戦士の死闘と黒騎士
「んん? 何じゃ、あのちっこい猿は?」
「毛なし猿の幼生のようですね」
銀の巫女姫は、少し離れた場所で自分に槍を向けている小さな猿を見て上下に並んだ頭をやや傾けた。
「毛なし猿どもは、あのような尻尾も取れておらぬような幼生までをも戦場に立たせるのですか?」
「かかか、下等な連中らしい鬼畜の所業よのぅ」
「ですが……我々に刃を向ける以上、敵として処しましょう」
「たとえ幼生といえども、毛なし猿にかける温情などありはしませぬからなぁ!」
銀の巫女姫が、手にした錫杖のような杖を掲げる。
同時に、彼女の背後に控えていた銀色が動き出す。
新たに生まれた、異形の英雄。以前の四英雄たちとは違い、【銀邪竜】より巫女姫へと流れ込む魔力量が多いため、新たな英雄たちの数は十体を越えている。
その内、銀の巫女姫の背後に控えていた二体──他の八体は既に組合勇者たちと死闘を演じている──が、骨製の剣を手にしてアインザムへ肉薄した。
一体は剣を振り下ろし、もう一体は横薙ぎに。疾風を越える速度で振るわれた剣は、アインザムのまだまだ未発達な体を縦横に斬り裂いた…………かに見えた。
だが。
「まだまだ子供のアインにだけ、カッコつけさせるわけにはいかねえんだよなぁ」
「サイカスの言うとおりね!」
アインザムは一人ではない。彼には頼もしい仲間たちがいるのだ。
上から振り下ろされた剣はジェレイラの盾によって往なされ、横薙ぎの剣はサイカスの戦斧に弾かれる。
そして、攻撃を防がれて生じた僅かな隙を、ヴォルカンとアルトルが素早く突く。
ヴォルカンが構えた一対の小振りな剣が、銀カエルの足の腱を斬り裂き、アルトルが放った矢が突き出た眼の片方を見事に貫いた。
苦悶の声を上げる銀のガルガリバンボン。だがそれで彼らの──【雷撃団】の攻撃は終わりではない。
ヴォルカンとアルトルに続き、サイカスとレジェイラも攻撃に加わる。
「傷ついた一体を確実に沈める! その間、もう一体を押さえておいてくれ!」
「あいよ! ただし、銀カエル相手じゃ長くは持たないからね!」
「おう! なるはやで片付けるぜ! アイン! おまえは敵の大将を討つことだけを考えろ!」
「はい!」
「コステロ! おまえも手筈通りにな!」
「承知しておりますとも」
サイカスの指示に従い、アインザムは銀の巫女姫へ向けて駆け出し、コステロは詠唱を開始する。
「さぁて! 【雷撃団】ここにありってところ、カエルどもに見せつけてやろうじゃねえか!」
「やはり、毛なし猿の考えることはよく分かりませんね」
「全くじゃ。なぜゆえ、このような幼生を妾たちに立ち向かわせるのじゃ?」
自分に向かって真っすぐに駆ける小さな猿に、どこか哀れみを感じさせる視線を向ける銀の巫女姫。
だが、そこに侮りは一切ない。敵として自分の前に立つ以上、幼生だろうが成体だろうが等しく葬るのみ。
上の頭──妹姫の口が大きく開き、そこから切断属性の光線が放たれる。
放たれた光の刃は、どんどん接近するアインザムの小さな体をあっさりと左右に分割するかに見えた。
だが、アインザムは迫る致死の光刃を、手にした炎槍で易々と弾き飛ばす。
「むむ?」
「あの槍……邪神の気配がしますね。どうやら、貧相な見た目に反して相当な業物のようです」
「なに、いくら邪神が手掛けた業物であろうとも、扱うのがあのような幼生ではたかが知れているというもの」
妹姫が再びその口から光刃を吐き出す。しかも、今度は連続して数発の刃を、だ。
それぞれが不規則な軌道を描き、それでも全ての光刃が小さな戦士を目がけて殺到する。
怒涛のごとく自身へと襲いかかる光の刃。それらをひたと見つめたアインザムは、目で追うのも難しいほどの速度で炎槍を操り、迫る光刃をことごとく弾き飛ばす。
「………………この程度……」
くるりくるりと美しい螺旋を描いた後、ぴたと再び巫女姫へと突きつけられる槍の穂先。
「……今まで僕が積み上げてきた鍛錬に比べれば、ぬるいとしか言えないな」
槍を扱わせれば王国一と言われるほどの父。
得物は違えども、自分よりも遥かに強い二人の兄たち。
そんな先達たちから、物心がつく頃より……いや、物心がつく前よりいろいろと教えられ、鍛えられたのだ。
更には組合勇者として、【雷撃団】の一員として、様々な依頼に関わり数々の実戦を潜り抜けたことも、彼が成長した原因であろう。
そして、あの命懸けの敗走。
仲間たちによって逃がされ、傷ついたアルトルを背負い、命からがら逃げ伸びたあの時。
アインザムは己の非力を痛感した。
あれから、彼は一層鍛錬を積み重ねた。父親や兄たちを相手に、時には父や兄の伝手を使って騎士団の団員たちを相手にひたすら鍛錬をかさねたのだ。
その結果が、今の彼だ。アインザムはあの敗走の時とは比べ物にならないほどの実力を身に付けた。
いや、あの敗走こそが──あの苦い敗北こそが、彼を一回りも二回りも成長させたのだ。
それも、この短期間に。彼もまた、武の名門たるナイラル家の血を色濃く受け継いでいるのである。
もはや、今の彼を「小さな戦士」と呼ぶのは相応しくはないだろう。
ここにいるのは、歳は若くとも立派な一人の戦士なのだから。
