ルウ
――戦いは終わった。
龍型ヒドゥンはエクスカリバーによって剣の中に封じられ、そのエクスカリバーは女神像の手前の地面に深く突き刺さっている。
これもカヤードの神憑り的な活躍と、ネオの錬業術のもたらした結果だ。
二人は暫く祠内で傷の治療と休息を取り、体力とカルマニクスを回復させると、二重、三重にも祠に結界を重ねる。
「……これなら大丈夫でしょう」
「あぁ、後は定期的に蓬術士達にメンテナンスさせればいい……流石に腹が減った、日が沈む前に戻ろう」
祠から出て来たカヤードは、包帯でぐるぐる巻きにした上半身を、沈み始める夕陽に晒す。
「そうですね、皆心配しているでしょうし」
ネオも眩しい夕陽の光を、右手で遮りながら祠から出て来て言う。
二人は顔を見合せ、互いに笑顔を浮かべる。
苦境を乗り越えた戦友同士が見せる『勝利を分かち合った』笑顔だ。
カヤードは帰還の為、印を結びハタバキを召喚しようとした、その時。
彼の視界に一人の少女が映る。
「?」
印を結ぶ手を止め、祠の入り口で倒れていた少女に駆け寄るカヤード。
「どうしました、カヤード?」
ネオも少女を発見し、訝しながらも駆け寄った。
「……気絶しているな、ヒドゥンに襲われたのか?」
カヤードは地面に横たわっていた金髪の少女を抱き抱える。
少女は金髪を肩まで伸ばし、赤い長袖シャツとデニムを纏っていた。髪も衣服も所々、土や砂が付着していて、何か争った様な印象を受ける。
「兎に角、一旦教会本部へ連れて行きましょう。命に別状は無いようですが、置いて行く訳にもいきませんからね……」
「あぁ……」
カヤードはネオに頷き返すと、土埃の付いた少女の頬を優しく一撫でし、素早く印を結んで光の翼を召喚した……。
強い日射しに晒された夏の幻影館。
敷地内の桜の幹には、二匹の蝉がまるで拡声器を通した様な巨大な羽音を鳴らす。
やや大振りな檜の桶が、道場の外に設けられた石造りの水道台に置かれ、その桶の中には汗を掻いた大玉の西瓜が冷水に半分程浸されていた。
時刻は正午を回り、幻影館の門下生たちは一旦、修練を止め、各々持参した弁当を道場の内外で広げ始める。
幻影館は今も百人近い門下生を抱える大道場だ。クルセイダーを目指す若人や槍の洗礼を受け、晴れてクルセイダーになった者達も足繁く通っている。
「しかし、ウイングさんは凄いよな。十歳やそこらで免許皆伝、師範代だもの……」
道場内、二十歳過ぎの茶髪の門下生が、持参した昼食のサンドイッチを頬張りながら仲間達にそう呟いた。
「マスター・ワインズマンも、同じ位の歳で師範代になったらしいからな……やっぱり才能ってヤツだよ……」
今度は黒髪を坊主頭に刈り上げた門下生が、水筒を口に添えながら溜め息混じりに答える。
「コラァ!!何言ってるの!!ウイングもカヤードも『人の何十倍、何百倍』も練習したから強くなったのよ!!愚痴る暇があったらアンタ達も素振りの一つでもしなさいよ!!」
突然、金髪の少女が顔を真っ赤にし、板張りの床を鳴らしながら、門下生たちの会話に割り込んで来た。
「ル、ルウさん!?」
「ひぇーっ!勘弁して下さいよ!!」
少女の顔を見るなり、門下生たちは一目散にその場を後にする。
「全く、だらしない!!」
金髪の少女、ルウ・クーロンは白い胴着の袖を捲り上げ、腕組みをしながら『情けない門下生たち』に睨みを訊かせていた。
ルウは艶のある金髪を首の辺りまで切り揃えた、円らで大きい灰色の瞳が印象的な美少女だ。
