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雛菊


「……なるほど。いじけて家出して来たって訳か、この『不良娘』が」


 湖を一望出来るオープンテラスのカフェで煙草に火を灯しながら、サンジェルマンは冗談混じりに言った。


 半袖の赤いアロハシャツとカーキ色のハーフパンツが涼しげな印象を与えるサンジェルマン。先程は水着姿で投げ飛ばされていたので、この装いが濡れずに済んだのは不幸中の幸いだった。


「……別に不良娘じゃありません……」


 頬を膨らませたルウは、先程注文したミートソースのスパゲッティにフォークを絡めると、勢い良く口の中に運んで行く。


 カヤードの一件で昼食を食べ損ねたルウは思いの他空腹だったらしい。


「……まぁ、どんな時も腹は空く。それ食って少し落ち着いたら大人しく帰るんだぞ?」


 サンジェルマンには自分が何故胴着姿でこんな所にいるのか、その理由を包み隠さず話した。


 誰かに自分の気持ちを、やり切れない思いを聞いて欲しかったのだろうな、とルウはスパゲッティを咀嚼しながら冷静に自分の行動を分析していた。


 義父の飲み仲間であるサンジェルマンとは週に何度も顔を合わしていたし、赤の他人でもなければ、家族や幻影館の関係者でも無い。例えるならば『近所のおじさん』、そんな感じだ。


