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 二日おき六時に投稿

 「おはよう。倉科くん」

 朝学校に行くと、金田が邪気のない笑みで挨拶をしてきた。

 昨日、散々俺にいやみを言ったくせに、そのことを覚えてすらいないらしい。こいつにとってあれは『良いネタを手に入れたからちょっとからかってみよう』という程度の、軽い行動でしかなかったのだろう。それだけこいつは当たり前のように俺との交友を続けようとする、何もなかったかのように。

 その微笑面を殴り飛ばしてやろうかとさえ思う。いのりが脚をへし折られるのを分かっていていじめを見ていたようなこいつなら、どんなことをしてやっても心は痛まないだろう。哀れな妹を大義名分に自分の苛立ちを納めることができる。なんと都合の良いことか。

 「おはよう。金田さん」

 そんなことはしない。俺にとってそれはなんのメリットにもならない。こいつは独自の舌貌で教室内のカーストの上位に位置している。目立たない転校生で済ませたい俺にとっては、むしろ擦り寄っておくべき相手なのだ。そう自分に言い聞かせる。

 「今日は朝が遅いね。眠そうだし」

 いもうとのお守りだ。とは言わず。

 「学校変わったろ? 勉強についていくのが大変なんだ」

 「へぇ。倉科くんアタマよさそうだけどね」

 昔、父の金で家庭教師をつけてもらっていたことがあったからな。そしてその家庭教師のうちの一人が、俺の三番目の母親でもある。

 「やっぱあの絶倫社長に英才教育でも受けてるの? 良いなぁお金持ちは」

 「変わったことは何も。別にふつうと一緒。親父が金持ちで得するのなんてくだらないことばっかりだから、あしからず」

 「嫌味だなぁ」

 どっちが。

 「ところで金田さん。君に訊きたいことがあるんだった」

 俺が尋ねると、金田は「なに?」と首をかしげる。自分からマシンガンのように話すのは得意でも、改まって何かを聞かれるということはあまり得意ではないらしい。

 「『りっちゃん』っていうのは分かるか?」

 「なにそれ。誰のあだ名よ」

 「リツコとかリカコとか色々あるだろ」

 「女の子?」

 「ああ」

 「んでもしかして、いのりちゃんのお友達?」

 俺は憮然としてうなずく。金田は僅かに考えるようなそぶりを見せて「じゃ。リサちゃんだ」と言った。

 「リサ?」

 「そ。リサ。漢字はわかんないけど、後輩が言っていたの聞いたことがある。いのりちゃんの小学校からの連れだって」

 「その子。今どうしてるの?」

 「どうしてるって?」

 「転校とかしてんのかなって……。君、そういうの強そうだから。知り合い多そうだし、何でも知ってそう」

 「それは確かにありますな。金田さんは情報通なのですよ。……んとね」

 金田は人差し指の先でぴこんぴこんと頭を叩く。それから思いついたように拍手を打った。一連の動作のわざとらしさと言ったらない、知ってることならさっさと話せば良いものを。

 「前の中学通ってたと思うよ。昨日、電話でオナチューの後輩といのりちゃんの話で盛り上がった時に、ふつうに話に出てきたから。転校とか、どこで聞いた訳?」

 「いや。別に」

 訊きたいことを訊き終えて、俺はそっけなく口にする。

 「生意気ですな」

 金田は僅かに頬を緩ませる。俺は取り繕う気分にもならず首を振る。金田はそれ以上取り合う気もなさそうに、さっと席を離れて別の集団に混ざっていった。


 「君が僕を支えている。これが運命なんだろうか」

 天井がいうと、壁が変わらず表情のない様子で答えた。

 「運命なんかじゃないさ。これは僕ら自身が選択した世界のありようだ。そもそも……

 「なんだこれは」

 言って、俺はいのりの携帯電話をぞんざいに閉じた。いのりは声も出さずに少しだけ悲しそうに目を伏せて、唇を尖らせて携帯電話を受け取った。

 「これ。おまえが書いたんだろ?」

 「そう。小説というかショートショートというか。詩というか、そんな感じ」

 「ずっとこんな会話が続くのか」

 「そう。支えられるものと支えるものが、お互いのあり方について漠然とした空虚な会話を繰り広げるの。そしてその果てに、壁が天井の重みに耐えられなくなって軋みをあげて、部屋全体が崩れて、終わるの」

