炎の神槍と黒騎士
銀の巫女姫。
それは、銀の一族の女王にして、彼らが神である【銀邪竜】を崇めし大司祭でもある。
その異形の女王にして大司祭が、彼らの聖地とも言うべき地下大湿地へと侵入した組合勇者たちを、二対四個の眼でぎょろりと睨みつけた。
「な、何だ……あれは……」
魔術師が放った光球に照らし出された、異形の姫。その姿はまさに異形と呼ぶに相応しいものだった。
「さて、汚らわしき侵入者どもを排除するとしましょう」
「かかかか、下等な毛なし猿どもは皆殺しじゃ!」
その姿形は人間にかなり近い。
身長は人間の男性とほぼ同じくらい。性別が女性ということを考えれば、大柄と呼べなくもないだろうか。
体形もすらりとしている。ただし、体のラインが人間の女性のような滑らかな曲線を描くことはなく、当然胸の膨らみも存在しない。
他のガルガリバンボンのように腕が長く足が短い、ということもなく、そこも人間と大差なかった。
ただし。
ただし、一ヶ所のみ明らかに人間とは違う部分があった。
それは、上下に二つ並んだ顔。
人間とほぼ変わらない体格と体型でありながら、カエルの頭部が縦に二つ並んでいる。
体は一つだが、意識は二つ。
姉と妹。
下の頭が姉で、上の頭が妹のようだ。
だが、どちらかが女王でどちらかが大司祭というわけではなく、二つの人格が同時に女王であり、大司祭なのである。
「とはいえ、猿どもの数がちと多いように思えますな、姉上様」
「そのようですね。では、新たな我が子らにも力を振るってもらいましょう」
「我ら姉妹が【銀邪竜】様のお力を受けて産み落とした子じゃ。野蛮な猿どもを殺すには適任よな!」
巫女姫がそう言った途端、彼女の背後に新たな気配が湧き上がった。
「【銀邪竜】様の聖なる気を我が胎にて卵として結晶化させ、その卵から生れ出た愛しき子らよ」
「おぬしらの母にして、銀の一族の長が命じるぞえ。汚らわしき猿どもを一匹残さず抹殺するのじゃ!」
「ちぃっ!! こいつら、他のカエルよりも強いぞ! みんなも気をつけろ!」
高速で迫る舌を愛用の戦斧で弾きながら、サイカスが仲間たちに告げた。
「た……確かに今までのカエルよりも攻撃が重いね……っ それに、しっかりとした武器まで使ってくるしっ!!」
ジェレイラは、自分目掛けて振り下ろされた剣を、盾で受け流しながした。
そう。
新たに現れたカエルどもは、明確に武器と呼べる物を使っているのだ。
もちろん、従来のガルガリバンボンも棍棒程度は使っていた。恐るべき膂力を誇るガルガリバンボンが振るう棍棒は、戦棍や戦槌よりも破壊力に優れる凶器だった。
そのガルガリバンボンが、明らかに武器と呼べるものを振るえばどうなるか。その結果は容易に想像できるだろう。
新たに現れた数体のガルガリバンボン。体格は銀の巫女姫よりもやや大きい程度で、従来よりもかなり小さい。
だが、体が小さくなった分敏捷性に優れることに加え、筋力も決して下回っているわけではなかった。
従来通りの筋力と、従来以上の敏捷性。おそらくは、武器を操る際の器用さも今までより上回っているだろう。
そして、明確に戦うことを意識して作られた武器を用いるのだ。
「どうやら、今まで以上の強敵のようですね」
「しかも、体色が銀色でちょっと気持ち悪いぞ」
コステロとヴォルカンもそれぞれの感想を口にする。
そう。ヴォルカンが言うように、新たなガルガリバンボンの体色は銀色だった。
それはまるで、異形の四英雄が生まれ変わったような姿。実際、銀の剣たち四英雄も、銀の巫女姫が【銀邪竜】の聖なる気──あくまでも銀の巫女姫の主観による表現──を受け、それを胎の中で結実させて生まれたのだ。
【真紅の聖女】によって封印された【銀邪竜】。その体は神々の縛めによって全く動かすことはできなかったが、その意識までは完全に封じられてはいなかった。
はっきりとした意識を保ち続けていたわけではないが、薄ぼんやりとしたその意識のもと、【銀邪竜】は少しずつ少しずつその身に宿る魔力を眷属たる銀の巫女姫へと流し込んだのだ。
僅かに流れ込む【銀邪竜】の魔力。その魔力を長い月日をかけて胎の中で卵とし、そして産み落とされたのが四英雄たちである。
だが、ここ最近は封印もかなり弱くなっていた。そのため、巫女姫へと流れ込む魔力の量も増えていたのだ。
こうして、その増えた魔力をもとに銀の巫女姫は新たな卵を産んだ。それが新たな銀のガルガリバンボン──四英雄の弟たちである。
そして、この弟たちの実力は兄たちに決して劣ることはない。
事実、この銀のガルガリバンボンたちによって、組合勇者たちはあっという間に劣勢に陥っていた。
「どうするんだい、サイカスっ!? このままじゃヤバいよっ!!」
剛力で振るわれる白い剣を、巧みに盾で受け流しながらジェレイラが叫ぶ。
銀のガルガリバンボンたちが振るう武器──粗削りではあるが、その形状は明らかに剣。そして、剣の材質は何らかの骨か牙かと思われた。
実際、四英雄やその弟たちが振るう武器の材質は骨だ。それも、同胞たるガルガリバンボンの骨である。
巨躯を誇り、そこから生まれる筋力にも耐えうるガルガリバンボンの骨。金属を採掘し、精錬する技術を持たない銀の一族にとって、これに勝る素材はない。
だが、その骨はそこらの金属よりも遥かに強靭であり、優れた武器の素材であった。
なお余談だが、死亡したガルガリバンボンの骨以外の肉や内臓は、同胞たちが分け合って食べる。ヒト族からすれば少しばかり理解しがたい風習だが、彼らにとって死した後も残された同胞たちの血肉となれることは、これ以上ない「安らかな眠り」なのであり、最上級の弔いであるのだ。
「…………確かにこのままじゃ遠くないうちに追い詰められる、か」
戦斧を振るいながら、サイカスは必死に考える。従来のガルガリバンボンであれば、今回集結した組合勇者たちで十分倒せる。だが、新たに現れたこの銀色のガルガリバンボンは、ここにいる組合勇者たちでは手に余るかもしれない。
──ここは一旦撤退するべきか?