 それ故に誰よりも話易かったのだろう、と一通りの結論へと導くルウであった。


「……はい……」


 ルウはサンジェルマンに話を聞いて貰ったせいか、胸の中のイライラは鎮まり、スパゲッティによって空腹も満たされていた。


「ホレ! いいモンやるよ」


 本来の明るさを取り戻したルウに、サンジェルマンはハーフパンツのポケットから『紅い紐で編み込まれたブレスレット』を徐に取り出して見せる。


「?」


 皿に盛られたミートソースを口に運ぶのを一瞬止め、ブレスレットに目を向けるルウ。


「コイツは『願いの輪」って言う代物でな、最近俺が造った『恋のおまじない』だ♪」


 そう告げると口の端を釣り上げ、サンジェルマンはニタニタと笑い始めた。


「恋のおまじない!?」


 ルウは思わず目を見開き、声を上擦らせた。よく見ると頬もほんのりと紅くなっている。


「あぁ、恋愛の忠神・アフロディッテの御加護が受けられる特別な『御守り』だ。洒落と好奇心で作ってみたんだがな……まぁ騙されたと思って持ってきな」


 サンジェルマンから手渡されたブレスレットを『まじまじ』と見つめるルウは、益々顔を紅くさせる。


「そいつに念を込めて、自分の想い人に贈ると両想いになれる。『乙女の純情』ってヤツをタンマリ込めてカヤードに渡してみろ!」


「…………(これがあれば、カヤードは私だけを見てくれる!そしたら、カヤードと一緒にあそこに行って、あれをやって、これをして……)」


 ルウは頭の中の妄想が限界に達したのか、身体全体を真っ赤に沸騰させると、終いには鼻の穴や耳の穴から蒸気機関並の湯気を噴出させる。


「おい、おい!! 大丈夫かぁ!?」


 ルウの豹変ぶりに驚愕するサンジェルマンは、妄想に耽っている彼女の肩を何度も揺らし、『何処か』に行ってしまった『恋する乙女』の意識を呼び戻そうと試みた……。





「カヤード!! これ持って行ってよ!!」


「うん? あ、ありがとう……」


 カヤードは幻影館の母屋で突然ルウに呼び止められると、有無を言わさず赤いリボンが結ばれた白い小箱を彼女から手渡された。


 長期間に及ぶ特命任務を無事完遂した褒美として、カヤードはラルフから年に数日しか貰えない貴重な休日を幻影館で満喫していた。


 本来、皇守十剣に休みは無い。教皇やラルフからの特命で一年の半分は世界各地を飛び回り、残りの半分も教会本部内で教皇の護衛やクルセイダーたちの指導を行っている。


 そんな忙殺された環境下で与えられた貴重な休日を利用し、大抵の十剣は故郷に帰り鋭気を養う。


 カヤードは故郷のあるプロイツェン帝国(旧ドイツ)には帰らず、幻影館で後進の指導を行っていたのだ。


 そんな短い休息も昨日で終わりを告げていた。


 休日終了と同時に舞い込んで来た『特命』。


 三年前に技術開発庁のネオと共に封じた『龍型ヒドゥン』が再び目覚め、カムイクックの森で暴れ狂っている、と言うのだ。


 既に数十名のクルセイダーと蓬術士たちを引き連れた十剣の一人が鎮圧に向かっているが、封印はおろか逆に多数の重傷者を出していた。


 そんな緊急の事態に対して封魔庁はカヤードとネオに事態の鎮圧を命じたのだ。

幻影館で身仕度を整えたカヤードが任務に向かう為、昔から使っていた自分の部屋を後にしたその直後、不意にルウに呼び止められ、先程のやり取り。


「開けてもいいか?」


「うん……」


 床を眺めながら視線を合わせないルウから手渡された、白い小箱のリボンと包みを手早く剥がし、中を開けるカヤード。


 帰還した時は任務先が夏の無い北欧の僻地だった為、季節外れのナイトコート姿だったが、クルセイダーの夏服である黒い袖無しのシャツに、背中に女神が右を向いた赤色の刺繍と、裾淵に黒のラインが入った、やや丈の長い白のベストを羽織っていた。


 正直、一秒でも早く外で待つネオと合流したかったが、ルウの様子がいつもと違った為、内心訝しながらその場で箱を開けてみる。


「これは……ブレスレットか?」


 箱の中に鎮座していた紅いブレスレットを優しく取り出すカヤード。


 予想外のプレゼントにカヤードは正直驚いていた。


 ルウは外見の愛らしさとは裏腹に、男勝りな性格で『こういった物』を人に贈る様な事はしない。半年ぶりに再会しても、彼女の根幹は変わっていないと思ったのだが……。


 彼女にも『女性らしさ』が芽生え始めたのだな、とルウの成長を喜ぶカヤードであった。


「これ、カヤードの『武運』を祈りながら私が編んだんだ……いつもそれ付けていてね!!」


 ルウは満面の笑みを浮かべて、嘘をついた。


 少しだけでも自分の評価を上げたいルウの細やかな見栄。


 ほんの少し胸の辺りが痛かったが、「そう言えばカヤードは素直にブレスレットを身に付けてくれるだろう」、とサンジェルマンのアドバイスに従って言ってみたのだ。


「おう、凄いな!ルウがこんなに器用だとは知らなかった。ありがたく付けさせてもらうよ」


 一片の疑いも無くカヤードは優しくルウに微笑み返す。


「さて……外でネオが待っているからそろそろ行って来る。ルウも稽古頑張るんだぞ!」


 カヤードは紅いブレスレットを右腕に捲くと、ルウの頬を優しく二、三度叩き、笑顔のまま玄関へと消えて行った。


「遅かったですね?」


「すまない。少し準備に手こずってしまってな……急ごう」


 幻影館の門前で待っていた白衣姿のネオは、眼鏡の中央部を人差し指で軽く上に押し上げると、遅れて来た同行者に爽やかに微笑んだ。


「どうせルウとアヤメさんに絡まれていたんでしょう?」


 微笑を浮かべながら、おどけた仕草を見せるネオ。


「まぁ……そんな何処だ」


 少し照れた様子で答えるカヤード。実はルウに母屋でブレスレットを渡された後に、玄関前でアヤメから非常用の『おにぎり』を渡されていたのだ。


 熱い抱擁付きで……。


「まったく、そんな事やっている場合じゃないですよ!マスター!?」


 アヤメとの抱擁の感触を思い出して顔を赤くするカヤードの頭上から、若い女の声が聞こえて来る。


「雛菊!?」


 カヤードは声のした方へと振り返ると、幻影館の門上で両手で頬杖を付きながら此方を眺めている小柄な少女に目を停めた。


 白地に桜の模様が映えるミニスカートの様に丈の短い着物姿で、黒髪を『お団子』に纏めた色白、紫瞳の少女、雛菊。


 彼女はカヤード専属のホムンクルスだ。


 感情表現に乏しいホムンクルスの中では例外的な存在で、喜怒哀楽に富み、より人間らしい精神回路『ヒトモドキ』を搭載した最新式のホムンクルスである。


 最強のクルセイダーに相応しいバックアッパーとして、サンジェルマンが開発した『最強のホムンクルス』、それが雛菊だ。


「時間が無いんですから、少しは急いでくださいよぉ! 先遣隊の『結界解除時刻』に合わせないとカムイクックの森に入れなくなるのは解っているんでしょう? 鼻の下伸ばしてる暇があったらダッシュっすよ! ダッシュ!!」