 なんの暗喩だ。俺は肩をすくめる。いのりが携帯電話をぱちぱちやってるもんだから、気になって取り上げてみたら。

 「病んでるよ、おまえ。もっと夢のある話を書けよ」

 「別にいいもん。ちょっとやってみたくなっただけだから」

 そういえばこいつの趣味はテレビ鑑賞のほかには、ネットで素人の小説を読み漁ることだっけか。小説自体が好きで、市販ものも買い与えられればなんでも読むが、基本的にはウェブ小説の方が好みらしい。作品としてつたなくとも、作者の生々しい苦悩や願望が文章から滲み出しているようなのが、読んでいて楽しいそうなのだ。

 嫌な趣味だ。

 「おまえ。小説家になるのか」

 「ならないけど。なんで?」

 「寝たっきりなれるじゃん。ノーパソ買えよ」

 「キーボード使えないからやだ」

 「簡単に夢を諦めるな」

 「応援してくれるなら、さっきの全部読んでよ」

 「……おもしろいのが書けたらな」

 「書けるようになるまでがしんだい。だからやだ。めんどい」

 言っていのりは体を伸ばす。と言っても上半身だけ、腕を伸ばして手首から腰のあたりまでをほぐしていく。医者から進められている運動の一つらしく、ぞんがいに気持ちが良いらしい。上半身に関して言えばそれなりにストレッチが行き届いているのだ。

 「書きたいもんとかねぇのか。おまえ」

 「いくつかあるよ。でも誰も読まないよ」

 「どうしてそう思う?」

 「びっくりするほど暗いから、あたしの文章」

 なるほどそれはそうだろう。

 このまま小説執筆の話をしていても、空虚な会話が続くだけだろう。それはそれで心地良いのだが、俺はもう少しこいつと突っ込んだ話をしてみたかった。

 俺は話題を変える。

 「最近なにしてるのが一番楽しい?」

 「妄想?」

 「なんだそれ」

 「二種類あるんだけど。どっちの話が良い?」

 「気がめいらないようなので頼むよ」

 「分かった」

 いのりは言って、それからどこか遠いところに思いを馳せるようにして口を開く。

 「あたしはね。歩けるの。だからね、ふつうの中学生なの。で、今あたしは高校受験の真っ最中。ちょうどそんな時期でしょ。あたし、ちょっと数学が苦手で、だから塾に行ってる。塾のない日は、友達の家でお菓子を食べながらお話して、問題集をやる。たまにどこかに遊びに行く、図書館とか、美術館とか……水族館も良いな。行きたい高校も決まってて、そこを目指すのが楽しいの」

 いのりはぼんやりと目を閉じてそんな情景を騙る。それからため息を吐いてから、少しだけ悲しげにこう言った。

 「りっちゃん。今どうしてるかな」

 リサという少女は今、ふつうに中学生をやっている。こいつと同じ中学校で、当たり前のように勉強して、それこそ高校受験なんかをやってるはずだ。

 いのりは友達のことを心配していると言っていた。少しずつ姿を見せなくなり、今では完全に部屋に来なくなってしまった友達の身に、何かあったんじゃないかと不安になっている。もし分かったら教えてくれと言われていた俺だったが、一番残酷なその結末を話しても良いものなのか。どうか。

 ようするに。リサという少女はいのりを見舞うのが面倒になったのだ。遠く離れ離れになった訳でもなく、体を悪くしてこられなくなった訳でもなく。代わりの友達でも見つけて、もしかしたらボーイフレンドなども作って、脚の悪くなった幼馴染のことなどすっかり忘却して違った青春を謳歌している。それだけなのだ。

 見捨てられたいのりは一人。心配だ、心配だと思いながら、もう一度友達に会える日を心待ちにしている。脚が悪くなってから緊急用に持たされた携帯電話で、友達のアドレスも入っていない。待ち続け、いつかはリサのアドレスをこの携帯電話に登録して、ふつうの中学生がやるみたいにたわいもないメールのやり取りを交換するのが、一つの夢であるようだった。

