第一話 カルファーニャ開拓行
「くそっ……! 何故俺がこんな目に……!」
暗い森の中を、ひとりの青年が駆けていた。
夜風は湿り気を帯び、彼の頬を斬るように冷たい。木々のざわめきが、まるで嘲笑のように耳を刺す。
酷く憔悴した様子で、独りにも関わらず呪詛が口から漏れていた。
青年の名は――テオ・スペンサー。
かつては巨万の富を夢見て開拓に挑んだ野心家のひとり。
だが今の彼にとって、そんな夢などどうでもよかった。
少なくとも、今は。
「俺は……俺は幸せになりたかっただけなのに……!!」
荒い息の合間に漏れた叫びが、夜の森を切り裂く。
あと一歩だった。ほんの僅かで手が届くはずだった。
だがその夢は踏みにじられ、彼の未来は無惨にも閉ざされた。
胸の奥で、燃え盛るような怒りが煮え滾る。
――あの女め、必ず復讐してやる。
「見ていろ……俺は必ず……!」
「いた! ヤツだッ!」
背後から女の声が響いた。
追いつかれたことを悟ったテオは、がむしゃらに草木をかき分ける。
泥臭く、生き臭く、ただ本能のままに逃げる。
「ここで捕まってたまるか……! 俺は……俺はッ!」
――時は数日前に遡る。
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不毛の大地が広がる土地――カルファーニャ。
目と鼻の先に「地獄」があるこの地は、ほとんど生き物が生息しない、荒れ果てた辺境である。
草も木も枯れ果て、風すらも乾ききっている。
そんな場所に、今は不思議な活気があった。
「こんなに人がいるなんて……まるでお祭りね」
防塵コートのフードを目深にかぶった少女――ハンナが、驚きの声を漏らした。
目の前にはテントや露店が立ち並び、開拓者たちの喧噪が響いている。
そこは“地獄の入口”に最も近い集落、カルファーニャ交易拠点だった。
「当たり前だ。ここは地獄の最先端だからな。一攫千金を狙う開拓者がゾロゾロ集まってくる」
隣を歩くテオが答える。
彼の瞳は、遠くにそびえる黒煙の山脈を睨んでいた。
「ふーん……道理でみんな目がギラギラしてるわけ」
「そしてそんな地獄に挑む開拓者たち相手の商売をする連中も、さぞ儲かるだろうな」
露店の前で足を止めたとき、快活な声が飛んできた。
「お、兄ちゃんたちも開拓者かい? お陰様で稼がせてもらってるよ! どうだい? 保存食なら、ウチが一番だよ!」
店主は、日焼けした顔に満面の笑みを浮かべていた。
「へえ……開拓者ってこんなの食べてるの?」
ハンナは品物を手に取り、不思議そうに眉をひそめる。
「……これ、食べ物? こんな干からびた皮みたいなのが?」
「失敬だな嬢ちゃん! これは干し肉だよ!」
「じゃあこの……丸いのは? どう見ても金属だけど……中に何か入ってるの?」
「缶詰めだよ! 見たことねぇんか? こうして缶切りを使って開けて……ホラ!」
店主が器用に缶切りで缶詰を開けるところを見て、ハンナは苦悶の声を漏らす。
「うわ……本当に食べ物なの? これ……」
「オイオイ貴重な保存食だぜ? 見た目はちとアレだが……ほれ」
差し出された缶詰の中身を思い切って食べてみるハンナ。最初はしかめっ面だったが、徐々に表情が和らぐ。
「うん……悪くはないわ。でもやっぱり家でお母様が作ってくれるスープには敵わないわね」
「ああ。それに、この街では、見た目の奇抜さよりも、腹を満たす安全性が重要だ」
テオは缶詰を軽く突き返した。
「悪いが、そちらの店の保存食は、少し匂いがきついな。この街で腹を壊すのは命取りだ。我々は、もう少しまともな店を探すよ」
テオが肩をすくめると、店主は一瞬顔を引きつらせたが、すぐに豪快に笑った。
「そりゃ、慎重なこって! 運を大事にする開拓者らしい!」
テオたちは店を後にし、通りの奥にある食堂へと向かった。
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「へえ……ここがレストラン。意外と悪くないじゃない」
ハンナは目を輝かせて店内を見回した。
粗末ながらも活気ある店内。木製のテーブルに鉄の食器。汗と酒と香辛料の匂いが混ざり合い、どこか“人間くさい”空気が漂っている。
「ご注文は?」
ウェイトレスがメモ帳を手に近づく。
「好きなもの頼んでいいぞ」
「ほんと? それじゃあ……」
二人が注文を告げ、料理を待つ間。
一羽の鳥が、店内の足場にひらりと舞い降りた。
「あ、ゴシック・パロット」
「ゴシック・パロットは知ってるんだな」
「知ってるわよ! それくらい」
鳥は、無機質な声で語り始めた。――それは録音再生型の伝令鳥だった。
