cool and kind guy
今回は穂乃花の視点で書いてます。
時間軸は、前回の直後となっています。
「あらあら、今日もお二人そろっていらっしゃったのですか。相変わらず仲のおよろしいことで」
「朝っぱらから見せつけてくれるねぇ、まったく」
永見穂乃花と世良和彦が一緒に教室に入ると、民谷美紗子と村松泰邦が二人に声をかけた。
「な、何言ってんのよ。別にそんなんじゃないんだから!」
穂乃花は慌てて否定した。心なしか頬が熱い。
「それに、お前らにそんなこと言われる筋合いはない」
気が動転している穂乃花に対し、和彦はあくまで冷静である。自分一人だけがどぎまぎしている状況に、穂乃花は少しブルーになった。
美紗子は白百合女学院出身で、穂乃花の親友。泰邦は和彦の幼なじみで、通う学校も和彦とずっと一緒だという腐れ縁である。
穂乃花と和彦の二人が仲良くなって以来、美紗子と泰邦も知り合い、大学合格後は四人で遊ぶことが多々あったのだが、美紗子と泰邦の仲は次第に親密なものになり、つい一ヶ月前に二人は恋人同士になったのである。
「まったく。世良君はからかい甲斐がないんですから」
「言っとくけどな、和彦。これでも俺は我慢して……」
そこまで言ったところで、泰邦は顔を歪める。黒いごつごつとしたスニーカーからはみ出した足首に、かわいらしいピンクのハイヒールが突き刺さっていた。
「公衆の面前で、あまり不潔なことをおっしゃらないでいただけません?」
にっこりと微笑む美紗子。だが、目は笑っていない。泰邦の顔つきはだんだんとひきつっていった。
「何だかんだでうまくいってるのね」
「そうだな」
穂乃花と和彦は、美紗子と泰邦の後ろの空いた席に着いた。ちらっと窺った和彦の顔は、優しい微笑みで形作られていた。きっと目の前のカップルを心から祝福しているのだろう。
――きっと、隣に座ってドキドキしてるのは、あたしだけなんだろうな……。
無意識のうちにこぼれたため息。そっと自分を窺う和彦の視線に穂乃花は気づかなかった。
* * *
「まったく、あれほど忘れ物はないか確認しろって言ったのに」
「だから、ごめんって謝ってるじゃない。それにお詫びに夕ごはん作ってあげるんだから、いいかげん機嫌直してよぉ……」
スーパーからの帰り道。隣の運転席でムスッとした和彦を穂乃花は必死になだめていた。いつもより運転が荒いためか、カサカサと揺れるレジ袋の音が車内に響く。
「別に怒っちゃいないけどさあ……。それにしても、化粧ポーチみたいな大事なものを忘れるとは、相変わらず間抜けというか何というか」
「悪かったわね、間抜けで」
チラリと和彦の顔に視線を向ける。先ほどの表情とは一転、楽しげで人を小馬鹿にしたような笑顔。それでも、なぜか穂乃花は怒ったふりをする気にもなれなかった。
熱くなる頬。高鳴る鼓動。頭から湯気が出そうなくらい心臓がバクバクで。
和彦のアパートに着くまで、気持ちを落ち着けるのに必死な穂乃花は、和彦とまともに会話できなかった。
* * *
「おっ! あった、あった! これだろ? お前の化粧ポーチ」
無造作に床に置かれた、白い大きなクッションの下にそれはあった。
「うん! よかった、見つかって」
「まったく。こんなとこに放置すんなよな」
部屋に着いたらすぐ済むと思っていたポーチ探しは、意外な場所にあったこともあって三十分もかかってしまった。
「……ごめん」
「あ、いや、バイトまで暇だったし、別にそこまで気にしなくてもいいけどな」
すっかりしょげきった表情の穂乃花から、和彦は決まり悪そうに顔を背ける。視線のたどり着いた先は、シンプルなデザインの置時計。4と5の間で長針と短針が重なりあっていた。
「って、やべぇ! もう出ないと遅刻しちまう!」
和彦は飛び上がると、鞄を片手に玄関までダッシュした。
「じゃ、俺は行くから。旨い飯を期待してる」
『いってきまーす』と挨拶しながら、扉の外へと飛び出す和彦。玄関まで見送りに来た穂乃花は、扉が勢いよく閉まるのを目の当たりにして、一つため息を溢した。
和彦のバイトは家庭教師で、週に二度、自宅からバスで30分ほどかかる家まで通っている。聞くところによると、生徒は穂乃花たちの母校に通う女子高生らしい。普段は時たま、バイト後に和彦の分まで夕食が用意されているが、今日は事前に丁重に断っていた。
本当はバイトまでの間は暇じゃなかったはずだ。化粧ポーチ探しをしなかったら、もっと余裕をもって移動できたのだ。
それでも、一緒に探してくれた……。
「……期待しても、いいのかな?」
ポツリと漏れた独り言。答えてくれる人――答えてほしい人は、今ここにはいない。
* * *