 「いのり。俺は今猛烈に暇をしている」

 哀れになって俺が提案すると、いのりは目をぱちくりさせた。

 「そうなんだ。えと……」

 「なんかして遊ぼうぜ」

 「え? いいの?」

 いのりは嬉しそうに手を合わせる。それから嬉しそうに「やった」と笑い、次にそうしたのが恥ずかしくなったように目を伏せる。かわいい奴だ。ずっとこんな風にしおらしかった良いのに。

 「ああ。なにが良い? つかこの部屋なんか遊べるものあんのか? トランプとか」

 「将棋とオセロとチェスと……そうだ。あれやろ、あれ。パラノイア」

 「いやだよ。つか何でそんな遊び知ってるんだおまえは」

 猛烈に時間かかるしな。

 「つかやったことあるのかよ」

 「TRPGはよくやってたよ。りっちゃんがそういうの、大好きで。最後にやったのは、くつるふ神話とかいう奴。二人だし、途中でぐたぐたで終わるんだけど」

 「じゃあやだよ。将棋とかあるんだっけ? それやろうぜ。俺、小学校から何年かよくじいさんに連れられて、色んなとこで指してたから、強いぜ」

 「そうなの? どれくらい?」

 「ちっちゃいころから大人以外には一度も負けたことがない。中二のころにはどんなベテランともやりあえた」

 この手のボードゲームは好きだ。どうしたって遠慮や気遣いの必要なのがコミュニケーション。それに、ゲームで勝敗を決すると言う要素を加えることで、お互いに本気を出してのやり取りが可能になるからだ。

 しかしこんな半分気の違えたような相手に、もとよりこちらから気など使っていなかったが。まぁ最初は適当に手を抜いてやって、それから飛車でも角でも落としてハンデをやろう。

 「将棋盤はどこだ?」

 「その棚だったかな」

 指差したところを漁ると、埃を浴びた将棋盤と駒がぞんざいにつっこまれている。どちらも百円ショップで買えそうな安物だ。ただし、駒の方は少し形がきしんでいるものや、柄の擦り切れているものもある。随分と長く使っているらしい。

 「じゃあ勝負だ。なんなら最初から飛車角落ちでも良いぞ」

 「自信あるんだね。でも、良いよ。あたしも、ちょっとかじってるから」

 言っていのりは膝の上に置いた将棋版に駒を並べる。

 「文也とも良い勝負ができると思うな。……あ、こっちが銀将でこっちか金ね。すれてるからよくわかんないよね」

 「そうだな……。今度買い換えようぜこれ。分かりにくいったらありゃしない」

 俺が言うと、いのりは少しだけ顔を顰める。思い入れのある品なのか、単にどうでも良いのか。

 完全に擦り切れたか紛失したかで使えなくなったのが何枚かあるのだろう。いくらかの駒は違った材質の新しいものにすりかえられている。黒ずんだ奮い駒と真新しい白い駒が並び、奇妙なまだら模様を形成していた。

 「それじゃ、じゃんけん」

 先攻後攻のじゃんけんというのは、どうも格好がつかないと思いながらじゃんけん。いのりの先行で、初手としては平凡な一手だった。

 おれの手番。四番目の母親になったあたりから駒にすら触れておらず、ブランクは結構あったが、まぁすぐになれるだろう。思いながら、それでも染み付いた手癖で俺は特に思考することもなく、久々の将棋を指し始めた。


 「……バカな」

 俺がつい冷や汗を書きながら言うと、いのりは少し困ったように「えっと……詰みです」と駒を打ち込んだ。ここまでのべ九十七手。早く決着がついた……のだが、時間としては二十分近くが経過している。

 このうちの八割以上が俺の思考時間だったというのだから口惜しい。手癖で打っている内に奇妙なことに気付き始め、きちんと考え出したころには囲いが破られていのりの駒が鬼のように次々と食い付いてきた。というかいのりは鬼だった。

 「も。もう一回、やろう。な?」

 実は負けず嫌いな性格と言うわけでは決してない。ただちょっと気を抜きすぎていたのは事実だった。相手もちょっとはできると知った今、きちんと全力を出すのが筋というものだろう。

