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現実世界における対人関係について

 そんなミズセレイとの遭遇から一日が経った。

 今日も俺は教室でノートを広げて妄想にふける。頭の中でキャラが動く感覚、話が進んでいく感覚。それを断片的にノートに書き込んでいく。自分一人以外誰もいない教室。手に持ったシャープペンシルがノートを擦る。時計の針が進む。自分の息遣い。鼓動。静かな部屋には音が満ちていた。耳をすませばたくさんの音が聞こえてくる。俺はこの感覚が好きだった。時計の音が好きだった。ノートが擦られる音が好きだった。心臓が動いている音が好きだった。音のする静寂が好きだった。窓の外は秋空で太陽は眩しい。風が吹いたらしく茶色に染まった木の葉が揺れていて、いかにも『秋』といった感じだった。

 しばらくして、ノートを擦る音にまぎれて足音が聞こえた。それは数秒も経つうちにどんどん大きくなり荒々しくなっていく。うるさい音だった。息をひそめて耳を傾けているとその音は消えた。この教室の前でピタリと止んで聞かせたのだ。

 なんだろうな、とは思ったが嫌な予感などはしなかった。誰かが忘れ物でも取りにきにでもしたのだろう。俺はノートを畳み、眼鏡を机の上に置く。そして、手を枕に顔を伏せた。寝たふりである。予想通り、すぐにこの教室のドアが開く音がした。俺は耳を廊下から入ってきた誰かに向けた。歩く音がする。木製の床が鳴く音がする。走って来たのか息をする音がする。それはどんどん近づいてきて──


「先輩」

 女の子の声がした。どこかで聞いたことがあるような声だった。『先輩』と女の子は言ったわけだが、俺には顔見知りの女子の下級生などいなかった。いや、正確には一人、昨日出会ったあいつ。ミズセというのがいるが……。俺が顔を上げるかどうか考えている間に女の子はもう一度声を発した。