「穂乃花、もういい加減にしなよぉ!」
「うるさぁーい、まだ飲み足らなひのよぉ」
ろれつが回らない口調で、カクテルの缶に手を伸ばした穂乃花を、女友達が必死に押さえている。ここは、とあるマンションの一室。『独り身パーティー』なる飲み会が女子限定で開かれていたのだが、元々お酒に強くない体質の穂乃花は、開始早々酔っぱらってしまい、それからは、お酒を飲むことと和彦の愚痴の繰り返し。同じ話が二度も三度も繰り返されて、その場にいたメンバーはうんざりしていた。
「和彦はあたしのことを、きっと男友達の進化形くらいにしか思ってないのよぉ」
「はいはい、そうなのかもね」
適当に流された返答を気にとめることもなく、穂乃花が再びお酒の缶に手を伸ばしかけた時、ピンポーンというインターフォンの音が部屋中に響き渡った。
天の助けとばかりに玄関に急いだ、この部屋の家主、黒川香菜が勢いよくドアを開け放つ。
「待ってたよ、世良君!」
「遅くなって悪いな。穂乃花は……、聞くまでもないな」
香菜に入ってもいいか確認をして、和彦は部屋に上がり込んだ。穂乃花が今にも床の上で寝てしまいそうな顔をしているのが見えたからだ。
「おい、穂乃花! 起きろって! 家まで送ってやるから」
「ねえ、いっそのこと、世良君ちに穂乃花を泊めてあげるってのはどう?」
飲み会のメンバーの一人が、とんでもないことを口にした。
「はぁ!?」
「だって、穂乃花ったら、世良君ちに泊まりたいって、さっきから喚いてるんだもん」
「何言ってんの、そんなこと一言も言ってなかったじゃない」
香菜が必死に訂正しようとするが、彼女は言い分を変えない。頬が赤いことからみると、どうやら悪酔いしているようだ。
そうこうしているうちに、別のメンバーが穂乃花にそっと耳打ちした。それは悪魔的な一言であったことが、素面状態の和彦と香菜には分かった。
耳打ちされたあと、穂乃花は潤んだ瞳で和彦を見上げて、こう言ったのだ。
「……え、和彦の部屋に泊めてくれるの?」
破壊力抜群の不意打ち攻撃に、頬を赤らめた和彦には、一切の抵抗力も残らなかった。
* * *
「……んんっ」
不意に肌寒さを感じて、穂乃花は目を覚ました。いつの間にか、テーブルの上に頭を乗せて眠っていたようだ。オーブンの音がかすかに聞こえる。
――そうだ、あたしグラタンを作ってて、焼き上がるまで時間がかかるから、ちょっと休もうかなと思って……。
そして、そのまま寝てしまったというわけだ。夢に出てきたのは昨日の出来事、つまり穂乃花が和彦の部屋に泊まることになった顛末である。
今になって冷静に考えてみると、自分がそそのかされて和彦の部屋に泊まることになったのだと自覚し、穂乃花は恥ずかしくなった。
気を紛らわそうとして、オーブンに目をやる。もしかしたら焦がしてしまったかもしれないと思ったが、ちょうどいいくらいの焼き色で、とろとろなチーズが皿を覆っていた。加熱終了の電子音が鳴るまであと30秒くらい。どうやら成功したらしい。ほっと息をついて時計を見ると、和彦が帰ってくるまであと15分くらいの時間になっていた。水を張っていたパスタ鍋に慌てて火をかける。なかなか沸騰する気配をみせない、大きめの鍋に入った水をぼーっと眺めながら、穂乃花は今朝のことを思い出していた。
――あの時は、甘いにおいが急にして目が覚めて、それから……。
和彦が近づいてくる気配を感じて。なぜか眠った振りをしていたくなって。ぎゅっと閉じられたまぶたの上に、和彦の顔が近寄ってくるのを感じて。一瞬キスされることを期待して。
「あたしって、ほんとバカ……」
額に軽い衝撃を受けて、今まで眠っていたにしては不自然すぎるくらい、一気に目を開いた。狸寝入りをしていたことがバレたかもと、穂乃花は戦々恐々としていたのだが、和彦は何も言わなかった。
そう、和彦はいつも何も言わない。昨日穂乃花を家に泊めたことになったのは、本当は迷惑だったに違いない。それ以外にも、車で大学や駅まで送ってもらったこともあるし、父親のプレゼントを買うのに付き合ってもらったこともある。今日の化粧ポーチ探しだってそう。もちろん、欠かさずお礼はしてきたつもりだし、ネタにしてからかってくることはあるけど、穂乃花の望みを和彦はいつも叶えてくれる。だから、余計に期待してしまうのだ。和彦が自分のことを好きなんじゃないかと。
それは、もしかしたら甘い夢なのかもしれない。それでも……、
「今は甘い夢を見させてよね」
いつか、自分の想いを伝えることができる日まで。
次回は、和彦の家庭教師のバイト先での話を予定しています。
それでは、登場人物が増えて、これから誰の話を書こうかを迷走中の作者でした。