そんな迷いがサイカスの脳裏を横切った時、不意に目の前にいた銀色が消え去った。
「────はぃ?」
思わず、変な声が出るサイカス。
いや、彼だけではない。ジェレイラも、コステロも、ヴォルカンも。仲間たちが全員、目を点にしてそれを見ていた。
「さっすがぁ!」
ただ一人、アルトルだけが嬉しそうな声を上げていたが。
目の前にいた敵が突然消えた理由。それは最年少の仲間が横合いから突進してきたからだった。
「────っ!!」
無言で気合を込めながら。
アインザムはサイカスに襲いかかるガルガリバンボンに、横合いから凄まじい速度の刺突を繰り出した。
【黒騎士】から……いや、姉から譲り受けた槍を両手で構え、尾のように炎を靡かせて、アインザムは放たれた矢のように飛んだ。
それはまさに矢だった。だがその矢は、普通の弓から放たれたものではなく、固定式の大型弩弓から放たれた巨大な矢。
鏃──いや、槍の穂先が比較的柔らかい銀の大カエルの脇腹を穿ち、その勢いを殺すことなく、そのままアインザムの体もろともガルガリバンボンを吹き飛ばす。
げこぉぉぉぉぉ、という苦し気なカエルの鳴き声が、地下の大湿地帯に木霊する。
「──さすがは姉上からいただいた神器の槍。凄い威力ですね。銘は……確かバンデルングでしたか?」
絶命しているのを確かめた後、アインザムはガルガリバンボンの脇腹から新たな愛槍となったバンデルングを引き抜く。
バンデルング──アインザムが言うように、それはジルガの次元倉庫に眠っていた神器に分類される槍である。
見た目は、細く頼りなさそうなどこか貧相ささえ感じさせる槍だ。だが、その細い柄の部分を、真紅の「実態のない炎」が纏わりつき、飾り立てている。
この「実体のない炎」は文字通りにただ見えるだけの幻影であり、触れることもできなければ、何かを燃やすこともできない。
だが、その貧相な細槍には、恐るべき能力が隠されている。
それは、バンデルングに魔力を注ぐことで、内部に封じられた炎の魔力を呼び起こすことができるのだ。
魔力を注げば注ぐほど、炎の威力も増していく。その際、槍を取り巻く幻影の炎が、どんどん色鮮やかになっていく。
アインザムは、少ないながらも魔力を有している。
人間で魔力を持つ者は多くはない。それが魔術師の数が少ない理由なのだが、アインザムはその数少ない魔力持ちなのだ。
それを見越して、ジルガは──正確にはライナスが──このバンテルングをアインザムに授けることにした。彼ならば、この炎の神槍を使いこなせるだろうと判断して。
実際、アインザムは見事にバンテルングを使いこなしている。神槍を受け取ってから、彼は筆頭宮廷魔術師のサルマンに魔力運用の手ほどきを受け、僅かな時間で魔力を操れるようにもなった。
魔力量自体は決して多くはないが、もしかすると彼には魔術師としての才能もあったのかもしれない。
そして、今。
煌びやかに輝く幻影の炎を靡かせて、アインザムは炎の神槍を振るう。
「ここは僕が──ナイラル侯爵家が三男、アインザム・ナイラルが支えます!」
堂々の宣告。それは年若くても一人の戦士の誓い。
アインザム・ナイラル──彼はこの戦いの後、【炎槍】の二つ名で呼ばれ、最終的には勇者組合の第3位の階位にまで上り詰めることになる。
そんな彼は、くるくると見事に手の中で操った炎の神槍の穂先を、ぴたりと銀の巫女姫へと突きつけるのだった。