小学校の災難3
新村さん達に言われて以降俺は考えた。
日戸塚さんはいつも人がいない時にくる。だから常にこれなそうな場所にいることにした。
昼休みは男子トイレや教室にいたり、帰りはある程度教室に滞在したりして、毎回タイミングをずらして帰宅した。
だが少し嫌だったのが教室などにいると自分の陰口が聞こえるのだ。
「あいつ日戸塚さんって人に付き纏ってたらしいよ」
「えーいくら可愛いからってそれはないよな」
「これみんなに知られているのに学校来る度胸すごいよね」
「「それな笑笑」」
どちらかといえば俺が付き纏われてた側なんだけどなと思った。話が色々変わりいつのまにか俺がやばい奴みたいなことになってる。
(この感じだとどんどん悪化していくのか……)
(だが耐えるしがないよなぁ)
日々耐えていた。この時の俺にはそれしか思いつかなかった。
そしてあの葬式以降両親からも気色が悪いと嫌われ始めていた。
親が二人になると「本当に私の子かしら?」「なんであんな非常識な子になったんだ…」などの事が言われていた。自分では、平気と思っていてもいざ聞くと意外と堪える物だ。
学校に行けば陰口を叩かれ家に帰れば気色悪がられる。そんな日々を1年過ごした俺は感情を以前以上に出さなくなった。
俺が6年生になった春。結局一言も話すこともなく、顔も合わすこともなく日戸塚さんは中学へ行った。その間色々言われはしたが、心と感情を閉ざした俺には何も反応しなかった
時が過ぎればこんな話も無くなるだろうと思っていた。だが、人間というものは、寄ってたかって攻撃する事が好きみたいで、時が経つごとに増していった。
鉛筆や消しゴムなどの小物がなくなったり。上履きに土が入っていたり。ゴミ箱に教科書なんてよく物語で見るようなイジメにエスカレートしていった。
そんな日々を送っていくうちに自分自身で色んな理由をつけながら辛いという感情を濁して消していた。
しょうがない。仕方がない。世の中俺より酷い人はいっぱいいる。
そう言ったことを考え耐え凌いでいた。
だが耐えれば耐えればと濁しているだけで辛さは消えない。心は壊れてく一方だった。
6年生の秋を過ぎた頃。
感情表現をしなくなった俺は、痛みにも慣れて痛がりもしない。
苦しみにも慣れて嫌な顔すらしない。クラスメイトはそこまでいくと、もう気持ち悪いから怖いに変わっていた。
「なんだあいつ」
「ロボットみたい」
「喋らないしもう怖いんだけど…」
「関わったら呪われそう…」
酷い言われようだな。そう思いはしたが、言われるだけで、物を隠したりしても反応しない俺にそういったいじめをすることはなくなった。言われるだけならまだマシ。そう思い後のことは無視することにした。
そして、無事ではないが、壊れかけの俺は小学校を卒業した。