「先輩! 杉村先輩!」

 今度は俺の名字が呼ばれた。俺は驚いて声のする方へと顔を振り上げた。夕日が差し込む窓側、そこには──

「やっぱり先輩じゃないですか……。 どうして寝たふりなんてするんですか?」

 と言いながらにやりと笑うミズセレイが立っていた。

「なんで、なんで俺の名前を知っているんだよ?」

声が震える。動揺、しているのだろうか。特定の一個人の名前を知る方法なんていくらでもあるというのに……。

「昨日見たノートの表紙に書いてありました。 杉村キヨシ、ですよね? 清いと書いて清」

 そうニッコリとほほ笑むミズセ。目の前に経つ彼女は夕日が似合う女の子だった。素直に可愛い、いや美しいと思ったが、その得意げな顔には腹が立つ。

「そういうお前はミズセレイだろ?」

「そうですけど先輩、漢字までわかります?」

 にやにやと唇と目を歪ませながらミズセは言った。

「水に浅瀬の瀬、それにゼロと書いてレイ。 どうだ?」

「Exactly!」

「あ?」

 したり顔で言った彼女に対して俺は眉毛をよせた。

「正解、という意味ですよ? 知ってますよね?」

「……なんでそう思うんだ」

「あの原案集、ちらっと読んだ限りでは先輩と私って結構趣味かぶってそうなんですよねー」

 うふっと嬉しそうに笑う。その態度は誠に腹立たしかった。

「で、何の用なんだ? 俺に」

「何の用って……。 私はただ、先輩ともっとお話ししたいなーって思っているだけですよ。 昨日は逃げられましたしー」

 そう言いながら水瀬は俺の目を見つめてくる。きりっと切れ長な目だ。本当、何が目的で俺に声をかけたのだろうか。俺にはこいつが理解不能な生き物に見えた。

「そういう台詞はゲームの中だけの話だと思ってた」

「どういうことですか?」

「なんかあざとくてうざいってこと。 本当になにしに来たんだお前は」

 大きくため息をつく。そんな俺を見て水瀬はまたうふっと笑った。

「まぁ、女性経験がない先輩にとっては校内可愛さランキング五位圏内確実の私なんてあざとさの塊なんでしょうけれども、」

 水瀬はそこで言葉を区切り、息を深く吸った。そして、何かの合図のように瞼を瞬時に何回も瞬きさせた。さらに、どんどんと顔が接近してくる。こちらから接近させているわけではない、どちらかというと俺は水瀬の接近に対して、体を逃げるように傾けているのだ。体が曲がる限界まで、俺が逃げると水瀬も文字通りの俺の目と鼻の先で止まった。長い睫に甘い香りが鼻をくすぐった。何を考えている。何を考えているのだ、水瀬も、俺も。

目の前で睫が高速で上下する。水瀬の呼吸の音が聞こえた。

「こう見えても私、先輩のこと結構好意的に見ているんですよ?」

 サラサラでつやつやな彼女の髪が俺の頬を撫でる。女子特有のいい匂いがして息をするのが辛い。俺は水瀬の黒く爛々と光るその目から視線が離せなかった。つばを飲み込む。まるで俺は魔法で見せられたかのように固まってしまった。

 魔法使いは囁く。息がかかる距離。心臓が高鳴りすぎて口から出そうだ。

「──もしかして、『期待』してます?」

 水瀬の瞼が落ちる。無防備な顔が目と鼻の先にはあった。均整がとれた美しい顔だった。

「さぁ、いつでもどうぞ」

 キス、のお誘いと考えてもいいのだろうか。どうぞといった彼女の顔は差し込んだ夕日のせいか赤く見えた。艶々とした血色のいい唇に目がいく。もちろんと言うべきか、キスしたことはなかった。出会ってから一日しか経たない女の子に目と鼻の先で目を閉じられて『どうぞ』だなんて言われるのももちろん初めてだった。頭の中では性の乱れた十代という言葉が手を振りながら行進していた。全てが突然だった。事実は小説より奇なりとは言うが、ここまで早くに見ず知らずの他人にデレるキャラクターなど小説の中でも見たことなかった。というよりデレといってもいいのだろうか。フラグもルート管理も何もしていない。分岐点なども全く見当たらなかった。自分がおかしいのか、目の前で目を閉じている彼女がおかしいのか、はたまた世界がおかしいのか。「もしかしたら現代の恋愛ではこれが普通なのかもしれない、それなんてAVなの、そう僕は思った」

「思ってねぇよ」

「しかし、彼女のその美しい顔をまじまじと鑑賞──いや、視姦と言うべきだろう。 彼女のその常軌を逸したほどに美しい顔を視姦していた僕の若くて猛々しい獣は抑えることはできなかった」

