咲き誇る心のままに(前編)
――花と闇の境界にて――
風が泣いていた。
黒根が地を覆い、世界がゆっくりと色を失っていく。
空は灰色に染まり、花の香りは風にかき消される。
各地で魔法が狂い、人々は次々と逃げ惑っていた。
「黒根の再侵蝕が……こんな速度で……!」
レオンの額には汗が滲んでいた。
「もう王都にも迫ってる。防衛線がもたない!」
リュシアンが低く呟く。
「……“花の封印”が完全に解かれたんだ。
黒根は、花魔法の光を追う。
つまり――エリア、お前だ」
エリアは静かに頷いた。
「うん。最初から、わかってた。
この力を咲かせた瞬間から、世界が動き始めたんだって」
彼女の手の中には、一輪の花があった。
白く、儚く、けれど確かな命の光を放っている。
その花こそが、“生命の根源”――フロラリアの心臓。
母リサが命と引き換えに託した、最後の希望。
「……お母さんの力が、まだここにある」
エリアの瞳に決意が宿る。
「この花を、世界の“中心”に返す。それが最後の封印になる」
「でも、それって……!」
レオンの声が震える。
「お前の命が――」
エリアは微笑んだ。
「大丈夫。花は枯れても、次の季節にまた咲くから」
⸻
黒い空の下、三人は世界の中心――“大地の心臓”へ向かっていた。
その途中、かつて旅した村や街が、すべて黒根に呑まれていく。
人々は祈り、花の名を叫んだ。
その声が、風となってエリアに届く。
“花の子よ――”
“光を――”
“あなたの花を、もう一度咲かせて――”
エリアは足を止め、空を見上げた。
遠く、雪の都フェンリルの方角に、白い花弁が一つ舞う。
(みんな……ありがとう)
⸻
旅の終着点、“大地の心臓”。
そこは巨大な花の根が絡み合う異空間だった。
地面も空も存在しない。光も、風も。
ただ、無数の根が世界を縛るように蠢いている。
その中央に立つ黒い影。
エリアが息を呑む。
「……お母さん?」
闇の中から現れたその姿は、リサだった。
けれど、瞳は黒く濁り、花弁のような痕が頬に刻まれている。
『エリア……戻ってきたのね』
「お母さん! やっと会えた……!」
『来てはいけなかった。花の封印は……お前の命で保たれていたのに』
「違う! 私、あなたを助けに――!」
『助ける……? エリア。
私はもう“黒根”の一部なのよ。
世界を癒すはずの花は、あの夜に枯れてしまったの』
「そんなの、嘘だ!」
涙が頬を伝う。
その瞬間、リサの体から闇が溢れ出した。
花弁の形をした黒い光が、嵐のように周囲を包む。
「……来るぞ!」
リュシアンが杖を構える。
レオンが炎を纏い、エリアの前に立つ。
「俺たちが、お前の“花”を守る!」
⸻
激しい戦いが始まった。
闇の花弁が飛び交い、炎と闇と光が交錯する。
塔のような根が崩れ、世界の奥から低い咆哮が響く。
リュシアンが魔法陣を展開し、レオンが叫ぶ。
「今だ、エリア!」
エリアは目を閉じ、胸の花を掲げた。
「――咲け、《万花の誓い(フロリア・エテルナ)》!」
白い光が爆発した。
世界が、一瞬で花で満たされる。
無数の花弁が闇を飲み込み、黒根が悲鳴を上げて消えていく。
光の中で、リサの姿が微笑んだ。
『……よく、咲かせたわね。エリア』
「お母さん……!」
『もう、怖くないでしょう?
枯れることも、咲くことも。どちらも命なの』
リサの体が光となって溶けていく。
その光が、エリアの胸の中へと吸い込まれた。
『――咲き誇りなさい。心のままに』
⸻
光が消えたあと、世界は静かだった。
空には花弁のような雲が漂い、風が優しく吹いていた。
レオンが地に座り込み、息を吐く。
「終わった……のか?」
リュシアンは無言で空を見上げた。
そこに咲く白い花を見て、小さく微笑む。
「終わりじゃないさ。これが、“始まり”だ」
エリアは空を見上げ、両手を広げた。
光の粒が舞い、花の香りが世界を包む。
「――お母さん。
あなたの花は、ちゃんと咲いたよ」
風が彼女の髪を揺らし、白いブローチが淡く輝いた。




