猫ではなく蛇
「枯れ木ヒドゥン如きがいつまでも引っ付いてんじゃねーよっ!!」
バイスの顔つきは十五、六の少年とは思えない鬼の形相へと変わり、ドス黒い殺気と威圧感を放つ。
膨張した筋肉は全身に絡みついていた古木の太い枝を粉砕し、バイスは身体の自由を取り戻す。
古木の悲鳴が樹海に響き渡る……。
吊されていたバイスは綺麗に地面に着地すると、捕縛されていた時より『二回りほど』大きな体躯へと変貌を遂げていた。
膨張した筋肉によって纏っていたナイトコートは破れ、鎧の様に分厚い筋肉が剥き出しになっている。
「……『怒れる猿帝』が目覚めたか……」
数十メートル先を進んでいたサンジェルマンは振り返り、そう呟く。
バイス・エンドルーダ。
彼はサンジェルマンが技術開発庁と共に最高責任者を勤める『聖殺局』の『レプリカント』の一人である。
レプリカントとは『人造人間』の事で、文字通りサンジェルマンが『造った』生体兵器である。
聖殺局はヒドゥン化の恐れがある、殉教したクルセイダーや槍の洗礼に失敗したクルセイダー候補生を『抹消』する教会最大の禁忌部署だ。
『仲間殺し』という背信行為と、ヒドゥン化したクルセイダーが強力過ぎる、という理由で慢性的な人員不足の聖殺局であったが、サンジェルマンが局長に就任すると直ぐに、『都合のいい掃除係』として彼等、レプリカントが実験的に投入され始めた。
天才科学者であるサンジェルマンがホムンクルスの技術を応用し、生み出した存在。
それがレプリカントだ。
レプリカントは十剣以上の実力を得る為に、大量の増強剤等の投薬と精神操作が施される。
バイスはレプリカント第一号であり、コードネームは『猿帝』。
「秒殺してやるよ、腐れヒドゥンがっ!!」
バイスは両目を激しく充血させ、唇の両端を吊り上げると、腰に差していた二本の短斧を取り出すと、扇の様に左右対称に構える。
「激扇双斧!!」
バイスの叫びと同時に無数の閃光が古木に向かって走る。
物の数秒で古木だけでは無く、周囲数メートル内にあった樹海の木々が粉微塵に刻まれていた。
「ったくよー! 弱いくせに絡んで来るんじゃねーよ!! おいっ!!!! 局長よーっ!! まさかカヤードって奴もこんな弱いのかぁ!?」
バイスは先を行っていたサンジェルマンに聞こえるよう、大声で彼に問う。
口調も声色も古木に絡まれていた時とは別人だ。
「……安心しろっ! カヤードは俺が知る限り『最強』だ。俺がわざわざ『お前達』を連れて来なきゃならない程になっ!!」
遠くから反響して来るサンジェルマンの声を耳にすると、バイスは満足そうに笑いながらサンジェルマンの下へと駆けて行った。
サンジェルマン一行の目的、それはラルフから命じられた『カヤードの暗殺』。
強力過ぎるカヤードを葬るには裏方であり、教会最強の下部組織である聖殺局が最も適任であったのだ。
元とは言え、クルセイダーだったカヤードを消すのは彼等の使命でもある。
「ところで枢機卿、そのカヤードは本当にこんな所にいるんですか?」
サンジェルマンにベッタリとくっ付くマオが問う。
「密偵の話じゃ半月前にここで見たって言うからな……何か手懸かりでも掴めればと思って来てみたが……」
眉間に皺を寄せ、周囲を見渡すサンジェルマン。
「えーっ! 枢機卿、それは無いでしょう!? わざわざメゾサンクチュアリから出向いてんのに、確証無しなんすか!?」
引っ付いていたマオを突き飛ばす様に走って来たバイスが声を張り上げる。いつの間にか声も姿も『猿帝』前に戻っていた。
