相棒の『死』
――皇守十剣の一人、トリッシュ・ヴィヴァルディは肩で息を切らし、己の不甲斐なさ、散々たる状況に目眩を起こしそうになっていた。
引き連れていた五十名以上のクルセイダーや蓬術士たちは既にその三割が戦闘不能、もしくは殉教している。
頭を吹き飛ばされて絶命している者、右腕を二の腕の先から切り裂かれて鮮血を吹き出し倒れている者、両足をもがれ失血死、ショック死している者……。
カムイクックは地獄絵図と化していた。
クルセイダー達のうめき声が至る所から聞こえ、生え茂っていた大木たちは無残に斬り倒され、杭の様に尖ったその大木には大勢の蓬術士たちが串刺しにされて打ち付けられている。
周囲を覆う空気は重く張りつめ、血の臭いや死肉特有の腐敗臭が混ざり合い、常人には堪えきれない吐き気を催させていた……。
黒い肌と目を見張る程の麗しのプロポーション、艶のある長い銀髪をアップにして後頭部で編み上げた黒き美女、トリッシュ・ヴィヴァルディだけは八時間にも及ぶこの長い戦闘を無傷でやり過ごしていた。
十剣最強の防御力を誇るヴィヴァルディは今年で二十四歳、数多の神化ヒドゥンをサウザント・ワン【ガブリエル】で『完封』し続けて来た無敗の十剣である。
身に纏う白いパンツと袖無しの黒いシャツはクルセイダーの夏服だったが、既に全身からの汗を許容量以上に吸水しつくしており、ヴィヴァルディの体に纏わりついては、ズシリと鎧の様な重さと不快感を彼女に与えていた。
今回も彼女一人だけが出撃していれば、こんなにも死傷者を出す事は無かっただろう。
部下たちを龍型ヒドゥン、通称【ゴルゴダの龍】を再び封じる為に連れて来たのがかえって讎となった。
「……動ける者たちは今直ぐ『ここ』から撤退しろ!あと十分ほどでクリミナル・ダイブが解除される……その隙にカムイクックを脱出するんだ!」
ヴィヴァルディの怒号に似た叫びが部下たちの耳に木霊する。
「しっ、しかし!! マスター御一人を置いては!!」
満身創痍のクルセイダーの一人が、首を横に振りながら指示に拒絶を示す。
「私なら大丈夫だ!! 負傷者を連れて早く逃げろ!! これは命令だ!!」
ヴィヴァルディはそう言い放つと、カルマニクスを燃焼させつつ、右腕に装着された巨大な『爪型』のシールド、ガブリエルをクルセイダー達に向けて振りかざした!
強烈な風圧がクルセイダー達を後方に吹き飛ばし、彼女だけがその場で孤立した状態となる。
「ま、マスター・ヴィヴァルディ!!」
彼等の声を背後に残し、ヴィヴァルディは単騎、上空に漂っていたゴルゴダの龍へと特攻を仕掛ける!
