死神のカヤード
唐突に『そいつ』はやって来た。
教皇の間の入口である大きな扉からではなく、天井近くに装飾されたステンドグラスをブチ破って!!
「何っ!?」
「!?」
ハインリヒとアリストテレスは天井からの破砕音を耳にし、即座に注意を上空へと向ける。
しかし、二人の視界には何者も捉えていない。
『そいつ』は既に白い絨毯の上に華麗に着地を終えていたのだ。
「久しぶりだな、教皇!」
「お主は!?」
「てめぇは!」
「!!」
「カヤード・ワインズマン、『五年前の約束』を果たすべく、再び舞い戻った!」
各々の視界に捉えた侵入者の姿に驚愕の表情を浮かべる教皇、ハインリヒ、アリストテレス。
「季節外れだが、飛んで火にいる夏の虫とは、てめぇの事だっ! 旦那は教皇を頼みます! コイツはオレが殺りますから!」
ハインリヒはナイトコートのポケットから『銀製のライター』を取り出すと、高密度のカルマニクスを活性化させる。
「来い! サマエル!!」
零コンマ一秒で明鏡止水の状態に達し、瞬く間にライターを長く大振りな鎌に変化させるハインリヒ。
サンダルフォンやメタトロンと同じサウザント・ワンの一つ、『大鎌のサマエル』。それがハインリヒの得物である。
「カヤード、てめぇがオレの所に来たのが運の尽きだ! くたばりやがれっ!」
ハインリヒのサマエルが水平線を描くように真一文字にカヤードの腰回りを切り裂こうと迫り来る。
「お前は知らない顔だな、後ろのアリストテレスは知っているが……五年もすれば十剣も世代交代という訳か」
カヤードはハインリヒの言葉になど全く耳を貸さず、腕を組み、自嘲気味に苦笑いを浮かべている。
「もうてめぇの時代は終わったんだよ! そんなナメた格好しやがって!」
カヤードの装いはかつて着ていたクルセイダー用の白いナイトコート姿であった。恐らくメゾサンクチュアリに侵入し易くする為のカモフラージュなのだろうが、背信の徒であるカヤードを知るクルセイダーからすると、その装いが教会や彼等を著しく愚弄していると、腹を立てるのには想像に難くない。
「風の力を宿したカマエルか……」
ハインリヒのカマエルがカヤードを捉える前に、カマエルの鎌からは鋭い風の刃が轟音を立てながら切りかかる!
「風のリーチは読めねーだろ!! もらったぁ!」
ハインリヒはカヤードの腰回りを一気に断ち切り、真っ二つに切り裂いた。
「やったぜっ!」
満面の笑みを浮かべながら勝ち誇るハインリヒ。
「……見事な一閃だったな、オレには止まって見えたが!」
ハインリヒが切り裂いたのはカヤードの幻影であった。
「何っ!? 確かに手応えがっ!」
ハインリヒが切り裂いた実体化したカヤードの幻影がゆっくりと消滅して行く。
「馬鹿なっ!! ………なぁーんて言うとでも思ったかよ!?」
驚いたフリをしたハインリヒは自身の後ろで刀を握るカヤードに向き直る。
「カヤード、てめぇの攻撃パターンはしっかりと学習済みなんだよ! オレたち十剣を舐めてんじゃねーぞ!」
「なるほど、確かに十剣相手には通用せんか……」
カヤードは納得したように頷くと、姿勢を落とし、全身の闘気とカルマニクスを練り上げる。
「得意の幻影剣・鎌鼬か? そんなトロい攻撃当たるかよ!」
ハインリヒはカマエルの先から高密度、高圧縮した風の刃を発生させ鎌全体にコーティングを施す。
刹那、カヤードは刀を鞘に納めると、高速の右足の踏み込みから更に高速の抜刀を放つ!
「カウンターだっ!!」
ハインリヒは風の刃でコーティングしたカマエルで、カヤードから放たれる寸前の鎌鼬に備える。
鎌鼬を打ち返しつつ、カヤードの頭を空竹割りにしてやろうと言うのだ。
だが、しかし。
【死神幻影剣】
カヤードから放たれたのは鎌鼬ではなかった。
抜刀から射出されたのは巨大な鎌を持ったマント姿の人影。
死神を彷彿とさせる姿がハインリヒの視界に入った瞬間、勝負は着いた。
死神はカマエルを振りかざしていたハインリヒの体内に侵入すると、体の内側をズタズタに切り裂きながら背中からゆっくりと抜け出す。
「あんな技は見たことがない……なんと罪深い行いを!」
それを凝視していた教皇は思わず立ち上がり、血塗れのハインリヒの下へと駆け寄ろうとする。
「!!」
アリストテレスは声をあげずに教皇を体を張って制止する。
「次はアリストテレス、貴様の番か?」
カヤードはハインリヒから抜け出した後に消失した死神を確認すると、再び刀を鞘に戻す。
「!!」
アリストテレスは教皇を背中で庇いながら左手に巻かれたブレスレットに右手をかざす。
ハインリヒ同様、瞬く間にブレスレットは『巨大な』散弾銃へと変化を遂げる。
「ラグエル……いつ見ても物騒で常識外れのデカさだな」
カヤードを捉える三つの銃口はそれぞれ直径15センチはある大砲。この銃口から無数の巨大な弾丸が発射されればカヤードと言えどもただでは済まないだろう。
カヤードはラグエルの発射に備え、瞬時に神氣を発動する。
全身を金色のオーラで纏い、黒い双眸を真紅に染め上げる……。
「!!」
アリストテレスは全身のカルマニクスをラグエルに注ぎ込むと、金色のカヤードに向けて引き金を引く!
