「美人」という名の罪人に生まれて
――それが「罪」だというのなら、私はどう生きて行けば良いのか――
春の終わりを告げる風が頬をかすめたとき、わたしはわずかに顔を上げた。
ついさっきまで心が深く沈んでいて、風のやわらかさすらうまく感じ取れなかったのに、ふと「春ももう終わるのか」と意識する自分がいる。
校舎に近づくと、わたしに気づいた同じ高校に通う生徒が軽く会釈をくれた。
一見するとごく普通のあいさつだけれど、その目の奥には何か別の感情が揺れている
――好意や羨望なのか、あるいは嫉妬や警戒なのかはわからない。ただ、そこに穏やかとは言いがたい強い気配があることだけは、はっきりと伝わってくる。
わたしは一応、笑顔を返す。けれど、その笑顔が自分でも本物かどうか疑わしく思えてしまう。挨拶が義務のようになって久しく、相手の表情をくまなく観察したり、気を回したりする余裕ももうない。
結局「むやみに波風を立てないための笑顔」を貼りつけるしかなくて、気づけば心がすり減っている。
クラスに入ると、こんどはクラスメイトの視線が背中に突き刺さる。かつては「仲良くなりたい」「一緒におしゃべりしたい」と無邪気に思ってくれる子もいたのに、いつのまにか微妙な空気を察することが増えた。遠巻きにヒソヒソ声でわたしを見ながら話し、ため息が混じるのも耳に届く。表向きは明るい子たちなのに、言葉にならない複雑な感情を伴った視線だけがひしひしと背中越しに伝わり、息苦しさを覚える。
人の気持ちというのは、本来もっと穏やかで柔らかいものだ
――幼い頃のわたしはそう信じていた。
けれど、いつのころからか、わたしに向けられる感情は剥き出しの「好意」や「嫉妬」、「羨望」や「憎悪」、「畏怖」や「恐怖」といった、境界が曖昧になるほど濃い刺激ばかりになっていった。特に中学に入ったあたりから急激に美人扱いされるようになり、そのせいで周囲の視線や態度はさらに過剰さを増していった。自然と警戒する癖がつき、表情や言葉の端々で自衛しようとしていたのだと思う。
そんな中学時代に感じた「美人扱い」の息苦しさを、高校では振り払いたくて、
通学に片道2時間近くかかる学区外の高校を選んだ。誰も志望しない場所なら新しい環境でやり直せるかもしれないと期待し、入学式の日から「自分から積極的に話しかける」努力をしてみたのだ。
実際、その選択は間違っていなかったと思わせるほど、高校生活のスタートは充実していた。
入学式の翌日には、クラスメイトがまるで突然来た転校生に興味を示すかのようにわたしの机を取り囲んでくれた。「髪サラサラで羨ましい」「なんでそんな肌白いの?日光浴びたことある?」などと笑いながら質問攻めにしてくれて、わたしもぎこちなかったとは思うが精一杯の明るい調子で返した。中学での苦い記憶から“自分からも話しかけよう”と心に決めていたわたしは、思いきって積極的に声をかけたり話題を振ったりしてみた。すると、想像以上にすんなり受け入れてもらえて、「勇気を出してこの高校を受験して良かった」と心から思えた。
クラスには、休み時間にトランプをしたり、好きなアーティストの話で盛り上がったりと自由な雰囲気が満ちていて、そこにわたしも自然に溶け込むことができた。昼休みには一緒にお弁当を広げる仲間がいつの間にか増え、放課後には駅前のチェーンのカフェで門限ギリギリまでおしゃべりして帰るのが当たり前に。行き帰り合わせて4時間近くかかる通学も苦にならず、むしろ電車の中でその日どんなことを話そうか考えたり、一日の楽しかった出来事を振り返ったりする時間を持てて嬉しかった。「この2時間の距離が、わたしの世界を変えてくれたんだ」とさえ感じていた。
そんな中でも、とりわけ仲良くなったのが“藍ちゃん”だった。
小動物のように愛らしい見た目で、いつも明るい笑顔を浮かべる彼女とは、最初からどんな話題でもウマがあった。ふわふわとした雰囲気とは裏腹に、芯が強くて、人目も気にせず大胆な発言をする彼女が、ずっと人目を気にして生活してきた私とは対照的でキラキラと眩しく映った。わたしは彼女と過ごす時間が大好きで、「友達のいる高校生活ってこんなに楽しいものなんだ」と、藍ちゃんのことを考えると毎日がワクワクして仕方がなかった。
ところが、入学して2週間ほど経ったある昼休み、女子数人とおしゃべりしていたら、他のクラスの生徒が数人窓の外からコチラを見ていた。
――「ものすごい美人がいる」と噂が立ったらしく、わざわざ教室まで覗きに来たのだ。
「芸能人みたい」「アイドルじゃん」と口々に盛り上がる彼らに、友達も「すごいね」「有名になったね」と当初は面白がっていた。
わたしは中学時代の嫌な予感が胸をよぎった。大事にならないといいけど
そう思いながらも、実際どうすれば正解なのか
――自分がどう行動すれば、やっと手に入れたこの掛け替えの無い日常を守り続けることができるのか。
何も答えが出ないまま、ただ曖昧に受け流すしかなかった。
周囲もまだその時は「ミーハーだなあ」「でも羨ましいかも」と軽く囃し立てる程度で収まっていた。
だが、その後の日常は、わたしの気持ちとは裏腹に少しずつ変化していく。
休み時間ごとに覗きにくる男子には上級生も混ざりはじめ、