小柄で華奢な体格に似合わず気性が激しい彼女は、三年前、記憶喪失の状態でカムイクックの森でカヤードに拾われて以来、そのままクーロン家に引き取られ、幻影館の門下生となっていた。そして先日、歳は一つ下だが、兄弟子であるツバサのクーロン家への養子縁組に併せて、彼女もクロノスの養女となる。
ちなみに、ツバサは縁組と同時にウイングと名前を改名し、一刀流の師範代としてカヤードの後釜を引き受けている。
「……ルウ、何偉そうに腕組みなんかしているんだ?」
不意にルウの背後から聞き慣れた男の声が聞こえて来る。
「!?」
大きな双眸を更に大きくさせ、満面の笑みを浮かべると、振り向き様、声の主にいきなり抱きつくルウ。
「こら、いきなり抱き付くんじゃない……」
ルウが抱き付いた相手、黒髪、黒瞳の青年、カヤード・ワインズマンは少し困った顔を彼女に見せる。
真夏だと言うのに、白いナイトスーツを纏うカヤードはウイングの免許皆伝を機に、教会から熱望されていた皇守十剣の座に就任していた。
十剣の一人となったカヤードは幻影館をウイングに託し、本部内にある十剣用の私室に住まいを移している。しかし、十剣の性質上、封魔庁からの特命を遂行する為、一年の大半はメゾサンクチュアリを留守にしており、ルウがカヤードと再開を果たしたのも実に半年ぶりの事だった。
「だって久しぶりじゃないかぁ!!カヤードっ!」
円らな瞳を潤ませ、『駄々っ子』の様に首を激しく左右に振りながらルウは嗚咽を漏らす。
「……よしよし」
カヤードは『仕方無いな』と言った表情を見せると、口元を弛め、ルウの頭を優しく数回撫でる。
ルウにとってカヤード・ワインズマンという男は彼女の理想を完全に具現化した存在だった。
三年前に記憶を失い、カムイクックで倒れていた自分。その自分を保護し、幻影館という『居場所』とクロノスやウイングと言う、『掛け替えのない家族』を与えてくれた大恩人。
彼に師事した事で、門下生たちが束になってかかって来ても負けない『強さ』も授けくれた。そして『彼』自身の圧倒的な強さへの憧れ。『居場所』と『家族』と『優しさ』と『強さ』を与えてくれた、彼女にとって神にも勝る存在。『憧れ』、『兄』、『師』、そして『恋』……ルウがカヤードに抱く思いは数え切れない程の言葉で表せる。
そんなルウの思いを知ってか知らずか、カヤードは泣きじゃくるルウを優しい瞳で見守る。
「カヤードさん!」
「マスター・ワインズマン!お帰りなさい!」
周囲で昼食を取っていた門下生たちが、ルウを抱えるカヤードに気が付き、彼を中心に大きな輪を作り始める。
「おう、皆元気そうだな」
弟弟子たちに笑顔を見せ、馴染み深い面子と握手を交わすカヤード。
「ほら、ルウ。いい加減離れないか。カヤードはお前だけの『王子様』じゃないんだぞ」
そう、門下生の一人が言うとルウは険しい顔を浮かべ、名残惜しそうにカヤードの胸元から離れた。
カヤードに『許嫁』がいるのは幻影館にやって来た時から知っていた。
自分よりも美しい、大人の女性。『がさつ』な自分とは正反対な『気立て』の良い
『おしとやか』な大和撫子。
アヤメ・クーロン。
義姉である。
血の繋がらない自分やウイングにも、本物の家族の様に接してくれる懐の深さ。完璧な女性。
彼女にもルウは『憧れ』を抱いていた。
カヤードへの『崇拝』に近い憧れとは異なる『こうなりたい!!』と願う『目標』。
とても、とても大好きな義姉。
それと同時に、自らの恋敵でもある『一人のライバル』……。
「はぁ、はぁ、カ、カヤードさん……」
