第十話 ただ、前へ
「これで終わった……全て……」
銃声の余韻がまだ耳に残っていた。リアムはすでにループの深層へ閉じ込められ、人としての意識すら保っているかも怪しい。床に崩れ落ちる彼の頭からは、弾丸が穿った穴から血が広がっていく。
「哀れなやつだ」
テオは倒れたリアムに背を向けると、遠くへ駆け出していく小さな影――ライリーの姿を視界の端で確認した。しかし興味はもうそこにはなかった。
「ライリーか……ふん、あんなガキ、もはやどうでもいい。たかが人間にはなにもできん」
その言葉には絶対的な自信と、圧倒的な余裕があった。
「これからは俺の時代だ! 俺が世界で、全ては俺に跪く! ははははは!!」
その宣言が、テオを破滅へと導く第一歩であることを、当時の彼は想像すらできなかった。
あれから年月が過ぎた。
テオの世界は甘美だった。
豪奢を極めた宮殿の柱は純金で覆われ、床は魔石を砕いた粉を混ぜた光沢ある青い石で敷き詰められている。
毎夜、豪華な宴が開かれ、酒と料理と美女が彼の気まぐれな視線を奪い合った。
反抗する者がいれば、テオは笑いながら時間を奪った。巻き戻し、永遠に敗北の瞬間だけを味わわせ、忠誠を強制した。
ある日、側近が献上品を山のように抱えながら近づく。
「テオ様、本日の献上品でございます」
「そこに置け。もう好きにしておけ。どうせ全部俺のものだ」
「は、ははっ……」
テオは椅子の背にもたれ、退屈そうにため息をついた。
「何もかも思い通りだ。だが……思ったほど楽しくはないな」
頬杖をつき、視界に並ぶ贅沢の山を眺める。だが胸の奥には、どこか満たされない虚無が張り付いていた。
「俺はいつまで同じことを繰り返してる? 戦いも、政治も、娯楽も……結果が決まっている勝負ほど、味気ないものはない」
酒杯を口に運ぼうとしたとき、手元がかすかに震えた。
「……ん?」
指先がかすかに震える。
時の魔力の反応が、ここ数年で僅かに遅れ始めていた。
「ふん、魔石が枯渇してきたか。まあいい。明日補充すればいいだけだ」
そう言い放つと、テオは酒杯をテーブルに置いた。
「……さて、今日はどの女で遊ぶか」
その瞬間、扉が勢いよく叩かれた。
「し、失礼します! 外に……妙な若者が!」
「若者? 物乞いか?」
「いえ……妙に落ち着いていて、名乗りを上げています。“テオと話がある”と……」
「……ほう。面白い。通せ」
ややあって、扉が静かに開く。
入ってきたのは、茶髪の青年。
精悍な顔つきで、かつての幼さは完全に消えている。
「おまえは……誰だ?」
青年は静かに顔を上げた。
「……覚えていないのか、テオ兄さん」
聞き慣れた声だった。
だが記憶の中よりずっと低く、大人びていた。
「ライリー……? 今さら何のようだ?」
「その質問は野暮だよ。逃げたあと、時間はちゃんと進んだんだ。僕は大人になった。ただ、それだけ」
「なるほど……だが、愚かだな。俺に勝てると思ったのか?」
「勝つ? 勘違いしないでよ。僕たちは既に勝ってるよ」
「……なに? 僕、たち……?」
疑問が口から漏れた瞬間――
城の大窓が破られ、突風とともにひとりの男が部屋に転がり込んだ。
「なっ――!?」
その男が放った銃弾は、容赦なくテオの胸を貫いた。
「あ……が……」
血が噴き、膝が折れる。胸に焼けるような痛みが走り、呼吸ができない。
「やっぱり……ぼくのこと見下して、顔も覚えてなかったんだね」
視界がぼやける中、テオを撃った男の顔がようやく判別できた。
テオに謁見を求めてきた若者――あれは偽物。雇われの影武者。
そして自分の胸に銃を撃ち込んだのが、本物のライリーであると理解する。