「うるせぇよ。 そろそろ黙れよ」

にやにや口元を歪ませながらと彼女は言っていたのに対して俺は言った。確かにきれいだと思ったその顔は、ただのおやじの顔にしか見えなかった。

「あと一秒、というところでしたか?」

 そう言って、目と鼻の先でうふっと笑う彼女に思いっきり頭突きをカマス。ゴツン、という音で脳内が揺れ、耳元であう、いう悲鳴が聞こえた。

「なにするんですか!」

 頭を押さえたまま彼女は叫んだ。俺はそれを一蹴する。

「うるさい! 思春期の男子かお前は!?」

「思春期の女子です!」

「黙れ!」

「せっかくの美少女からのkissのお誘いでしたのに。 先輩みたいな人にはもう一生来ないかもしれないんですよ!?」

「なーにーが、kissのお誘いなんだよ! 情緒もシチュエーションも雰囲気もへったくれもないじゃねぇか!?」

 うー、水瀬は唸る。まるで犬のようだ、と俺は思う。

「……つまり、杉村先輩はふいんきとシチュエーションと情緒の三拍子がそろっていれば私とキスをするってわけですね」

「ふんいきだ、雰囲気。」

「話を逸らさないでください」

 水瀬が俺の目を覗き込んでくる。黒色の瞳だ。それに反応してなのか、俺の心臓は急に跳ね上がった。頭の中でどきりと音が鳴り、俺は彼女から目を逸らす。

「先輩、顔が真っ赤ですよ」

 くすくすと、可愛らしい笑いが聞こえた。

「夕日のせいなんだよ」

「ふふっ、先輩も結構可愛らしいところあるんですね。 もっと大人びているんだと思いました」

「う、うるしぇい!」

 噛んだ。さっきから鳴り響く心臓の音のせいなのか、この状況に少し動転しているせいなのか。噛んでしまった。しかも、こいつ相手にである。

「うるしぇい」

 予想通り、噛みついてきた。弱点というべきか、隙というべきか、狙える場所があるなら容赦なく攻め込んでくる。そういう女だと、俺は水瀬にイメージを抱いていた。

「うるさい。 揚げ足取ってんじゃねぇよ」

「うるしぇいですよ、先輩こそ」

 うふふっと楽しそうに笑われてしまった。これからというもののことあるごとにうるしぇいと言ってきそうである。これからは彼女の前では失態や間違えを侵さないでおこう、そう俺は心に誓う。

「お前だって噛むことくらいあるだろうが」

「そうですね、人には間違いを犯すことだったありますよね。 たとえばー、有り余る性欲が抑えきれなくなって目の前の女子高生を襲っ──」

「ねぇよ」

「目の前にいる絶対可憐女子高生を襲って──」

「だからねぇって」

「いいや、限界だ。 襲うね」

「もしこれから、仮にそんな間違いを起こす機会があってもお前だけは襲わねぇ」

「えー」

 そう唇を尖らせる彼女。本当に変な女だ。

「なんだ? そういう、被虐欲っていうの?」

「……知らなかったんですか? 水瀬のMはドMのM!」

 手を胸の前で交差させながら水瀬は高らかに宣言した。その顔は輝かしかった。が。

「うわぁ、結構リアルに引くわ」

「杉村のSはドSのS!」

「お前と一緒にすんじゃねぇよ、この変態野郎」

 彼女の言うことが本当なのか、ということもかねて軽く罵ってみる。水瀬が少し嬉しそうなのに腹が立った。

「あぁ、いいですね! すごくいいです! もういいっちょお願いします! 杉村先輩!」

「……」

「その氷のような目つき、たまりませんね!」

 口を押えながら恍惚の表情に浸る水瀬、彼女は変態である。ネタとしてやったいるのかもしれないが、さすがにちょっと引いた。


「…………」

「…………」

 一通り、喋ったというか遊ばれたというか、この教室にも沈黙が訪れた。水瀬零、やはりお喋りなやつである。そのクールそうな風貌からは想像できないほど、お喋りだった。切れ長な目にしろ、肩まであるきれいな黒髪も。彼女の内面と一致してないというべきなのか。俺は大きくため息をついた。

「なんですか。 人の前でわざとらしくため息をついて」

「お前が来てから全く持って作業が捗らん」

「夜の作業は捗りまくりじゃないですか! よかったですね先輩!」

「やかましい! というかお前そんな性格で友達とかいるのか?」

「友達は作らない、人間強度が下がるから」

 水瀬が誰もいない方向を向いて言った。カメラ目線のつもりなのだろうか、本当、よくわからないやつである。

「あ、でもー、先輩とならお友達から結婚を前提としたお付き合いさせてもらってもいいですよ」

 人差し指を唇に当て、体をくねらせながら目の前の女子は頬を染めた。この女、なかなか演技力の高い奴である。

「まぁ、先輩は私のことなど眼中に入れずに黙って作業していただいて結構ですよ。 机の上でひたむきにノートに向かう先輩を至近距離から眺めるってのも乙なものですから」

「あぁそうかい。 じゃぁ遠慮なく」

 彼女がそう言ったので、試しに作業に戻ってみる。人が目の前にいる時に創作関連の作業をする、というのは初めてだった。少し恥ずかしい。水瀬は至近距離で俺を眺める、と言っていたが、彼女が熱心に見ていたのはノートの方だった。昨日の事を思い出した。小説を書いたら、私を読者第一号にしてくださいと水瀬が言ってきたことだ。彼女との会話から察するにこの目の前の一年生はなかなかに小説や漫画を読んだりするのが好きらしい。それも、かなりオタク臭いやつ。その関連なのだろう、彼女が俺に絡んでくるのは。