凄まじい程の衝撃がアリストテレスにのし掛かる!
それと同時に銃口からは無数の弾が一斉に放たれ、教皇の間を目映い閃光で覆う!
威力だけなら一刀流の裏伝、落鳳破に匹敵するラグエル。
流石のカヤードもただでは済まない筈である。
「……ラグエルの直撃は初めてだったが……なる程、並みのヒドゥンはおろか、神化ヒドゥンさえ跡形も無く消し去る威力だ……」
ラグエルによって大破した部屋の壁から煙りが舞い上がり、アリストテレスの視界を遮る。そしてその煙りの中から淡々と語るカヤード。
「!?」
教皇の間は全長300メートルはある教会本部の最上階に位置する。突如ラグエルによって空けられた風穴は、強烈な突風を教皇の間に入り込ませ、散弾による煙りを全て吹き飛ばす。
「さぁ、これで終わりか? このままだと教皇共々地獄行きになるぞ、アリストテレス?」
突風によって再び姿を露わにしたカヤードは、全身に影の闘衣を纏った『黒獅子』の姿に変貌していた。
「アリストテレスよ、退くのだ! このままではお主も死んでしまう! あやつの狙いは私の命、さぁカヤードよ、殺すならこの老いぼれだけを殺すが良い!」
カヤードの圧倒的な実力に勝ち目無しと判断した教皇は、自分の前で盾になっていたアリストテレスを退け、ゆっくりとカヤードの前へと歩み寄って行く。
「……殊勝な心掛けだな、教皇よ! まぁ偽善者たるラピスリアの親玉らしいと言えばらしいが!」
獅子の鬣を思わせるフードを深く被っているためカヤードの細かい表情は読み取れなかったが、彼の口元は明らかにつり上がり、不適な笑みを浮かべていた。
「では、教皇。貴様の命と『ロンギヌス』を頂こうか?」
カヤードは歩み寄って来た純白のローブを纏う教皇の胸ぐらを強引につかみ、ゆっくりと上へ上へと持ち上げて行く。
「!!」
たまりかねたアリストテレスはラグエルを投げ捨て、無謀にもカヤードに猪突猛進突っ込んで来る!
「馬鹿がっ!」
カヤードは右脚から繰り出されたギロチンばりの『かかと押し』を、アリストテレスの首下に喰らわせ、骨ごと彼の首を一刀両断に刈り取る!
「ア、アリストテレス!!」
首を締め付けられながらも、横目でその惨劇を目の当たりにした教皇は、アリストテレスの名を叫び、大粒の涙を流し出す。
「……教皇よ、貴様は今アリストテレスの死に涙を流しているが、『槍の洗礼』に失敗し、命を落とした者たちにも同じ様に涙を流したのか?」
締め上げる力がより一層強まる。
「うっ!」
「そして、『ヒドゥン』と化してしまった『同朋』に対しても、貴様は何も思わず、何も感じないのかっ!?」
強烈な怒号が教皇の間に響く。カヤードの怒りは最高点に達し、今にも教皇を締め殺す勢いである。
「ひ、ヒドゥン化?……な、なんの、話を、している……のだ?」
カヤードの問いに対し、全く身に覚えが無いと逆に疑問を返す教皇。胸ぐらを強く掴まれ、呼吸も途切れ途切れで苦しそうだ。
「貴様、シラを切るのも大概にしろ! 槍の洗礼がもたらす『副作用』、それを最高責任者である貴様が知らない訳がないだろう!」
カヤードは激昂し、教皇を吊し上げていた右手の力を更に強めると、空いていた左手で教皇の顔面を殴りつける!
「うっ!?」
勿論、死なない程度に加減された拳だが、教皇は口から血を滴らせ全身を痙攣させていた。
「……まぁ、いい! 貴様たちが偽善者の仮面を被り、世界を欺いているのは既に承知済みだからな! それに今更謝られた所で……既に手遅れなんだ!……それより、ロンギヌスを早く渡せ! 貴様が既に『扱えなくなった』のは知っている、どこに隠した!?」
「……気付いて、いたか……」
痛みに顔を歪ませながらカヤードを睨みつける教皇。
「以前の貴様だったら、オレがここに現れた瞬間に結界系の蓬術を発動していた。アーク・オブ・ノアは無理にしても、それに準ずる術は使えた筈だからな。ところが一向に術は使わん上にアリストテレスたちの援護も一切していない……教皇の実力を知る者なら誰しも気がつく……」
カヤードは自身がこの部屋に入ってからの、一連の教皇の振る舞いを反芻し思い返しながら、説明を続ける。
「カルマニクスの枯渇……年齢と共にカルマニクスは緩やかにその量を減らすが、貴様の場合はカルマニクスそのものが消失している……病気が原因なのか死期が近いからなのかは知らんが、そのせいで普段肌身離さず持っていたロンギヌスを扱えなくなったのだろう?」
カヤードに全てを見透かされた教皇は絶句し、苦虫を噛み潰した様な苦悶の表情を浮かべる。
「さぁ、早く渡せ! あんな物がある限り、この行き場の無い、深き悲しみの連鎖は終わらないんだっ!!」
カヤードはいつの間にか黒獅子を解除し、彼の表情を覆っていたフードも消え、嘆きの表情を教皇に向かって晒け出す。
「……カヤードっ!!」
その時、突如、カヤードの背後から聞き慣れた声と共に、『疾風』が吹き付けて来る!
「…………カール・アインハルトかっ!」
自身に向けられた殺気は、今まで葬って来たクルセイダーとは比較にならない程に鋭く、重い!