門下生からカヤードが任務を終え、無事メゾサンクチュアリに帰還して来た、と聞いたアヤメは母屋の台所から息を切らせながら道場まで駆けて来た。
「アヤメさん……」
アヤメの声に反応し、彼女のいる道場の入り口まで駆けて行くカヤード。
「あっ……」
それを一番間近で見ていたルウは、とても悔しく、寂しい表情を浮かべる。
先程まで自分に見せてくれた顔とは全く違う『頬を紅くした』カヤードの顔。
見たくはなかった……。
義姉のアヤメと互いに見つめ合う想い人の顔など……。
ルウは床に顔を落とし、カヤードとアヤメの様子を『冷やかしながら』傍観していた門下生たちの群れの中を、酷く肩を落としながら通り抜けて行った。
カヤードが幻影館の門を叩いて十数年。
それからの長い長い時間が、アヤメとの仲を日に日に深めていったのだろう、とルウはいつも思っていた。
アヤメと過ごした月日と比べれば、自分はまだその半分も彼と共に過ごしていないのだ。
仕方が無いと思っていた。
義姉と比べようがない程、自分はまだまだ子供だと自負もしている。
だから、この半年間、精一杯自分を磨いた。
少しは女らしくなろうと、同じ女性の門下生から料理や洗濯を習い、剣の腕もウイングの次に名前を列ねる腕前となっていた。
義姉には直ぐには近付け無い、だったら足りない分は義姉には出来ない剣でカヤードの気を惹いてやろう!
その一念でルウは努力を続けていた。
そう、先程のカヤードの顔を見るまでは……。
――ルウは気が付くと教会本部を中心に展開する、メゾサンクチュアリの街から数キロメートル離れたヴァンの湖畔にいた。
ヴァンの湖畔は初代教皇の名を冠した勝景地で、夏には遊泳が解放される『泳げる』湖だ。
ルウは胴着と袴姿のまま、水着姿の男女が湖で戯れている光景を、ただ『ぼんやり』と眺めていた。
(私はこんなに沈んでいるのに、みんなはとても楽しそう……)
多くの観光客がごった返したヴァン湖は、傷心の乙女には少々居心地が宜しくなかった。
「あーあ……」
三角座りで地面に腰を降ろしていたルウはそんなボヤキを呟いた。
すると突然、彼女の肩を軽く叩いて来た者がいた。
「ちょっ!何よ!!今日は私機嫌悪いんだから!!ナンパならお断りよ!!!」
振り返りもせず、条件反射で肩を叩いて来た者の腕を掴み上げると、そのまま『一本背負い』で湖の浅瀬まで『顔も名前も確認していない何処かの誰か』をブン投げるルウ。
「のわぁっ!!」
と言う、間抜けにも聞こえしまう情けない叫び声の後、激しく水面に打ち付けられた『ドボン!!』と言う音に、湖にいた全ての観光客がそちらに振り返り視線を固まらせていた……。
「スミマセンでした!!お許し下さい!!」
ルウは土下座をしていた。
誰に?
「ビックリしたぞぉー!ってか、俺じゃなきゃ確実に死んじまってたぞぉ!!有り得ないだろー!?浅瀬に投げ飛ばすか、普通!?」
土下座のルウを全身ずぶ濡れのまま仁王立ちして睨み付けている男、フィスタニア・サンジェルマンが唾を飛ばしながら言い放つ。
たまたま、彼も一泳ぎをしようと湖にやって来ていたのだ。
カヤードと入れ替わりで十剣を引退した後、代々続く錬金術の研究を引き継ぐ為、技術開発庁へと異動となっていたサンジェルマンは、一週間研究室に籠りっぱなしだった為、運動不足の解消とストレス発散を兼ね泳ぎに来て見たら、偶々見知った顔を見付けたので声を掛けてみた、そしたら……一本背負いで浅瀬に投げ飛ばされたのだ……。
それは怒るのも無理は無い。




