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エピローグ

 朝が来て。いのりが病院に運ばれて。父とカナエさんが離婚することを表明した。

 結婚してから離婚までの最短記録を大幅に更新したことになる。二人の間で何が起こったのかは俺にはわからない。とにかく俺の知らないところで俺の知らない力学が働いたのだろうし、詳しいことは知りたくもないというのが本音だった。

 なんにせよ。それでいのりと俺はきょうだいではなくなって。手切れとしてこの広すぎる家といくらかのお金がカナエさんに支払われた。あばずれなりに知恵の働くカナエさんのことだ、はじめからこれを狙って結婚なんぞしたのかもしれないと、うがったことを考えてしまう。

 地球の滅びを願い、実際に悪魔を召喚するところまで行き着いて、しかし世界は何の影響も受けずにめぐるましく動いていた。

 俺は数日後に六人目の母親候補と会う予定が入り、引越し先が決まり、いのりからも、今の学校からも離れることになった。感慨がない訳ではないが、ひたすらに、むなしくバカらしかった。

 その話を訊いて俺は例のビルの屋上に訪れる。昼間に訪れるそれはひたすらに静かで、変形した錆色の床と空虚な灰色の空。魔方陣は消えうせて、魔王の痕跡は唯一ビルの角っこが欠けていることだけ。

 あれは幻だったのだろうか。

 あれだけとんでもないものが降りてきたというのに、世間はそのことに一切の感心を示さなかった。写真にも映っていなければ、何かの記録媒体が音を拾った形跡もない。人に聞いても、あの日の深夜に訪れた巨大な怪物の姿を目撃したものは、おれたちを除いて一人もいなかった。

 実のところ、あれが本物だったか幻だったか、それを確かめる術はまったくなかった。屋上の欠けた部分でさえ、最初からそうだったということにしてしまえばそれまでで。いのりが全てを賭して呼び出したあの魔王は、この地球上にほとんど何の影響も与えずにいのりの目の中に消えていった。

 「神はね。鏡に映らないんですよ」

 ナイヤ……一之瀬理沙は俺に向かってそう言った。

 「何故なら光を受け付けないから。だから本来はその姿を見られることもない。見られることもなく、どこにでもいて、どこにもいない。だから気まぐれに魔王が降り立ったところで、限られたものにしかその存在は感じられない。魔王がいることと、そこに降り立つことを認識している人間を除いて、ね」

 理沙は嘲るようにしてけらけら笑う。演技がかったその笑みにも、最早苛立ちは覚えない。だからたまたま下で出会っていのりの話をしてやったものだし、こうして屋上まで連れて来て魔王の痕跡を見せてやっているのだった。

 「わたしはね。いのりが呼んだのは、わたしやあなたが思っているところの魔王アザトースではなかったんじゃないかと、そう思っているのですよ」

 理沙は言う。

 「悪魔を呼び出すのに、特異な儀式や対価は必要ありません。それに相応しい強い意志さえあれば、いのりは届くものなのです。あの子はおそらく、その強い意思と魔力で、自分の思い描く魔王をあの場所に作り出したのではないでしょうか。あれはおそらく、いのりの持つ、決意と強さが顕現したものです。それはいったんいのりの元から離れて、あの子の望みどおりに世界の上でとぐろを巻いてから、あの子の元に戻っていった……」

 「むちゃくちゃだな。そりゃまた」

 「なんとでも解釈はできるでしょう。ただ一つ言えることは、あなたの見た魔王の姿がなんだったにせよ、それに世界を滅ぼす力はなかったということです。意思はそれだけで何を成すことはできないし、何も変えられない。ただそこにあって、強く慟哭するだけのものなのです」

 言って、理沙は思わしげな態度でその場を去っていく。

 俺は何も言わずにそれを見送った。


 父さんと一緒に家を離れることになって、しかし俺は父さんに意見をした。生まれてこのかた父さんに逆らったことのなかった俺にとって、それはそれなりに思い切った行動ではあった。

 「父さん。俺、一人暮らしがしたいよ」

 そういうと、父さんは驚いたようにぎょっとした表情を見せる。

 「どういう意味だ? 俺といるのが嫌か?」

 「嫌じゃないけど。でもこうやって嫁さんが変わるたびに学校と済む場所が変わったんじゃ、俺だって困るんだよ。また転入試験を受けなきゃいけない。どうせ大学に入ったら父さんに合わせて引越しなんてしなくなるんだしさ、もうこの近くに部屋を借りて、一人で住むよ。俺は父さんよりも家事だってできるし、金さえあれば一人で暮らしていける。いいだろう?」