「マスター、結界解除時間まで残り、九分二十四秒です。マスター・ワインズマンが合流されるそうですので、それまで持ちこたえて下さい」
上空に跳ね上がったヴィヴァルディの右前方に突如、黒色の着流し姿の女性が刀を握りながら現れ、彼女にそう告げた。
「よし!焔っ!! それまでバックアップ頼むぞ!!」
自身専属のホムンクルスである、黒い着流しの女にうっすらと笑みを浮かべるヴィヴァルディ。
彼女は爪の様に鋭い流線形を描くガブリエルの下部をゴルゴダの龍に向けると、全身の闘気を一気に練り上げ双眸に強い光を灯す。
サウザント・ワン、ガブリエルは『攻防一体』の万能兵器だ。
ヴィヴァルディの右肩から指の先までを覆う巨大な『籠手』と『楯』が一体化したその姿は、十三あるサウザント・ワン・シリーズの中でも異彩を放っていた。
サウザント・ワン・シリーズを生み出したルドルフ・サンジェルマン曰く、「最も生存率の高い兵器」。
それを想定して開発された為、覚醒時に必要とされるカルマニクスや、エネルギー消費量等のコストパフォーマンスにも優れた長期戦向きのサウザント・ワンである。
しかし、ソフト面での計算された設計とは裏腹に、ハード面では致命的な問題を抱えていた。
重量が通常の楯の十倍以上ある上に、左右の比重バランスが恐ろしく取りづらい為、使いこなせる者はヴィヴァルディが現れるまでは誰もいなかった程だ。
――ヴィヴァルディ&焔のペアがゴルゴダの龍と死闘を演じ、カヤード達が戦場で彼等と合流を果たした直後、『それ』は起きた。
「ネオ!?」
「ネオさん!!」
カヤード達は龍鱗の刃が左胸に深く突き刺さったネオを見て、驚愕の表情を浮かべていた。
「何故だ!? ネオの蓬術が失敗したとでも言うのか!?」
カヤードは、仰向けになって咳と共に口から大量の血を吐き続けているネオに思わず駆け寄った。
「ヴィヴァルディさん!暫く『そちら』をお願い致します!」
今度は雛菊が龍と対峙していたヴィヴァルディに向かって叫び、ネオの元へと走る。
「わかった!!早く応急措置を!!」
ヴィヴァルディもネオを気にかけていたが、目前の敵に背を向ける訳にもいかない故、苛立ちを覚えつつも龍に向かって闘気を燃えたぎらせていた。
「ネオ!!おい!!ネオっ!しっかりしろ!!」
カヤードは瞼を閉じ、見る見る内に弱って行く戦友の肩を揺らしながら、しきりに彼の名を呼び続けていた。
「マスター!揺らしては駄目です!!私が応急処置をしますから、マスターは早くマスター・ヴィヴァルディと焔姉さん達のフォローに向かって下さい!」
普段の茶目っ気たっぷりの表情とは違い、凛とした顔を見せる雛菊。彼女は着物の裾から小型の白い医療パックを取り出すと、ネオの肩を揺らしていたカヤードを退かし、止血作業に入る。
おそらく『焼け石に水』だろうと、ネオの様子を見た雛菊は悟っていた。
左胸に刺さった龍鱗は背中まで貫通し、心臓が著しく損傷している。
心肺は停止し、急速にネオの体は冷たくなっていた。
ほぼ、即死。
それでも雛菊は必死に蘇生作業を行う。
「…………」
それを眺めていたカヤードは、自身の下唇を血が出る程に強く噛みしめると、ゆっくりと後ろに振り返えった。
「【メタトロン】解除……」
ぼそりと呟いたカヤードの右中指に嵌められていたクロスリングが激しく発光する。
瞬時にカヤードの右手には刃渡り1メートル以上はある長い『太刀』が握られていた。
太刀は細身で、柄には女神が右を向いた装飾が施されている。そして長い刀身には燃えたぎる紅い炎が巻き付き、カヤードの怒りの感情を代弁するかの如く炎は激しく揺らめいていた。
「うぉおおおおおおっ!!」
地面を蹴り上げ、高く高く飛翔する。
上空7、8メートルに浮遊し、ヴィヴァルディに睨みを効かせていた龍の更に上まで飛び上がるカヤード。
背には光の翼が生え揃っている。瞬時にハタバキを空いた左手だけで印を結び、【簡易召喚】したのだ。
簡易召喚とは忠神を短時間、もしくは一部の能力を『瞬発』で簡易的に発動させる初歩的な蓬術の一つである。
カヤードの渾身の上段斬りが龍の鰓目掛けて放たれる。
三年前は理性を持ち、人語も解したゴルゴダの龍であったが、目前に浮かぶ龍は理性を失った狂える猛獣と化していた。
