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第三話 密林に潜む牙

 ――密林の奥。

 頭上には絡み合った巨大な樹々が、まるで天蓋のように陽光を遮っていた。湿った空気が肌にまとわりつき、踏みしめるたびに腐葉土の匂いが立ち上る。

 風もない。代わりに、木々の根が脈動しているような音が、地の底から響いていた。


 そんな異様な空間を進みながら、ライリーは額の汗をぬぐい、地図と周囲を交互に見比べる。


「やっぱりこの密林は複雑だ。父さんの資料でも『地形が生きている』とある」


 紙の地図の線は、まるで自らの意思で形を変えたかのように、実際の風景とは一致していなかった。


「本当に、まるで生きているみたい……。でも、空気は澄んでるわね。地獄なんて名前には相応しくないほど」


 ハンナが胸に手を当て、慎重に息を吸い込む。涼やかな声の裏には、警戒心が滲んでいた。


「父さんの資料ということは……父親は地獄に行って帰ってきたのか?」


 テオの声は低く、探るような響きを帯びていた。


「そうだよ。父さんと母さんは凄いんだ」

「自慢のご両親なのね」

「うん。2人の父さんと母さんは? どんな人なの?」


 問いかけられたテオは、少しだけ目を伏せた。


「さあ? 俺は忘れたな」


 その声には、無関心を装ったような乾いた響きがあった。

 ハンナは空気の重さを和らげようと、慌てて話題を引き取る。


「私の両親も立派よ! ノブレスオブリージュを体現したような人たちでね、強さと優しさを兼ね備えてるの」

「魔族なのに珍しいね……あっ、他意はないよ! ハンナ姉さんを見てると納得するというか」

「フフ、わかってる。ライリーも見たことくらいはあると思うわよ? だって……」


 ハンナの言葉が途切れたのは、テオの鋭い声が空気を切り裂いたからだ。


「そこまでにしとけ。人の気配だ」


 足を止めたテオの目は、既に周囲の闇を見据えていた。

 焦げた匂いが鼻を刺す。近くに、野営地の跡がある。

 焚き火跡から立ちのぼる煙はもう消えているのに、まだ温もりが残っていた。


「ライリー、この先は迂回だ」

「え? でもここは最短ルートだと思うけど……」

「この野営地跡、まだ火の匂いが残っている。そして、焚き火の周りにある石の配置がおかしい。これは戦闘用の罠だ」


「え、そうかな……?」

「この前の人たちみたいに人間を襲ってくるって言いたいの? そんなバカな人ばかりじゃないんじゃない?」

「ところが人間――人族は特にバカばっかりなんだよな」


 その瞬間、テオは反射的にライリーを押し倒した。

 直後、乾いた銃声が三度。弾丸が風を裂き、二人の頭上を掠めた。


「クソッ、勘のいいガキだ!」


 怒声が木々の向こうから響く。


「嘘……!? 本当に?」


 ハンナは反射的に右腕を構え、指先に光を集めた。

 茂みの陰から三人の男が現れる。目は血走り、銃と刃物を構えていた。


「大方、利用できる野営だとノコノコやってきたアホを殺して物資を奪うつもりだったんだろ。何度も同じ手を使ってる」

「あなたたち……! そんなことしてなんになるの!?」

「ハッ! お前らみたいに一攫千金狙う方がアホだろ! こうやって人間を警戒せずにやってくるマヌケからブツを奪う方が賢く暮らせるのよ」

「最低……」

「生きるためだぜ、悪く思うなよ!」


 茂みの向こうで火花が散った。

 テオが冷静に銃口を向け、発砲したのだ。


「なっ!? あっちには……伏兵が!」

「てめえ……そこまで見抜いて……!?」

「お前らみたいなのの手口なんかお見通しだ」

「クソッ! ずらかるぞ! こんなの相手できるか!」


 慌てふためいた開拓者たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。


 しばらくの静寂のあと、ライリーが小さく息を吐いた。

「凄いね、テオ兄さんは……ぼくは全然気が付かなかったよ」

「それに、ありがとう。助けてくれなかったら死んでたところだったよ」

「気にするな、ああいう連中の手口は見え透いてるってだけだ」


 冷たくも確信に満ちた声だった。


「さあ、これで先に進めるな。行くぞ」


 そして彼らは、密林の奥へと足を進めた。


 ――だが、すぐに森が途切れる。

 突如として現れた断崖絶壁。青白い霧が底を覆い、風の音が地鳴りのように響いていた。


「な、なんだこれ……こんな地形……不可解だ!」

「地図ではどうだったの?」