「……僅かな情報からターゲットを追い込むのもお前らの仕事だろ?弱音など吐く様に『造った』覚えは無いがな?」
サンジェルマンの鋭い眼光がバイスを射抜く! 口は笑っているが、明らかにその双眸は笑っていない。
「さて、『調査開始』だ!! 気張れよ、お前等!!」
「い、イエス、マイボス!!」
マオとバイスは全身をビクつかせながら畏怖の念を込めて最敬礼すると、急いで周囲に散開して行った……。
「カヤード・ワインズマン、教会最重要危険人物にして元皇守十剣、第七代幻影一刀流当主……数多の危険任務をこなし、『天剣』と称されたかつての英雄……師である先代当主を暗殺し、現在は消息不明……か」
マオ・ラスタークは、持参したリュックサックの中から取り出した資料に目を通しながら、ぶつぶつと独り言の様に森の中で呟いていた。
「一刀流の継承者か……なかなか厄介ね、出身はプロイツェンか。生真面目な性格だったのかしら?」
「プロイツェン出身者は皆様、総じて真面目で頑固者が多いですからね」
「!?」
不意にマオの背後から聞き慣れない声が聞こえて来る!
「……何者っ!?」
マオは瞬時に目前にそびえ立つ大木の幹を足場にすると、全力で大木を駆け上がる。
無数の枝を足場に次々と大木の頭頂部目掛けて跳ね上がったマオは、上空から声の主を確認しようと先程自分がいた地面を見下ろした。
「……居ない!?」
マオの視界には一面緑生い茂る森林が広がり、そこには誰も居ない。
「なかなか良いバネをお持ちで」
再び後方から先程の声が聞こえて来る!
「何っ!?」
マオは首を背後に向けると、上空に一人の男が腕組みをしながら品定めするかの様にこちらを眺めている姿を捉えた。
「この気配……ヒドゥンっ!!」
「御名答」
ニンマリと笑窪を見せる男、銀髪オールバック、白いスパンコールのブーツカットのスボンを纏い、上に着た白いワイシャツの襟元が上空の強い風によって揺れていた。
「神化ヒドゥンがこんな所で何をなさってらっしゃるのかしら?」
マオは双眸に剣呑な色を宿すとヒドゥンにそう問いただす。
「フフフ、まぁ『寄り道』の途中ですよ♪たまたま森に立ち寄ったら貴女がいらっしゃった、ただそれだけです♪」
銀髪オールバックは不敵な笑みを浮かべると、腕組みしていた両腕を解放し、構え始めた。
「あらそう? ……まぁそれは運が無かったわね! すぐにブチ殺してあげる!!」
マオは一度地上に着地すると、全身の骨と筋肉を軋ませながら、見る見る内に巨大化して行く!
「ヒューッ♪」
それを眺めながら思わず口笛を吹く銀髪オールバック。その瞳には好奇の色が咲く。
「……手加減出来ないからね、ご愁傷様!!」
マオの体躯は異常なまでに手が伸び、長かった足が消え胴と一体化している。両手は鞭の様にしなり、頭髪は顔を覆う程に伸びていた。
長い両手を除けば、まるで『蛇』の様な容貌。全身が水色の鱗の様な物で被われており、全長は優に3メートルを超えていた。
これがマオの真の姿である。
「レプリカント……もはや人間と呼べる代物では無いですね……」
銀髪オールバックは哀れみの意を込めて、そうマオに吐き捨てた。
「この『蛇王のマオ』の姿を見て生きてた者は聖殺局の者だけよ?とっとと死になさい!!」
同じレプリカントでも猿帝のバイスより理性を保てるマオは、サンジェルマンが生み出したレプリカントの第二号体だ。
蛇型ヒドゥンの細胞を移植したマオの身体能力は、神化ヒドゥンさえも凌駕する!