「なぁ」

俺は水瀬に声をかけてみる。

「なんですか、先輩が黙っていてと言ったんですよ」

「一人じゃないと気が散ってできないんだ」

「わ、私はもう邪魔ものってことですかっ!? いいですよ、私なんてほっといてあの女と乳繰り合っていたらいいんですよ!」

 水瀬はハンカチを取り出して目元に当てて泣いたふりをする。オーバーリアクション、というより悪ノリと言えばいいか。というより。……あの女って誰だよ。まぁ、スルー安定だから無視して話すけど。

「お前ってさ、なんで俺に絡んでくるんだ?」

「お前じゃありません! 私の名は水瀬零です!」

「それは知っている」

「さいですか」

 水瀬は手のひらをポンとたたく。俺はシャーペンを筆箱に直し、机に頬杖をつく。

「で、なんでなんだよ」

そう俺が聞くと、水瀬は目を泳がせながら口ごもった。何か言えない理由があるのだろうか。いや、こいつのことだ。なにかボケようとしているに違いない。水瀬零という一年生はそういうキャラクターである。

水瀬が考えている間、まじまじと彼女を眺めてみたがやはりかなり整った顔をしている。自称ランキング5位というのもそれなりに納得もできる。

「そうでさぁねぇ、なんとなくですかね」

 俺の前の席に座っていた水瀬は立ち上がり、大きく伸びをした。

「周りが押し付けるミズセレイ像に疲れたって言えばいいですかね」

「ありがちな理由だな」

「そんな他人事みたいに言わなくても言いじゃないですか……。 こう、もっと『大変だったな、もういいんだ。 今夜は俺の胸でゆっくり休め、ありのままのお前でな。 先輩命令だ』的なことを言ってきても思いません?」

「少女漫画の読みすぎだ。 というよりそれは相手に求めすぎだろ」

「そうですか? これくらいデフォだと思いますけど」

「それはお前の頭の中限定だ」

 俺はズボンのポケットの中に手を突っ込む。かじかんだ手には生ぬるい体温は丁度よかった。

「私が先輩に絡む理由ですか……」

 水瀬は顎に人差し指を持っていき、んーっと唸った。

「じゃあ、そのうち話す、というので手を打ってください」

 そういって彼女はにかっと笑った。白い歯がむき出しになる。それと同時に前髪が揺れた。ぱっつん、と最近の女子は呼んでいるそれ。前髪限定おかっぱ。なんと形容していいのか俺にはわからなかった。

「なんだよそれ」

「ちゃんと考えておきますから、安心してください」

「……ま、いいけどさ」

 そう言って俺は時計を見た。彼女が現れてからもうかなりの時間が経っていた。体感的に言えばまだ経過時間の半分繰りだと思っていた。楽しい時間はすぐに過ぎるというが、今回この件に関しては当てはまらないと考えたい。

「じゃ、今日はこれにてお開きということで!」

 さくっと敬礼を俺に向かってすると、水瀬は風のように教室から出ていった。嵐のような女だなと俺は思う。少なくとも氷だとか冷たいだとか、凛としたクールなイメージではないことはたしかである。それよりもだ。俺は一つ水瀬に聞きたいことがあったのだ。だけれども、彼女が去ってしまった今ではもう後の祭りである。多分、明日も彼女は来るのだ。なんとなく、なんとなくだが俺は思ったのだった。


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