裏伝
――シン王国、神都王立ターミナル。
砂漠に囲まれたシン国内に唯一走る線路から、豪華な汽車がゆっくりとターミナル内にやって来る。
王立ターミナルは異国からやって来る汽車や、各地に走る大型馬車の乗り合い場所で、神都内で最も活気のある場である。
汽車が黒煙を上げながらターミナルに停車すると、数名の駅員たちが車両に向かって駆けて行く。
「お疲れ様でした! ようこそ、シン王国へ!」
そう満面の笑みを浮かべながら、駅員たちは一斉に車両の扉を空け放って行く。
「……ふーっ、ようやく着きましたねー」
車両からターミナルのホームに降り立つと、ゆっくりと左右の腕を上空にそり上げ、欠伸混じりの『伸び』をしながら雛菊が呟いた。
「……途中、修理やら事件調査やらで3日も到着が遅れたからな……汽車でのバトルはもう懲り懲りだ……」
今度はウイングがやや、やつれた表情を浮かべてホームに降り立つ。
「……しかし、あんまりゆっくりもしてらんないっスよ?『一刀流の神髄』を手に入れなきゃいけないんッスよね?」
一刀流の神髄……
ウイングが師である義父・クロノスから伝授されることが叶わなかった一子相伝の技と理。
カヤードにあってウイングに欠けている物……
果たしてこのシンにその神髄があるのか……
夢での声を再び思い返しながら、ウイングはホームの石畳をゆっくりと踏み進めて行く。
幻影一刀流の開祖、嵯峨の残した功績はどのクルセイダーよりも輝かしく、沒後100年以上経つ今でも未だ色褪せない伝説の剣聖として語り継がれていた。
特に教会の総本山であるメゾサンクチュアリと、嵯峨が幻影一刀流を開眼した地、シン王国では『神格化』され奉られている。
シンは国を上げて嵯峨の技の保存と継承を行っており、カルマの器を有していないながらも、教会のクルセイダーに準ずる武力を有していた。
シンの首都、神都にも嵯峨の偉業を讃える『神殿』があり、腕を上げたいと願う多くの兵たちが参拝に訪れている。
ウイングと雛菊たちも嵯峨に関する情報を入手すべく、その神殿に到着していた……。
「ところで……今更なんですが、嵯峨ってどんな人だったんスかね?」
石英で造られた古めかしい神殿の床をスキップしながら、雛菊は突然そうウイングに切り出して来た。
天真爛漫な笑顔を浮かべて聞いてくる雛菊に、やや固くなっていた表情を緩ませるウイング。
「おいおい、ホムンクルスなら知っていて当然の内容だぞ? セシリアなんか歴史書丸々暗記してたし……」
「あちゃー、マジっスか!? 墓穴掘っちゃいましたねーっ」
ホムンクルスの中でも新型であるはずの雛菊だが、他のホムンクルスとはかけ離れた仕様な為、この手の暗記や学問的知識はやや苦手な分野らしい。
「……とは言え、嵯峨に関する資料の多くは一刀流に関する物が殆どで、人物に関する書物や口伝は信憑性に欠ける物ばかりなんだ。師匠でさえ全く知らないと言っていたし……」
ウイングは歩を進めながら記憶を辿る。
「なーんだ、ようは謎の人物だった……ってことなんスね」
雛菊は少し肩透かしを喰らったようで頭の後ろに両手を回すと、興醒めしたため息をつく。
「たかだか百数十年前の人物なのにここまで謎が多いのには、メゾサンクチュアリで起きた大火災が原因らしい。その時に初代教皇や嵯峨に関する書物の殆どが焼失してしまったらしいからな」
「大火災?」
再び興味を惹いたのか、首を再びウイングに向ける雛菊。
「幻影館の二代当主の時代に起きたヒドゥン絡みの事件がきっかけだったそうだ……強力な神化ヒドゥンがメゾサンクチュアリに大火を放ち、壊滅寸前まで暴れ回ったそうだが、当時の当主によって辛うじて滅する事に成功したらしい」
