ラグナロク
「マスター・ラスプーチン、急いで離れてくださいっス!! まだ終わりじゃないっス!!」
雛菊は高速でラスプーチンの襟首をやや乱暴に掴みながら、その場から緊急回避を試みる。
「俺はこの五年の歳月で遂に嵯峨をも超えた! 十剣だけでなく、世界中のクルセイダーも俺が全て滅する!」
カヤードは一度本部目掛けて急下降していたが、再びウイングよりも更に上空へと物凄い勢いで上昇して行く。
「カヤード!?」
(何っ!?)
ウイングとヴェルフェルムは遥か上空へと消えて行ったカヤードに視線を送る。
「我が天魔の剣、とくと味わうがいい!!」
雲を突き抜け、ハタバキの飛行能力を無視した弾丸のようなカヤードの『飛翔』が続く。
「幻影微塵酷死霊・黒天殺」
カヤードは大気圏ギリギリまで上昇し切ると、全身に分厚く纏った神氣をメタトロンへと転送する。
「!!」
凄まじい急降下が始まる。
上昇して来たスピードを遥かに凌ぐ落下が『教会本部』へと向かって行った。
僅か数秒の後、カヤードがメタトロンを地面に向かって突き立てたまま、下って来た姿をウイングとヴェルフェルムが視界に捉えた直後、
激しい振動と爆風がメゾサンクチュアリを襲った……。
一瞬にして教会本部は崩れ去った。
勿論周囲にあった関連施設やクルセイダー、民間人、多くの人々を巻きこんで……。
「これならロンギヌスごと全て消し飛ばせる訳ですか♪……相変わらず無茶しますね、アナタは♪」
残骸と化した教会本部からひょっこりと、修羅が埃を叩きながら現れる。
「軽く見積もって四、五百人は死んでますね。教会関係者も、上空にいた連中以外はほぼ即死……ここまで強かったとはあの方も想定していなかったでしょうね……」
上空にいたウイング、雛菊、セシリア、ラスプーチンの四人は衝撃で吹き飛ばされながらも全員無事であったが、たった一撃で教会を滅ぼすカヤードの真の実力と、目下に広がる残骸に絶望の表情を浮かべる一同……。
「カヤードぉおおおっ!!」
ウイングは涙を流しながら絶叫する。
何 故、こんな事になったのか!?
何故、関係ない人々の命を平気で奪ってしまうのか!?
カヤードは何を考えているのか!?
もうウイングにはカヤードを理解する事も、擁護する事も出来なかった……。
彼に対する感情は一つ、
『怒り』
のみである!!
「……さて、それでは進軍開始と行きますわ! 皆の者、この街の人間は一人残らず殺すのですよ!」
赤の甲冑を纏った首の無い巨大な馬に乗ったエラザベート・グリムは、ゴルゴダの槍を振りかざして無数のヒドゥンたちをメゾサンクチュアリへ進軍させる。
結界の崩壊したメゾサンクチュアリは無防備その物。クルセイダーも、蓬術士もいないこの街の運命は風前の灯火だ。
「そんな……ミッターマイヤー卿もヘレーネさんも、レイチェルさんも……」
普段は鉄面皮だったセシリアの瞳から頬へと流れる一筋の涙。
「なんという事デス!? 悪夢デス! これは悪夢デス!!」
ラスプーチンは絶望し、頭を抱え込む。
上空から地上へ着地し、生存者がいないか必死に探そうとする雛菊。
(……ウイング、怒りに身を委ねてはならぬ!! 一刀流の『心髄』を忘れるな!)
ヴェルフェルムは怒りに体を震わすウイングを押さえようと言葉を投げかけるが、
「カヤード! 今すぐ出て来い!! 俺がみんなの敵を取る!!」
その言葉と共にカヤードが立つ教会の残骸へと向かうウイング。
「ツバサ……もう戦いは終わるんだ。ロンギヌスも教会も滅んだ……各地のクルセイダー達も、跡形も無く葬れば奴らも『ヒドゥン化』しない……」
カヤードは下を向きながらウイングにそう答える。全身に纏った神気は完全に消失し、闘気すら漂っていない。
「ヒドゥン化だと!? 何を言ってるんだ!! 人がヒドゥンになる訳ないだろう!!」
ウイングはサンダルフォンをカヤードに向け、怒りをぶつける!
「死したクルセイダーはヒドゥンに化けるのだ。跡形もなく肉体を消滅させなければそれを防げない……」
カヤードは言葉を続ける。
「その事実を教皇を始め、教会幹部は隠蔽していたのだ。教義で排すべき存在とされているヒドゥンになってしまう、そんな事実を知って自ら進んでクルセイダーになろうとする人間はいないだろう…………」
カヤードはゆっくりとウイングに向けて顔を上げる。
その瞳から止め処なく流れ続ける涙。
「そんな! そんな話信じられるか!!」
ウイングは残り僅かな神氣を絞り出し、サンダルフォンをゆっくりと上段に構える。
「事実でなければ、こんな真似はしないっ!!」
カヤードはメタトロンを投げ捨てると両手を広げ、双眸を閉じる。
まるで十字架に張り付けされた旧世界の救世主の様に……。
「覚悟を決めたのか!? ふざけるなっ!! 養父さんを! ヘレーネを! みんなを、みんなを返せっ!!」
ウイングは涙を流しながら、カヤードに渾身の力を込めて斬りかかっる。
(待て、ウイング!!)
