般若の面
「……つまらんな」
やる気の欠片も感じない男の声が暗闇から聞こえて来る。
「何言ってんだ?金持ちしか乗ってない『動く金庫』だぞ?たんまり金が稼げるんだ、こんな最高の仕事は無いだろ?」
もう一人の男の声は興奮気味でじっとしてられない、と言った様子だ。
彼らは『窃盗団』だった。
世界中の金持ちが集まるオリエンタル特急。それを狙う窃盗団は少なくない。
だが、屈強なガードマンを数多く雇っているオリエンタル特急は、難攻不落とも言われる『世界一安全な乗り物』だ。一度足りとも窃盗団を取り逃がした事はない。
「……しかし、こんな事に俺様が剣を振るわなきゃいかんとはな……」
やる気のない男は自嘲気味にそう呟く。
「借金返せないお前が悪いんだ。体で稼いでもらう約束だったろう!?今更怖じ気づいたのか!」
興奮気味な男が大声を張り上げる。
「おいおい、そう興奮するなよ、見付かっちまうぞ?」
「ったく、お前がムカつく事言うからだろがっ!……まぁ、いい、もうじき深夜だ……客共が寝静まったら『こっから』出るぞ、ガードマンたちはそれなりに配備されてるがな……お前は片っ端から切り捨てろ、その間に俺がお宝をふんだくってやる!」
興奮気味の男は暗闇の中で八重歯を光らせてそう言った。
――車窓から見えるのは暗闇のみ。
雪景色さえも全く見えなかった。
オリエンタル特急は東アジアの入り口、『黒い竜穴』と呼ばれる世界最大のトンネルを疾走していた。
「……よし、この竜穴を越える前に仕事をすませるぞ、準備はいいな?」
「ああ、いつでもいいぞ……」
先ほどの二人組はオリエンタル特急の中心にある『食糧庫』の中から姿を現す。
興奮気味の男は全身を黒装束と覆面で覆った小柄で小太り、見た者はフットワークに些か不安を感じずにはいられない体格だ。
「……さて、早めに終わらせるか」
もう一人の気だるそうな男は、赤いレインコートを纏い、左手に『番傘』を握る『ひょろ長』。顔は『般若の面』で覆われており、長い黒髪は後ろで大ざっぱに結ばれている。
「俺の見立てではガードマンの数は30、この食糧庫以外の各車両に二人ずつだ。狙いは特に高い部屋がある、後方の車両だ、奪うだけ奪ったら車両から脱出する……手筈は大丈夫だな?」
小太りの男は、マッチで灯りを灯し、小さく四つ折りにした地図を広げて般若に確認すると、肩を鳴らし、食糧庫の扉に手をかける。
「……やっぱり我慢できんなぁ、すまんな、借金は踏み倒させてもらう」
般若はそう呟くと、小太りの首を振りかぶった番傘で吹き飛ばしてしまった!
「やれやれ、『人間』に借金しちまうヒドゥンなんて洒落にならねーよな、ヒドゥンらしく、人間どもは皆殺しにしないと……」
般若の面の奥には『紅い瞳』が不気味に輝いていた……。
「きゃあー!!」
「ば、化け物だぁ、誰か助けてくれぇ!!」
オリエンタル特急の後方から悲鳴と怒号が飛び交う。
散乱する肉片と大量の鮮血、鼻を刺激する死体特有の臭いが車両中に漂っていた。
「きゃっほぉー!」
殺戮ショーの主役である般若は奇声を上げながら番傘を振り回し、富裕層の乗客たちをミンチにしている。
まさに地獄絵図だ。
「金だせぇ!! 金だぁ!! 命乞いするなら金をだせぇ!!」
般若はそう叫び続けながら次々と乗客たちから金品を巻き上げ、容赦なく殺戮を続ける。
「金をだ、し、たのに……」
腹部を番傘で貫かれた乗客が無念の言葉を発する。
「金は金、殺戮は殺戮、俺様はどっちも大好きなんだよ!」
般若の無慈悲な振る舞いに車両にいた全ての乗客は絶望した……。
「神化ヒドゥンとこんな所でお目にかかるとはな……」
般若の背後から鋭く尖った男の声が不意に聞こえて来る。
「あっ?」
反射的に振り替えた般若に『黒い刃』が襲いかかる!
「なっ!?」
すれすれで黒い刃をかわす般若だったが、自身が纏うビニール製のレインコートの裾がバッサリ切り裂かれる。
「てめぇーっ、何者だ!?」
「影渡り!」
声の主はウイングだ、すかさず影渡りで般若の影へと瞬間移動。
先ほどの幻影剣・鎌鼬は影渡りへの陽動だ。相手の懐に潜り込んだウイングは、左右の手で握り締めた銀製の長剣に渾身の力を込めて切り上げる!
