2話③ 梅雨は恵の季節です
先程より強く雨が打ちつける校舎を七汰は早足で歩いていた。
小道隔離ミッションは予定よりもかなり早く切り上げてしまった。「前世の因縁によって右腕が疼く」「気づくともう1人の自分が身体を支配している」「最近感情がない」といったでっちあげの相談にも丁寧に応じてくれる小道への罪悪感に、耐えきれなかったのだ。相談の終わり際には、小道は本当に七汰を心配しており、同情で涙を流しそうな勢いであった。それでも移動時間も合わせて10分近く稼げたので充分だろう。病院に一緒に行こうとまでしてくれた小道とは教室棟側の玄関で無理矢理分かれたが、部室棟に傘を置き忘れたことに気付いた七汰は、一人戻ってきていた。
丸いアーチ状の屋根がかかる渡り廊下。そこで七汰の目に飛び込んできたのは、部活棟の入り口にあるベンチに腰掛け、ぼんやりと空を見上げている灯里であった。七汰は灯里に駆け寄る。
「天野、こんなとこで何してるんだよ。晴は?」
「失敗よ」
灯里が居たことに対して驚く七汰に対し、灯里は至って冷静に答えた。
「失敗って、なんで?」
「あの後、京とばったり会っちゃったの。なんでも、美術部のデッサンモデルを引き受けた帰りらしくて――――」
京は友人が多く、他部活の助っ人に呼ばれることも多い。美術部に呼ばれることも今回が初めてではなかった。落ち着きのない京ではあるが、逆に落ち着いてさえいれば美少女の部類なので重宝されているのだ。
灯里曰く、自分が傘を忘れたと言う前に、京が同じことを言ってしまったため、タイミングを失ってしまったらしい。もちろん晴は快く京を傘に入れた。そして、自分は部室に忘れ物があるということにして二人を見送ったとのことだった。
「本当に京ってばタイミング悪いんだから。しかもあの子、すっごく自然に『晴、一緒に傘入れて!』って。私は何回も練習してきたのに……」
落ち込んでるかもしない灯里を気遣うよう、努めて明るく七汰は声をかける。
「ま、そういうこともあるわな」
「……そうね。よしっ、次よ次! 一回の失敗で凹んでられないわ!」
七汰が心配していたよりも灯里は落ち込んではいないようであった。勢いをつけて立ち上がる灯里。その眼には力強い光があった。七汰は胸を撫で下ろす。
「しょうがない。俺の傘で良ければ、一緒に帰ろう」
そう言って七汰は自分のビニール傘を開こうとした。しかし、何か引っかかっているのか、ビクともしない。
「あれ? おかしいな」
グッと少し強めに力を籠める七汰。
次の瞬間、「バキィッッ」と豪快な音を鳴らしながら開いた傘は、開くと同時に傘ではなくなった。骨が4本は折れ、ビニールに至っては開くと同時に明後日の方へ飛んでいった。つい5秒前まで傘だったものを持ち立ちすくむ七汰。虚空に向けて呟く。
「安物なのに最近酷使してたからな……」
「ほんとにもう、なにやってんのよ……」
心底呆れた様子で灯里はガサガサと鞄を漁り、底の方から黒いカバーが付いた折りたたみ傘を取り出した。
「天野、なんで傘を……」
パッと小さな傘を開き、灯里は言う。中はシンプルな無地な黒傘だった。
「失敗した時用。一応持ってきてるから。ほら、早く入って」
「ちょっと、こっちが濡れるでしょ。もうちょっと寄りなさいよ」
お互いの息遣いが聞こえる距離。灯里は七汰を軽く押し出すように肩をぶつけた。
「面目ない……後で埋め合わせはしますので……」
「本当に、なんであんたと相合傘しなくちゃならないのよ……近くのコンビニまでだからね」
「はい……」
「あ、そこでシュークリーム買ってよ。それでチャラにしてあげる」
「はい……。ちなみに、これって他の生徒に見られたら不味くないか?」
「じゃあ出る?」
イタズラ好きな子供のように灯里は笑い、再度肩をぶつける。
「いえ、コンビニまでお願いします……」
二人を包む温い雨はまだまだ止む気配がなかった。