「あぁ、それなら聞いた事があるッスよ、メゾサンクチュアリ最大の危機だったと。……なるほど、じゃあ嵯峨に関する書物も人々の『記憶』も、その時のヒドゥンの仕業なのかもしれなかったんスね……」
ウイングと雛菊がそんなやり取りをしながら歩いていると、いつの間にか2人の視界に巨大な石像が現れた。
「おぉ!!デカいっすね!!」
雛菊ははしゃぎ始めると、ウイングを置いてけぼりに高速ダッシュで石像の下へと消えて行く……。
ドーム状の石造りで出来た神殿内部に、高さ10メートルはあるであろう巨大な『戦士』の像がそびえ立つ。
観光客や武芸者の参拝者たちがその像を囲むように、何重もの人の輪を形成していた。
「あれが嵯峨の石像か……」
それを遠目で眺めていたウイングは石像の造形に注視する。
大理石で造られたフードとローブを纏った戦士。右手に刀をイメージさせる長い曲刀を握ったまま、ただただ直立不動で佇んでいる。
これでは体系も顔立ちも構えも分からない。メゾサンクチュアリにも嵯峨の石像は沢山あるが、それらと大差無い印象を受ける。大きさだけは他を圧倒していたが、これを眺めていても嵯峨の事は何も感じ取れない。
「マスター!何そんな所でボサッとしてんスか?」
遠くから雛菊が周囲に揉みくちゃにされながら手を振っている。
「……!?」
雛菊が手を振っている姿を視界の端で捉えた瞬間、今まで感じた事のない重く暗い『闘気』が神殿全体を覆い尽くして来るのをウイングは全身が痺れる程に感じ取る。
「これは?………」
雛菊も直ぐにこの異変に気付くと、一旦石像から離れ、ウイングの下へと駆け寄って来た。
「ヒドゥン……じゃあないっスね、これは紛れもない闘気……こんな重くて暗い闘気は初めてっス……」
「何かが『いる』のは間違い無い……参拝者たちの中にも気付いた連中もいるみたいだが、どこだ?」
雛菊は苦笑いを浮かべながら懐からヨーヨーを取り出し、ウイングは双眸を閉じ、周囲の気配を探り始める。
それは一瞬だった……
雛菊の視界には次々と切り刻まれて行く参拝者たちの姿がスローモーションの様に流れて行く。
参拝者たちを襲うのは自分たちの『影』。
自身の影が具現化し、本体を攻撃しているのだ。
「くっ!」
雛菊はヨーヨーを構えたまま一歩も動けずにいた。
あまりにも密集した参拝者たちに対し、彼等を襲う影だけをピンポイントに攻撃するのは至難の技だ。腕に覚えのある武芸者たちもあっという間に絶命して行く。
「マスターっ!何とかしないと!」
雛菊の切羽詰まった声が神殿内に響き渡る。
「くそっ!」
必死に周囲から闘気の持ち主を探知しようと気配を探っていたウイングだったが、一向に気配の持ち主が見当たらない。
「あの技は……私も見たこと無いっス! 一刀流の技ならなんとか打ち破れないッスか!? マスター!急がないとこのままじゃ!!」
雛菊の言う通り、恐らく一刀流の技に違いない。だが、一度に百人近い参拝者の影を瞬時に具現化し、支配する技など見た事も聞いた事もない。
あるとすれば、
「『裏伝』か!?」
ウイングが伝授されていない真髄とも呼べる、『もう一つの幻影一刀流』。
それがこの技の正体なのかもしれない。
ウイングは双眸を開き、気配を探るのを諦めた。
恐らくこの技は広範囲に繰り出すタイプの技だ、周囲にはいない可能性が高い。
だからあれほどの数を具現化支配していても、影の動きは至ってシンプルだ。複雑な動きは全くしていない。いずれも具現化した手で頸動脈を単調に狙っているだけなのだ。
「対魔で影ごと吹き飛ばす!!」
瞬時に膨大なカルマニクスと闘気を練り上げるウイング。
「破っ!!」
ウイングを中心に、青く燃えたぎったオーラの塊が膨張し、………拡散した!