 そういうと、しばらく父さんは吟味をするように目を閉じる。

 「……分かった。いいだろう。確かにおまえにも苦労をかけたな。だが、しんどくなったらいつでも言って良いんだぞ。いつだってまた二人で暮らせるってことを、覚えておいてくれ」

 二人と……見知らぬ女と、或いはその娘か息子と数人での生活。いのりのような変り種が相手でなくとも、もうそんなのはごめんだった。

 「分かったよ、父さん」

 俺はうなずいて笑ってみせる。父には感謝している。だが、この人のお陰で約束された社長の椅子を享受するというスタンスは、再考が必要なように思われる。それが本当に俺のしたいことなのか、俺に勤まることなのか、きちんと考えてからでも遅くはないはずだった。

 この近くにアパートを借りて、今の学校に通い続けることを話し合って決める。カナエさんと、いのりとも……恐らく近所になることだろう。学校に行けばまた金田の息がかかった奴と顔を合わせることになるが、そんなのはいつか気にならなくなることだ。


 それから俺はいのりのいる病院に向かった。

 白いベッドに横たわる眠り姫は、とても安らかな寝顔をしていた。軽く唇を重ねてやれば、ふと目が覚めるんじゃないかと妙なことを考える。

 しかしこいつはどう見ても童話のヒロインという柄ではなかったし、俺だって王子様には程遠い。何もできず、誰を守ってやることもできない、王様の子供に生まれただけの人間。何度となく思い知ってきたそのことを反復する。

 そっといのりの頭を撫でてやる。いのりの頭は小さく柔らかい。髪の毛をくしゃくしゃにしてやってから、魔王の触手が詰まった右目にそっと手をやった。

 思わずまぶたを引っ張り、中の瞳を露出させる。

 いのりは寝苦しそうにして、そしてぱちりと両目があいた。

 「…………」

 じっと見詰められる。俺は何も返せずただ見つめ返すことしかできない。恐る恐る手を引っ込めて、目をそらすこともできずに見詰め合う。

 「……文也」

 「なんだ」

 「まだ生きてるんだね、あたし」

 いのりは言った。それには二重の意味があるのだろう。まだ世界が滅びていないということが一つと、あんなにされてまだ自分が死んでいないというのが一つ。

 「残念だったな」

 俺は前者のことをさしたそう言った。いのりはさして絶望した様子もなく、ただ少し残念そうな様子でうなずいた。

 「うん……そうだね」

 「それだけか」

 「……そうだね。計画自体は成功したし。成功して、それでもダメだったってだけ。今回は、とりあえず、諦めることにするよ」

 「……そうか」

 俺は驚き、そして呆れた。つくづくこいつの滅びに対する執着は本物なのだなと思わされる。まことに強い執着というのは、衝動といったものと違って、何度失敗しても、どれだけ時間がたっても消えることはない。いのりが持っているのは、全てを失って芋虫のようにのたうって熟成した、強固でとんでもなくしぶとい妄執だった。

 「これからどうするんだ、おまえ?」

 俺が尋ねると、いのりは意味が分からないとばかりに首をかしげる。

 「どうするって?」

 「いいや……世界滅ぼすの、失敗して、次に何しようって聞いてんだよ」

 「決まってるよ。また、別の方法を考えるだけだよ」

 いのりはこともなげに答えた。

 「でも……もうこんなやり方は、しないことにしようと思う」

 「こんなやり方って?」

 「空想に頼った……不確実なやり方。オカルトみたいな、そんな方法はもうとらないことにする。だって、意味ないもん。一番怖くて偉いのを呼び出してダメだったら、もう何したってダメだよね」

 いのりはうつむいて、僅かに唇を尖らせながらいう。

 「だから。別のやり方、考える。このどうしようもない憎い気持ちとか、憂鬱な気持ちとか、全部晴らしてしまえる方法を考える。だから……今度も協力してくれるよね、文也」

 「ああ。もちろん……一生かけて付き合ってやるさ」

 「ありがとう。文也」

 俺が答えると、いのりは照れたように微笑んで言った。

 「大好きだよ」


 読了ありがとうございます。

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