『地獄開拓が始まってから、ちょうど1ヶ月が経ちました。
ここで改めて、この地獄開拓史の始まりとなった――オズワルド・E・エドワーズ氏の演説を、もう一度お聞きいただきましょう』
店内のざわめきが、次第に静まり返る。
皆がその声に耳を傾けた。
『――未知とは、希望である。
人類はこれまで数多の未知に挑み、幾度も失敗し、そして打ち勝ってきた。
だが……そんな人類が唯一、目を逸らし続けてきた未知がある。』
声は厳かで、同時に熱を帯びていた。
語るのは、開拓事業の発起人にして、貴族の称号を持つ魔族――オズワルド・E・エドワーズ。
『私は――いや、私たちは、今こそその未知に挑むべきなのです。
地獄の先。その黒煙の向こうに、何があるのか。
未だ誰も知らない。だからこそ、価値がある!』
ざわめきが再び広がる。誰もが夢を見ていた。
莫大な富、名誉、歴史に名を残す栄光を。
『数日前、我が領地の川のほとりで、小さな魔石が見つかりました。
ほんの欠片に過ぎません。しかし――それがいくつも見つかったのです。
これは何を意味しているのか? そう! 上流には、まだ誰も見ぬ鉱脈が眠っている!』
『上流は地獄に阻まれ、誰も到達したことがない。だがしかし――今こそ挑む時なのです!』
彼の声は、熱狂と信仰の境界を越えていた。
それはまるで“人類そのもの”を鼓舞するかのような叫び。
『これは啓示だ。人類に新たなステージに進めという、神の贈り物だ!
鉱脈を見つけた者には莫大な賞金と、鉱脈の所有権を与える!
人類よ、立ち上がれ!
我々の手で、地獄を開拓しよう!』
『――私はここに、「開拓時代」の開始を宣言する!』
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演説の録音が終わると、店内は歓声と笑い声に包まれた。
酒が注がれ、拳が打ち鳴らされる。
「地獄」という言葉さえ、もはや恐怖ではなく希望を象徴していた。
「なんだやるってのか!?」
「てめえがおれの喧嘩買うってんならな!」
突如、別のテーブルで怒号が上がる。
椅子が倒れ、空気が一変した。
「……まったく騒がしいな。出ようか」
テオが立ち上がりかけたそのとき、ハンナが静かに前へ出た。
「ちょっと」
「なんだ!?」
「迷惑ですよ。お店にも、お客さんにも。やるなら外でやったらいいんじゃないですか?」
「なんだと?」
「ガキが一丁前の口利いてくれるじゃねえか」
「いいぞー! ヒューヒュー!」と野次が飛ぶ。
荒くれ者が苛立ちに歯噛みし、拳銃を抜いた。
「うるせえ!」
銃声が轟く。狙いはハンナの頭――だが、弾丸は空を裂くだけだった。
彼女は微動だにせず、紙一重でそれを避けていた。
掠めた弾丸が、彼女のフードを吹き飛ばす。
「な、こいつ……魔族じゃねえか!?」
「だったらなんだと言うの?」
「おれはな……魔族ってヤツが大嫌いなんだ! 偉そうに見下しやがって! ……オイ! このガキ、ヤッちまおうぜ!」
「賛成だ……へへ、よく見ると可愛いツラしてんじゃねえか」
「……別に人間を見下したことはないけど……貴方たちの根性は見下げ果てたわね」
「すぐにおれがお前を見下してやるよ! 組み敷いてな!」
再び銃口が火を噴いた。
だが今度、ハンナは避けようともしなかった。
鱗に覆われたトカゲのような右手で、放たれた弾丸を――掴み取ったのだ。
金属の悲鳴が響き、彼女の掌の中で弾丸はぐしゃりと潰れる。
まるで丸めた紙のように、哀れな姿へと変わっていた。
「これが一秒後の貴方たちの末路だけど? どっちからがいい?」
その声音は冷たく澄み切っていた。
荒くれ者たちは言葉を失い、互いに顔を見合わせ――すごすごと退散した。
「まったく……無茶するなよ」
テオが呆れたように肩をすくめる。
「ごめんなさい。でもこんな素敵なお店だもの。荒らされたくなかったの」
「オイ、うちの店でおイタする馬鹿野郎はどいつだ?」
厨房から怒鳴り声が飛ぶ。大柄な店長が現れた。
「あ、店長。その……あの子がもう追い払ってくれました」
「なんだ。直々に可愛がってやろうと思ったのに。済まなかったな、お嬢ちゃん。手間かけさせたようだ」
「気にしないでください。せっかくの素敵なお店ですから。私も気持ちよく食事したかったので」
「嬉しいこと言ってくれるじゃねぇか。よし、飯代はチャラにしてやるよ! 好きなだけ食いな!」
「わあ! 本当ですか? ありがとうございます!」
店中に笑いが広がる。
こうしてテオとハンナは、店主の好意に預かり、腹いっぱいの食事をとったのであった。