さらに「美桜と一緒に帰るの? 美人と並ぶと目立つね」「いいなあ、羨ましいけど疲れそう」といった声が飛ぶ。悪意はないのかもしれないけれど、「そんなに注目されるのは疲れる」「いちいち噂になるのは面倒」と本音を漏らす人が出始め、入学からの楽しかった高校生活に小さな亀裂が入っていくのを感じていた。
そんな中、とりわけつらい思いをしたのは、他でもない藍ちゃんだ。
彼女は初めから同じクラスの男の子が気になると言っていて、わたしもと微笑ましく見守っていた。実際、席が隣同士の2人は授業中もよく談笑していて、楽しそうな雰囲気が周りにも伝わっていた。わたしも「藍ちゃんが幸せそうで嬉しいな」と感じていたのだが、
次第に雲行きが変わって行った。
いつの間にか彼は、休み時間に「美桜っておな中(同じ中学)の友達いないんだって? 通学ってどんな感じ?」など、わたしの話ばかりしたがり、愛ちゃんが隣にいてもわたしを見て話すことが増えた。彼女は最初こそ笑いにしていたけれど、
何度もその光景を見せつけられるうちに、目に見えて暗くなっていった。
ある放課後、藍ちゃんが意を決したように、静かに唇をかみしめながら言った。
「・・・美桜は悪くないって分かってる。でも、一緒にいるとしんどい,,,かも……ごめんね」
彼女の瞳は、わたしへの単純な恨みだけでは無い複雑な悲しみで揺れていた。
わたしが何か意図的にやったわけでも、もちろん彼女を邪魔しようとしたわけでもない。むしろ心から藍ちゃんの幸せを願って、いやそれは今でも願っている。そのために私にできることがあるのならば、それがどんな事でも全力で協力するつもりだった。それなのに、実際には大好きな友達が好きになった男の子との関係を「わたし」という存在が壊す――その現実は私の心を殺すのに十分だった。
「ごめん、わたしこそ……」としか答えられなかった。わたしがどうこうできる話では、彼女を苦しめている原因が「わたしの存在」であることははっきりしている。彼女自身も「美桜が悪いわけじゃない」と言ってくれる言葉に偽りはないと思うが、
だからと言ってこれからまたそれまでの様な関係に戻る日は
――もう二度と来ないのであろう。
こうして、わたしの大切な友達がまたひとり、傷ついた姿で遠のいていくのを見ていると、途方もない無力感に襲われる。
藍ちゃんだけではなく、クラスメイトたちも少しずつ距離を置くようになっていく。「美桜といると目立ちすぎて疲れる」とか、「何も悪くないのに、なんか複雑……」と口にする子が増えて、最初は親しげに声をかけてきた人たちも、周りの視線や噂を嫌がって離れていった。わたしはその流れを止めたいと願っていたが、何をすればいいのか具体的にはわからなかった。ただ、うまく対処できずにいるうちに、どんどん孤立していく自分だけは明確に理解していた。
そして決定的な事件が起き、今ではわたしが変わらず教室にいることと、クラスメイトが遠巻きに見ていることが“普通”になってしまった。
あれだけにぎやかだった席の周りも、いまは静かな空気で満たされている。最初は興味津々で声をかけてきた子たちも、まるで封印された関係を抱え込むように黙りこんでいる。
わたし――は、人と話すのが好きなはずなのに、そのために意を決して誰も私の過去を知らないこの高校を受けたのに、いつの間にかまた誰とも深く関われない状態になっていた。周囲からは好意、嫉妬、憧れ、恐怖、遠慮など、さまざまな感情がひとつの渦となって押し寄せてくる。あまりに強烈すぎて、ひとたび踏み込めば一気に飲み込まれるから、結局は誰も寄せつけもせず、拒絶もしないまま中途半端な距離を保って呆然とそこに立っている。
家に戻り、2時間かけた通学の疲れを引きずったまま部屋の明かりを消しても、その感情の残滓は頭を離れない。カーテンの隙間から漏れる街灯の光を眺めていると、まるで自分だけが世界から切り離されているような感覚に陥る。
「誰かと一緒にいたい」と思う半面、「もう誰の感情も受け止めたくない」と身を縮める自分もいる。
その自己矛盾に振り回されるうち、なかなか眠りにつけなくなる。
周囲の視線を浴びるほど、「わたしって何なんだろう」と空虚な気持ちになる。「私が私としてその場に存在する」そのこと自体が、誰かを傷つけたり、自分を追い詰めたりする原因になっている。望むものは近づくほど遠ざかり、けれど、それでもわたしはまだ「誰かとちゃんと向き合いたい」「互いの内面を知り合いたい」という気持ちを捨てきれない。朝が来れば、視線の渦の中へ赴き、どうにもならない戸惑いを抱えながらも学校生活を送るしかないのだ。
とはいえ、出口のない暗闇でただもがくだけのわたしにも、まだ消えない願いがある。誰かと本当に向き合い、わたしの内面を受け止めてもらいたい――そして、わたしも相手をありのままに知りたい。その当たり前の関わりを夢見てしまうのだ。
けれど、どうすればそこに辿り着けるのかはまるでわからず、ただ呆然とそこにいるだけだ。
それでも、立ち止まることはできない。朝になれば学校へ行き、あの視線の渦の中をくぐり抜けなくてはならない。逃げ出すつもりはないけれど、気力や自信があるとも言えず、「どうすればいいの?」という問いを繰り返している。眠れない夜、薄暗い天井を見つめながら、意識が遠のく直前に胸の奥がかすかに疼く。それは、わたしがいまも「誰かとつながりたい」と切に願っている証拠なのかもしれない。
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