「普通に森が続いてるはずだった……こんな……ぼくらの常識が通用しない……これが地獄……」

「だが青い谷はこの先で間違いないんだろう?」

「そのはず……だけど……」


 ライリーの声がか細くなる。


「しっかりしろ、お前が頼りだ」

「それに、これくらいの障害、障害にもならないわよ」


 ハンナは腰の装置から銀色の楔を取り出し、対岸の巨樹に打ち込んだ。金属音が響く。


「2人とも掴まって」


 次の瞬間、空気が裂ける音とともに、彼女の身体は風に乗って対岸へと飛翔した。


「なるほど、こんな使い方もあるのか」

「凄い……ちょっとヒュンとしたけど。これがハンナ姉さんの魔法?」

「ええ、ライリー、自信を持って。私たちがカバーするわ」

「ありがとう……ハンナ姉さん」


 ライリーは唇を引き結び、再び地図を握りしめる。

「向こうだ、行こう」


 だが、次の瞬間――密林が唸った。


 巨木の陰から、巨大な虎のような魔物が飛び出した。全身を覆う黒い毛皮の下で、筋肉が波打つ。金色の瞳が三人を捕らえた。


 轟音とともに、ハンナの身体が吹き飛ばされる。地面を転がり、血の跡を残した。


「ハンナ! あれは……地獄の頂点捕食者、バル・ガロだ!」

「ば、バル・ガロ?」

「噂だけは聞いてた……こいつは厄介なのに目をつけられたな」

「ハンナ姉さん!」


 ライリーの叫びに応えるように、ハンナがよろめきながら立ち上がる。


「大丈夫……ちょっとスリむいただけ……でもこいつが……頂点捕食者?」


 次の瞬間、空気が凍りつく。

 ハンナとバル・ガロが、互いに相手の呼吸を読むように静止した。


 ハンナが腕を掲げ、楔を射出。だが、バル・ガロは巨木を盾にしてそれを弾き返した。


「まずい、子分も出てきた……! ジワジワ追い詰められてるぞ」


 茂みの奥から現れた影が五つ。バル・ガロの子分たちが、低く唸りながら包囲網を狭める。


「こうなったら……私がなんとか気をそらすから、2人はその隙に逃げて!」

「何言ってるんだ! そんなことできるわけないだろ!」

「ああ、ここで別れるのは危険だろう」

「でも……どうすれば」

「各個撃破する。ボスは任せていいか? 他のは俺がやる」

「勝てる……?」


 ハンナの瞳が揺れる。

 だが、テオの声には迷いがなかった。


「やるしかない。一生追いかけられるよりはマシだ。なんとかするぞ」


 二人は一瞬だけ視線を交わし、別方向に走り出す。


「来いッ! あんたの相手は私ッ!」


 ハンナの楔が閃き、バル・ガロの鱗に命中――しない。

 逆に、森が動いた。獣が滑るように木々の間を駆け抜け、爪が閃く。


「ジワジワと追い詰められている……でも、これでいい。私も……反撃の準備が整った」


 ハンナは息を吸い込み、迷いなく自分に楔を打ち込む。

 次の瞬間、彼女の姿が霧散した。


 バル・ガロが混乱する間もなく、頭上から閃光。


「どう? 少しは効いた!?」


 金属音と共に閃く鱗。ハンナの一撃が獣の肩を裂く。

 バル・ガロが咆哮を上げ、再び樹木を蹴って突進する。だが、再びハンナは消えた。

 横合いからの一撃。閃光。


 やがて巨体が崩れ落ちる。

 ハンナの胸が大きく上下する。


「ふう……なんとかなった?」


 息を整える間もなく、視線を上げる。

「テオたちを追わないと……」


 ――そのころ、テオとライリーは別の方向で小型のバル・ガロに追われていた。


 密林を裂く銃声。硝煙の匂いが立ちこめる。


「しつこいな……! よほど獲物に飢えているんだろうな」

「仕方ない。やりたくなかったが」


 テオはわざとバル・ガロに接近する。


「危ない!」


 ライリーの叫び。

 しかしテオは、獣の爪を紙一重で避け、至近距離から弾丸を撃ち込む。

 次の瞬間、獣が崩れ落ちた。


「す、凄い……どうやってこんなこと」

「俺は人族だが特殊な能力みたいなのが備わっててな。超集中とでも言うべきか……周囲の状況や敵の動きが少しの間手に取るようにわかるんだ。かなり体力を消耗するからやりたくないけどな」

「凄い……ぼくは全然役に立てなかったよ」

「お前は道案内をしてくれればそれでいあ。落ち込むな」

「うん、ありがとう」

「さて、ハンナは無事か? 戻らないと……」


 ――だがその頃。


 森の奥では、ハンナの背後に影が忍び寄っていた。

 再び立ち上がったバル・ガロが、静かに牙を剥く。


「くっ、こいつ、まだ……」


 その声は、森のざわめきにかき消された。

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