銀狼戦でも見せたウイングの得意の戦法だ。
「ぐうぉっっっ!!」
ウイングの切り上げた長剣が、反射的に回避しようと後ろに仰け反っていた般若の下腹部から面で覆われていなかった顎の先までを、深くえぐりながら上昇して行く。
黒い鮮血が周囲に飛び散り、般若は切り裂かれた衝撃によって遥か後方へと吹き飛んでしまう。
「……て、てめぇークルセイダーかぁ!!ふざ、け、やがってぇ!!」
「!?」
体の真ん中を切り裂かれ後方に叩きつけられたのにも関わらず、般若は直ぐに立ち上がると、憤怒の声を張り上げた。
「回復している訳ではないようだな……」
銀狼の時の様な超回復は見られない、傷口は開いたまま、血は流れたままだ。
「死ねコラぁ!」
番傘を振り回しながら般若はウイングに突進して来る!
般若の細長い四肢から繰り出される瞬速の蹴りと番傘の応襲!
それに負けじとウイングも長剣と蹴りで般若の攻撃を相殺!
車両の通路で繰り広げられる高速の打ち合いを尻目に、生き残った乗客たちは、この機を逃さまいと一斉に前方の車両へと駆け込んで行く。
通常の汽車の6~7倍はある大きな車両だ、通路と言っても人が3、4人並んで走っても幅に大分余裕があった。
床に転がる死体や肉片から目を反らし、死臭漂う通路を鼻にハンカチやスカーフを当てながら駆けて行く乗客たち。
彼等が全てこの車両から脱出したのを横目で確認したウイングは、闘気とカルマニクスを般若と打ち合いながら更に練り上げる!
「けっ! 人間どもが近くにいたから手加減してたってのか? 舐めた野郎だぁ!!」
その様子を見た般若は怒りの声を発すると、ウイングに受け止められていた番傘を一気に広げ、すかさず柄の部分を思いっきり引き抜く!
番傘の柄の部分は綺麗に傘から分離されると、その『真の姿』を露わにする。
「死ね!」
般若の傘の柄から出現した直刃の脇差しが、ウイングの心臓目掛けて襲い掛かる!
ウイングの長剣は番傘の傘の部分によって塞がれてしまっており、更に広がった傘のせいで彼の視界から般若の姿は確認出来ない。番傘と言っても恐ろしく重く、強度も鋼を凌駕しているその傘を払いのけ、仕込み刀を防ぐのはタイミングからして不可能だ。
「!?」
般若はウイングの心臓を仕込み刀で貫く!
「けっけっけ! 俺様の勝ちだな!」
勝利を確信した般若は刀を右手で引き抜き、番傘を左手で引き寄せ、鞘に収める様に再び合体させる。
崩れ落ちるウイングの………………『幻影』!
「何っ!?」
幻影剣による空蝉。ウイングだけでは無く般若もまた視界を塞がれていたのだ。仕込み刀を引き抜く際にウイングから目を離した瞬間に繰り出された『実体化した幻影』。
「しまっ……たぁ!」
般若は番傘を収めたまま、スローモンションで崩れ行くウイングの幻影を眺めながら全身を震わせていた。
『幻影身刃克士霊』
ウイングの実体化した三体の幻影たちが、般若を三角形に囲みながら一斉に『居合い』を繰り出す!
「うぉーーーーっ!!」
般若の体を光の剣線が3つ走ると、般若は全身を三等分され断末魔の叫びをあげた。
「はぁ……はぁ……滅せられたか?」
肩で息をするウイングは般若の肉体が消滅するのを確認すると、長剣をゆっくりと鞘に収める。
「……マダ……終ワラネーヨ、俺様ハ何度デモ蘇エルカラヨ……」
般若の肉体は完全に消滅していたが、通路に転がっていた『般若の面』が黒い霧に覆われながらウイングの視界まで不気味に浮き上がり、そう語りかけて来た。
「……その面が正体だった訳か……」
「……俺様ハ肉体ヲ持タナイ神化ヒドゥン……俺様ハ何度デモ、テメーノ前ニ現レテヤルヨ! モット強イ体ヲ手ニ入レテナ!」
「幻影剣!」
面に向かって瞬発の幻影剣を繰り出すウイング!
しかし、既に般若の面は黒い霧に覆われ、その場から消失してしまっていた……。
マダ終ワラネーゾ
オ前ラ全員皆殺シダ!
ウイングの前から消失した般若の面は車両の窓をかち割り、オリエンタル特急の先頭車両にある『操縦席』に向かっていた。
――黙々と煙を上げる汽車を操作していた口髭を生やした機関士は、口から大量の血を吐いて床に転がっている。
そして、程なくしてオリエンタル特急は暴走を始めた……。
急激な加速による激しい振動が全ての車両を揺らす。
乗客たちは尋常ではない振動と恐怖から、皆座り込みその場から立ち上がれずにいた。
客室やサロンの家具や調度品は全てひっくり返り、至る所に散乱している。
「なっ、なんなんだぁ!! 一体どうなっとるんだ!?」
「キャー! ママこわいよぉ!」
「……まさか、あの仮面!?」
ウイングが般若を追い払って僅か数分の出来事、タイミングが良すぎた。
「くそ!」
ウイングは舌打ちをしながら地震とも思える激しい縦揺れの中、先頭車両へと向かって行った。