「改めて貴女に告げよう。ナイラル侯爵家が三男……そして、勇者組合所属【雷撃団】が一員アインザム・ナイラル────」
少年の……戦士の双眸が、戦意という光を湛えて正面の敵へと向けられ、同時に手にした神槍を取り巻く幻影の炎が一際赤く輝く。
「────────推参」
ぎぃぃぃん、という耳障りな金属音が、地下の大湿地帯に何度も響き渡る。
ぶつかり合うのは錫杖と槍。どちらも長柄の武器であり、人間の命など触れただけで容易に刈り取るであろう恐るべき凶器。
アインザムが操る神槍は言うまでもなく、銀の巫女姫が振るう錫杖もまた、恐るべき威力を秘めていた。
人に限りなく近い体型とはいえ、巫女姫もまた銀の一族である。その膂力は容易に人間を上回り、人間程度なら簡単に引きちぎるだけの筋力を有する。
その筋力を用いて振るわれる錫杖が生み出す破壊力を、想像するのは難しくはない。
そして、繰り出される錫杖の速度もまた尋常ではない。高速で振り回され、様々な角度から襲いかかる凶器を、アインザムは巧みに受け、逸らし、弾きながら僅かな隙を突いて反撃さえ繰り出していく。
「こ、この子猿が……っ!!」
忌々しそうに吐き出したのは、上の妹姫か下の姉姫か。
相変わらずカエルの表情は読めないが、それでも巫女姫のその挙動からアインザムははっきりと苛立ちを感じ取っていた。
同時に、炎槍に纏わりつく炎の幻影が輝きを増していく。
アインザムが自身の魔力を炎槍へと流し込んだのだ。
何か嫌な気でも感じ取ったのだろう。銀の巫女姫が錫杖を雷の速度で突き出す。
顔面に向かって真っすぐに繰り出される錫杖。アインザムはそれを最低限の動きで躱すと、錫杖を遡るかのように炎槍を操る。
疾風よりもなお速く。雷光よりもより鮮烈に。
アインザムが繰り出した炎槍の穂先は、見事に銀の巫女姫の上の頭──妹姫の顔のど真ん中を貫いた。
同時に、妹姫の頭が燃え上がる。槍に秘められた炎の力が、妹姫を焼き焦がしていく。
「のおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
炎に包まれた妹姫の頭が、苦悶の叫びを上げた。
周囲から──歓声が湧きあがる。
新たな銀色の英雄たちと刃を交えていた組合勇者たちも、若き戦士と敵の首魁との闘いには少なくない注意を向けていた。
既に銀色のガルガリバンボンを打倒して、その戦いを見守っている者もいた。仲間たちを後方からフォローをしながら、その戦いを横目で見ていた者もいる。
そんな彼らは見たのだ。最年少でありながら、敵の首魁である銀の巫女姫に真正面から挑戦状を叩きつけ、圧倒し、首魁の二つある頭の一つを見事に潰したその瞬間を。
「よくやったアイン! さすがはオレの弟分だ!」
「ちょ、ちょっと、リーダーっ!? 一体いつアインくんがリーダーの弟分になったのさっ!?」
「そんなの決まっているだろ、アルトル! オレとアインは出会ったその瞬間に義兄弟になったのさ!」
「もー! リーダーったら相変わらず適当ばっかり! もー!」
サイカスとアルトルの軽口に、他の【雷撃団】の仲間たちも微笑みを浮かべる。
「さあアイン、残りの頭もぶっ潰せ! オレたちはオレたちで銀ガエルを叩き潰すからよ!」
【雷撃団】は巧みに連携し、二体の銀のガルガリバンボンを撃破していた。
敵の首魁たる銀の巫女姫に大ダメージを入れたことで、組合勇者たちの士気が大きく上昇する。対して、銀の一族側は女王が傷を受けたことで動揺したのか、その動きが悪くなる。
当然、組合勇者たちはこの好機を逃すことなく一気呵成に攻め立てる。
本来ならば、一対多数でも手こずるはずの銀のガルガリバンボンを、組合勇者たちは次々に打倒していく。
流れは完全に勇者側に傾いた。このまま一気に銀の一族を討ち滅ぼす。
組合勇者の誰もがそう思った時。
地下の大湿地に呵々と笑う女性の声が響く。
「くかかかかかか。これで勝ったつもりか猿どもよ!」
「やはり下等生物は下等生物、ということなのでしょうね」
まるで何事もなかったかのように響く、二種類の声。
確かに、下側の姉姫にはアインザムの攻撃は入っていない。姉姫が平然としていても不思議ではないのだ。
だが。
だが、妹姫までもが何事もなかったかのようにしゃべっているのはどういうことか。
アインザムの槍によって顔を貫かれ、炎で焼かれたはずなのに。
思わず、この場の全ての組合勇者が戦いの手を止めてまで、銀の巫女姫に注目する。
そして、銀の一族のガルガリバンボンたちもまた、己が女王の声に合わせるかのように、げこげこと合唱を始める。
ずるり。
それは、カエルの合唱の間を縫って響いた。
何かがずれるような音。着ていた衣服を強引に剥いだような音。
皮か何かが、剥けたような音。
音の発生源は、上下に二つ並んだ頭の上の方。
顔の真ん中を貫かれ、炎に炙られて焼け爛れていたはずの妹姫の頭が。
まるで脱皮をしたかのように──いや、真実脱皮をして、まるで傷のない元通りのカエルの顔を晒したのだ。
「くかかかかかか。この程度の傷で妾たち姉妹を倒せると思うでないぞ、猿どもよ!」
「わたくしと妹の再生能力……見くびってもらっては困りますね」