「まあなるべく似てる人を選んでみたけど」
「きさ……ま……」
口から血がこぼれ落ちる。
それでもテオは嘲笑を忘れなかった。
「だが……所詮ライリーだな……甘すぎるんだよ……」
痛みに歯を食いしばりながら、テオは指を鳴らそうとした。
「時を戻せばいいだけのこと……今までしてきたようにな!」
襲撃直前に戻ればいい。
何度もそれで勝ってきた。
だが――
魔力の反応は、いつもの“直前”ではなく、もっと遠くへと引きずり戻されていった。
「? なんだ……? なにかが……おかしい」
景色が溶け、暗転する。
「何故、こんなにも巻き戻る? 何日? 何ヶ月? 何年戻るんだ!?」
そして再び視界が定まった時――
そこは、青く輝く魔石が積み上がる、渓谷の底だった。
目の前で、ハンナが拳を振りかぶっていた。
「止めてみせるッ!」
「な、何ィッ!?」
殴り飛ばされ、テオの頭は魔石へと叩きつけられる。激しい衝撃とともに血が噴き、視界が赤く染まった。
ここは“あの瞬間”――テオが本来勝った時点だ。
「ばか、な……なぜ……」
魔石が深く頭に突き刺さっている。呼吸がうまくできない。
そして死んだ瞬間、また時間が巻き戻る。
戻った先は――
「止めてみせるッ!」
先ほどと全く同じ、ハンナの拳が迫る瞬間。
「あがぁ!」
再び殴り飛ばされ、頭を打ちつけ、死ぬ。
次も、その次も、またその次も。
何度死んでも、同じ場所に戻る。
終わりのない地獄だった。
「嘘だ……うそだァッ! 何度も同じ場所にしか戻って来られないッ! どうして――なんでだよォッ!!」
何百回と死んでは繰り返し、ようやくテオは結論に辿り着く。
「――まさか……楔か!?」
ハンナの能力――“繋ぎ止める力”。
自分と“今”を強制的に結びつけたのだ。
「あのクソアマ!! 今度は俺と時代を結びつけた! 俺がここにしか戻れないようにしやがったなあ!!」
激情と恐怖に嗚咽が混じる。
「クソックソックソックソッ! やられた! どうする? どうすればいいッ!?」
しかし何百回と死を繰り返しても方法は見えない。
ただ一つ、結びつきを解くには――ハンナの能力を解除するしかない。
ついに、テオは観念し、能力を解除した。
「はっ!?」
ハンナは目の前のテオの変化に気づいた。
「どうしたの?」とリアムが問うと、彼女は苦く笑った。
「どうやら作戦が上手くいったみたい」
倒れたテオからはもう魔力の気配がしない。ただ殴られて死んだだけのようにしか見えないが、ハンナには分かっていた。
「ん〜? ただ殴られて死んだだけに見えるけど……本当にやり直し魔法の持ち主だったの?」
「ええ、あなたにはわからないと思うけど、これで終わったわ」
リアムは困惑しながらも、ハンナの表情を信じた。
その時、走り寄る足音と歓喜の声。
「ハンナ姉さん!」
「ライリー! よく頑張ったわ!」
二人は抱き合い、震えながら涙を流した。
「終わったんだね……! 本当に……!」
「ええ、作戦通りいった証よ。もうテオは死んだ。諦めたのよ」
「やった……やったよぉ〜」
ライリーは涙をこぼし、その場に崩れ落ちる。
ようやく苦難は終わったのだ。
こうしてライリーは“鉱脈の発見者”と呼ばれるようになり、ハンナは長く引き裂かれていた父と再び出会えた。
開拓時代は幕を閉じ、新たな時代が幕を開ける。
大量の魔石は歴史を変え、文明を押し上げ、人類に新たな繁栄をもたらした。
人は前へ進む。
それは決してやり直しのきかない、不安定で危険な旅だ。
しかしだからこそ、積み重ねた一歩は尊い。
いつの時代でも――
人は、人の力で未来を拓く。
それこそが、人間である限りの証なのだ。
完




