枢機卿
――ウイング・クーロンがダノンオーラへ向かう数日前。
ラピスリア教会枢機卿の一人、ラルフ・ミッターマイヤーは教会本部の執務室で重々しい表情を浮かべていた。
ラルフは四十代後半のダンディズムを具現化した紳士で、黒いシルクハットおダブルのスーツを身に纏い、整えられた口髭は左右にピンと張られ、耳に向かって穏やかなカーブを描いている。
執務室は広く、黒塗りの高級な執務用の机が部屋の一番奥に置かれ、その手前にはこれまた上質な革のソファーが二組、ガラスのテーブルを挟んで置かれている。
『ヒドゥン発生報告書』と書かれた分厚い紙の束を一枚、一枚捲る度に口髭の紳士は深い溜め息をつく。
彼は世界最大の宗教団体である『ラピスリア教会』の最高幹部、枢機卿の一人である。枢機卿は教会最高権力者である『教皇』の後継者候補を兼ねた補佐官で、各分野のスペシャリストが教皇より指名される。
ラルフは封魔庁と呼ばれるヒドゥン討伐を主任務とする、教会の戦闘部門を統括していた。
「……クロエ、カール・アインハルトを呼んで貰えるかな?」
ラルフは自慢のシルクハットを目深に被ると、柔らかい温和な口調で秘書のクロエ・ポワゾンに語りかける。
「承知致しました」
左の頬に向かって流した黒く長い前髪と、ワインレッドのタイトなスーツ姿の妙齢の女性が瞼を閉じたまま頭を垂れる。背丈はヒールの分を差し引いても長身で、金縁の高そうな眼鏡もスーツ相まって知的で少しばかり危険な雰囲気を醸し出していた。
そのクロエが執務室のドアの外へと消えて行く。
――数分後、ノックと共に、
「カール・アインハルト様をお連れ致しました」
と言うクロエの放つ『f分の一の揺らぎ』の声がラルフの鼓膜を心地良く刺激して来た。
「うむ、入ってくれ」
程なくして執務室のドアが開き、クロエと彼女よりも更に長身の金髪の男が入って来る。
「失礼致します」
金髪の秀麗な容姿を持つ美男子、カール・アインハルトは太陽の様な眩しい笑みでラルフに言った。
「カール、イスタンブールでの討伐ご苦労だったな。身体の方は問題無いか?」
ラルフは自慢のシルクハットの鍔を人差し指で持ち上げると、ユーモア溢れる笑みを浮かべ、カールと握手を交わす。




