綺麗とか連呼して…もう可愛いと言われる歳じゃ無いので、恥ずかしくてくすぐったいけれど、大好きな人に言われるのは嫌じゃ無い…いえ、寧ろ嬉しいかも…。
化粧っ気のない地味な私には勿体無い褒め言葉だ。
今更だけど、そんな地味な私なんかが英治さんの様な素敵な人と結婚なんかして良いのだろうか…。
釣り合わないのでは無いかと不安になる。
英治さんに想いを寄せる女性に刺されたりしないことを密かに願っている私がいた。
でも、彼の腕に抱かれ、彼に見つめられ、優しくキスされたりするだけでそんな不安さえも何処かへ消え去ってしまう。
彼は私を求めてくれている。
それだけで幸せだ。
翌朝、私がホテルで別れるつもりでいたら、英治さんは少し拗ねてしまった。
店まで送ってくれるという。
どうやら、パトロンとなぜか関さんにご挨拶に伺う約束をしているらしい。
私の事もあるが、ハルさんとの事もあるからだ。
店に着くと、佐伯さんが待っていた。
「佐伯さん、おはよう。」
「誠治君、おはよう。」
「夏月ちゃん、おはよう。英さんも、おはようございます。」
あれ?誠治君?英さん?
2人はいつの間に仲良くなったのだろう?
元々仲良かったのかな?
英治さん、佐伯さんのこと指名していたくらいだもの、不思議じゃ無い。
一昨日は仕事中だったし…。
「夏月、僕は用事があるからここでごめんね。1ヶ月淋しい思いをさせるけれど、電話するからね。」
英治さんはそう言うと、ぎゅっと抱きしめてくれた。
「夏月ちゃん、先に行ってて。少し遅れるかも…。」
佐伯さん、目を合わせてくれない…そうだよね…目のやり場に困るよね…反省。
2人は関さんに話があるからと仲良くパティスリーへ向かって行った。
ちょっと淋しいけれど、部屋を出る前に1ヶ月分、イチャイチャしてきたのでそれで良しとしよう。
私は気持ちを切り替えて仕事場へと向かった。