対魔のエネルギー波によって具現化した影のみが次々と消滅していく。
対魔の力はコントロールさえすれば、人体を透過させる事が可能である。
ただし、威力は著しく弱まる為、対魔による波動は見た目ほどヒドゥン等にダメージを与える事は出来ない。
「そーゆーの出来るなら早くやって下さいよー!」
雛菊はそう不満を漏らすと、まだ息のある参拝者の応急処置に向かう。
「まて、雛菊!」
すかさず走り込んで来たウイングが雛菊の袖を掴み、彼女を制止する。
「ま、マスター!? 何やってんすか、遊んでる場合じゃ………」
そう雛菊が制止したウイングの手を振り解こうとした刹那!
「あ、あれは……な、何なんスかっ!?」
ウイングと雛菊の視界には横たわっていた無数の参拝者たちが、ゆっくりと立ち上がり、ウイングたちに向かってじわじわと詰め寄って来る光景が広がっていた。
「理由は分からないが、参拝者の肉体を操っているようだな……」
「あれじゃゾンビですよ! ヒドゥン化したって事なんスか!?」
ウイングは冷静に彼等を含めた周辺全てに目をやり分析する。
ヒドゥン化……いや、それとも違う。やはりこれも『技』だ。僅かだが、さっきの暗く重い闘気がこの中に感じる。
参拝者たちの影は吹き飛ばしたが、『第三者の影』による支配ならば恐らく可能。
「これも幻影一刀流の仕業だ。最初は参拝者たちの影を操り、今度は自身の影を分散させ彼等の肉体を操っている……」
ウイングは参拝者たちに指を指しながら自身の推理を語り始める。
「そして、彼等を操っている影の正体!……それはコイツだっ!!」
ウイングはすかさず腰に差していた長剣を闘気混じりに抜刀する。
嵯峨の石像目掛けて!
幻影剣・鎌鼬!!
居合いから繰り出された高速の刃の幻影が、嵯峨の石像の胸部を見事に捉え、粉々に砕き落とす。
「石像が黒幕だったんスか!?」
糸が切れたマリオネットの様に地面に崩れ落ちた参拝者たち。彼等に降り注ぐ巨大な石像の破片を弾き飛ばすべく、雛菊は器用にヨーヨーを使い彼等の体を守る。
「いや、石像は参拝者たちを操つる為の『仕掛け』に過ぎない。なんで操つる必要があったのかは分からないが…………なぁ、そうだろう? 上手く気配を散らしていた様だが今の技の発動でようやく位置を捉えたぞ……」
ウイングは砕け散った石像の土台に立っていた人物に向かって、鋭い眼光を向けた。
「……石像を使ったのは、此処なら強き武士どもが一番集まるからだ」
ウイングの声に答えたのはややかすれた低い声の男。石像の破片が巻き散らかした砂埃のせいで詳しく姿形は確認出来ない。
「武士? 武芸者たちを集めて何をするつもりなのかは知らないが、お前のやった事は許される物ではない、投降し、悔い改めろ」
「悔い改めろだと?……悔い改めるのはこの国の連中の方だ。何も知らないよそ者には関係の無い話。偽善者は立ち去れ」
再びかすれた声でウイングに答える男。砂埃の中、不気味に輝く『紅い』双眸だけが確認できた。
「……紅い双眸!?」
ウイングはその輝きに一瞬体を硬直させていた。
紅く輝く瞳は、ヒドゥン特有の代物。
何故、人である筈の砂塵の背後にいる男がその目を持つのか?
目色が変わる神化ヒドゥンとも気配が違う。
人でもない、ヒドゥンでもない存在だと言うのか?
「退く気はないか……ならば、斬るまでっ!!」
ゆっくりと晴れて行く砂埃。
刹那、黒い影が刀を握ったままウイングに襲いかかる!
「ちっ!」
舌打ちと同時に長剣を下から切り上げ、迎撃体制に入るウイング。
火花散る鍔競り合い!
爆風とも呼べる程の凄まじい剣圧がウイングの両手にのし掛かる!
「ぬるい!」
紅目の影は自身の剣圧が巻き起こす突風により、砂埃を全て払いのけ、全貌を露わにした。
赤く刈り上げられ逆立つ短髪、筋肉の鎧を纏ったかのような鍛え上げられた肉体。
鬼の様な形相と、白眼さえも染まった不気味な紅い双眸が常軌を逸した人外の化け物だと見る者を恐怖させる。