「夏色の狂想曲!」
銀髪オールバックは上空から錐揉みしながら落下すると、高速のパンチとキックのコンビネーションを無限の様にマオの全身に叩き付けて行く。
「フィニッシュ!!」
最後には渾身のサマーソルトがマオの頭部を粉砕した!!
「……おや?」
かに見えた。
「幻影剣……ですか……」
銀髪オールバックが粉砕したのはマオの頭部では無く、マオの生み出した『幻影』の頭部であった。
「私が最後の一撃を繰り出す瞬間に幻影を生み出し、『空蝉』をした訳ですね? ……しかもあれだけコンビネーションを浴びせたと言うのに、ほぼノーダメージとは……」
銀髪オールバックの目前には左右の『鞭』をしならせるマオが、蛇の様に長くなった舌を色めかしく動かしていた。
打撃攻撃に強い耐性を持つ『アダマンスネーク』と呼ばれる蛇型ヒドゥンの細胞で造られたマオの外皮は水色に輝き、傷一つ付いていない。
「蛇鞭輪!!」
今度はマオの反撃だ。
マオは2メートル以上はある右手の鞭手をしならせると、勢いよくそれを銀髪オールバックに叩き着ける!
「くっ!!」
高速の一撃だったが、銀髪オールバックは紙一重でかわす。
が、
「それで避けたつもり? 舐めちゃだめよ♪」
マオの台詞に合わせて回避されたかに思えた鞭の先端が、瞬時に四つに飛散すると、触手の様に蠢きながら銀髪オールバックの背後を強襲する!
「何っ!?」
鞭から飛散した触手はもはや『鞭』では無く、鋭利な『槍』の切っ先その物だ。
触手は銀髪オールバックの後頭部から右目を貫き、左肩、鳩尾、右腿を容赦無く貫通すると、ドリルの様に高速回転し、突き刺さった周辺の肉をえぐり出す!
「ぬおぉおぉぉぉおぉーーっ!!!!」
銀髪オールバックの絶叫が周囲にこだまする。
えぐられている部分からは大量の黒い血液が止めどなく溢れ落ち、銀髪は思わず前のめりに倒れこんでのた打ち廻った。
「フフッ♪ どう? 蛇鞭輪のお味は? さっきまでの余裕はどこに行ったのかしら?」
マオは右手の触手で貫通されたままの銀髪を自分の視界の高さまで持ち上げると、侮蔑の笑みを浮かべてそう言った。
「あ、貴女……そこまでの力がっ、ありながら人間の味方を、さっ、されるのですか?」
銀髪は全身を痙攣させながら残された左目でマオを見据える。
「……愚問♪」
そう満面の笑みで銀髪に答えるとその刹那、マオは左手の鞭で勢いよく銀髪の首を切り飛ばした!
「私たちレプリカントはアナタたちヒドゥンや『堕天』したクルセイダー達を滅する為に生み出されたの♪ 馬鹿な質問しないでちょーだい! 小汚いビチ糞がっ!!」
本来ヒドゥン、ましては神化ヒドゥンを倒すには強力なカルマニクスや銀製武器が必要である。
しかしマオはカルマニクスを生まれつき『僅か』しか持たない特異体質であり、クルセイダーとしては『欠陥品』として『廃棄』される運命にあった。
だが、槍の洗礼時に彼女の中に生まれた『カルマの器』は『グングニル』と呼ばれる『槍』の様な、他のクルセイダーとは全く異なる形状と性能を持つ代物であった。
グングニルは体内の一部(マオは左右の手)に寄生すると、カルマニクス無しでサウザントワンをも凌駕する対ヒドゥン能力を発揮する。
かつて、初代教皇の実弟であるレオン・セッツァーもなしえた、神化ヒドゥンをも瞬殺できる程の力を!!
「……局長たちは大丈夫かしら?」
マオは青白い輝きと共に元の姿に戻ると、深い森の奥へとその双眸を向けた……。