カヤードに斬りかかったウイングの体を強引に奪い取るヴェルフェルム!
(なぜ止めるっ!?)
ヴェルフェルムによってカヤードの頭上で静止するサンダルフォンを、客観的視点で見せられていたウイングは、ヴェルフェルムに強く問いただす!
「ウイングよ、主には見えぬか? カヤードの中に潜む『龍』を!」
ウイングの体を乗っ取ったヴェルフェルムは、サンダルフォンをカヤードから引き戻すと、逆にウイングに問いかけた。
(カヤードの中の龍!?)
ウイングは半信半疑のままカヤードの『中』を覗き込む。
おそらく普段の自分では感じられなかっただろうが、精神のみ独立した今の状態ならば確かに感じる事が出来る。
双眸を閉じたカヤードの胸の中で『蠢いている』存在を感じる。それは激しくカヤードの中でのた打ち回り、狂ったように奇声を発していた。
(これは!?)
「この龍……カヤードを『操って』いるようだ。必死にカヤード本人も抵抗はしているようだが……」
ヴェルフェルムはカヤードを注視しながら言葉を続ける。
「カヤードが五年前に豹変したということと、この龍は何か関係ありそうだな……」
「おやおや♪ 気付く人間がいるとは驚きです。その通り、カヤードは我らヒドゥンの『マリオネット』♪ もう十分役目は果たしてくれましたから、煮るなり焼くなり好きになさって宜しいですよ♪」
ヴェルフェルムの言葉に反応して残骸から修羅がゆっくりと近付いて来る。
(お前は、あの時のヒドゥン!)
銀狼戦で乱入して来た修羅の姿に驚愕するウイング。
「主が黒幕か?」
カヤードの後方にやって来た修羅に向けて、ヴェルフェルムはサンダルフォンの切っ先を向ける。
「まさか♪ 私は駒に過ぎませんよ。ただ、どうしても私を斬りたいと言うのでしたら、どうぞご自由に。どうせ『ラグナロク』が始まれば、皆さん『無』に返されるだけですし♪」
修羅はニコニコ笑いながらおどけて見せる。
命に対する執着を全く感じさせない。
(ラグナロク?)
ウイングは修羅が口にしたラグナロクと言う言葉に疑問を抱いた。聞き慣れない言葉だったが、何か不吉な予感を感じさせる。
「ラグナロク……なんだそれは?」
ヴェルフェルムが切っ先を使って修羅に詰問する。
「もう始まってますよ♪ まずは『フィンブルヴェト(恐ろしき冬)』が起きました……次は……」
修羅は開けているのか閉じているのか分からなかった細い双眸を思いっきり刮目させ、邪気を周囲に漂わせた。
それと同調して『黒い雪』が上空からゆっくりと降り落ちて行く。
「なんだそれは!?」
ヴェルフェルムの問い掛けを無視して修羅はゆっくりとその身を『黒い雪』によって溶かされて行く。
(馬鹿なっ!?)
「大変です! 西門から膨大な数のヒドゥンが押し寄せています! 急がないと多くの民間人たちが!」
セシリアは上空から西門を突破するヒドゥンの群れを捉えると、ウイングやラスプーチンに向かって叫んだ。
(何!?)
「最悪のタイミングですネー! 仕方ありません、ワタシが行きマス! ホムンクルスを連れて来れなかったのが悔やまれマスガ!」
セシリアの声にいち早く反応したラスプーチンが西門へ向かって単身向かって行く!
本来十剣には専属のホムンクルスがいる。だが、ウイング以外の十剣はみな遠征中だった事もあり、サンクチュアリに召喚される際は何れの十剣もホムンクルスは現地に置き、遠征の指揮を一任させていたのである。
ちなみにハインリヒとアリストテレスのホムンクルスは、2体ともカヤードの黒天殺によって既に消滅していた。
「そんなに急がなくても大丈夫ですよ♪ 時期に世界中のヒドゥンたちは私の様に、この黒い雪に『溶かされ』ますから♪」
修羅はそう最後の言葉は残すと完全に雪によって溶け切ってしまった。
(なんだこの雪は!?……何か悪い予感がする……)
「うむ、確かに不吉な印象を受ける……が、その前にカヤードを何とかせねばなるまい……我がカヤードの中へ入って龍を追い出す! 出て来た龍は、ウイング、主が斬れ!」
ヴェルフェルムはそう言うと、カヤードの中へと己の精神を飛ばそうとする!
「待ってくれ、ヴェルフェルム! ここは、俺に行かせてくれ……もし本当にカヤードがその龍に操られているのなら、俺がそいつを斬ってカヤードを解放する!」
ウイングは自身の体をヴェルフェルムに預けたまま、カヤードの中へと入って行った……。