 門上から宙返りをして二人の前に綺麗に着地した雛菊は、カヤードの尻を平手で軽く叩くと一目散に街の門所へと駆けて行ってしまう。


「こ、コラ!ちょっと待て!!」


「ふーっ♪これは骨が折れそうですね!」


 カヤードとネオも雛菊を追い掛ける様に街中を全速力で駆けて行った。


 カヤード、ネオ、雛菊の三名は、強固な城壁と結界で、外界からの侵入を拒むメゾサンクチュアリの街を疾風の様に駆けていた。


 体力的に二人に劣るネオも俊足の忠神・イダテインの蓬術を使い、超人的なスピードを手にしている。


 街の中央に聳える教会本部、通称『ラピスの搭』。その搭を囲む様に学府等の教会関係の建築物がずらりと並び、それらの外縁には東西南北、それぞれ違った街並みが形成されていた。


 幻影館のある東部は東アジアを色濃くした街並みで、東夷(旧日本)や支那諸国連合(旧中華人民共和国)の建築物や人種が多く住む。


 その東部街から教会施設の外縁をなぞる様に走る『亜細亜通り』を抜けると、南部街へと繋がる『サウス・ストリート』、西部街へと繋がる『パッショーネ通り』とぶつかる。


 南部街はアフリカ系黒人文化が反映されているエリアで、高い身体能力を持つクルセイダーを多く排出している。


 そして西部街はパクス・ローマ(旧イタリア)文化を象徴したファッションと美食の街。情熱的な人種が多い。


 この様にメゾサンクチュアリの街は、数多くの人種と文化の下に成り立っている『世界の縮図』と呼べる総合都市である。


 街を闊歩する人波を、時には糸を縫うように避け、時には建物の壁を垂直に走ってかわすカヤードたちは、東部街からものの数分で正反対に位置する西部街までやって来ていた。


 カムイクックの森は西部街にある門所から直線距離で10キロメートル弱。ハタバキを使って飛ばせばまだ『結界解除時間』に間に合いそうだ。


 結界解除時間とは、既にカムイクックに向かっている先遣隊が展開している、森全体を覆い尽くす程巨大な『クリミナル・ダイブ』を一時的に解除する時間の事を指している。


 クリミナル・ダイブは強力無比な完全な障壁を空間に展開する結界術で、アーク・オブ・ノアやエクスカリバーの様な封印術とは違い、短時間(精々、半日程度)の継続時間しか持たない。


 しかしその分、一般の蓬術士でも使える比較的習得しやすい術で、複数の術士がいれば結界の範囲を大幅に広げる事も可能だ。


 今カムイクックで展開されているクリミナル・ダイブも、十名以上の術士が協力して形成している。


 しかし、いくら大勢で展開していると言っても、半日置きには一旦、結界は自動的に解除されてしまう。


 その為、解除後に再びクリミナル・ダイブを展開するまで詠唱による数十秒程の『タイムラグ』が発生するのだ。


 流石にカヤードたちも結界が展開中のカムイクックには入れない。


 故に、このタイムラグを上手く利用し、彼らは先遣隊と合流しようとしていたのだった。


 疾風と化したカヤードたちは西部街の門所で一旦立ち止まる。


 門所とは、東西南北に点在するメゾサンクチュアリと外界を繋ぐ出入口で、普段は往来も自由に解放されているのだが、緊急時の際は重い鉄の扉で閉ざされる重要な施設の一つだ。


「本部から話は聞いております! 御武運を!!」


 超スピードで襲来して来た三人に対し、門所にいた若い黒人のクルセイダーは敬礼を持って彼等を見送った。


 カヤードが親指を立てて僅かに微笑んでいた姿を、若いクルセイダーはその目に深く焼き付けた。


 カヤードたちが門所を通り過ぎると同時に、分厚い鉄の扉はゆっくりと閉じられ、重い錠の音が西部街に響き渡る……。


 時刻は午後二時半。


 暑さはピークに達していた。


 カヤードとネオは僅かに額に汗を掻いていたが、それを気にも止めず、印を結び詠唱を始めた。


 白い輝きと共に、背中に光の翼を生やしたカヤードとネオは、西南西の方角目掛けて翼を羽ばたかせる。


「よっし!ワタシも飛ぶぞぉーっ!! ……ウイング・オプション展開!!」


 それに遅れる事数秒、雛菊は背中に巻かれていた『蝶々結びの赤い帯』からビーム状の黄色い翼を展開させる。


「いざ、カムイクックへ!!」


 雛菊は掛け声と共に大空へと羽ばたいて行った……。


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