 「う、うん」

 俺の引きつった笑みに、いのりは少しおじけたように駒を並べる。えと……と先行で打ち始め、さっきと似たような展開ですぐに勝負はついた。

 「嘘だよな。俺……アマチュア一級なんだぜ、おい」

 驚くほど綺麗に詰まされた局面を見て。俺は脂汗を浮かばせながらそういった。今度は三十分くらいしっかり考えて指したのだ。ふつうの女子中学生に勝てる訳がない。

 「なんで負けた。俺」

 「だって文也の戦法。前と一緒なんだもの」

 いのりはおずおずとした様子で

 「右四間飛車。大人気だよね……。あたしのやってるサーバでも流行ってるから、だからちょっとその、対策してるんだ。びっくりするほど上手くいったんだけど……文也のはもうこれ以上強くならないと思う。別の手、考えないと」

 「……今、なんつった?」

 俺が尋ねると、いのりは「へ?」と目を丸くする。

 「ほら。サーバとか、どうとか」

 「ああ……。あたし、携帯電話で、オンラインで将棋やってるの。結構強いよ? 時間。いっぱいあるし、好きだし、将棋」

 「結構強いって。おまえ、どれくらいの強さなんだ。正直、悔しいからな。おまえみたいなのがネットにはごろごろいるとか思いたくない」

 「えと。一応、レーティングは一番高いんだよ」

 えへへ。といのりは純朴に笑う。驚いた、こいつにこんな特技があったなんて。

 「しかし鬼みたいに強いな、おまえ……。こんだけできるんなら、プロでも目指してみたらどうだ? 奨励会とか」

 俺が言うと、いのりは目を丸くする。

 「いやだよ。こんなのはただの遊びだし。あと」

 「あと?」

 「長時間の正座。耐えられない」

 あっけらかんとそう言った。

 「お父さんがね……好きだったんだよ。将棋。教えてもらって……教え上手で……すぐあたしの方がうまくなった」

 「誰だ。その、お父さんってのは」

 「誰って……。お母さんの夫……だとあの人になっちゃうね。あたしのお父さんだよ、本物の。文也くんにもあたしの知らない本当のお母さんがいるでしょ?」

 言われ、俺はうなずいた。ぼんやりと、ほんの三つか、四つくらいのエピソードでしか覚えていない本当の母親。今はもういない、俺を生んだ人、父が最初に、もしかしたら本当に愛した女性。

 「あたしが十歳の時に離婚しちゃったんだ。建築関係の仕事をしていたらしいんだけど、肉体労働で、体がもたなくなっちゃってね。お母さんが水商売始めたの、それから」

 「どうして離婚したんだ?」

 「知らない。バカみたいに毎日喧嘩しててね。それで、何日かして急にお母さんが夜中にあたし連れてでてっただけ。玄関口で、お父さんって、大声で叫んだんだけど、気づいてくれなかった」

 気付いていたが答えなかっただけなのではないのだろうか。その父は分かっていたのだろう、自分がもういのりやカナエさんと家族ではいられないことが。

 「今はどうしてるのか知らない。けど、多分ろくなことにはなってないってことは分かるの。そしてあたしも、いつかそうなる」

 「どういうことだ?」

 「あたしも、いつか見捨てられる。お母さんは邪魔になった人は見捨てる人だから」

 悲しむ様子も、嘆く様子も見せない。ただ、諦めたようにそう口にしただけだった。何度も反復して心の中でそんなことを考えて、すっかり心の感覚が麻痺してしまっているのかもしれない。

 「しょうがないの。お父さん見捨てたのはあたしも一緒だし。お母さんに付いてったのはあたし。それでいいって思ったのもあたし。だからあたしが捨てられても文句、言えない」

 そらんじるようにいのりは言って

 「お父さん、お酒ばっかりだったし、あたしのこと殴るし。でも将棋はいつも指してくれたから、それだけは好きだったの」

 ……と、いうことは。この擦り切れた将棋盤というのは……。

 「お父さんがね。その駒を飲み込んで死のうとしたことがあるの。無理矢理、吐かせたんだけどさ。何枚かまだお父さんのおなかのなか。それ以外は全部あたしが持ってる。お母さんと出て行くとき、持ち出したの。またお父さんが、将棋の駒で死なないようにって……」

 いのりは小さく笑う。

 「あたしいまだとよく分かる。あの人のつらさとか、惨めさとか。不安とか絶望とか色々。一回、お話してみたい。そしたら、お父さん、あたしと一緒に死にたがるかな? どうなんだろ。どう思う?」

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