その狂気に満ちた攻撃が何人ものクルセイダーの命を奪い、ネオを瀕死に追いやったのだ。
その事実がカヤードに激しい怒りを与える。
ヴィヴァルディ率いる先遣隊と合流した時に目にした仲間達の惨たらしい亡骸。
そしてイージスを発動した筈のネオが蓬術に失敗し、周囲に放たれた龍鱗の刃に左胸を貫かれ、驚愕の表情を浮かべつつスローモーションの様に地面へ倒れ込んだネオの姿。
その光景がカヤードを『キレ』させた。
しかし、怒りは『真の強さ』を『濁して』しまう。
カヤードは我を失っていたのだ。
力任せの一撃は、本来の無駄の無い、一閃とも呼べる芸術的なカヤードの斬撃とは比較にならない程、凡庸な攻撃だった。
「くそっ!!ふざけるな!!!」
凡庸なる一撃は、甲高い金属音を鳴り響かせただけで終わった。龍の硬い鰓に弾き反されたのだ。
カヤードは苛立ちを覚えつつ第二撃をすかさず繰り出そうと、上空で『突き』の姿勢へと切りえる。
「死ねーっ!!!!」
カルマニクスが不完全燃焼を起こし、闘気自体が不安定に歪んでいるカヤードの刺突では、龍に致命傷を負わせる事は到底出来ない。
またも、甲高い金属音のみが上空に響き渡る。
「何故だ!? 何故決まらない!?」
カヤードは全身に大量の汗を滲ませていた。
夏の猛暑だけが理由ではない。
『苛立ち』は次第に『焦り』へと変わって行く。
「カヤード、少し落ち着け! お前らしくないぞ!」
地上からカヤードの動きを見ていたヴィヴァルディが沈静化の声を投げ掛けた。
「……一気に決めてやる!」
ヴィヴァルディの忠告も耳に入らず、カヤードは全身に溢れ出さんばかりのカルマニクスを燃焼させようと試みる。
「カヤード!! 無茶だ、止めろ!!」
ヴィヴァルディは制止しようと今度はハタバキを召喚し、カヤードの下へと飛翔する。
「白鳳破!!」
不完全に混ざり合った闘気とカルマニクスが巨大な鳳を形成し、メタトロンの刀身から勢い良く放たれる。
本来の『淡い桜色』の鳳とは違う、『黒く濁った』鳳がゴルゴダの龍へと突貫して行く。
強烈な怒号と破砕音が周囲に共鳴を起こし、龍の周りに大量の黒煙を生み出す。
共鳴音が鳴り止み、次第に煙が晴れて行くと、龍の頭部が至近距離から放たれた鳳によって完全に吹き飛ばされていた。
「不死系ヒドゥン相手じゃ『焼け石に水』だ! カルマニクスの無駄使いは控えろ! カヤード!!」
その直後、ヴィヴァルディがカヤードと龍の間に割って入って来る。
「はっ……はっ……はっ……ヴィヴァルディさん、邪魔しないでくれ。不死系相手でも『俺』なら殺れる!!」
息を切らせたカヤードの目は血走っており、瞳の奥はドス黒い『狂気』に満ち溢れていた。
「落ち着けと言ってる!……焔っ! 救助隊はいつ到着するんだ?」
ヴィヴァルディはガブリエルをかざし、カヤードを牽制すると空かさず焔に確認を取る。
「……次の結界解除時間までは八時間後ですが、先遣隊の帰還組が結界解除を早めていますので、最短で三十分かと……」
通信端末でやり取りをしていた焔が上空のヴィヴァルディに向かって言い放つ。
ヴィヴァルディが退却させた先遣隊の生存者達はメゾサンクチュアリに帰還すべく、クリミナル・ダイブの解除作業に入っていた。
強固な結界を解くにはそれなりの時間と労力を要する。
ネオが瀕死に陥った為、焔は代わりの『封印使い』の要請を本部に申請していた。不死のヒドゥンは『封印』以外に対処する術が無い為、この場にいる全員を生存させ事態を収拾するには新たな封印使いを呼ぶしか無い。
「どいてくれ!」
カヤードはヴィヴァルディを突き飛ばすと、地上に落下していたゴルゴダの龍に追い討ちを掛ける為、急降下。
「六突三推!」
一刀流の秘技である、無数の突き技。
【六突山水】
利き手と武器のみを六つに幻影化し、超高速の突きを延々に繰り出す、最上位の突き技の一つである。
カヤードは落下の推進力を利用した突きのラッシュを首無し龍に一気に叩き込む。
「死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ねーっ!」
カヤードの狂乱は一分程続き、龍は肉も骨も粉微塵に粉砕されていた……。
「やっ、やった!」
カヤードはそれを確認すると満面の笑みを浮かべる。




